僕の実らなかった恋について語ろうか
◇
今夜も僕はパソコンの前で、作品を投稿するためにキーボードを操作していた。
「これで良し」
マウスを動かして『次話投稿[実行]』をクリックして、ホッと息を吐き出した。
この作業にも慣れたけど、投稿する時には緊張をする。
それからいつものように活動報告に投稿した事と、これで完結したことを書いた。
これも書いたら『記事を投稿する[実行]』をクリックする。
次はコメントにお返しして、感想に返事を書いて、メッセージにも返信。
どれも書くたびに三度は読み直してから載せていく。
全部に返信を終えると、小説投稿サイトからログアウトした。
◇
USBを差し込んでファイルを開く。中に入っているものはもうほとんど投稿済みだ。
残りは後二つ。
そのファイルを開かずに、僕はパソコンの隣に飾ってある写真に視線を向けた。
「琴葉。あと、二つになったよ。君との約束通りに毎日投稿しているよ」
写真の中で彼女は静かに微笑んでいた。
◇
僕が琴葉と会ったのは高校生の時。入学して同じクラスになったからだった。琴葉は最初からクラスの中で人目を引いていた。凄い美人なわけでも、可愛いわけでもない。
琴葉は頭がよく成績は常に上位に名前があった。そんな琴葉はクラスメートによく質問をされていた。それに丁寧に答えて、理解ができるまでつきあっていたりした。
そんな琴葉は、体育はいつも見学していた。小さい頃から体が弱くて運動は禁止されていると、女友達に話しているのを聞いた時には、そんなドラマの中のようなことがあるのだと思った。
それ以外はどこにでもいる普通の女の子だった。
だけど琴葉の持つ雰囲気が周りと違うと物語っていた。一見すると文学少女でお堅い感じのイメージだ。周りがキャッキャッとしているのを、混ざらないで温かい目で見ているような感じだった。バカにしているとかいうのではなくて、一歩引いて見守っている様に見えた。
なのに、意外とバカ話にも乗ってくる。そういう時に決まって、いたずらっ子みたいな表情をしていた。そのギャップにやられた男子が多数いた。
琴葉はクラスで人気があった。男共は知的美人の彼女の気を引こうといろいろしていたけど、成功したやつはいなかった。琴葉に告ったやつもいたけど、全員玉砕していた。そうなると恨みがましい視線が、いつも僕へと集まるのだ。
琴葉は基本、用がなければ自分から男子に話しかけることはない。そんな中での例外が僕だった。彼女と話すようになったきっかけは、出席番号の順番でたまたま琴葉の隣の席だったことに起因する。
高校生活2日目。朝、席に着いた琴葉は本を取り出して読みだした。本にはカバーが掛けられていて、何を読んでいるのかわからなかった。見るとはなしに見ていたら、偶然タイトルが見えた。
「あっ、それ」
僕の呟きに琴葉が僕のほうを見てきた。そこから本の話をよくするようになったのだ。琴葉が読む物は幅広く、古典文学からラノベまで様々なものを読んでいた。あの時琴葉が読んでいた本はラノベで僕も丁度読み終わったばかりだった。今まで本の話をできる友人がいなかったから、僕は琴葉と本の話ができることにとても喜んだのだ。
それに何の因果か席替えで琴葉と僕の席が離れることはなかったのも、話しをしやすい原因だったのだろう。
僕と琴葉の関係に変化が出たのは、高校2年の時。琴葉は文化祭で他校の男子にかなり強引にナンパされていた。それを体を張って庇った時に、自分の琴葉への思いを自覚した。それまでは他の男子から向けられる視線だけで、優越感を持っていたのだけど、他校の男子にまで目をつけられたことで僕の中に焦りが生まれたのだ。
怪我をした僕を手当てしてくれた琴葉に「好きだよ」と告白した時の琴葉の顔が忘れられない。一瞬嬉しそうに微笑みかけて、すぐにハッとした表情になり、視線を逸らして「ごめんなさい。気持ちはうれしいけど」と言ったのだ。
自惚れでなければ琴葉も僕に好意をもってくれているのだろう。じゃあ、何が琴葉に受け入れられないと思わせたのだろうか。
僕はそのあとも何事もなかったように琴葉に話しかけ続けた。琴葉はホッとしたように僕と本の話を楽しんでいた。あのことで僕と話せなくなるのを惜しむくらいには好かれているのだと、僕は確信した。
高校3年になって琴葉は学校を休む日が増えていた。その頃には僕の気持ちは周りにバレていて、大っぴらに琴葉を口説くことにした僕を応援してくれていた。
一日一度、朝の挨拶の後に「好きだよ」「つき合おうよ」「そろそろほだされてくれてもいいのに」と言い続ければ、周りも呆れから面白がるに変わり、頑なに断り続ける琴葉の態度をみて、僕への同情へと変わっていったのだ。
それにみんなも気がついていた。琴葉が何かを隠していることに。体育が出来ないくらいに体が弱いことに関係しているのだろうと思ったけど、誰も琴葉に聞けなかった。親友を自負している琴葉の友達でさえ、知らないことだった。
そんなみんなの応援は、僕による琴葉の家へのプリント届けやノートのコピー届けの役目だった。最初は僕のノートをコピーしたものを届けようとしたら、女子に怒られた。ミミズがのたくったような字で読めるわけがなかろうと。渡されたコピーは簡潔に纏められていて、こっそり僕もコピーして活用させてもらったのは内緒だけど、それを理由に休んでいる時はほぼ毎日会いに行けたのだ。
コピーを届けるのが10回を過ぎた頃、琴葉の母親からもう来ないで欲しいと言われた。琴葉がそう望んでいると。僕はそのまま帰されそうになるのを振り切って、琴葉の部屋の前に行ってもう一度告白をした。
「君のことが好きだから、ちゃんと君の口から拒絶をされない限り何度でも来るよ」
次の日、昼休みに担任から生徒指導室に呼び出された。てっきり琴葉の家からもう来るなと苦情が入ったと思ったら、告げられた言葉は違うものだった。
体調を崩した琴葉は入院したそうだ。そして頼まれたからと話してくれた琴葉の事情。琴葉は生まれた時から内臓の疾患を抱えていて、長くは生きられないと言われて育ったそうだ。なんとか騙し騙しここまできたけど、そろそろ体のほうが限界にきているらしい。例え退院できたとしても、もう学校に通うのは無理だろう。
ということだった。
そのあと僕は学校をさぼって琴葉が入院したという病院に駆け付けた。個室でいろいろな管に繋がった状態の琴葉に会った。
琴葉はまた頑なに僕が病院に通うことを拒んできた。僕は琴葉に言った。
「君は自分が先に死んでしまうと思っているようだけど、そんなことはわからないじゃないか。もしかしたら僕は病院からの帰りに事故で死んでしまうかもしれない。未来なんてそんな風に不確定なんだ。だから僕はしたいようにする。このまま君と会えなくなって、君がいなくなったことを後から知るくらいなら、嫌がられても毎日会いに来るほうがマシだ」
我ながら陳腐な台詞しか出て来なかったなと、今ならそう思う。だけどあの時は必死だった。琴葉に残された時間が少ないのなら、それまでの時間を一緒に過ごしたいと思っていた。
幼い恋心を昇華させたかったのかもしれない。けれど、何もかもあきらめたまま逝って欲しくなかった。
琴葉は僕の言葉に泣きだした。いつの間にか琴葉の母親は席を外していて、病室には二人だけだった。
「君は、バカだよ。好きな人に苦しい思いをさせたくなかったのに」
琴葉が泣きながら告白してくれて、僕は思いが通じ会った喜びに包まれた。そのあとしばらく、琴葉の胸の内を聞かされた。
曰く、本の話ができる人がいてうれしかった。
曰く、日直の仕事などをさり気なく手伝ってくれるのがうれしかった。
曰く、他校の男子から庇ってくれてうれしかった。
曰く、僕からの告白がうれしかった。
曰く、ノートのコピーを届けてくれて、会えるのがうれしかった。
曰く、僕に恋することが出来てうれしかったけど、同時にすごく苦しかった。
もう、残された時間の少ない私より健康な誰かを好きになって欲しかった。
でも、それを見るのは耐えられそうになかった。
と。
それから僕は毎日病院に通った。クラスのみんなには先生から琴葉が入院した事だけが伝えられた。
見舞いに行った琴葉の友達たちは詳しいことを知らされなかった。知っているのは僕だけ。このことに密かな優越感をまた持った。琴葉は僕にだけ弱音を吐いたのだから。友達には余計な心配を掛けたくないと言っていた。
秋になり奇跡的に琴葉は回復して、また学校に通えるようになった。琴葉の事情を考慮した特別措置で、出席日数や授業時間については山ほどの課題の提出ですむことになった。
琴葉が学校に通うようになり、僕達の間に変化が起きた。お互いを名前で呼び合うようになったことと、毎日、登下校を一緒にしていることだ。
クラスのみんなは僕達を祝福してくれた。
それからあっという間に半年が過ぎ、僕達は高校を卒業した。
僕は大学に進学したけど、琴葉は進学しなかった。
体調に不安を抱えてすることのない日々を過ごす琴葉は、だんだん鬱屈していった。些細なことで、僕にあたるようになっていた。気晴らしにと琴葉が読んだことがない本を届けても、好みじゃないと言われることも多々あった。
そんな時に本屋で見つけた本。それに書かれていたネット小説という言葉。琴葉のところに行って一緒に調べてみた。そうしたら、数多の作品が無料で読めることがわかった。
それから琴葉はネット小説の世界にはまっていった。会う度にこの作品がお勧めだの、このキーワードで検索したらこういう作品が見つかっただのと、楽しそうに話すのだ。琴葉が生き生きとしていて眩しいくらいだった。
そんなある日、いつものように琴葉に会いにいったら、琴葉に神妙な顔で迎えられた。琴葉の部屋にいき、パソコンの前に座らされた。琴葉が後ろからマウスを操作して開いたファイルには、琴葉が書いた小説があった。
僕にそれを読ませて、読み終わったら「どうかな」と訊いてきた。「投稿するの?」「うん。してみようと思うの」「いいんじゃないかな」
琴葉は僕の言葉に力を得たのか僕と場所を入れ替わると、その場で登録して投稿をした。
それから、琴葉は毎日小説を書き続けた。パソコンに向かうほとんどの時間を執筆に費やすようになった。
気付くと成人式は済み大学を卒業する歳になっていた。この間に琴葉は大きく体調を崩すことなく日々を過ごしていた。小説も順調に書き進めていて、今は連載を書いていた。それにかなりのストックが出来ていた。
琴葉の投稿にはルールが決められていた。1日1話。短編でも連載の続きでも1話だけと決めていた。それと、よっぽどでなければ予約投稿はしない。この二つ。
僕は大学の卒業が決まったら琴葉にプロポーズをしようと決めていた。だから、いつものように連れ出してデートを楽しんだ最後にプロポーズをした。
琴葉の返事はノーだった。
僕は言葉を尽くして琴葉に思いを伝えたけど、琴葉はイエスとは言ってくれなかった。
この4年。僕達は普通の恋人として過ごした。琴葉が抱えているものは大きかったけど、それに負けずに頑張る琴葉はきれいで眩しかった。
琴葉に普通の女性としての喜びを教えたくて、琴葉の両親に許可を貰い泊りがけで旅行にも行った。琴葉は騙されたと怒っていたけど、愛される喜びに涙した。
だから、琴葉の残り時間がどんなに短くても、妻になるという喜びを与えたかった。
そんな僕の思いをあざ笑うかのように琴葉の容体は一気に悪くなった。
入院して、日一日と痩せ細っていく琴葉の元に僕は通い続けた。それでも琴葉は病室にパソコンを持ち込んで創作活動を続けた。投稿は流石に出来ないから、USBにデータを移し僕が代理でした。コメントやメッセへの返信も僕がスマホで読み上げたものに、その場で書きUSBに入れたから、家に戻った僕が送っておいた。
琴葉が最後の時、僕にUSBを渡して言った。
「やくそく・・・」
「約束?」
「かわり・・・おねがい・・・」
「うん。わかったよ」
「いま・・ありが・・と・・」
◇
あれから2年。約束通りに僕は、毎日琴葉の変わりに投稿を続けてきた。コメントなどへの返信も、琴葉ならこう言っただろうと思いながら、言葉使いに注意して書いていった。
琴葉の葬式の日。高校のクラスメートは全員集まった。担任だった先生まで来てくれた。葬式の後に先生からみんなに琴葉の状態が説明された。女子はみんな泣きだした。「水臭い」と憤る声、「気付いてあげられなくてごめんね」と嘆く声、「琴葉~」と絶叫して泣きだす声。男子からは「よく頑張った」「お前えらいよ」と、僕へと声がかかった。
1年後、琴葉の一周忌にクラスメート全員と先生が揃ったことに、琴葉の両親はとても感謝していた。また、みんなで話しをして一年後にもまた会おうと、約束をして別れたのだ。
その日が3日後に迫っている。ちょうど琴葉の最後の作品を投稿した次の日だから、みんなに話すのもいいだろうと、パソコンを閉じた。
◇
翌日、いつものように作品を投稿しようとファイルを開いた。
僕は投稿前に、その日に投稿する分の作品を読んでいる。だから、いつものように読み始めた。
読み始めてすぐに、これは投稿用の作品じゃないことに気がついた。
それは僕へ宛てた手紙だった。
―・-
明光君へ
これを読んでいる時には私が死んで2年くらいが経った頃だと思います。
明光君、そろそろ気持ちは落ち着きましたか。
今更こんなことを聞かされて、明光君は困ってしまうかもしれないけど、私の正直な気持ちを伝えておくね。
明光君、私はあなたのことを愛しています。
ともに一生を過ごしたいと思うほど、大好きです。
でも、ごめんなさい。プロポーズを断ってしまって。
明光君が私のためにいろいろしてくれたことはうれしかったの。
でもね、私には何も返してあげれないから、だからせめてあなたの戸籍は綺麗なままでいて欲しかったの。
本当はあなたに私の変わりになる子供を残してあげられたら良かったのだけど、医者に相談してみたら難しいと言われてしまったのよ。
それに子供だけ残されるのも困るだろうし、最悪母子ともに駄目でしたとなると、心に傷を残しかねないとも言われたのね。
先生のいうとおりだと思い諦めました。
私ね、とっても幸せだったのよ。あなたと出会えたことが、本当に宝物だったの。
あなたに私の事を忘れて良い人を見つけてくださいと言うのは、私の我儘かしら。
私を幸せにしてくれたあなただから、あなたにも幸せになって欲しいのよ。
本当はね、忘れて欲しくはないのよ。
でも、忘れないとあなたは一歩前に進めないでしょ。
無理なら忘れた振りでいいわ。そして時々思い出すの。
ね! これならいいでしょ。
あなたが結婚して子供を持ってその子が大きくなったら、何時か私とのことを話してくれると嬉しいかな。
お父さんもこんな恋をしたんだぞって。
そうしたら、私はいつまでも生き続けることが出来るから。
なーんて勝手なことばかり言ってごめんね。
でも、本当に明光君の幸せを願っているからね。
琴葉
PS
次の作品は私とあなたの出会いと別れを書いたものなの。
投稿するかどうかは明光君の判断に任せるわ。
―・-
「琴葉~」
最後の作品を読んだ僕は溢れる涙を止めることが出来なかった。彼女目線のその話は当時のことを思い出されて、その時に彼女が何を思っていたのかが分かって・・・。
この日、僕は最後の作品を投稿することが出来なかった。
◇
『投稿[実行]』をクリックした僕は、活動報告を書き始めた。
まずはお知らせ。この作者は2年前に亡くなっていること。
次にお詫び。頼まれて代理で投稿及び返信を書かせてもらっていたことを。
それから、本人の希望で1年後にはこのアカウントを削除することを書いた。
『記事を投稿する[実行]』をクリックして、そのまま僕はログアウトした。
◇
琴葉の三回忌。約束通りクラスメイトが全員揃っていた。
法事が済んでみんなで食事をしていた時に突然その言葉が耳に飛び込んできた。
「琴葉の作品が凄いことになっているのよ」
その言葉を言ったのは、琴葉の親友だった。周りに琴葉が小説を書いていて、投稿していたことを話している。そして、僕のことをジッと見ながら言葉を続けた。
「昨日、琴葉の最後の作品がアップされて、それと共に活動報告に琴葉が亡くなっていることと、代理人が投稿を続けていたことと、1年後に削除するというお知らせが出てから、すごいことになっているんだから」
彼女が琴葉が小説を書いていたことを知っていたことに驚いたけど、彼女の言葉にも驚いてスマホを取り出してサイトにアクセスをした。
最後の活動報告にコメントがたくさん寄せられていた。作品にも感想が寄せられているようだ。
コメントを少し読んだだけでも、琴葉の死を悼むものや、アカウントを削除しないで欲しいと書かれているものがほとんどだった。
「ねえ、お願いだから削除しないでくれないかな。この作品たちは琴葉の子供達なんだよ。ここに作品がある限り琴葉は生き続けるんだからさ」
琴葉が生き続ける・・・。
そんなことを考えもしなかった俺は、気がつくと泣いていた。この作品たちが彼女の子供なら、読み続けられる限り彼女は生き続けるのだと。
回らない頭で俺は、ただ頷いたのだった。