出発の準備
朝早いのが幸いしたのか、ギルド商会はまだ人がまばらだった。
それもそうか。こんなに朝っぱらから仕事をしたい人間もそうはいないだろう。
俺たち三人はテーブルを取り囲んだ椅子にそれぞれ座り、アリーが持ってきた本を広げた。
「さて、どの素材を取ってくるかだが……」
「素材ってもいっぱいあるしねえ。アリーちゃんは何が作りたいの?」
「えーっとね……」
アリーは本をペラペラとめくって、自分が作りたい装飾品を選んでいく。
だが、彼女も何も考えずに選んでいるわけではないだろう。
ページの端に折り目がついているものは全て可愛らしい装飾品だったが、彼女はそれに目もくれない。恐らく、作りたいけど素材が多すぎるのだ。
こんな時まで俺のことを気遣ってくれるアリーに、優しい女の子だと思った。そして、こんな女の子を奴隷として扱っていた今は亡き盗賊団に怒りを覚える。
あいつら、どれだけアリーに酷いことをしてきやがったんだ……。
こんな子が、あそこまで心を開かなかった理由を聞く必要はない。トラウマをえぐってまた笑顔が消えてしまうよりは、彼女の仕草からその過去を読み取った方が断然良い。
ページをひたすらめくっていたアリーは、あるところでめくる手を止めた。
そして、今日作りたい装飾品を指差した。
「これ作りたいな。良いかな?」
「えーっとどれどれ……」
サマリがそのページを覗き込む。そして、何故か彼女の口からこんな言葉が飛び出した。
「よし、いいよ。私が許可する!」
「って何でお前が許可するんだよ!」
「別にいいじゃんー。後輩くんだってアリーちゃんが作りたい物を否定する気はないんでしょう?」
「それはそうだけどよ」
こうしていられない。俺もアリーが開いたページを見る。
装飾品はいたってシンプルなものだった。名前はサーカペンダントというらしい。
鈍く光った赤色の石を中央に、周囲は木材を丸く切ったものではめ込んでいる。
絵と名前で紹介されている素材はたったの二つ。
これなら今日中に集まりそうだな。
俺とサマリの雰囲気を読み取ったのか、アリーは素材を指差して語り始めた。
「あのね、私が旅団にいた時のことなんだけど……この素材は両方とも近くで発見できることが多いんだって! だから簡単に手に入ると思うんだ!」
「ああ、確かに」
「えーっと場所はね……確か『ランヴァ』ってところだった!」
「分かったわアリーちゃん。んじゃ、その場所で受注できるものがあるかどうか探してきてあげるよ。待っててね二人とも」
言うが早いか、サマリは椅子から立ち上がって依頼を探しにいった。
こういう所は少し先輩らしいけど、戦闘があれじゃあなあ……。
しばらくはアリーと待つことになりそうだ。俺がそんなことを思ったその時、意外な来客が現れた。ヴィクターだった。
「よう。こんな早くから仕事熱心だねぇ」
「ヴィクターじゃないか。こっちはちょっとした冒険だよ。お前こそどうしたんだよ?」
いつものヴィクターとは違う服装だ。普段は戦闘には不向きのスーツ調の服を着こなしている彼が、今日に限っては騎士が着そうな鎧に包まれていたのだ。まるで、これから戦いに行くみたいな……。
あれ? でも待てよ。確かヴィクターの仕事はユリナ隊長の命令で村で優秀な人材を発掘するんじゃなかったのか?
そんな俺の疑問を顔で読み取ったのか、彼は今までサマリが腰掛けていた椅子に座って話を始めた。
「まあ待て。俺にも戦う時だってあるさ。戦闘能力は皆無に等しいがな」
「そんな格好してるのにか?」
「偉い人間は常に強いわけじゃないだろう? 頭が良かったり、ズルいことでのさばってきたり、必死に上に媚びたり……様々だ」
「じゃ、お前は何に該当するんだ?」
「俺か? 俺は……他の人よりちょっとだけ狡猾だった。そんなところか」
「そうかよ……」
「それより、今日は奴隷ちゃんと一緒にいるんだな」
奴隷ちゃん。その呼び方を聞いたアリーは他人が見ても分かるくらいふてくされた。
ヴィクターを睨みつけて、怒りの感情をぶつけているが、当の本人はそれを軽くあしらってしまっている。
「お? ちょっとは感情表現を出すようになったのか。一歩前進だなこりゃ」
「それどころじゃないぞヴィクター。この子の名前だって聞けたんだ」
「そりゃマジか?」
「アリーって言うんだ、彼女。ほら、アリー。一応ここまで運んできてくれたんだからお礼を」
「……ありがと」
「何だ。一歩どころか百歩前進かよ。それにちゃんと名前があるなら俺もそれに従うさ。よろしくなアリー」
「……フン」
何かが気に入らないのか、アリーはヴィクターにそっぽを向く。
「あらら。嫌われちゃったか」
「奴隷なんて言うからだぞ、ヴィクター」
「ま、俺は本当のことを言っただけなんだがな。まあいい。それよりケイ。今日はどこに行くんだ?」
「え? ああ。それなら今決めてもらってる」
「決めてもらってる? お前の他に誰かいるのか?」
「頼りない先輩がね……」
噂をすれば影。サマリが依頼を受け付けてこちらに帰ってきていた。
そして、彼女は帰ってきて早々叫び声を上げたのだった。
「な、何だお前はー!!」
「おぅ、大きい声だこと……」
「も……もしかして私の先輩ポジションを奪いにやってきた刺客!? だったら魔法で対処――」
「おーっと。ギルド商会での暴力行為は禁止だぞ」
「え? そんな決まりあったっけ?」
「今俺が作った。それくらい俺は偉いんだ。敬え」
「ウソ!? そんな人が後輩くんの先輩になるなんて……私の立場がないじゃん! ないじゃん!!」
「今二回言ったのは意味があるのかい?」
「くっ……! そんな変なところをツッコまないで欲しいんだけどなあ……!」
ヴィクターの口にサマリも敵わないようだ。
冗談だよ。そうヴィクターは言って椅子をサマリに受け渡す。
色々な文句を言っているサマリだが、彼女は渋々椅子に座った。
「ねえ後輩くん。彼は誰?」
「ヴィクターって言って、俺とアリーをこの国に運んできてくれた人だ。偉いのは本当らしいけどな……」
「へー、本当に偉いんだ」
素直に感心しているサマリにヴィクターは更に付け足していく。
「ユリナ隊長の右腕のような存在だと思ってていいぞ」
「ウソ……!? そこまで偉いの!?」
「俺の顔がウソを言っているような顔に見えるかい? 頼りない先輩さん」
「い……言ってない……と思うけど」
「でも、私を助けてくれなかった」
「え? アリーちゃん? どしたの?」
「確かに偉いかもしれないけど、私を助けてくれなかったなら偉くない。けーくんの方が、偉い」
「フッ……健全な子どもの理屈で安心したよ。少しは茶目っ気があるんだなアリーも」
アリーが怒っている姿を見て涼しい顔で言い放つヴィクター。コイツ、自ら憎まれ役を買ってるのか? でも、何のために?
まるで、アリーの感情を試しているように見える。いやそれだけじゃない。今までも誰かの感情を常に試しているかのような話し方だった。これが彼のコミュニケーションなのだろうか。
ヴィクターはサマリが持ってきていた依頼の内容を流し読みし、それから俺に視線を合わせた。
「ほう『ランヴァ』か。あそこはモンスターも少ないからな。ピクニックには最適な場所だろう」
「別にピクニックに行くわけじゃないんだけどな」
「だが気をつけた方がいい。あそこは断崖絶壁も多いからな。せいぜい崖から落ちて死ぬなんてないようにな」
「ご忠告ありがとうよ。じゃ、俺たちはもう行くから」
「ああ。達者でな」
ヴィクターはその言葉で俺たちに別れを告げ、どこかへと去っていってしまった。
あいつがどこに行ったのかが気にならないわけじゃなかったけど、今はアリーと一緒に素材を集めるのが先だ。
そう言えば、まだ俺はサマリが持ってきた依頼を詳しく見てなかったな。今のうちにサッと見てしまうか。
「で、どんなものを取ってきたんだ? ……コボルト五体の討伐か」
「楽勝でしょ? 私たち二人なら」
正直言って俺だけでも楽勝だが、そこまでサマリの自信を貶す意味もないので黙って笑っておくことにする。
よし、準備が出来たのなら出発しよう。さっさとコボルトを狩って、それからアリーと一緒に素材を集めようじゃないか。
「よし、行くぞ!」
「はーい!」
「今日こそ後輩くんに私のカッコイイところを見せてあげるんだから」
それについては期待しないでおく……。




