1話
初めての投稿ですが、よろしくお願いします。
暑い。非常に暑い。いや、むしろ非情に暑い。
5、6年振りくらいに地元に帰ってきたが、こんなに暑かっただろうか。あるいはちょっとした旅行で、1週間くらい北海道に居たせいで北国仕様の身体になってしまったとでも言うのだろうか。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
俺は帰ってきた。山と海の交わる街、光戸市へ。
俺は中学を卒業するや否や、東京にある全寮制の高校に入学し、その後やはり東京の大学に入学した。しかし、金がなかったので、高校の時の先輩が開いた探偵事務所で、探偵助手の真似事みたいなことをして日銭を稼いでいる。
いかんせん金はないが、暇だけはまさしく腐るほどある、そんなわけで、その先輩、つまるところ春間夢子に渡された飛行機のチケットを使い、俺は久しぶりに帰郷したと言うわけだ。
思えば中学を卒業してからこの方、両親や妹とは、電話でしか会話していない。妹に至っては、当時小学2年生だった。果たして俺の顔を覚えているだろうか・・・
俺は駅を出ると、そのまま海側へ向けて、歩を進めた。実家に帰るのは明日になる、と両親には連絡してある。今日は久しぶりに光戸の街を堪能するのも悪くないだろう。
照りつける日差しを避けるべく、俺は屋根のある商店街に入る。センター街。屋根の下に入ったとはいえ、人でごった返しており、むしろ暑苦しい。無性に冷たい物が飲みたくなってきた。どこかに喫茶店でもないだろうか。
茹だるような暑さのもと、ぼんやり歩いていたが、路地の少し奥まったところに喫茶店を見つけた。ようやく一息つける。
俺は扉を開ける。コーヒーの香りが漂っている。カウンターには気難しそうなマスターが立っている。彼はぶっきらぼうにいらっしゃいませ、とだけ言うと、カップを磨く作業に戻った。
良い店だ。喫茶店らしい喫茶店だ。こう言うところはコーヒーも旨いんだろうな。だがこの暑いのに熱いコーヒーと言うのは願い下げだ。俺はアイスコーヒーを頼むと、テーブル席に座る。
一人でテーブル席を占領するのもなんだが、どうせ俺の他には客もいない。
お待たせしました、とマスターがアイスコーヒーを俺の目の前に置く。何の変哲もない、至って普通のアイスコーヒーだ。
こういうので良いんだよな。
最近流行りの某チェーンの喫茶店なんかは、メニューの名前がハイカラ過ぎて俺にはよくわからない。
シロップとミルクを入れて、さあ飲もうと言ったところで、カランカラン、と店の扉につけた鐘がなる。客だろうか。
こんな平日の昼下がりから喫茶店に来るとは、暇な人間もいるものだ、と思うがよく考えれば、俺も人のことは言えないな。
さて、その暇人の顔を拝んでやろうと、扉の方を見る。
何とも奇特な格好をした男だ。
いや、格好そのものはキまっている。まだ若く見えるが、スリーピースのスーツをここまで粋に着こなせるのは、中々いないだろう。頭にのせたハンチングも小気味良い。中性的な顔立ちもその出で立ちに上手く溶け込んでいる。
しかしあのスーツはどう見ても秋冬用だ。何らかのポリシーだろうか。それともイカれてるのか。
ふと、その男がこちらを見る。眼が合ってしまい、気まずくなり眼を逸らす。少し、まじまじと見つめすぎた。
トントン、と軽やかな足音を立てて男がこちらに近づいてくる。
因縁でもつけられるのだろうか。地元について、半日もしないうちにトラブルは願い下げたい。
彼が紳士であることを信じたい。俺は彼を無視する事を決め込み、コーヒーを飲む。
願いもむなしく、足音は俺の近くまで来て、ようやく止まった。
嫌みなほど磨きあげられた革靴をはいている。まるで黒い鏡だ。
「もしかして、菊水秀さんではないかな?」
存外高い声が俺の名前を呼ぶ。誰だ?マスターか?
マスターは相も変わらずカップを磨いている。違うようだ。
と言うかあの渋いマスターがこんな高い声だと、俺が嫌だ。
となると、俺に呼び掛けたのは、目の前の男しかいないわけだが・・・
「確かに私が菊水秀ですが・・・」
因縁?をつけてきた男の顔を見る。しかし、全く覚えがない。
「やっぱり菊水先輩だ。顎髭のせいで一瞬わからなかったよ。久しぶりだね。先輩。中学校卒業以来、音沙汰なしだから、てっきりどこかで野垂れ死んだのかと思ったよ。あ、ここの席いいかな?すいませーん僕もアイスコーヒー1つ」
捲し立てるように喋り、俺の目の前の席についた謎の男は楽しそうに笑う。
誰だ?
何とも失礼なやつだ。
「失礼ですが、どなたですか?誰かと間違っているのでは?」
俺がそう言うと男は蔑んだような顔をする。コロコロと表情の変わるやつだな。
「酷いね先輩。たかが5、6年で可愛い後輩の顔を忘れるなんて。ほら、山田中学で所属してたオカルト研究会の後輩の布引千夏だよ」
「確かに私は山田中学のオカルト研究会にいましたが、失礼ながらあなたのことは知りません」
本当に知らないのだから仕方ない。そもそもオカルト研究会は俺一人で活動してたはずだ。
布引千夏とやらは今度は悲しそうな顔をした。
「本当に僕の事を覚えてないのかい?いつも生意気なやつだっていってたじゃないか。二人して夜の学校に忍び込んでこっぴどく怒られたこととか、暇なときは一緒に怪談をあつめたりして、そう言うのも全部覚えてないの?」
「覚えてないと言うか、知らないと言うか・・・」
流石に、これでもかとばかりに寂しそうな顔をしている人間に、お前の事なんか知らん、と言い返すのは躊躇われる。どう声をかけるべきか迷っていると、男が口を開いた。
「少し、質問良いかな」
男は逡巡すると、こう切り出した。
「あなたは菊水秀、21歳で間違いないよね。」
「はい」
「中学時代は両親と妹との四人家族で、その当時猫を飼っていて、名前はウニ」
「・・・はい」
「昔から好奇心が強くて、オカルトなものが好きだったから、中学でオカルト研究会を立ち上げたけど、誰も入らなかったから、一年の時は部室で本を読むくらいしかする事がなかった」
「確かにその通りです」
初対面のはずなのに、どうしてここまで俺の事を知っている?オカルト研究会での活動内容なんか誰にもしたことがない。
「2年生になったら確か妹さんが倒れたね。大事にはならなかったけど、あの時の先輩はえらく落ち着かなかった」
そう言えばそんなこともあった。当時は色々なことが思い浮かんで何も手につかなかったと記憶している。
「それと先輩、確か冬のスキーキャンプで、初めてなのにすごく上手く滑れたってどや顔してた」
「どや顔してたかどうかは別ですが・・・」
確かにそんな会話をした覚えがある。だが、誰に?
思い出せない。
「ふむ、なるほど・・・当時の事は普通に覚えている。にもかかわらず、僕の事は覚えていない・・・じゃあ・・・」
目の前の男は思案顔で、顎に手を当てる。
少しの間迷っていたように見えたが、やがて口を開いた。
―じゃあ、二年生になってからのオカ研のこと、覚えているかい?
二年生になってからのオカ研?俺は・・・
俺は、何をしていた?
何も思い出せない。学校生活のなかでその部分の記憶だけ、霧がかかったように全てが曖昧になっている。
「どうにも・・・その部分だけ思い出せないみたいだね」
「申し訳ないですが・・・」
「となると、ただ単に先輩の記憶力に問題があった訳じゃないみたいだ。何らかのトラウマから思い出したくないのか、それとも他に理由が・・・?」
布引千夏はじっと考え込む。
「ま、いいや。」
「ええんかい!」
「お、先輩らしくなってきたね。さっきから敬語と標準語がどうにもむず痒くて。そのまま話してよ」
あれだけ悲しそうな顔をしていたのにも関わらず、布引はニコニコと笑う。本当に表情がよく変わる奴だな。
「その、大丈夫なのか?どうやら俺は君の事をすっかり覚えていない、と言うか知らないんだが・・・」
「ちょっと悲しかったけど僕の事忘れたんなら、また思い出させれば良いしね。それに僕とオカ研の事だけ忘れてるなんて、なんだかオカルトの香りがして、昔を思い出してわくわくする」
もし、本当に忘れてたとしたら俺は相当失礼なやつだが、気にする様子もなく、布引は微笑む。
「あー、とりあえず俺も敬語は苦手だからこのまま話す。関西弁については諦めてくれ。意識して標準語を使うようにしてきたんだ。もう標準語が体に染み付いている」
えー関西弁の方がいいのにー、と宣う布引を無視して俺は更に話続ける。
「布引さんだったか?さっきも言ったが、正直言って俺は君の事を知らない。だが、君は俺の事を知っていると言う。まあ、荒唐無稽な話だ。だが、話を聞いてる限り、俺の事を知っていると言うのも、あながち嘘ではない気がする。いや、嘘と切り捨てるには・・・そうだな・・・もったいない」
そこまで言うとついククッと笑みがこぼれる
「なんたって俺は好奇心旺盛で、面白そうな事にはつい、首を突っ込みたがる質なんだ」
俺の言葉を聞くと、布引は急に笑いだした。ひとしきり笑い声をあげ、マスターの視線が気になり出したところで、やっと落ち着き、話始める。
「昔僕が中学生の時にね、一言一句同じセリフを言ってたよ。初対面の僕にね」
―やっぱり先輩は先輩だね。
そう言って爽やかな笑みを浮かべる布引に俺は、危うく惹かれそうになった。
いかん、俺はノーマルのはずだ。
「と、ところで布引さん。君の話を裏付ける証拠みたいな物がとか、何かないか?」
「そうだねぇ・・・そう言えば昔一緒に撮った写真があるよ。心霊写真を撮ろう、とか言って。懐かしいなぁ」
昔を懐かしむ様子で言う。この態度を見るにやはり彼の言っている事は本当なのだろうか?
「その写真を見せて貰う事は出来るか?」
「いいよ。次の日曜とかどうだろう?」
「どうせ暇だ、それで良い」
昔からぶっきらぼうな所は変わらないね、と微笑む布引。
「場所は・・・結構量が多いから、僕の家で良いかな?」
「構わんが場所がわからないから案内を頼む」
いいよ、と頷く。
「じゃあ日曜日に、またここで会おう。案内するから・・・そう言えば気づいてないみたいだけど・・・」
―僕は女だよ
このセリフも2回目だね、と笑いながら彼、いや、彼女は喫茶店を出ていった。