43 素直 (3)
結局、どちらが折れるわけでも、どちらが沈黙を破るわけでもなかった。私はリビングを出た。母は再びテレビを見始めた。
廊下には、父が立っていた。どうやら、私と母の口論をこっそりきいていたらしい。
「紗香、なにがあったんや?」
声を落とした静かな声で、父はきいてくる。
なにもない、とはさすがにいえなかった。
「…ちょっと、お母さんといいあいになった」
「なんでや?」
「お姉ちゃんのことで。私がお姉ちゃんにいらいらしてるのを叱られて、それに私がいい返した」
私も父のように声を落としながら、そういった。
父は口論のわけをきくと、一度小さく唸った。照明の下、灰色の髪がぼんやり輝く。
「紗香は、なんでお姉ちゃんに苛立ってたんや?」
父がきいてきた。
「…いろいろあって」
それだけしか、いまの私にはいえなかった。
すると父は、怒るでも、首を捻るでもなく、ふっと笑った。
「そうか」
父はそれだけいった。深くあれこれをきこうとはしなかった。私の表情を見て、なにか思うところがあったのだろう。
「お母さんは、お父さんが宥めとくよ。お姉ちゃんとは、うまくやれよ。姉妹なんやから」
父は私を優しく見つめ、そういった。
私は頷いた。二階へ上がる。
父がリビングに入ろうとする直前で、私は父の背中に声をかける。
「お父さん」
父が私を見る。
「このお礼は、近いうち必ずするから」
私がいうと、父は笑った。
「…そういうとこ、真面目だねえ」
父は扉を開けて、リビングに入っていった。
私は姉の部屋の前に立った。ノックして、姉の声を待った。
「なに?」
「お姉ちゃん、私。入るで」
姉の返事も待たずして、私は扉を開けた。漫画が散らかる部屋に入っていく。照明の明るさをやや落としているためか、いつもより暗い感じがした。
強張った顔をした姉がいた。ベッドの端に座っていた。
二十七時間ぶりに一対一になったわけだが、姉は途方もない気まずさと恐怖を感じている。姉の目を見ればそれがわかる。
私はいまどんな顔をしているのだろうか。もしかすると、いまにも人を刺しかねない顔をしているのだろうか。
憎しみ、怒り、執着、許し、忘却。さまざまな思いと言葉が、頭の中を過る。崩壊寸前の自我を保つ。つきつけられた条件を思い出す。なんとかして、姉にかける言葉を探す。
「今度、村岡さんとデートするっていってたよな?」
私はそう切り出す。
姉が顔を上げ、頷く。
「ちょっと、頼みがあるねん」




