6話・常識外れ
「う……」
––––知らない天井だ。
自宅でも、大学の教室でも、ましてや実家でもない。
機能性を重視した、白く無機質な壁。
設置されている蛍光灯は点灯していない。
辺りは静かで、物音は聴こえなかった。
頭がぼんやりとしている。
俺は、何をしていたんだっけ?
むくりと起き上がる。
どうやらベットの上で眠っていたようだ。
「やあ、起きたみたいだね」
「え……あ、熊野、さん……?」
ベットの側には熊野さんが座っていた。
彼は優しげに微笑みながら言う。
「突然倒れた時は驚いたよ」
「……そうか、俺、倒れて、そして……」
「丸一日眠っていたよ」
「丸一日!?」
直ぐさま腕時計を確認する。
本当だ、日付が変わっている……
「すみません、またご迷惑をかけてしまったようで」
「いえいえ、こんな状況ですから……医師によりますと、精神的なものだとか」
精神的、か。
確かにあの時の俺はかなりおかしかった。
思考がぐちゃぐちゃで、心中も無茶苦茶。
自分の知らない内に相当疲れていたのかも。
俺は昨日までただの学生にすぎなかった。
そんな人間にとって、色々と刺激が強すぎたのかも。
情けない話ではあるが、仕方ない。
ただ、もう気持ちはだいぶ落ち着いている。
少なくとも昨日のように発狂はしない、筈。
「あの、何か進展はありましたか?」
「心苦しいですが、何も……」
「そうですか」
世界が変わって二日目の朝。
そう簡単に解決策が見つかるとは思っていない。
さて、これからどうしようか。
比較的安全と思われる警察署には来れた。
当初の目的なら、モンスターを倒してレベル上げ……だったのだが、肝心の俺はこのザマである。
それの警察署の人達が外出を許してくれるとは思えない。
「そういえば……数人の警察官が妙な事を言っていました」
「妙な事?」
熊野さんが訝しげに言う。
「はい、昨日の事です。パトロールから帰って来た数名の警官が、目に異常を訴えてきたんです」
目の異常。
もしかして……
「話を聞くと、突然視界に自分の名前が映り出したとか。そしてその現象は大抵、外の怪物を殺した後に発生するようなんです」
熊野さんの話しを聞き終える。
間違いない、それはきっとステータスだ。
何人かの警官は、外でモンスターを倒した。
その際、手に入れたんだろう。
ただ、話しを聞いている限り……ステータスは、他人に見せられないのか?
見せれば一発で分かるのに。
……試してみるか。
俺は熊野さんの前で、堂々とステータスを開示した。
他人に見えるなら、絶対に反応する筈。
「……」
「……」
沈黙が続く。
これは、他人にステータスを見せられない、という事か?
「……高橋さん? どうかしましたか?」
「いえ、何でもありません」
うーん、面倒な事になったぞ。
ステータスを見せられないのはかなり痛手だ。
レベルやスキルを説明するのに苦労する。
言葉で伝えても、信じてくれるか怪しい。
仮に俺が説明を受けても、半信半疑になるからな。
熊野さんを見る。
彼には恩がある、警察署へ連れて来てくれた。
出来ればステータスについて教えてあげたい。
レベルを上げて強くなれば、生き残る確率も上がる。
熊野さんには死んでほしくない。
俺は素直にそう思っていた。
ただ、どう伝えようか……
普通に話しても、頭がおかしくなったと思われる。
特に俺は倒れたばかり。
また医師の世話になるかもしれない。
それは非常に困る。
難しい問題だ。
魔法でも使えるなら、分かりやすいけど。
なんて事を考えていた最中。
「あれ……地震?」
「そのようですね」
突然地震が起こる。
小刻みに揺れてはいるが、揺れそのものは大きくない。
暫くすれば収まるだろう。
……だが、揺れは収まらなかった。
それどころか段々と大きくなってくる。
そして、気づく。
これは天災の地震では無い。
大きな何かが、近づいて来る音だと……!
「グオオオオオオオオオオオオッ!」
巨大な咆哮。
俺と熊野さんは咄嗟に耳を抑えた。
空気をビリビリと振動させる声音。
目の前で聞いたら、きっと鼓膜が破れてしまう。
一体何が起きているのか。
動揺する俺に、残酷な現実は更に追撃を仕掛けてきた。
「オオオオオオッ!」
再びの咆哮。
そして、咆哮以上の崩壊音が轟く。
建物が崩れるような音。
熊野さんは、顔を青白くさせていた。
「熊野さん、バリケードが貼ってあった場所って」
「……はい。最初に訪れた、署の入り口です」
彼は重く、口を開く。
もう確定的だった。
警察署のバリケードは、破壊されたのだ。
咆哮を発する、謎の存在によって。
「そんな、馬鹿な……バリケードが……」
「熊野さん、逃げましょう!」
狼狽する熊野さん。
俺はベットから飛び起きる。
荷物は直ぐ横に置いてあった。
バリケードを破壊したのは、間違いなくモンスター。
なら、そのモンスターがここを襲うのは自明の理。
素人の目から見ても、署のバリケードは強固だった。
それを粉砕するモンスター……考えるだけでも恐ろしい。
「はっ……いえ、私は入り口へ向かいます」
「そんな、どうして!?」
「私にも同僚達が居ます。彼らを置いて、自分だけが逃げるなんて……警察官として、出来ません」
「熊野さん……」
「高橋さんは逃げてください、裏口まで案内します」
二人で部屋を出る。
熊野さんの顔は決意に満ちていた。
警察官として、市民を守る。
その誇りと勇気に、俺は感動した。
本当なら俺も何か協力したい……が、今の俺ではきっとなんの役にも立たないだろう。
レベルが高いならまだしも、まだレベルも2。
一般人に毛が生えた程度だ。
––––強くなりたい。
こんな感情、初めてだ……
◆
署内は騒然としていた。
何人もの警察官が拳銃を持って集結している。
モンスターを迎え撃つようだ。
これだけの人数と、武器があれば……
「高橋さん、あとは一本道です」
薄暗い通路に入る。
非常用出入り口の明かりが、通路の先で点滅していた。
熊野さんとは、ここでお別れのようだ。
「ここを出たら市役所……いや、中学校へ行ってください。その方が近いです」
「中学校?」
「はい、春村中学校です。有事の際は避難所になると市の規定で決まっている筈ですから」
確かに、被災した際は皆学校や市役所でお世話になる。
このモンスター騒動も天災と考えていいだろう。
「近隣の人達とも合流出来ます。そしたら、全員で市役所を目指すのも––––」
「グオオオオオオッ!」
熊野さんの言葉が遮られる。
直後、警察署の壁が吹き飛んだ。
壁に大きな穴が開く。
そこからぬっと、巨大な手が伸びてくる。
「……オオオオオオッ!」
天井が崩れ始めた。
その巨漢に、建物が悲鳴をあげている。
赤色の肌に鋼のような筋肉。
獰猛に見開いた両目と、剥き出しの牙。
鬼……オーガ。
俺は勝手にそう名付けた。
オーガの足下には、多数の警察官達が倒れている。
それが何を意味するのか。
俺は考えたくなかった。
「高橋さん、走って! 早く!」
「っ!?」
「逃げて––––生き延びてくださいっ!」
熊野さんが拳銃を抜く。
即座にオーガへ向けて発砲した。
しかし、オーガは全くの無傷。
少しの痛みも感じていないようだ。
俺は……脱兎の如く、駆け出す。
薄暗い通路を走り抜ける。
途中、背後から何人もの悲鳴が聴こえた。
それらを無視し、ひたすらに走る。
やがて通路を抜け、裏口から警察署を脱する。
けれども止まらない。
否、足を止められなかった。
この時ばかりは、恐怖が俺に力を与えた。
生存本能が走れと警告する。
体力はとっくに限界を迎えていた。
心臓が痛い程鼓動し、呼吸も困難。
手足は震えて上手く走れない。
それでも走った、生きる為に。
熊野さんの犠牲を、無駄にしない為に––––