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姉の旅立ち  作者: ENO
第1部 京都の大学生
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2  情景輻射

 一瞥もくれずに、私は部屋に戻った。今日の服装はどうしよう。秋らしい服装がしたい。私は部屋着を脱ぎ捨て、とりあえずレギンスを履く。次に頭に浮かんだのは、ワンピースを着ようということだった。クローゼットに吊るしてある下地が黒で白のドットが浮いているワンピースを着る。壁に立てかけてある鏡で自分の服装を見る。意外と悪くない。ただ、この格好だと、原付を使う時に寒くなる。さらに私は青のテーラードジャケットを羽織った。黒と青の組み合わせはやはりいい。鏡で見るとかなりシックで落ち着いた印象が強いが、私の雰囲気とあっているだろう。

 よし、これで今日は決まりや。

 服装がささっと決まり、気分が良くなった。時計を見る。七時十三分。まずい。いつもより五分ほど遅れ気味だ。化粧に時間を使い過ぎたのだ。

 慌てて本棚から今日必要な教科書を引っ張りだし、バッグに突っ込む。逆に昨日受け取ったレジュメや教材はバッグから引きずり出した。バッグを引っ掴んで、急いで部屋を出る。どたばたと騒がしい音を立てながら階段を駆け下り、玄関へ。勢いよく玄関の扉を開け、門扉のそばに置いてある原付に近づき、鍵を差し込む。家の前の道路まで原付を引っ張ると、アクセルを絞る。

 原付は、いともたやすく走り出した。

 秋の風が心地よい。まだ十月入ってすぐのためか、風は涼しげながらも爽やかだった。きらきらと輝く朝の陽射しと高くなるばかりの青い空、そして肌に感じる優しい風が、私の心を高揚させる。

 原付の稼働音が、なぜだか嬉しそうな響きにきこえる。

 風を受けながら、平たい道を、平凡な住宅街の中を突っ走っていく。走り屋になったわけではないが、この疾走感がたまらなく好きだ。家々を、街並みを、景色を置いてけぼりにする感覚が、快いのだ。

 私たち一家の家は、駅からバスで三十分の距離に位置している。いわゆる郊外の新興住宅街にある家だ。かつては草木生い茂る山を切り開き、三十代の家族層を対象に売り出しを始めた町。父と母が家を買ったのは、私が小学生になる前、姉が小学二年生になるころだった。それから十五年以上もの時が過ぎ、新興住宅街の趣は薄れ、住民たちの高齢化がじわじわと迫りつつある町だ。立ち並ぶ家々も、人々も、若さを失い、色褪せていく。駅からの距離がバスで三十分という状況のためか、町全体がどこか閉鎖的に感ずることがある。

 小さいころはなんてことなかったが、大人に近づくにつれて、私は私の故郷が寂れていくのを強く感ずるようになった。私が小学生のころに美しかった近所の奥さんが老いて皺や白髪が目立つようになり、燃えるような目をしていたサラリーマンが哀愁と疲れを漂わせる中年男に様変わりしているのを見ると、胸が締め付けられる。あのころ記憶しているおじいさんやおばあさんは、もうこの世にいないのかもしれない。

 原付を飛ばし、景色を置いてけぼりにする感覚が好きなのは、もしかすると、生まれ育った町への感傷を捨て去りたい表れなのかもしれない。

 なんにせよ、駅からバスで三十分というのは、私にとって耐えられるものではない。だから私は、高校生のころから原付を愛用している。原付を使うと、駅まで十五分で辿り着ける。私の住むところが山なのか丘なのかわからないが、とにかく坂を駆け下り、ビルの隙間を抜けてゆく。毎月やけに高い駐車代を払うのが嫌なので、私は高校でお世話になった塾の駐輪場に原付を置いている。もちろん塾の先生には一切相談していないが、おそらく見逃されているのだろう。

 両足の間に挟んでいたバッグを掴み、歩き出す。駅前はどの時間帯でもいつも賑やかで、朝の時間帯は学生とサラリーマンの姿が溢れている。目の前を歩いていたサラリーマンが、平気で車道に飛び出し、向かいの歩道に移る。道路を渡るのに信号待ちで時間を取られたくないらしい。面白いのは、一人そういうせっかちな人間が現れると、周囲の歩行者たちも彼に続いて車道を飛び出していく。関西人らしいせっかちさだな、と私は思う。かくいう私も、車道に出て向かいの歩道に移りたかった。私だって時間が惜しいのだ。だが、腕時計を見る限り、七時三十八分発の特急電車には間に合いそうだから、大人しく信号待ちをして歩道を渡ろう。

 私がいつも利用するこの駅は、特急が停車する駅ということもあり、栄えている。駅の目の前には、巨大ショッピングモールと三十階はあるだろう高層マンションが建っている。ここから大阪の中心部までは、約四十分もあれば楽に到着できる。京都の四条や三条にも三十分ほどで出られる。利便性はすこぶるいい。駅や駅前の雰囲気も、なんとなく好きだ。大阪の繁華街に見られる雑然さや下町臭さがなく、かといって田舎のような侘しさもない。ほどほどに賑わっていて、ほどほどに穏やかな風景。死ぬまでこの街に住んでいたい。私は嘘偽りなくそう思っている。もっとも、駅から三十分も離れて暮らすのは御免だが。

 駅前の広場を歩いていると、サラリーマンが私の横を駆け抜けていく。涼しくなってきたのに、彼の額には汗が光っていた。その姿を見ていると、私も電車に間に合わなくなるのでは、と急に不安になる。歩調を速める。

 駅構内に吊り下げられている電光掲示板が、間もなく電車が到着すると告げている。私が乗る電車だった。

 焦って定期入れから定期を引っ張り出す。やや乱暴に定期を機械に滑り込ませた。改札を抜け、エスカレーターを駆け上る。

 ちょうど京都行の特急が、プラットホームに進入してきたところだった。時間に余裕があれば、私はいつもの定位置から電車に乗る予定だったが、いまは時間がない。人がぎゅうぎゅう詰めになった車両に仕方なく乗り込んだ。サラリーマンどもの巣窟だ。私の近くの男性たちは、煙草の匂いがしなかった。それだけでも幸運だった。煙草の匂いがする人間と密着せざるを得ない時の気分は最悪だからだ。

 背後に乗客たちの圧力を感じながら、私はドア窓から、外の景色を眺めた。私が利用する駅を出ると、景色はがらりと変わる。市街地の風景は、山林や田畑広がる風景に変わった。電車は京都府の南端に入っていったのだ。仁和寺の坊さんの話で有名な、石清水八幡宮のある男山が見えてくる。男山を通り過ぎると、次は宇治川と木津川が姿を現す。私の方向からは見えないが、桂川も近くを流れている。この三川が大阪との境目で合流して淀川になる。朝日に照らされた宇治川と木津川の川面は、はっとするほど美しかった。

 この窮屈さでは、音楽プレーヤーや携帯を取り出す気にもならなかった。なので、私は景色をぼうっと眺めることにした。いま見えているこの風景が、のどかなのか寂しいのか私にはわからない。広がる田畑に山林、点在する古い寺社や家屋、嫋やかに流れる三つの川。毎日毎日眺めているが、不思議な風景だとつくづく思う。大阪と京都という都会の境目に位置しながら、市街地から見放されたように、あるいは市街化を自ら拒み続けているように自然が残っている。人の気配がなく寂しいような気もするし、都会の窮屈さとは真逆の開放感がある気もする。

 流れゆく景色を見つめながら、私は別のことを考え始める。今日の予定だ。一限と二限に授業が入っていて、三限は空いている。はっきりと約束したわけではなかったが、その時間に友人の歩と佳奈とお昼を食べる予定だ。それから四限の授業に出れば、あとは授業を入れていない。その後所属するサークルにいくかはその時の気分次第だ。彼氏に会うのもいいだろう。

 電車は京都競馬場やごみ処理場を通り過ぎ、京都市街地に近づいていく。景色はまた変わる。京町屋も徐々に景色の中に紛れ込んでくる。景色は変わろうとも、私を扉に押しつけようとする圧力は変わらない。そして、息苦しかった。

 もう少し早くに家を出ればよかった、と私はいまさらながら後悔する。本来はあまり混雑しない女性専用車に乗るはずだったのに。化粧に時間をかけ過ぎたのが悪かった。踏み込んでいえば、機嫌の悪い状態で化粧をするべきでなかった。

 二十年も生きていれば、自分の性格がある程度わかってくる。私の場合、機嫌が悪くなると、そのあとの調子が狂ってしまう。今朝の一件が好例だ。姉の悪行に不機嫌となり、それにつられて化粧に時間がかかった。まったく、私もまだまだ人間ができていない。姉の行動を寛大に許容できるような人間になりたいものだ。だが、あの姉をどうやって許容できるのか。二十三歳にもなって定職に就かず、家に籠り、本や漫画を読み漁るあの姉を。もはや世捨て人のようではないか。それなのに、私の両親は姉に対してなにもいわない。私には、姉という存在も、そして姉を放任する両親の意図も理解できない、認めたくないという気持ちがある。面と向かっていったことは一度もないが、子どものころからそんな気持ちを抱き続けてきた。なにせ、姉は、社会の中では生きてもいない同然ではないか。その事実が、私には認められないし、認めたくない。人間は、この世に生れ落ちてから、いろんな人に支えられ、恩恵を受け、生きてきた。いろんな人の筆頭格はまさしく私たちの両親だ。その両親から受けた恩に報いるためにも、人は勉強して、仕事して、社会の中で生きていかねばならない。私はそう考えている。姉は、私の考えからすると、完全なる逸脱者だ。

 だから私は、姉を許容できない。

 たぶん私は、極端な考え方の持ち主なのだと思う。そして了見が狭いとも思う。もっと懐の広い人間になりたいが、いまはまだできていない。

 あれこれ思索していると、電車はもう京都市の中心部に入りかかっている。私の側にある窓からは、紅葉を待ちわびる東福寺が見え、おそらく反対側の窓からは、その巨大さで異様な存在感を放つ京都駅が見えるはずだ。

 間もなく電車は、地下へ潜り込み、五分もしないうちに四条や三条に到着する。

 私が降りる駅は、四条だ。四条からバスに乗り、大学まで向かう。バスは三十分から四十分はかかってしまう。私の通学時間は約一時間十五分。一時間を超える通学時間は、なかなかに辛い。時折、下宿をする大学生が羨ましく思える。

 祇園四条、祇園四条。祇園四条の次は、三条に停まります。

 電車内に、録音されたアナウンスが流れる。

 電車は駅に到着した。私の側の扉が開いた。三十分ほど続いた圧迫感から、ようやく解放される。地下駅特有のくすんだ空気を吸い込む。階段を昇り、改札を抜け、また階段を昇る。地上に出れば、無邪気に青い空が見える。そして、四条大橋と鴨川も見える。時刻は八時過ぎで、そこまで人通りも車も多くはない。

 私はバス停でバスを待つ。私の後ろには、私と同じ大学に通っていると思われる学生たちがずらずらと並ぶ。

 今日の授業は面白いだろうか。歩や佳奈とどんな話で盛り上がろうか。私はそんなことを考えながら、秋晴れの空を見上げた。


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