神々の世界
七 神々の世界
The world of the gods
沼の底で光に包まれ多美は眠っていた。本来無の境地であり意識はない……、筈だった。眠っているその眼から一筋の涙がこぼれ落ちる。何かを思い出したように表情が少しこわばる。何かに憂いでいるように、表情は直ぐに和やかな表情に戻った。それは諦め掛けていた心を奮い立たせるかのように感じられた。
「あの子はまだ諦めてないようですよ」
「うむ、そのようだな……」
その様子をスサノオウ(須佐之男命)とクシナダビメ(櫛名田比売)が見守っていた。
「あの子はあの若者を心から好いているのですね」
「それは我らの願いでもある事」
須佐之男命の横顔を見ながら櫛名田比売は言う。「何時もながらこうしなければなりませぬか」
表情が少し悲しげである。その表情を見た須佐之男命は
「心配するな姫よ。我らの力の源が恒久的に維持される為にはどうしても必要な事。さもなければ我らもこの場限りではない」
「それは重々承知しております。でも、繰り返すあの子は知らないのですよ」
「知ったところでどうなる」
「……」
「案ずるな。必ず我らの思うところになるであろうよ」
「それもあの若者達次第ですね」
「そうであったな。一人ではなくなっていた。姫のさしがねか」
「わたしは何も……、ただ、気になるのですよ」と櫛名田比売は振り返った。その先には学校が見える。直矢、武そして侑來が見える。そして姫は感じていた。
「姫もか」
「はい。どこか懐かしいと言うか包み込まれるようなあの感覚」
「わたしも感じました」と背後から静かに大己貴命が現れ言う。「神社で出会ったあの子には不思議な力が備わっているようです」
「さようか、我はまだ会って居らぬが二人が感じるようであれば……」
「あの子も感じていますよ」
須佐之男命は一瞬本来の険しく威厳のある表情に戻るもすぐ今の柔和な表情に戻る。そして、光に包まれた多美を見た。
「いづれにせよ今しばらくは様子を見ようぞ」
「お前達、大宮の歴史も良いが程々にしろよ」藤堂先生は何時もの様に四人分の珈琲を準備しながら言い放った。
部屋には珈琲の香りが漂う。相も変わらず資料や専門書で部屋の中は圧迫感があった。
「相変わらず散らかってますね。先生」と直矢。
「こいつが、まだ隠してる事があるようなんで先生に証人になって欲しいんですよ」
「隠してなんかねぇよ」
「まあ、まあ」と藤堂先生は珈琲を用意しながら制止する。
「それよりも先生、今度この部屋掃除しに来ましょうかクラスの女子で」と侑來が言うと手元がぐらつき、危うく入れ立ての珈琲をこぼしそうになるも「間に合ってます」と一言返すと
「こんなだらしがないからお嫁さんが来ないんですよ。先生!」
「そうだ。そうだ」と直矢と武がチャチャを入れる。
「お前達、オレを脅す気か」
「違いますよ。みんな先生の事心配してるんですよ」
「それはどうも、ありがとうございます」と藤堂先生は四人分の珈琲ををライトテーブルの上に用意すると
「さあ、どうぞ」と手で合図する。
三人はそれを見ると「頂きます」と言うと珈琲を啜った。
「美味しい。珈琲なんて美味しいと思わなかったけど」とカップの中の赤身を帯びた黒い珈琲を見つめながら侑來が言うと
「小学校の時はコーヒー牛乳だったよね」と直矢が言うと
「スーパー銭湯にあるやつな」と武が返した。
まだまだ距離感があったが、この二人もいつの間にか会話が出来るようになるまで距離が縮まっていた。
藤堂先生は椅子に座ると「では、話を聞こうか」と言うと三人も真剣な表情に変る。そして促されるように直矢が話し始める。
直矢は今までの事を包み隠さず話した。三人は黙ってその話を聞いていた。
「直矢が飛び出したのは何時の頃だっただろうか」と藤堂先生が問う。
「あれは六月だったと思います。そうだ、夏至の日だった。朝、天気予報で言っていた。間違いないです」
「そうか、夏至……ね」と先生は呟く。
「あれから半年あまりか。それで、オレ達と行った中川神社の件はどうなんだ?」
「ああ、あれも同じだ。不思議な空間に入る瞬間はよく覚えていないけど、その後帰り道まで飛ばされたのは、それまでと同じ……」
「飛ばされた?」
「ああ、正確な表現が難しいから飛ばされたと言うけど、なんか瞬間移動したような事なのかな。信じられないけど」
武はその言葉に黙って聞いていた。テーブルを眺め深い息をすると腕を組み考える。
「記憶が曖昧なのは?」と侑來が問うと
「それはどう説明したらよいか分からないけど、オレも初めはそうだったんだ。ところが段々思い出すようになってきた。二人はまだ慣れていないからだと思うけど……」と歯切れ悪く応えると
「慣れていない?」
「そう、多分オレはそれから何回となく同じ体験をしてきたから、免疫が出来たのかも知れない。だから……」
「だから?」
「うん、うまく説明出来ないけど、同じ様に経験すれば思い出すと思うんだ。でも」
「でも?」
「いや……、あまり経験しない方が良いかも。そう思うんだ」
「……」
「何でだよ」と武が言うと
「理屈じゃないんだよ。何かさ、これ以上関わると元に戻れなくなるのではって思うんだ」
「……」
藤堂先生は三人のやり取りをじっと聞いていた。そして幾つかの資料をライトテーブルの上に広げた。
「直矢の話は興味深い。妄想を語っている。とも言いたいところだがリアリティーがある。でもな、非現実的でそれを証明できるものはない……よな」と自分に納得させるように言った。
「先生!」と直矢が食いつくと
「まあ、まてまて、先生の考えはな、基本は史実に基づく理論が前提だ。先生は歴史が好きで学校で授業をする傍ら歴史を調べている。歴史はあくまでも史実として残っているものを前提として過去を紐解く。想像する事も場合によっては必要だ。しかし、やっぱり証となる資料がありきでそれが本当なのか嘘なのか定かではない時もある。同じ資料を基にしても時代と共に解釈も変っていく。それは以前にも話したと思う」
三人は深く頷いた。先生は更に珈琲を口にすると
「歴史を研究するとはそう言う事だと思うし、そう言う視点で取り組んできた、つもりだ。だがな、最初の頃を思い出して欲しいのだが歴史を解き明す上でどうしても理論では説明出来ない事がある。また、その逆もある。特に神話や伝説と結びつけられた証言や資料はその背景に何があったのかを見極めないと同じデータでも全く意味が異なる時があるのさ」
直矢達は黙って藤堂先生の話に耳を傾けていた。それは何か新しい発見であり証明されるべき答えが明確になるのではないかと言う期待の高まりによるものでしかない。先生もそれを理解しての事なのかある思いを秘めて話を続ける。
「直矢の話が本当だとしたら、これは極めて貴重な経験であり証言になると言っていいだろう。何故なら神様と出会ったのだから」
そんなにストレートに言われると自信がなくなる。本当は夢を見ていただけなのか?。すると「でも、わたし達も不思議な経験をしています。同時に三人が同じ体験をするなんてあり得ますか」
「うん、そこがポイントだ。直矢だけの話なら先生も話半分になっていたかも知れない。ところが三人が同じ不思議な体験をしたと言うではないか。これは興味深い話だよ。よく、古い話には神がかった事がよくあって実際に史実も残されている場合があるだろ。例えば今回の氷之川神社の件に関しては須佐之男命と草薙剣の関係だ。草薙剣は現在も熱田神宮のご神体とされている。これも歴史背景を調べると興味深い事があるけれど、そもそもは出雲で八岐大蛇を退治し初めて手に入れたのが須佐之男命だ。その神話で語られる剣が実際にあるとされている。それは神の存在を示す事でもある。では神とはどう言う存在なのだろうか」
「それは前回先生の話では渡来人だったり新しい精錬方法が何処からか持ち込まれた背景があると言ってましたよね。その持ち込んだ人々が神と崇められたのではないかと」と武が論ずると二人は納得するように頷く。そして藤堂先生も相打ちすると
「神様って、お願いを聞いてくれるでしょ」と直矢が言うと
「今ではな」
「どう言う事ですか。先生」武が口を挟むと
「今では個人的なお願いをするところのように思われているだろ」
「はい」
「そもそもは、その土地の守り神である訳だよ、神様は。どちらかと言うと個人的なお願いをすると言うよりも、もっと大きな意味があって、それはその地域や国の安定を祈願するところなのさ」
「国や地域?」
「そう、氷之川神社は須佐之男命が水を治める神様である事からこの武蔵国の治水に関する守り神として創建されたと言っていいだろう。つまり、治水を通して大宮台地の平和と安定を願うもの」
「……」三人は黙って聞いている。
「何時の頃からか人々は個人的な願いを祈願するようになった。それは、個人の幸福であったり欲望であったり、挙げ句の果てには怨念だったりと様々な願い事をお願いするようになる。繰り返すけど、本来はその土地の守り神なんだ。三重に伊勢神宮があるだろ。あそこの御祭神は天照大神だよな。天照大神はこの日の本の安定を担う神様だ。だから伊勢神宮では個人的なお願いは極力控えたほうがよいとされている」
「じゃあ、何をお願いするんですか」
「ダメではないよ。昔から御伊勢講がさかんだったのは勉強したよな。人々が何故御伊勢様に夢中だったのか。皆、達成した事を報告しに行ったり、自身の目的を誓いしに行っていたんだ」
「目的や誓い」
「それに報告?」
「そう、国を支える礎は人だ。つまり、国の安定を守る為には人々の強い意志が必要だと言う事。伊勢神宮にはそう言った強い意志を集める目的があり、その役目が天照大神の役割なのかも知れない」
「でも、氷之川神社の場合は?須佐之男命はどうなるの」と武が尋ねると
「氷之川神社にも氷之川講と言うものが過去にはあった。それは今の二五〇を越える氷之川神社が広まった事に通ずるものだ。氷之川神社は武蔵国の安定を担う神様だ。そう言う意味においては伊勢神宮と比べるとより具体的であると言って良いだろうな。つまり、いちいち遠くまで祈願しに行くのではなく自分達の土地に氷之川神社を招く事が今に至ったのではないかと考える。それと本来分社と言うと本社があってっ分社があると言う意味合いが強いが氷之川神社の場合は分社もその土地の重要な位置づけにあって単なる分社扱いとは言いがたい。つまり二五〇社それぞれが本社と同じ立ち位置であり御利益があると言えるだろう。そして、その大本が大宮の総本社であると言ったほうが収まりが良いようだ」
「それぞれが本社」
「そう、人間の感覚で言えば本社が有れば支社や営業者はその傘下とする位置づけだろ。でも神様の場合は違うのではないと思うのだよ。つまり、それぞれに須佐之男命がいらっしゃる。上も下もない。神は神であると言う事ではないかなと……」
「神は神である……」
「それでだ。やっと本題に入るが、あれから時間が経過して先生も少し遠ざかっていた事もあってだな。お前さん達が何をして来たのかがよくわからなかった。もういいのだろうとも思っていた。さっきの直矢の話からするとその多美君と言う子がキーポイントでその子が全てを知っているのだろう。直矢は何度となく訊いてはみたものも話してくれなかったんだろ」
「はい。それも忘れていた事だったけど、度々訊いていたと思います」
「思いますって、お前……」と先生は少々イラつく素振りをする。
「さっきも言ったように、忘れていたんです。ところが時間とともに少しずつ思い出すようになった。すると、オレが体験した事がどうにも説明がつかない事ばかりで、こんな事話してもどうせ信用してもらえないだろうと思っていたんだけど、武や侑來も同じ体験をしたものだから……、最も、二人はまだよくは思い出せないでいるようだけど」と直矢は二人を見る。二人は自分たちが体験した事をハッキリ知りたいと言う思いが強い。直矢の口ぶりはその気持ちに後押しされているようだった。
先生は続けて語る。直矢だけでなく武や侑來までも虜になっていた。それだけ三人にとっては印象深い体験だったのだろう。だが、話があまりにも突拍子過ぎるものであり、大人としては信じがたい。でも、この子達は真剣だった。そこで先生は話題を少し変えたのだ。
「それよりも以前の課題については答えが出たのか」
三人はしばらくは黙っていた。すると直矢が「オレは何となく分かったような気がする。旨く説明出来ないけれど」
「答えは何だよ?」と武が言う。
「だから、旨く説明が出来ないって言ってるじゃん。それに……」
「それに?」と今度は侑來が聞き返してきた。
「それに、今は確証が無いんだ。でも……、でも、多美に会えば分かると思う。だからそれまでは待ってくれ」
武や侑來は少し落胆するもそれ以上は訊く事はなかった。それを見て藤堂先生が言う。
「なんだ。それじゃ今日集まっても意味がなかったな。でも、折角だからもう少し四人で紐解いてみよう」
「どう言う事ですか先生」
「まあまあ、氷之川神社がそもそもこの大宮に有るのは見沼(御沼」があっての事。それは理解しているな」
三人は頷く。
「今の高鼻町の場所はとても興味深い場所で神社はまずココでしかなかったのだろうと思う」
先生は古地図を広げて示した。
「大宮台地の中でも池に接し尚且つ高台ときている。水位が上がっても被害が少ない場所だ。高台は他にもある。でも池に接していると言う所は数少なかった。もう一つ、ここが本来の池からかなり奥まった所にある事。深い入り江(淵)になっているところでありここには豊富な湧き水があり清い場所でもある。思い出して欲しい。川の意味には泉湧くところを意味していた事を。それと、出雲から招く以前からこの地の神が居た。それを証するのが大宮公園付近に出土している遺跡だ。古くからこの地に人間が暮らしていたのが窺える。そして、創建当初の神社は小さな祠があるだけでこじんまりしていたと推測される。氷之川信仰が大きくなったのはその後だったのだろう。祠は幾つかあって、男体社、女體社そして簸王子社。これはそれぞれが須佐之男命、櫛名田比売そして大己貴命を祀ったものだ」
藤堂先生は氷之川神社が作成したパンフレットを広げて説明する。そこには古い氷之川神社の境内をイラスト化したもので神池を中心に社が描かれている。
「先生。これって」
「ああ、借りてきたものだ。知ってるか」
「オレは見た事がある」直矢が言う。
武と侑來は知らない。
「先生、でもこれは江戸時代の氷之川神社では」と直矢が言うと
「その通り、氷之川信仰が盛んだった頃はこの様に社が別れていたんだ。そしてそれぞれに社家があったという。今ではそれも集約されてしまったがな」
神池から北を向いて左に男体社、右に女體社、池の南側に簸王子社があった。あの三社が池を中心に祭られていた事がわかる。
「これ以前も諸説あって、氷之川神社の歴史を紐解こうとすると更に複雑になる。ここでは割愛するけど感じて欲しいのは人々がどれだけ神社に思いを寄せていたかと言う事だ。それは欲望であったり、もっと崇高な願いであったりと時代と共に人間の思いが込められていたのだろう。事実として神社の繁栄も衰退も人間の思惑によるものだったと言う事だ」
「人間の思惑」
「神が本当に居るのならどう思うか……、だろうな」
確かに、人間の勝手な思いで神様を都合の良いようにしてきたと言われればそうかも知れないと思う。思い出してみれば小父と言う人が問いかけた事があった。直矢はそれに答える事が出来なかった。そして、飛ばされ記憶を消されたのである。今だったら答える事が出来るのだろうか。直矢は確証も無い想像を巡らす。と同時に戦慄が走った。
「あの人は……」と呟く。
「どうした。直矢?」
「いや、先生。オレは……、まだ自分が体験した事が信じられないよ。オレは一体誰と会ったのだろうか」思わずその言葉の先を飲み込む。
「まあ、まて、結論を急ぐな。今はそれが目的じゃないだろ」
そうだった。オレの目的は会えなくなった多美との再会だった。それは他の二人も同じだ。少なくても三人が同じ場所で不思議な体験をしたのである。それを明らかにするにはもう一度、もう一度多美に会わなくてはならないのだ。
「一つ、気になる事がある」
「何ですか。先生」侑來が応えた。
直矢の顔をマジマジと見ると「直矢がその多美と言う子と会ったのが夏至の日だったと言ってたな」
「はい」
「それと、その子が出雲から来ていて何時か帰らなくてはならないと言ってたな」
「はい、理由は分かりませんけど帰ると言ってました。オレも気になっていて、このまま会えないうちに帰っちゃうじゃないかって思って……」
侑來がジーッと直矢を見る。
「レイラインの話を思い出してくれ」
「冬の冬至に直線上に日が昇り、夏至に直線上に日が沈むと言うヤツですよね」と武言った。
「そうだ。直矢は夏至に会ったと言ってたな。それは言い換えれば夏至に日が沈むのだから何かが降り立つと考えれば……」
ハッとさせられた。背中に冷たいものが走ったような気がする。
「先生、すると冬至に何かが飛び立つ……」
「龍」
「龍神……」
「多美!」
三人は顔を見合わせ同じ事を考えていた。多美が言う帰る日とは冬至の事。多美は冬至の日に出雲に帰るのだ。
「先生、冬至って何時ですか」
「ああ、今調べる。一寸待ってろ」
先生はカレンダーを見ると冬至を探した。
「一二月二二日、今度の金曜日だ」
「えっ、今度の金曜日」直矢は下を見て、その事実に愕然とした。「どうしたら良い?、このままでは一生会えなくなってしまうかも知れない」
今まで何をやっていたのか。無駄に時間を費やしたせいで残り時間が後少しになってしまった。全部自分のせいだ。どうしたら……。
「探すしかないだろ」武が当然かのように言い放つ。
「そうよ。多美さんを探すしかないんじゃないの!でも、どうやって」
直矢には心当たりが一つだけあった。でも、多美に会ってどうするのだ。オレは……、『君は一体誰なんだい。神様なの?それとも……』とでも訊くのか。そんな事を言われて多美が『はい、そうです』とでも答えるのだろうか。仮にそうだとしたら、もう会えくなる。「そんなの嫌だ」
「先生。オレ探しに行く」直矢が立ち上がり準備室を出ようとした時、藤堂先生がそれを征した。
「まあ、まて直矢、まだ終わりじゃない」
こんな事をしている場合ではないのだ。先生の制止を聴かず出ようとしたのだが先生の一言で思いとどまる。
「お前は何の為ここに来たんだ。それに、こうなる事をお前は知っていたんじゃないか」
「先生」
その一言に直矢は少し冷静さを取り戻した。
「先生が初めの頃、話そうととして言わなかった事があった。覚えてるか」
三人は頷いた。それを見て藤堂先生は珈琲を口に含むとマグカップを今度は自分の机に置くといつの間にか綺麗になっているホワイトボードに何やら板書すると、直矢が考えていた事を見抜いていたかのように静かに説明し始めた。
「日本の各地には不思議な言い伝えや文化がまだまだ残っていてそれがその地方の売りになっている所がある。例えばカッパ伝説だ。ミイラがあったりカッパが住んでいるとされる川、淵があったりする。ところが、発祥地にもかかわらずあまり公にしていないところもあったりする。以外と知られていないがこの大宮にもあってだな、ここだ」
先生は古地図に氷之川神社の近くに黒山院と言う場所を示し話を続ける。ここは直矢が考えていたあの女の人が居る所だ。
「黒山院といって、今はお寺がここにあるんだが、元々は東熒寺と言うお寺があったと言う。そのお寺は現在は大宮の宮町と言う所にあって、大栄橋の近くだ」
「オレ、知ってます」と武が言う。藤堂先生は頷くと話を進めた。
「もう、お前達はある程度大宮の歴史を調べているから分かっていると思うが、寺が今の場所に移った時、一緒に移す事が出来なかったものがある。それが黒塚だった。ここにはあの足立ヶ原の鬼婆が眠っているんだ。ところがだ、鬼婆伝説は各地に有るのだが有名なのは福島の安達ヶ原の鬼婆伝説だ。ここにも黒塚が存在し、こちらは観光名称にもなっているぐらいだ。」
藤堂先生はホワイトボードに大宮と福島の二本松との関係性を線と矢印で書き示した。
「先生、でも本当は大宮なんですよね」
「そうだ。と言う資料が残されている」
先生はあくまでも史実に則るのだと思った。
「これも、人の都合によるもの。面白いと思わないかい。お前達が一生懸命になっていた神社の直ぐ近くだよ。これも何か関係があるのではないかと考えるのが筋だろう。でもそれを実証するものはない」
直矢は冷静にあの日の事を思い出していた。「オレ、行ったんですよ。ここに。それも多美と二人で、神社の行った後だった。だからここでも不思議な事があったんだ」
武と侑來は直矢に視線を移す。藤堂先生はホワイトボードに書いていたペンを止めゆっくりと振り返り直矢に面した。
「この時もオレは何処か別の空間に居たのかも知れない。女の人にあったんだ。綺麗な人だったけど何処か怖くて……、オレが持っているこの石が欲しいって言って来たんだ」
直矢はポケットからあの勾玉を取り出すと三人に見せた。勾玉は変らず光を放っている。正確に言えば蛍光灯の光を吸収しその光を放つ。外の灯りほどは煌めきさは少なかったが深みのある緑の力は失っていない。
「ほう、勾玉か」藤堂先生は覗き込む。武達も同じ様に覗く。
「この石には不思議な力があるようで、石が多美と会わしてくれる。石を見つめると、その後、多美が現れた。多美と繋がっているような気がしたんだ。「この石が何なのか知っているのか」とその女の人に訊かれたんだ。でも、オレ、大して気にもしないで聞かなかった。だってこの石を譲ってくれと言い出したんだ。そんな事出来るはずがないじゃないか。これは大事な石なんだ。多美と唯一繋がっている大切な石なんだ」
身を乗り出していた先生は元に戻るとまたホワイトボードに視線を向ける。
「勾玉は古代の装飾品とされているがこれも諸説あってな。でも、当時はとても貴重な物で、持てるのは一部の人間だけだ。それが王族であったり天皇であったりまたは豪族だったりする。関東は不思議な所で、多くの貴重な史跡が有るにもかかわらず余りよくわかっていない。稲荷山古墳の鉄剣が出土されているにもかかわらずここに巨大な帝国があったと言う様なものが見つかっていない。遺跡は数多く発見されているけどな。そう言う意味に置いても氷之川神社も同じ事でこれだけの御祭神を出雲から招聘する事が出来るのは余程強い力を持った人間がいなければ出来なかっただろうと思うんだ。でなければ神の方からやって来たと考えもある。それなら、土地の人間に力が無くても出来るかも知れない。そんなのは一寸あり得ないと思うだろ」
三人はまた合わせて頷いた。
「つじつまが合わない事はよくある事なんだ」
先生はボードの余白に神社と龍と書く。
「そして、本題だ。これを伝えなければならない。『見沼の龍』と氷之川神社との関係。ここには深い関係性があると思う。ところがそれを裏付けるものがない。強いて言えば女體神社に龍神社があると言う事。だから、これからの話は先生の空想。お伽噺だと思って言い」
「お伽噺……」
「神話に関する事。神様に関しては先生の専門外なんだが、どうしてもこの件を調べていると外せなくてな。それで前回は躊躇したんだ。神社が創建されるに当たって元々この地で信仰された宗教があり、神が居た筈なんだ。実際氷之川神社に行ってみると本殿と摂社が幾つかあってそれが強力な体制をとっていると話したと思う。神社が創建される時、元々あった神も一緒に祀ると言う事がよくあるんだ。『客人神』とも言われている。本殿の脇に社があっただろ。ここにはスサノウの妻、クシナダビメの両親がお祀りされているんだ。『門客人神社』と言う。ところがだ、ここは元々「荒脛巾神社」と言われていたそうなんだ。つまり、地元の神も一緒にお祀りする。だから不思議だろ、本殿と同じ様な位置に社があるにもかかわらず、他の摂社と微妙に離れている。つまり、スサノオウが率いる神々とは異なると言う事を意味しているのではと思うのさ」
「異なる神様?」
「そう、スサノオウ達は出雲族とか高天原族と言われるようにこの大宮の地に来た神だ。それと元々居た神が居る。神話では神様同士で争う話もあるけれどこの場合、圧倒的な力を持っていたのは?」
「須佐之男命」
「そう考えるだろ。神様の社会は縦社会らしいい。上下関係がハッキリしている。スサノオウはこの地にはない知識や技術をもってやって来たのさ。製鉄もより高度な技術を持っていた。より日常で使える具体的な物。土木技術。そして何より人だろう。つまり技術者だ。一人ではなしえない事を組織で行なったんだ。ここには豊富な水がある。台地は肥沃に富む。ところが災害には弱かった。そこに彼らが来たんだよ」
「須佐之男命」
藤堂先生は頷いた。
「ところが、彼らがこの地に安住するにはどうしても必要な事があった」
「必要な事」
「そう、単に彼らが乗り込んできただけなのならそれは単なるよそ者が乗り込んできただけだろ。それではこの土地の者からは受け入れられない。侵略と変わらない。だったらどうする?」
三人は顔を見合わせ考えるが言葉にもならない。先生の想像に付いていくのがやっとだった。
「土地の者(神)との融和。つまり、元々あった信仰も邪険には扱わない。敵対関係ではない事をアピールしなくてはならなかった。でも、時代と共にその必要性が薄れていく。信仰が氷之川信仰へと変化した。すると土地の信仰が必要としなくなてしまった。代わりに妻の親を信仰の対象とするようになる。土地の神の存在が失われてしまった」
「そんな事が許されるのですか」
「時代と共に信仰が変っていく事はよくある事さ」
三人は納得いかないような表情で渋々理解するような表情をする。それを見て先生は話を続ける。
「でも、必要なんだ神社にはその神が、それが龍である事が……」
「え?」
「これは先生の妄想でしかない。だから根拠も何もない」
藤堂先生は三人の顔を見渡す。そして語り始めた。
「カモフラージュ」
「カモフラージュ?」
「そう、意図的かどうかは分からない。でも龍が神社にとって大切な存在である事をベールに包む事が必要だったのではないかと思うんだよ」
「よく分からないのですが、先生」
「見沼の神である龍。言い伝えで語られる龍は殆ど人間からすると災いでしかないような扱いなっているけれど、よくよく話を考えて見ると恩に対して恩で返し、沼が開拓されようとした時も人の病を治そうとした話が残されている。ところがだ、龍の好意が人間には受け入れられなかった。それよりも災いの主のように扱われるようになってしまった。でも、それも本来は一部の事でこの土地で龍は愛されてたのではないかと思うんだ」
「龍が愛されていた?。だったらそう言った史実が残っていてもいいんじゃないですか?」
「その通り。よい話が言い伝えられていない。こう言う事もよくある事だ。と同時に隠したい事があった」
「隠したい事」
「そう、神社と龍は何らかの関係があるにも関わらず、その事を隠す必要があった……」
「隠したい事……」
藤堂先生は三人を顔を見渡すと彼らから発言を望んでいたが三人は終始無言だった。それを察して藤堂先生は言った。
「門客人神社には本来、龍に関する社があったのではないかと思う。推測だがな」
「それを何時の頃か、櫛名田比売の御親神である足摩乳命、手摩乳命を祀るようになった。そうしなければならなかったから……」
藤堂先生は頷くと一口珈琲を含んだ。
「でも先生、龍と関係があるとすればこっちじゃないですか」直矢は神社のパンフレットのある境内の案内図を広げると『蛇の池』を示した。
それを見て、藤堂先生は頷く。
「『蛇の池』が龍と関係する事は間違いないだろう。ここは氷之川神社にとっては神殿と同等に神聖な領域だと思う。先生も初め同じ事を考えた。でも、それと信仰とはまた別のところにあるのではと思ったんだよ」先生は門客人神社を指し示した。
「『蛇の池』とはどんなところなのですか」と侑來が尋ねる。
「うん、水を治める神様にとって水がある事はとても重要な意味を示していると思う。少なくても人間に対しては「我が水を統治しておるのだ」って、説得力があるだろ。でも出来過ぎているような気がしたんだよ」
「出来過ぎている?」
「ああ、神社をここに建てた理由の一つだろう。これだけの条件が揃っている場所は他にはなかった。唯一無二だ。それだけでも今回の答え探しのゴールであるのかも知れない」
直矢が言う。
「オレが感じたのはそう言う事じゃなかったんだ。龍がもし自分だとしたら、ここに踏み入れて欲しくはない」
「踏み入れては欲しくはない?」
「そうだろ、遊ぶ場所や、勉強する所、働く場所。そして休む場所。そう言う所とは違うんだよ。ここは立ち入らないで欲しい場所。大切な思い出の場所じゃないかと思うんだ」直矢は多美の顔を思い出していた。神社で見た多美の表情は何時もの多美と何処か違って見えていた。多くを語らなかった。ここは誰もが入る事が出来ない場所なのだ。直矢はふっと我に返る。多美と龍を同一視している自分がいる。
『多美が龍?、龍神?』
突拍子もない自分の考えに戦慄が走る。あり得ない事だ。自分が好きになった相手が実は人間ではない。そんな事があり得るのだろうか。この事はさすがに今居るみんなに言えるものではない。言ったところ信用されるものではないだろう。でも……。
「どうした。直矢」
顔色が変った直矢の変化を見逃さなかった。武がその微妙な変化に気づいたのだ。
「いや、何でもない。何でもないんだ……」
武は全てではないが思い出していた。中川神社で会ったあの人の事を。それを人と読んでよいものなのだろうか。少なくてもここに同じ体験をした者が二人居る。直矢は分からないが侑來は同じ事を言っていた。いや、少し自分と違う感じ方をしている。侑來はどこか知っているような感じでものを言う。でもそれがなんであるかまでは分からないようで、その存在自体を知っているようだった。 「オレだけだ」
そう、思っていた。直矢も分かっている。侑來も分かっている。オレはその事実を冷静に感じるしかない。いや、むしろオレにしか感じられ得ない事を見いださなければならないのだ。
直矢は急に立ち上がった。
「先生。オレ行かなきゃ」
「何処へ?」
「それは……」
「神社だろ」と武が言う。
頷くも「冬至って明後日の事でしょ。もう時間がない」
「でも、どうやっても会えなかったんだろう」
「そうだけど……」直矢はあの勾玉を取り出し見つめた。それを三人が見つめた。
「自分が体験した事が信じられない事で認めたくないけど、多美との出会いを考えると非現実的な事がいっぱいあった。最初はそれを確かめたいと言う強い思いだあったけど、もういいんだ」
「どう言う事?」
「非現実的な事を確かめようとしても所詮現実的ではないのだから無理な事でしょう。それに知ったところどうしろと言う事でもある事。むしろ知らなかったほうが良いのではないか。無理に立ち入らない方が良いのかもと思うようになったんだ。オレは、踏み入れすぎたんだ。きっと……、だから、神様が「もういい加減にしろよ」って言ってるのだと思う。でも……」
「でも?」と侑來が返す。それに頷き
「こう言う分かれ方は嫌だ。それに、この石が語るんだよ」
「石が語る?」と先生が興味深く尋ねると直矢は頷いた。
「縁を切られたのならこの石に輝きが消えても良いようなもの。ところがこの石は輝きを失っていない。いや、むしろ以前よりも光り輝いているような気がする。微かな光も取り込んで光ろうとする。それは何処かまだオレと多美の繋がりが切れていないのではと思うんだ」
「……」
「だから、最後まで諦めないで探そうと思う。本当は諦め掛けていたんだ。さっきまでは。ここに来てみんなと話していたら、やっぱりこのままじゃいけない。そう思った。だからオレは最後まで諦めない」直矢は席を立ち部屋を出ようとした。
「一寸待て。探すってどう探すんだよ」と武が言う。
「考えがあるんだ」
「考え?言って見ろよ」
直矢は少し戸惑った。が、その思いを話す事にした。もう、隠す事もないだろう。
「鬼婆」
「鬼婆?」侑來が怪訝に言い返す。
「鬼婆って黒山院の?」と武が確認する。
「そう!」
それを聞いて先生が「うん、うん」と納得するように頷く。そして
「そうか、ちょっと待て直矢」
直矢は振り返り立ち止まるもその所作は直ぐにでも部屋を飛び出す体制でいる。それを理解しつつ先生は手短に話し始めた。
「先生も黒塚には興味があった。直矢はそこでも不思議な体験をしているんだったな」
「はい、大人の綺麗な女でした。その女が言ったんです。この石をくれたら願いを叶えてやる。と」
「願い?」
「はい、だから、この女にまず会います」
「その女があの鬼婆だったら!」と侑來が言う。
「一寸怖かったけど、多分大丈夫だと思う。その女の人さ、どこか寂しそうなんだ。この前さ。行ったんだよ。本当はね!でも、門が閉まっていて入れなかった。でも、オレ感じてたんだ」
「感じる?」
「うん、もうさ、可笑しな事ばかりだから動じなくなったけど帰りがけ視線を感じたんだ」
「視線?」
「うん、何処からかオレを見ている視線を……、振り返ったんだよ。でも、分からなかった。それにもう暗かったしね。でも、今度は会える気がするんだ」
「根拠は!」
「ないよ。そんなものは。でも、そう思ったんだ。だから、これから行ってみる」
「これからって、もう、夕方だぞ。冬至の今の時期は日が落ちるのが早いんだ」と藤堂先生が制止した。
「分かってますよ。先生、でも時間がないんでしょ。だからお願いです。行かせてください」
藤堂先生は腕を組むと少し考えた。
「教師の立場からしたら認められない。お前がどうしても行くと言うのなら先生は、お前の両親に連絡を入れなければならない。親がダメと言うのであれば先生も行っていいとは言えない。もう、分かるだろう」
「……」
直矢は少し俯き考えていた。先生が言う事はよく分かっていた。
「分かりました。先生。先生の言う通りですよね。すみませんでした。オレ、もう帰ります。よく考えて見ます」
直矢は一礼すると準備室を出る。藤堂先生はそれ以上は言わなかった。まだ頭の中は整理がつかないでいる。軽く深呼吸するとゆっくりと歩幅を大きく取り歩き出した。慌てた様子を見られたくはない。普通を装った。校舎を出るともうかなり暗くなっている。
「いける!」
直矢は正門を出る。そして黒山院に向かった。
直矢は階段の前に立っていた。入口を見ると先日と同じ様に門が閉まっていた。日が暮れるのが早いためか、それともこの寺を守ってきた鎮守の森のせいかすっかり暗闇と化している。
ポケットから勾玉を取り出すと一度その輝きを確認する。暗闇に包まれているにもかかわらず勾玉は車の人工の光を吸い込みキラキラと輝いて見える。いや、そう見えたのかも知れない。直矢は気持ちを奮い立て石に思いを込めた。そして、握る手を高々と振り上げ門の方へ指し示した。
「石を持って来た。オレの願いを訊いてくれ!」車道を走る車の音に負けないように大声で叫んだ。どうか、オレの願いを訊いてくれと強く願った。しばらく立ち尽くし変化を見つめる。どんな些細な変化も見逃すまいと目をこらす。それでも変化は見当たらない。
何度も何度も石を、勾玉を振り上げる。そして、繰り返し「願いを訊いて下さい」と思いを込めた。
変化がない。「ダメか……」と思った。
諦め掛けたその時。
肩を急に叩かれる。「ビクッ」とすると叩かれた方に振り向く。
「よお!」
心臓が飛び出すかと思った。そこに、にやけながら武が立っている。そして、その背後には
「侑來!どうして……」
「どうしてじゃないだろ」と武が分かったような言い方をする。
「あんな言い方して出ていけばどう言う事かすぐ分かるでしょ」
直矢は落ち着きを取り戻すもさっきまでの事を思い出していた。確かに、聞き分けのよい言い方だったかも知れない。ましてやあの藤堂先生だ。すんなり聞き入れるとは思わなかった。「そうか……」、何となく察する。
「先生が、一緒について行けって言うから追いかけて来たのよ。もう、本当に、どうしようもないんだから、直矢は。言い出したらきかないわよね。いつも」
「そう言う事だ」
すっかり見抜かれている。直矢は少しにやけてしまった。
「でも、どうやらダメみたいなんだ」少し落胆する。
「ダメなのか。あんなに言ってたのに。それで、どうするんだ。諦めるのか」
うなだれて首を左右に振る。その好意を二人はどう解釈したらよいか理解出来なかった。諦めるのか。それともまだ方法があるのか。
「他に方法があるの」
直矢は首を左右に振る。それが「無い」と言う事を二人は理解した。武と侑來は直矢の落胆した姿を見ると二人で見合わせる。思いは同じ、再び直矢に向くと
「もう一度やってみようじゃないか。お前が信念を持って言った事だろ。自信を持てよ。ほら、どうするんだ。オレ達も一緒にやるぞ」と直矢の肩を「ポンポン」と軽く叩くとうなだれる直矢の姿勢を正してやる。そして、再び門に向かい立ち尽くすと、今度は左右に武と侑來が立った。
「お前達……」左右に立つ二人の顔を見る。掌に勾玉を乗せる。暗闇の中、微かな光を受け黒々とした表面が光を受けると微かに緑色を放つ。武と侑來は勾玉を見ると石を載せた直矢の左手に手を添える。そして三人は互いに視線で意思を交わすと高々と手を振り上げた。
「オレ達の、わたし達の願いをどうか訊いて下さい。多美の、多美さんのところに行かせてください。会わせてください」
三人は視線を階段上の門に向けて愛想嘆願する。三人には見えなかったが勾玉はその秘めた力を放出するかのように自らの力で輝き始めた。高く振り上げた掌に有るためか、三人はその変化が分からなかった。石は徐々に光を増すと辺りに光を放つ。それは我々人間が知る人工の光とは違っている。昼間の灯り。いや、昼そのものと言ったらよいのだろうか。掌の隙間からもその光がこぼれる。その時初めて三人は変化に気がついた。指の隙間から光がこぼれる身体を透過した光は少し赤みを帯びていた。光は掌から溢れるように増えていく。そして辺りを広く照らす。次第に真昼の如く明るくなりそして静寂に包まれた。背後を走る車も、もう居ない。三人はその変化に目を見張る。それがどう言う事なのか三人は既に理解していた。落ち着きを取り戻す。そしてまず一つ、先に繋がった。
「また、諦めるところだった。オレは……」直矢は呟く。二人にはその呟きは聞こえていなかった。武も侑來も中川神社での出来事を体現するかのようにその変化に過敏になっている。
「あの時と……」と侑來が言いかけると
「いや、一寸違うぞ!、この前はこんなもの悲しいさはなかった。穏やかであった事は変わりないが」
「よく分かるわね」
「ああ」
二人の会話を確認すると直矢は視線を門に向ける。
「カチャ。キーィ」門が開く音がした。三人は互いに見合わせると頷く。
「行くよ!」
「ああ」
「うん」
階段を登る。そして、これから会おうとする女はあの鬼婆である。緊張が再び高まって来た。本堂を左手に見て進んだ。本来の参詣路の方にあの塚があった。直矢はそこに塚があるなどとは前回は全く気にしていなかった。ここがあの足立ヶ原の鬼婆が眠る場所なのか。三人は辺りを見渡していた。
「やはり、来たんだね!」
背後から突然声が聞こえた。ビックリして本堂の方に振り向くとそこにあの女が立っていた。直矢は二度目、二人は初めてだ。でも、三人とも前知識が備わっている。対峙するその女が誰なのか十分すぎるほど分かっているつもりだ。緊張が高まる。ゆっくりと歩き女の元へ進む。そして、女の前で止まった。
武は感じていた。直矢が言っていたように綺麗な人だと思った。この人があの鬼婆なのか。襲いかかって来るかも知れないのに……。直矢の方をチラッと見ると「直矢は運動音痴だから除けきれないだろう。オレが何とかしなければならない」オレはどうする?もみ合ってそのうち相手の攻撃にやられるのか。いや、やられるもんか。どうする。考えろ……。
侑來は中川神社の時とは様子が違うのを感じていた。でも、共通している事もある。やはり、あの昔から感じているあの雰囲気が同じだ。いや、その気配は更に巨大なものであって今までの些細な感じ方とは大きく異なる。まるで全身に何かが飛び込んでくるような力を感じる。こんな事は初めてな事だ。この人もわたし達とは違う世界の人。そもそも人と呼んでよいものだろうか。侑來は冷静だった。
「すみません。突然来てしまって……」
「気にする事はない。第一、先日も一度尋ね参った」
「やっぱり、見ていたのですね」
「ほー、気がついておったのか」
「何となく……です。帰りがけに振り向いた時に、こっちを見ていた。ような気がした」
「そうか。それで、今日はわたしに何様か」
「知っているかと思います。多美がいなくなりました」
「さあ、知らぬわ。そのような事。それがどうした」
「オレには大事な事なんです。多美がどう言う存在なのか、人なのか、人じゃないのか関係ないんです。多美が急に姿を消したのにはオレが関係しているから。そう感じたから。だから、せめて一言、言いたくて。それがごめんなさいなのか、サヨナラなのか、まだ分からないですけど。とにかくこのまま別れるのが嫌なんです。それに、オレは……」とその後の事を言うのを躊躇った。
「お前はあの女が何者かも知らないでそんな事を言っているのか。これまでお前が見て来た事は本来はあってはならぬ事。お前達人間には刺激が強すぎる。毒だ。それに……」
「それに?」
「あまり多くこの世界に居ると戻れなくなるからよ」
直矢はその言葉に確信する。多美はそれを心配してなのか、よくオレを見つめてはもの悲しい表情をする事があった。
「やはり多美は人間ではない……」と呟いた。
「どうりで近頃、気が弱くなったと感じてはおったが、あれが捕らえられたと言う事なのだなだ」
女は合点があるように言い放つ。
「原因はお前にあろう。恐らく今は沼の底……」
「沼の底?どう言う事ですか」と侑來が訊くと
「誓いを違えたからであろう」
「誓い」
「本来、我々と人間とでは接点はない。ところが、時折出来る事がある。今回のお前のようにだ。それは、偶々、である場合もあれは意図的、の時もある。でも、それがどちらかはわたしには分からぬ」女は視線を氷之川神社の方に向けた。
「お前の気持ちは分かった。で、何を叶えたい。と言うのだ?」
直矢は武達を見ると再び女を見て言った。
「多美に会わせてください。多美にあって気持ちを確かめたい」強い意志を持った目で語った。
女はしばらくその表情を洞察するかのように見つめると微笑する。そして
「そんなにあの女の事が好きか」
直矢は頷いた。
「お前は既にあの女の虜になっているのだぞ。今ならそこから抜け出せるにもかかわらず」
「虜かどうかは分からないけど魅了されている事は本当です。毎日思っていた」
侑來が少し俯き加減で直矢の言葉を聞いている。気づかぬくらいの些細な変化であったが女はそれを見逃さなかった。
「お前は幸せ者よの」
「それで、あの石を持っておるな」
「ここに有ります!」掌に握りしめていた勾玉を差し出した。
「お前はこれが何の石か知っておるのか」
直矢は首を左右に振る。「でも、これに念じると多美に会える。今までは……、ただ不思議な石で見てても飽きない。ずっと見つめていると石に吸い込まれそうな気がするんだ。そんな事はあり得ないのに」
「吸い込まれるぞ」
「え?」三人は驚嘆する。
「その石は命を吸い取る力がある。石が輝いているのは命を吸い上げているから、その代わり、その生命力に見合った願いを叶えてくれるのだ。人間の生命力とは我々とは異なる。お前の願いはあの女に会いたいと言う願い。その程度であれ石は刺して影響を与えはせぬだろう」
「この石が……、それじゃこの石が輝いて見えると言うのは」
「そう、それは持ち主の命の力を吸い上げて光り輝いていたと言う事。つまりお前の命が輝いていたと言う事だ」
「オレの命。そんな、それじゃおれはずっと……」顔を上げ女を見ると
「そう、石に命を吸い取られていた。最もお前程度の願いなら大して影響も無かろうが」
オレは自分の命を吸い取られていたのか。ずっと……、オレが願った事は些細な事。そうか、本当は一度きりの出会いだったのをオレは多美からこの石を貰ったばっかりに多美と何度となく会う事が出来たのだ。この石が無かったら多美とは二度と会えなかったのだ。いや、この石があったからこそオレは多美と出会えたのだ。しかし、この石の本当の力を知るとゾッとする。多美への感情がなければ直ぐにでも手放したに違いない。
「石を渡して貰おうか」女は手を差し出し石を要求した。
直矢は躊躇する。これまでの事を思い出すとこの石を手放す事に抵抗があると言えばあるのだ。しかし、石を渡し多美に会うチャンスが欲しい。例えそれが最後になろうとも……。直矢は石を見つめると勾玉を女に差し出した。女は差し出された石をゆっくりと手に取る。それはどこかビクついた趣を醸しだしていたが勾玉を摘まむと変化がない事を確認するとゆっくりと手に取り目線の高さで石の煌めきを見ていた。
「確かに石を受け取ったぞ」手に取った石を高々と振り上げる。口元がにやける。すると石は更に輝きを増し光り輝く。
「これでやっとあの子に会える……」女の呟きだった。三人はそれがどのような意味をなしているかは皆目見当が付かない。ただ、振り上げた手に光を増した石を眩しく見入っていた。
「石が輝いている」侑來が言う。
「ああ」と、目の前の出来事に対応出来ていない武が返した。
「さあ、多美に会わしてくれ」と直矢が強い口調で訊くと女は遠くを見ていた視線を直矢に向ける。どことなく口元に微笑を含んでいる。
「残念だが、お前の願いを叶える事は出来ぬ」
予想しない言葉が返ってきた。
「え?どうして。約束じゃないか」
「叶えぬと言えば叶えぬ」
「オレを騙したのか!」
「そうではない。それにお前はこの石の本当の姿を見れば手放すだろうと思うたからな」
「卑怯だぞ!鬼婆」
その言葉に女は一瞬反応する。大きく目を見開いたと思うと気持ちを落ち着かせるかのようにその眼は細くそして睨みを利かした。
「騙してはおらぬ。お前に道筋を与えてやろう」
「道筋?どう言う事だ」
「分からぬか。あの女を閉じ込めたのはわたしではない。と言う事だ」
直矢達は女が何を言わんとしているのか察した。それを確認すると
「そう、神がなさった事。わたしにはあの女が居る所までは導く事が出来るが沼の底から呼び戻す事は出来ないのさ」
「なら、どうして」
「分からぬか!お前が訴えるべきお方はわたしではないと言う事さ」
「須佐之男命……」
「ここからあのお方の所までの道筋を示してやろう。ただし、会えるか会えぬかはお前次第だ。それに、会えたとしてお前の願いを聞き入れてくれるかは分からぬぞ。悪ければ三人とも放り出されるやもしれぬ。それでも行くか」
直矢はその脅しとも捕らえることが出来る言葉に怯む。
「大丈夫だ。オレ達が付いてるぜ」と武が威勢よく言い放った。
「ほお、随分と威勢が良い事」
「どうなるか分からないんだろ。だったらやってみるしかないじゃねえか。直矢」
「……」直矢は武は何も知らないのだと感じる。でも、その一言に勇気を貰ったような気がしていた。
「そうよ。神様だったら変な事はしないわよ」と侑來が続けて言う。
こいつら、全く分かっちゃいない。あの人がどう言う人なのか……、ごまかしは通用しない。手汗がにじむ掌を握りしめ直矢は気持ちを固めた。
「どうしたらいいんだ」語気が強まった。それを見た女は少し失笑ぎみに言い放った。
「よかろう。結界をここからあのお方の所まで広げよう。このままここを離れ神社に赴くのだ。参り方は分かっておろうな」
三人は力強く頷く。
「但し、効力には時がある。一時を置いて境内に入れぬのならそれがお前達の力だ。諦めろ。あのお方が差し許す事があればお前達の願いも聞き入れてくださるかもしれぬ。良いか」
三人は顔を見合わせたが、もう、行くしかないと心を決めた。「分かった」と言うと振り返り氷之川神社へと向かった。
女は直矢達が歩み去る後ろ姿を黒塚のある高台から見送っていた。直矢達は振り返らず先への道のりへと急ぐ。
女は手に取った龍の涙を見ると「これでようございますか。スサノオウ様」と神社の方を見た。神社から微かな波動が来たかと思うと女の身体を突き抜けた。女は安堵した表情をすると「すーっ」と消え去り、黒塚より飛び去る。
『あの子の元へ』
直矢達は三の鳥居の前に立っていた。これから何が起こるかは全くと言って良いほど予想が付かなかった。直矢は冷静だった。武達が今の成り行きに動揺しているのに対し既に何度となく体験しているこの感覚……。この先何が起こるか。ただし、会わなくてはならない。もしかしたら会えない事すらあり得る。その分二人よりも必死である事に変わりはないのだ。
「行くよ」と声をかける。と二人は頷いた。境内に入るやいないや、辺りの景色が変った。境内を取り囲む鎮守の森が更に鬱蒼と広がる。静けさが更に深まった。そして、目の当たりにした境内は見慣れたものではない。目の前に大きな社があり、先に神池に掛かる神橋が見える。橋も見慣れたコンクリートの橋ではなく、木組みで作られた趣のある橋である。
直矢はそれを見ると「行こう」と言った。
玉砂利を踏みしめ歩く。手前にある社の前に立つと「簸王子社」と書かれているのを目の当たりにした。
「これって……」侑來が言いかけた。
「中川神社がどうしてここに」と武が言うと。
「ここは昔の氷之川神社だよ。オレも初めて見る」
「どうして、わたし達は……、どうしてここに居るの?」
「鬼婆の力だよ。多分、それに……」
「それに?」
「いや、想像だけど。もしかしたら神様の仕業かも知れない」
「神様って」
「それは、ここの神様さ」と含みを持たして答えた。オレ達は試されているのだ。
簸王子社の前に立っても何も起こらない。直矢は二人に促し、習った通りにお参りを済ませる。そして奥に進んだ。神池の畔に着くと先を見据えた。
「池が大きい。見て」と侑來が示した先には満々と水をたたえる池が先まで続いており木々に覆われ見通せない。まるで水路のようなのだ。池の袂には桟橋が設けられており何艘かの和船が整然と係留されている。直矢が想像した通りでやぅぱり昔は船で池からも詣でる事が出来たのだ。
信じられないと言った趣の二人も次第に落ち着きを取り戻しているようだ。
「ここが過去の氷之川神社だとしたら恐らく江戸初期より前なんだろうな」と武が言うと
「どうして」と侑來が訊く。
「ほら、池がこれだけ大きいだろ。多分この先で見沼と繋がってるんだよ。多分な。だとしたら干拓が行なわれたのが江戸中期だろ」
「そうか。直矢はどう思う?」と侑來が訊く。
「オレもそう思うよ。でも何時の時代かは分からないけど、すぐそれも分かるんじゃないかな」
「どうして?」
「ううん、旨く説明出来ないけど、多分神社が一番理想とした時代に来ているんじゃないかなって思うんだ。単純に」
「なるほど。一理あるな」と武は妙に納得する。
「行こう」
三人は神橋を渡る。すでに先は見えていたが南から神橋を渡って対岸に入ると大きな社が二つ並んで建っていた。西側(左側)に男体社、東側(右側)に女體社と書かれてある。間にもう一つ社があり、そして、女體社の脇にもう一つ社がある。三人は男体社から順にお参りを済ませる。そして、最後に女體社脇にある社の前に立った時だった。
「これは……」直矢が呟く。
「荒脛巾神社、これって、確か門客人(かどまろうど:もんきゃくじん)神社があった所では」と侑來が言う。
「そうさ、氷之川神社の御祭神、須佐之男命がやって来る前からこの地で信仰されていた神様だと言われている。オレ達の時代では足摩乳命と手摩乳命、つまり櫛名田比売のお父さん、お母さんが祀られている事になっている」
「それってさっき話していた事だよね」
「そう、見ろよ」
社には龍神の二文字が記されている。三人はそれを見つけると藤堂先生の言葉を思い出していた。
「やっぱり、先生が言っていた事が正しかったんだ」と武が言う。侑來も納得するように頷いている。直矢はと言うと女體神社にあった龍神社を思い出していた。
「ここはお勤めする場所だったんだ」
「お勤め?」
「女體神社にも龍神社があったよ。ここは龍が勤めを果たす所。特別な場所は別にある」
直矢は社から姿勢を変え男体社の先にあるであろう蛇の池の方へ視線を移した。
直矢はハッとする。そして、みるみる緊張感が高まるのを抑える事が出来ない。
「お勤めって、おい、直矢どうしたんだよ」と武達も振り返った時である。
「あっ」
見事に気配を消し去った大きな男が立っていた。細身に見えるのだが華奢ではない。ロマンスグレーの髪は長髪でストレート。小綺麗に身なりが整えられている。直矢は思い出していた。前回と同じストライプのスーツを着こなし気品高い趣を醸し出している。それが誰であるか直矢にはすぐ分かった。ペコリとお辞儀をすると、
「こんにちは、多美の小父さん……」その先の言葉にためらいがあった。
小父は和やかではあったが以前会った時と変わりなく何処か恐ろしさを感じた。スッカリ忘れていたのだ。でも、ここに来て思い出した。
「やあ、君は瓜生直矢……君だったね。多美の友達の」
「はい、以前はお世話になりました。突然来て申し訳ありません」
「珍しい人が来ていると聞いたので出てみたのだよ。そうしたら君たちが居たのだな。そこの二人は初めてだと思うが……」
「あっ、すみません。クラスメートの天雲武君と神月侑來さんです」
直矢が紹介すると二人は慌てて挨拶をする。
「こんにちは、お邪魔しています」と侑來が言うと続いて
「こんにちわ」と武が挨拶した。
すると須佐之男命は和やかにほほ笑むと「はい、こんにちわ」と応じた。
「君とはもう会う事はないと思っていたのだがね、また会ったね。君たちが再びこの世界に来るなどとは考えてもいなかったよ」
「オレ、いや僕もこの世界にはもう来る事が出来ないと諦め掛けていました。でも、ここの二人が勇気をくれたんです。諦めるなと」
「なるほど、よい友達を持っているようだね。でも、君たちはそんなに仲が良かったのだろうか」と言うと須佐之男命は武に視線を向けた。驚いた武は一瞬たじろぐも
「確かに、こいつとは友達と言える仲ではないかも知れません。この先は分かりませんが、僕が直矢に嫌がらせをして来た事は事実です。それを否定する事はありません。ただ、共通する謎を解いて来た中で、今はさほど啀み合う事もなくなりケンカはしていません。これからも……」
「それが君の本心かね」
本質を突かれて武はドキッとする。武も目の前の人がどう言う人なのかを受け入れなければならないと感じていた。それを更に突っ込まれた気がした。ごまかしは効かないのだ。
「どう言う事……ですか」と怪訝に返すと
「それは、今君自身が感じている事の他ならないのではないかな。君が何故、直矢君に嫌がらせをしてきたのかの本当の理由について、まだ直矢君は認識していない様だからね」
「どう言う事なんだ。武」
「武」と直矢が言いかけた時、侑來が割って入ってきた。
「わたし達、なんの因果があったのかよく揉めていて、わたしは間に入って制止役ですけどこの二人がよく学校でケンカしていて……」とりとめも無い言葉を話していると
「君も何処か謎が多い。とても興味深い。何処まで、知っているのだろうね」と和やかにスサノオオウが言うと
「すみません。何から何までお見通しなのですね」
「オレが悪かったんです。自分勝手で人の事など考えてなかった。オレは無知だったんです。でも、そんなオレでも気づいたんです。多美と出会ってから、多美の事が好きになってどうしたら気に入ってもらえるのだろうかって考えるようになると相手の考えや気持ちを考えるようになっていた。物が相手なら全て自分の考えで良かったけど人は違う。オレが良いと思っていても相手はそう思っていないんだって知ったんです。こいつがオレに嫌がらせをする理由がオレにあったんですね。そんな事考えもしなかった」
「確かに、嫌がらせをして来た事実があったが、どうして嫌な事をされるのかと考えた事はなかったのかね」
「考えてました。どうして毎日ちょっかい出されるのだろうか。どうしてオレばっかりって」
「それで今はどうなのかね」
「それが、不思議なんです。同じクラスになるともっとケンカが多くなるのではと思っていた。ところが次第に無くなった。いや、正確に思い出すと一緒になってからは嫌がらせがなくなったんです。そう言えばどうなんんだ?武」
「それは……、ショウやジュン達と離れた事でやりづらくなったからで、それに、藤堂先生達の連携がよくて悉く阻止されるようになったからだよ。それに、移動してからあいつらとはつるまなくなった。クラブでは話をするけど学校では遊ばなくなったから」
「どうして」
「オレが、部活を辞めて受験に備えるって前から言ってただろ、合わなかったんだよ。あいつらにとっては……、それに」
「それに?」
「あいつらも目が覚めたんだろ」
「目が覚めた」
「オレが操っていたから。あいつらにとって直矢をいじめる理由なんかなかったのだから。オレが誘導してたからな」
「誘導って、何だよそれ」
「オレ自身、勘違いしていたところがあったんだ。って分かったんだ。あの頃は先生もひっくるめて思い通りになると思っていた。先生なんてチョロいもんだと思っていたからさ。でも、藤堂先生だけは誤魔化す事が出来なかった。先生はオレの本心を見抜いていたのだと思う。そんな素振りは一度も見た事がなかったけど。但し、理由を除いてはな」
「理由……」
武はそれ以上は話そうとしなかった。直矢もそれ以上は追求はしなかった。第一、今はそんな事を言い争っている場合ではないのだから。
二人の話を聴いていた須佐之男命は、ほほ笑みを絶えさない。三人の様子を窺うかのように見つめていた。すると
「そうか、それが君の気持ちなのだね」
武はコクリと頷いた。それを見て須佐之男命は直矢に視線を向ける。
「君はすでにこの地が何であるかを理解している。ここが自分達が来るべき所ではない事も。それでもここに来た」
「お願いします。もう一度多美に会わせてください」唐突に直矢が願う。
須佐之男命は視線を一気に直矢へと向ける。表情からほほ笑みがきえた。
「何故?」
「えっ」
「何故、多美に会わなければならないのかね。もう、このまま会わずに別れても良いではないか。あれがなんで有るかも、もう分かろう」
「会わなかったら一生後悔するかも……」目線を下に向けると
「多美は教えてくれた。オレに大宮の良さを大宮の素晴らしさを、そして、仲間を作る事の必要性を。多美が居なくなって分かったんだ。何も知らずに生きてきた自分を。そりゃあ、知らなきゃ知らないままでも良いのかも知れない。でも、自分がこの地に生まれ、育ち、この土地の良さを知らない事はオレがこの土地の出身だと言う証である礎が無い事になってしまうのではないかと思ったんだ」
須佐之男命は黙って聞いている。表情は変らず厳しさが漂っている。それでも直矢の真剣さを目の当たりにしこの若者が誰よりもこの地事を真剣に考えるようになり、また、一人の男として成長している様を見ると次第にその表情がまた柔和になる。
「君は本当に多美の事が好きなのだね」と須佐之男命が言うと視線を侑來の方に向ける。侑來は目が合うと慌てて視線を下に向けた。そして少し寂しそうな表情をする。それを見るとまた直矢に対して語り始めた。
「我らがこの地に赴いて幾年月が過ぎた。ここにある光景は我らが最も崇拝されていた頃の姿のひとつでしかない。が、人間は我らの事をより身近に感じ、そして親しみを感じていた時であったのかもしれぬ。それは我らも同じ事。君たちがどうしてこの地に我らの社はあるのかが謎だったのだろう。でも、それを解き明して何になると言うのだ」
「それは、わたし達がこの大宮をよりよく知る上で氷之川神社の存在が一番大きかったからです。神社があったからこの土地は大宮になった。それに……」
「それに?」
「いえ、小さい頃から不思議な体験をして来たんです」
「ほお、どう言う事かね?」
「それは……」
侑來は言うのをためらったが、それはいつものためらいとは少々趣が異なっていた。
侑來は感じていた。この人?には隠し事は出来ない。だから、自分が思っている事を感じとられても致し方が無い事。でも、二人には……と思った。それと、この人は何故わたしにだけ興味を持つのだろうか、それはやはりあの神社で感じるあの感覚に関係があるのではと考えてていた。それを見抜いたように須佐之男命が言った。
「君が出雲で出会ったものは周りからは理解を得る事はなかっただろう。君はその事で悩んでいた」
「はい」侑來は素直に答えた。須佐之男命は頷くと「もう、我慢する事はなくなるだろう。この件が済めば」
「え?」
侑來はその意味が理解出来なかった。
「どう言う事ですか?」
「それは、次第に分かる事。焦らなくてもよいのだよ」と真上から見下ろされるような視線に怖さは消えていた。それを聞いて侑來はどことなくホッとする。そして何か熱いものを感じた。そう、それまでの束縛されていた事からの解放されたような……。
「直矢君」
「はい」
「多美に会いたいかね」
じっと見つめられると少し怯むが直矢は臆せず意思を貫く。ここで会わなければもう、気持ちを伝える事が出来なくなってしまう。
直矢は考えていた。多美が人間ではない事は揺るがない。初めは一回だけ。と思っていたがズルズルと関係を深めてしまった。多美も分かっていたのだ。でも、多美は分かっていながら受け入れてくれたのだ。その事で誓いに触れてしまったのだ。全部オレの責任なのだ。
「君は既に多美が人間ではない事に気が付いている。もう関わらない方が良い事も理解している筈だ。なのに多美に会うと言う。それが叶わぬ思いであるにもかかわらず……、何故かね?」
侑來は無意識にその言葉に反応する。それに須佐之男命は一瞬視線を合わせるがすぐ直矢を見直した。
「オレが考えている事なんて百も承知なんでしょ?」
「人間の考える事ほど分かりかねるもの」と正視する。それに対して「ああ、やっぱり誤魔化しは効かないんだ」と実感した。
「そうです。自分でもよく分かっている事。でも……、だから最後に多美に会って謝りたい。肩にものすごく力が入っているのを自覚する。全身に力が入っているのを制御出来ない。微かに肩が震えていた。
それを須佐之男命は見逃さなかった。
「それほど多美の事を思っているのだな」
直矢はコクリと頷いた。
「ならば己で解決するしかないだろう」
「己?自分でって事?」
「そう、多美に会う気があるかどうかは分からぬが、ならば多美が眠る場所に行くがよい。ただし、今の君は龍の力を持ってはおらぬ」
「龍の力!」
「そう、龍の涙をあの女に渡してしまった。故に、同等かそれ以上の力を得なければならぬ」
「同等の力って……」
スサノオウはこの若者達に掛けてみる事を決心する。
「では君達に行って貰おう、多美の所へ。但しその前に同等の力を得なければならぬ。まずは婿殿の所に行って貰おう」
「婿殿?」と直矢が首をかしげると
「簸王子社の事よ」と侑來が教えると
「ああ、そうか、大己貴命の事だな」と武が言い返す。直矢も納得するように相づちを打つ。
「もう分かっておるな。まずは婿殿に会うが良い。そこで龍の力と同等、或はそれ以上のものを受け取るのだ。ただし、婿殿も気まぐれのところがあるが、得るか得られぬかは君達次第だ」
スサノオウは含みを持たせる言い方をした。直矢達はそれに従うしか無い。でも、あの石と同等の力とはどのような事なのだろうか。察してか
「この世界では君達の生業は通用せぬ。よって、道筋を教えて上げよう」
三人は須佐之男命が何を言っているのかが理解出来なかった。でも、これから大己貴命が祀られている中川神社に行かなければならない事だけは分かっていた。
スサノオウは境内に佇む神池を指し示す。池はいつもの神池とは異なり随分と大きく感じた。
「この世界には見沼(御沼)が存在しているのだよ」
「それじゃ、ここから船で……」と武が言いかけると
「そうではない。まずは歩いて行って貰おう。そして、途中、沼にたどり着くとそこに船着き場がある。そこから船で対岸に渡るのだ。さすれば婿殿の所に行けるだろう」
「渡し船ですか?」
「誰が船を漕ぐのですか」
「気にせんでもよい」
三人は顔を見合わせる。もう、なるようになるしかない。そう言う思いだった。
「この二人も一緒に行かなければならないのですか」
「直矢、お前」
「いや、元々二人には関係ない事だったんだ。これ以上は二人に迷惑がかかるかも知れない」
「そんな事ないわよ。今更でしょ」
「そうだ。ここまで来て、お前はそうやって何時もオレ達から離れようとする」
そうかも知れない。と直矢は思った。今も自分の至らないところを自問していたばかりなのに。でも……、そうなのだ。今のオレには二人の力が必要だ。二人が居なければならないのだ。直矢はそう考えを改めると
「ごめん。やっぱり一緒に行こう。ここは三人で行かなければならないんだ」と力強く言い直すと
「それで良いのだな」と聞き返してきた。直矢達は須佐之男命に視線を向けると同時に頷いた。
それを見てスサノオウは納得する。それはこの三人ならと言う希望を確信する事ができたから。それはこれからの事を察すると喜ばしい事に他ならない。
「では、行くがよい。境内を出ると道がある。道なりに進むのだ。途中、様々なものに遭遇するだろう。だが、臆する事は無い。何故なら相手もお前達の事が見えない。のだからな」と言うとほほ笑んだ。
八話につづく