※揺れ動く心
あの人がホテルから出ていって、かれこれ二時間が経った。
食料を買いに行くと言っていたけど、一体いつになったら帰ってくるのだろう。
こっちはもうお腹ペコペコなのになあ……じゃなくて! 簡単に心を許してはダメだよ私!
あの人……名前なんて言ってたっけ? 確か『けー』って言ってたよね。
……話しかけてみる? い、いやいや話しかけた瞬間にきっとあんなことやこんなことをされるんだ。
絶対に心を許してはいけない。戒めね。
でも、ベッドを譲ってくれた時のあの人の優しい表情は裏がないように見えたんだよね。
もしかして、本当に私のことを心配して……。
私はふかふかのベッドに腰掛けて、腕を組んで黙って考えていた。
あの人の言う通り、一人じゃまだ暮らせないのは確かだ。だから、あの時はこの部屋に入ったけど、このままここにいていいのかな。
あの人が盗賊と同じ考えだとしたら、きっと私を奴隷として使うに決まってる。
盗賊の一味よりは頭が良いように思うけど、私は騙されないわ。
「ハァ……でも、どーしたらいいのかなー」
そんなことを考えていると、ドアが開け放たれた。
ゴクリとつばを飲み込む私は、ドアの向こうを見る。
あの人が帰ってきたのだ。
「いやー悪い。ちょっと遅くなった」
ちょっとじゃないよー。もうお腹すいたー……って何心の中で普通に会話してんのよ私は!
出来るだけ目を合わせないようにしなきゃ。もう、私は彼に心を奪われかけている。
「新居祝いにパーッと豪盛にいきたかったけどお金がなくてな。ただのパンだけど、食べてくれ」
そう言って、彼はパンを差し出した。
空腹は間違いないのだが、私は敢えて不機嫌な顔をしてパンを受け取った。
「あれ? その顔だとパンは好きじゃない……とか?」
やや困った顔をしている彼。私を食べ物で釣ろうとしたってそうはいかないのよ。
……パンは大好きだけどね。
私は食欲に押されてパンをそのまま頬張ろうとしたが、すんでのところで理性が止めた。
……もしかしたら、睡眠薬が混入しているかもしれない。
そう、私を眠らせていかがわしい行為をするのかもしれない。
……食べちゃダメ……これは睡眠薬が入ってるかもしれないのに……でもお腹すいた……食べ……。
……そうだ! ちょびっとずつちぎって食べればいいじゃない。私、頭が良いかも!
「食べないのか? ……いらないなら別のを買ってくるけどどうする?」
あっ! 食べるよ食べる! だから私からパンを取らないで!
彼は立ち上がって私からパンを取り上げようとする。でも、私はパンが大好きで食べたいわけで。
私はパンを手に持って、ちょっとだけ悲しい顔をした。
「……やっぱり好き……なのかい? 栗毛ちゃん」
コクッ。
私は頷いた。
すると彼は安心したような安堵をついて、再び地べたに座り込んでパンを食べ始めた。
って何で私の好みをあの人に教えちゃったのよ!
これから一緒に暮らすし、好みを教えておくのもいいかもだからね……いやいやそうじゃなくて。
うーん……空腹で考えがまとまらないよ。とりあえずこのパンを食べよう。
それから、私はちぎっては中身を確認し、食べて幸福になるのを繰り返してパンを全て食らったのだった。
夜が更ける。男の人が狼になる時間帯でもある。
もちろん、彼も例外じゃない。だから私は彼が完全に眠るまで起きさせてもらうわ。
「じゃあおやすみ。あ、一緒にいたから分かると思うけど、明日俺はすぐにギルドに行くから」
それは一緒に聞いてたよ。あの感じ悪そうな女の人が印象的だったもの。
ハァ……何か心の中では普通の会話になっちゃってるなあ。心を許しちゃったら最後なのに。
とりあえず、彼が眠りこけるまでベッドに座ってよう。ベッドに寝っ転がったら眠っちゃいそうだし。
その後何時間が経過したのだろう。いつの間にか、彼が寝ている方向から寝息がしてきたのだ。
「やっと眠った。これで私も眠れるよー……」
ふーっとため息をついて、布団に潜り込む。
そして、目を閉じて呼吸に集中したんだけど……眠れない。
こんなに柔らかい布団なんて久しぶり。今まで固い地面で寝てたからそれが普通になっちゃった。
変にドキドキしてるのもあるのかもしれない。
……だから、眠れない。
「むぅ……」
ベッドから起き上がって、私は大きく背伸びする。
こうして少し運動すれば眠れるようになるかな?
「……こんなに静かな夜も久しぶりだなー」
誰に言うわけでもなく、独り言を呟く。
この前までは喋ることすら許されなかった。あの盗賊団は最悪だった。
旅団を守るために私が犠牲になったのは良いけど、盗賊団は私という名の報酬を好き勝手に遊び始めた。
……だから、あの時彼が助けに来た時は嬉しかった。
私を奴隷としてこき使ってた盗賊団を剣で切り刻んでいく姿はカッコ良かった。
人質にされた時はどうしようかと思ってたけど、あの人は私を助けてくれた……。
「違うのかな。あの盗賊団とは……」
私は久しぶりの平穏を噛み締めながら、眠たくなるのを待った。
だけど、その時は永遠にやって来なかったのだ。
「結局朝まで眠れなかった……ハァ……」
朝日が差し込んで気持ちのいい温度へと上がっていく。
そう言えば、今日は彼がギルドへと行く日なんだっけ。
登録とギルドの先輩に会いに行くんだったよね。
……今の時間がいつか分からないけど、遅刻してないよね?
「ちょっとだけお礼……しよっかな」