第八章 学校の危険
これについては、書くべきか、書かざらるべきか
迷いました。
何も、かわらないとは思いますが、とりあえず、書いて
みることにしました。
この話は、私の見解です。
どう思われるかは、読んだ人にまかせます。
体罰とイジメについてです。
まず、私の時代は、先生に、そもそもさからう発想など
ありませんでした。
授業が始まれば、みんな静かにしてますし、寝てるやつが
いたら、出席簿で、軽くたたかれるぐらいでしょうか。
基本授業中は、静かでした。
今の学校です。
どこも、じゃない、みたいですけど、一部場所によっては
授業中にさわいでる、生徒がいるケースもあるみたいです。
昔なら、そういう場合は、廊下に立たせたりするんですが。
今は授業を、受けさせる権利を、奪ってはいけないらしく
て、机の所で立たせたりするそうです。
ここで、何が大事かと言いますと、「ともだちのつくりかた
おしえます」でもいってますが、人間心理が重要になります。
廊下に立たせる場合は、いろいろな効果が、あります。
まず、問題の対象を、目の前からなくすことで、怒りを
押さえる効果です、もちろん怒りは、授業を妨害された
他の生徒ものです。
そして、もう一つは、代償です。
悪いことを、したものは、罰を、受けると言うことで、他の生徒の
怒りを、抑えます。
私から、言わせれば、悪いことした人が権利を、主張する
こと自身が、おかしいんです。
悪いことを、したら、罰を、受ける、あたりまえのことです。
そして、それにリスクがともなうのも、同じです。
しかも、それは、納得できるもので、なくてはなりません。
考えてみれば、わかるんですが、悪いことして、警察に捕まった
とします。
軽い罪で、ただ、その間、時間の拘束されてたので、それで
アルバイトに行けなくなって、首になったって、文句言う
人はいないと思います。
逆に言えば、このリスクがあるからこそ、他のそれを見ている
ものも、それをするのは得策では、ないと悟効果があります。
逆です。
もしも、怒り矛先が、たいした罰も受けず、目の前に、いた場合
どうなるか。
当然怒りの矛先は、問題を、起こした人物に、集中します。
状況から見て、目には見えませんが、すさまじいストレスの
渦が、まきおこってるでしょう。
当然、授業をまともに聞ける状態で無いかもしれません。
それが、さらに怒りを、アップさせるかもしれません。
いいことなんて、何もないんです。
それは、問題を、おこしたもの、他の生徒みんなに、いえる
ことです。
又そんな異常な状態で、授業するなら先生もきついでしょうね。
軽くたたかれただけで、体罰って、大騒してるのを、見るたびに
思います。
ばか、ばっかって。
まあ冗談は、さておいて。
いきすぎの体罰は、問題かもしれませんが、ある程度の体罰は
必要です。
それは、問題を、おこしたものを、守ることにもなるんです。
携帯を取り上げられて、携帯で払ってる金払えって話が、ありますが
問題を、おこしたものが、リスクを、受けるのはあたりまえです。
それが主張できる、世の中がいかに狂ってるか、考えて欲しいものです。
義務教育が終わった瞬間に、何もかも変わります。
世の中あまくないですから。
それに、ついていけない、人間を、つくることが、どういう意味を
持つか、考え欲しいものです。
その代償として、犯罪が、増えてるかもしれません。
結局いいことなんて、ないんです。
誰も得しない、状況を、作って、何がしたいかわからないです。
普通に考えれば、悪いことしたやつが、いても、警察がつかまえても
対して罪にもならず、すぐに解放される。
この場合の悪いことは、殺しや盗みなどいろいろな場合です、特定の
ケースではありません。
こんな状況が続けばどうなるか、終わってます。
いろいろな意味で。
たた、私が思う学校は、これに、たいしてかわらないと、考えます。
以上です。