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姉の旅立ち  作者: ENO
第3部 reflection eternal
31/57

31 Fantasy (1)

 夕陽が、血のような赤さで、どろどろと燃え立っている。シーツの匂いを嗅ぎながら、私は外の太陽を想像した。

 不完全燃焼という言葉を、いまほどひしひしと感じたことはない。

 私はベッドの上で仰向けになっていて、部屋の天井を見ている。白のクロスが貼られただけの味気ない天井だ。

 隣には諒がいて、上半身を起こし、ベッドの上で胡坐をかいている。

 私は肩までシーツを被せた。暖房をかけなかったため、部屋はひんやりとしていた。さっきまで抱きあっていたというのに、汗の一つもかかなかった。

 二人とも心が別々の方向を向いていた。諒はどこか鬱屈とした様子だったし、私も熱が入らなかった。抱きあっていると、諒の顔が村岡先輩に切り替わった。次の瞬間には幻だとわかって、気持ちは急速に萎み、冷却していく。ことが終わると、昂揚感も幸福感にも乏しく、ましてや燃え尽きたという感覚のない行為だったと思い、ますます気分が落ち込んでゆく。諒が悪いのではない。村岡先輩の姿を恋人との行為の最中に思い浮かべた私が悪いのだ。

 諒の満ち足りていない様子は、きっと私のせいなのだろう。だが私は諒の裸の背中になんの言葉もかけることができず、ただ天井を見上げていた。

 言葉のない空間が、こんなにも寒々しいとは思いもしなかった。窓から射し込んでくる夕陽と、部屋に充満する生々しい匂いが溶けあい、倦怠とも怠惰ともいえる雰囲気が部屋に漂う。この夕陽を浴びていれば、私はどこまでも堕落していける気がした。それこそ、諒の隣にいながら、ずっと村岡先輩のことを思うことができるだろう。

 突然、諒がベッドから抜け出て、自分の服を着始めた。私は視線を諒に移した。筋肉質な体つきで、腕や胸のあたりは筋肉の隆々とした印象を受けるが、下腹部は脂肪がついていてやや丸みを帯びていた。私はその下腹の丸みと柔らかさが好きだった。諒の肌は、すぐに服が被せられ、見えなくなった。諒は私を振り返り、こういう。

「なあ、もういこう」

 私は頷いた。自分の脱いだ服を集めて、素早く着た。少しくしゃくしゃになった髪を手で整え、バッグを掴んだ。部屋を出る。

 名神高速京都南インター近くのホテルに、私たちはいた。このインターチェンジ付近はラブホテルが密集していて、私たちはたまに利用していた。お互い実家に住んでいるため、ホテルを使わないとろくに抱きあうこともできないためだ。このホテル街は使い勝手がよかった。国道一号線沿いにあるため、このまま国道を南にいけば家に三十分もせず辿り着ける。そして、車でしかくることのない場所のため、大学の友達や知りあいに姿を見られる心配もなかった。

 諒の車に乗り込み、国道一号線を南に向かった。立ち並ぶ工場の錆びついた屋根が夕陽を照り返している。眼前の景色はすべて橙色に染まっていた。久御山ジャンクションの巨大なとぐろを過ぎ、久御山のジャスコを過ぎ、木津川を渡った。しばらく道を進めば、緩やかな上り坂が待っている。洞ヶ峠と名付けられた大阪と京都の府境にある峠を越えれば、私の街に入る。峠を越えて二つ目の大きな交差点を左折し、その次の交差点を右へ曲がる。その道の先の坂を上ると、私の家がある新興住宅街が広がっている。

 私は時計を見た。ホテルを出てから、ちょうど三十分がたっていた。

 諒は私の家の前で車を停めた。

 車中では、ろくな会話も生まれなかった。音楽もラジオもかけなかった。妙にひりひりとした空気が漂っている。

 全部私のせいだと思ったから、私はなにもいえなかった。諒の不満げな態度も仕方がないと思えた。この空気も辛かったが、かといって、不満げにしないでくれ、嫌な空気を作らないでくれともいえなかった。それをいえば、私が非難されるのがわかっていたからだ。

「ありがとう、ほなね」

 そういって、私は車から降りた。扉を閉める直前で、諒が私を見た。鋭く、刺すような目だった。

 諒がこんな目をしたことは、いままでなかった。彼の目に宿るものがなんなのか、私は測りかねていた。疑いなのか、不満なのか、それともまったく別の思いなのか。

「どうしたん?」

 私はきく。

「…いや、なんもない」

 諒は素っ気ない調子でそう答えた。

 なんもないわけないやん。

 私はそう思ったが、それを口にすることができなかった。

「なあ」

 諒はいう。私は再び彼の目を見る。

「…俺、紗香のこと信じてええよな?」

「それ、どういうこと?」

「俺は、お前の、紗香の言葉を信じてもいいんよな?」

 前後の脈絡がない言葉だった。諒の言葉がなにを意図しているのか、私にはわからなかった。だから、私は諒の問いにも答えることができず、ただ黙っていた。

 私のそんな様子を悟ったのか、諒はいう。

「…ごめん、やっぱいい。気にすんな」

 そういって、諒は顔を前に向けた。

 私は扉を閉めた。車が走り出す。走り出して十秒で、車は角を曲がり、見えなくなった。

 黄昏の光はとうに失せ、闇が周囲を覆い始めている。街灯が寂しく光る。冷たい風が吹き抜けてゆく。

 私は立ち尽くす。諒の言葉と態度について考えている。

 はっきりゆってよ。本音を喋ってよ。

 諒もなにかを隠しているように思えた。なにもないといった諒だが、なにもないわけがないのだ。なにを隠しているというのか。なにを本当は思っているのか。そして、私を信じてもいいのかという言葉。あれの意図はなんなのか。考えを巡らす。答えは出ない。募る苛立ちと疑いに唇を噛む。

 つきあっているとはいいながらも、二人の心はどこかすれ違い、隠しごとや疑念は溢れるほどに存在している。二人の関係は所詮こんなものかと自嘲気味に思う。私と諒の心の繋がりや信頼関係は、あまりにも浅薄だった。原因の大半は、いまだ村岡先輩の影を引きずる私にある。そのくせ体だけはしっかりと求めあうのだから、自分の動物性を嘲笑いたくなる。

 私はなんでこんなにも狡いんやろか。

 心では昔の男を思いながら、いまの男とも関係を続けている。村岡先輩への思いを断ち切ることもできず、諒との関係を終わりにすることもできない。それは私の狡さゆえだ。もっといえば、私の臆病さゆえだ。村岡先輩への恋が実らなかったとしても、あわよくば諒との関係を維持したいとも思っている自分がいる。

 自然とため息が零れた。なにもかもが憂鬱に思えてくる。周囲のことも、そして自分自身のことも。

 考えがまとまらず、私は軽い混乱に陥っていた。家を前にして、私は違う方向へ歩き出す。暗くなりつつある道をゆく。小学校へ通うためにいつも使っていた道だ。人間の習性は不思議なもので、自分が歩き慣れた道をなぜか選んでしまう。住宅街の中の小道を通り、坂を下りていく。舗装されてから年月がたち、いい具合に褪せてきた坂道を腕組みしながら歩いていく。考えは断片的にふっと浮かび上がるも、零れ落ちる砂のように数秒で記憶にも残らず消えてしまう。

 住宅街を抜けた先には、川が流れている。名前はあるが、どこの誰がつけたのかもわからぬ、地味な名前の川だ。川辺は雑草だらけで、川の水面には藻が張っていて、ひどく汚い。ただ、川沿いの遊歩道の並木だけは、秋になると美しい。もっとも、日がほとんど暮れたいまでは、その美しさも拝めない。

 川沿いの道に立つと、視界が開けた。住宅街を出て広がっているのは、田圃や畑だ。その中に工場や学校が入り混じっている。人の姿もあまりなく、寂しさが立ち込めている。

 川辺を見ていると、目を引く人の姿があった。土手に座り、川に向かって石を放り投げている女性がいた。姿形を見た瞬間に、姉だとわかった。


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