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姉の旅立ち  作者: ENO
第4部 くちなしの丘
40/57

40 染まるよ (3)

「それで、諒はなにをどうしたいの?」

 苛立ちを剥き出しにして、私はいった。

 諒も私に触発され、怒りを露わにする。

「なにをどうしたいも、こんなんじゃ俺らの関係は、続けられへんやろ? 俺とつきあってながら、お前は別の男が、しかもお姉さんの男が好きやっていう。そういう状態にあることに、俺は耐えられへん」

 気づけば、諒の拳が固く握り締められている。たとえば目の前の鉄柵を、もしかすると私を殴りつけたい気持ちなのだろう。

 私は、耐えられなければ勝手にしろといわんばかりに冷たい目線を送り続ける。二人の関係が続けられないというのであれば、それでもいいという気持ちにさえなっている。苛立ちが全力で回転し、思慮を弾き飛ばし、私を衝き動かしている。諒はすべてを知ってしまったのなら、もうどんないい訳も通用するはずがないのだ。

 私と諒の視線が、ぶつかりあう。それは負の感情のぶつかりあいでもある。怒りと憎しみ、妬みと疑いが二人の視線の中に満ちている。

「じゃあ、別れるってこと?」

 私はきいた。

 諒はすぐには返事しなかった。険しい顔で、押し黙る。迷いがあるのだろう。こういう踏ん切りのつかなさが、男の卑怯なところだ。

「紗香は、どう思ってるんや?」

 今度は諒がきいてきた。

「私? 私は、諒のいう通りに従う。別れるなら、別れる。続けるなら、続ければいい」

 卑怯さでいえば、私も変わらない。選択はすべて男に委ねることで、私は迷うことから逃れている。

「続けるには、条件がある」

 諒はいう。

「他の男は見るな、昔のしがらみを捨てろ、そして、俺と本音で向きあってくれ。それが、条件や」

「私がそれを呑むとでも?」

「…それができなければ、それまでや」

 諒はいい、私に背を向け、その場を立ち去る。振り返ることもなく、学生棟の中へ消えていく。

 私はその場に残された。

 衰えた夕陽が、私を見つめている。空は赤の色を失いつつある。夜の青と黒が、空の赤を侵していく。

 諒は、私の回答を待たなかった。考える時間を与えたということか。

 空を見つめる。諒と二人で見た、いつかの空を思い起こす。

 一人になって風に当たり、陽射しを受け、考え込む。そうすると、さまざまな思いが去来する。諒のことを思う。私にとって諒はなんだったのか。ただの都合のいい男のはずだった。続かないのなら、それでいい。昔の男たちのように、私が満足したのなら、切り捨てていけばいい。そう思ってみたが、その考えが腑に落ちない。それはなぜなのか理由を探る。明確な言葉として、理由は浮かびあがらない。浮かぶのは記憶の断片、記憶という名の映像。二人で見た夕焼け、二人で見た夜空、二人でいった場所、二人で作った思い出。二人にはなにもなかったのか。なにもなかったようでいて、小さななにかを積み上げてはこなかったか、分かちあってはこなかったか。そう考え出すと、記憶の再生に歯止めがかからなくなった。どんな些細なことも、諒が見せた仕草や、言葉や、表情や、露わにした体の一部さえ、思い出す。たとえ心をすべて開かない関係だったとしても、なにかが二人の間には残っていただろう。二人してなにかを作り上げてきただろう。それをいまここで、すべてぶち壊して、終わりにしてもいいのか。

 風に吹かれるも、答えは出ない。立ち尽くし、考え尽くし、それでも判断はつかない。

 私は愚かになったのか。何度も男を鞍替えしていた私は、どこへいったのか。あのころの自分勝手さや傲慢さは、どこへ消えたのか。なぜ私は迷い、躊躇しているのか。かつての自分ではありえなかったことだ。

 冷酷であろうと自分にいいきかせても、なにも判断はつけられなかった。諒を切り捨てようとする気持ちと、そうしたくないという気持ちが、一瞬一瞬で入れ替わる。

 思い出は湧水のように、止めようもなく頭の中を流れていく。

 視界に入る夕日が滲む。視界は霞みがかる。この現象がなにを意味するのか、私は考えるのをやめた。


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