第一話 山奥の家
「ただいま」
瑠衣の声が聞こえると同時に、部屋へ刺激臭が漂ってきた。
「それ、何だよ」
テレビを見ていた安西は顔をしかめながら振り返った。
瑠衣が持っているレジ袋から飛び出した青ネギに視線を移す。
「だってゴミ出しに行ったら青木さんに会っちゃって、いっぱい採れたから持ってけって言われたんだもん」
「俺たち自炊なんてしてないんだから、断ればいいだろ」
「嫌よ。そんなこと言ったら、あたしは料理ができないですって告白するようなもんじゃない。
それに、あたしはあんたの妹で、家事とか手伝うためにここへ来たっていう設定になってるんでしょ。
それで料理をしてないなんて言ったらおかしいわ」
瑠衣は口を尖らせてリビングを横切り、形の良い尻をくねらせながらキッチンへ入っていく。
「捨てるときはちゃんと切って、新聞紙で包んでおけよ。
田舎の奴らは他人のゴミの中をチェックするのがいるからな」
「わかってるって」
テレビに視線を戻すと、この映画の売りであるアクションシーンが始まっていた。
タイミングの悪いときに帰ってきやがって。安西は小さく舌打ちした。
最初は田舎の生活が新鮮だったせいもあり、テンションが高かった瑠衣も、三ヶ月過ぎたら町中へ戻りたいと言い始めていた。
もともとキャバクラ勤めで酒を飲んで騒ぐのが好きな女だから、いつかそんな話を切り出すと思っていたが、予想以上に早かった。
そのうち喧嘩になるのは目に見えていたが、出て行くなら勝手に出て行けばいいと思う。女なんて、金があるところを見せつければ、いくらだってなびいてくる。
次の女は顔とかスタイルだけじゃなく、ちゃんと料理ができる奴にしようと思う。
「本当はキャベツとか大根とか、もっと持ってけって言われたのを断ってきたのよ」
隣に座った瑠衣は、持っていたポテトチップスの袋を開けて、バリバリと音を立てて食べ始める。
「今年は猿とかイノシシとか全然出ないから、いっぱい野菜がとれたんだって」
どうでもいい情報なんかいらねえよ。心の中で呟く。
「朝からそんなモン食ってると、豚になるぞ」
「大丈夫、体重が増えてきたらダイエットするもん」
悪びれずポテトチップスを食い続ける瑠衣に、どんどん体の線が崩れていく未来を想像してしまう。この女、やはり早いうちに切った方が正解だろう。
昼は宅配のピザで済ませ、夜は最近この町へも進出してきた出前業者に依頼をしようとしたが、瑠衣に反対された。
「毎日毎日出前なんて、飽き飽きよ。たまにはどこかへ食べに行こう」
出て行くのは面倒だったが、この女は一度ふてくさると後を引く。
安西は車の鍵を取り、新しく増築したガレージへ移動した。
ドアを開けると、二台の車があった。
一台は白いポロ。これは瑠衣がふだん乗っている車だ。
その隣はポロより二回りは大きい巨大な車体。
シルバーに輝くメルセデスのGLSだ。
こいつを運転していると、後ろの車は車間距離を開け、前の車は煽ってもいないのに道を譲る。
さすがに高級車は違うと実感し、自分が特別な人間だと思えてくる。
車に乗り込み、リモコンでガレージのドアを開けた。
瑠衣が乗り込むとエンジンを掛け、夜の町に向けてメルセデスを発進させる。
*
帰ってきたのは午後十時近くだった。すでに瑠衣はしこたま酒を飲み、いびきをかいて眠っていた。
食事に行った中華レストランでは、キャバクラ時代の同僚と一緒に来ていた同伴のなじみ客と出会い、大いに盛り上がった結果だった。
元の店に行って飲み直そうと彼女たちが言い、瑠衣も乗り気だったが、安西は半ば無理矢理メルセデスに押し込んで、帰途についた。
坂道を上っていく。左右は木々が生い茂り、家の明かりもなかった。
安西自身もこんな場所から一刻も早く出ていきたかったが、すべて終わるまでは我慢しなければならない。
坂を登り切った場所に門が見えてきた。メルセデスを停車させ、リモコンで門を開けた。自宅の敷地に入り、更に進んだところでガレージが見えてきた。
「何?」
安西はメルセデスを止めて前方をまじまじと見た。
シャッターの前で、黄色いワンピースを着た女の子がライトに照らされて、立っていたからだ。
小学校へ入ったばかりぐらいだろうか。臆することなくかわいらしい笑顔を浮かべている。
何でここに子供がいるんだ。安西はいぶかしけに思いながらドアを開けて外に出た。
湿り気を帯びた生暖かい空気が全身にまとわりつき、成長する草木の青臭い匂いが鼻をついた。女の子へ近づいていく。
「こんなところで何をしているのかな」
かがんで女の子の顔をのぞき込んだ。
「おうちへ戻ってきたの」
「おうちって……この家が?」
安西は体にぴしりと小さなひびが入ったような衝撃を受けた。
丸い顔立ち、三角刀で削り取ったような一重の目、小太りな体型。
よくよく見ていると、似ていると思う。
「あたし、葉子の子供」
ひびは深く、体の芯まで届いていく気がした。
心臓が激しく鼓動し始め、激しく動揺しているのがわかる。
落ち着け、そう言い聞かせながら、大きく息を吸って吐いた。あいつの戸籍謄本は前に確認してあるんだ。子供なんて、いるはずがない。