※伝えたい。私の本当の名前
「栗毛ちゃーん……後輩くん帰ってこないねぇ」
本日晴天。だけど、私の心は曇り気味。
昨日をサマリお姉ちゃんと過ごした私だけど、今はけーくんと一緒に住んでいるホテルに戻っている。
何故かサマリお姉ちゃんも付いてきているんだけど、お姉ちゃんは仕事はないのかな。
まあ、けーくんのお目付け役だったのにその彼がいないからギルドに顔を出せないのかもしれないけど。
お姉ちゃんは退屈なのか、しきりに私に声を掛けてきている。本当は応えたいけど、口を開くのはけーくんが最初って私が決めたから黙っている。
実質独り言になってしまっているけど、お姉ちゃんはベッドにゴロゴロ転がって唸り声を出していた。
「うーん……栗毛ちゃんー暇だよー」
私に言われても。ギルドの仕事に行ったらどうかな。
だけど、お姉ちゃんはずーっとお喋りをしている。
「ねえ栗毛ちゃん。……お喋りは嫌い?」
お姉ちゃんは私が口を開くように誘導してくる。そうはいかないよ。けーくんが帰ってくるまで我慢してて。
……もうここまで来たら覚悟を決めるしかない。今度けーくんに会ったら意を決して声を出してみよう。
ギルドの仕事が忙しいからって私を放っておくような人だけど悪い人じゃない。その証拠に遅くなるかもしれないって内容の置き手紙もあったし、いくらかのお金も残してくれていたから。
でも、もし面と向かって話そうとしたら緊張するかもしれない。これまで沈黙を保っていた私だから、いざ喋るとなると変なところまでに気を使いそうだよ。
声、変じゃないかなとか。思っていたよりも残念な声かなとか。けーくんなら気にしないだろう悩みがぐるぐると脳内を駆け巡る。
「……さっきから見てるけど、その本、気に入ったんだ」
お姉ちゃんが愚痴をこぼしている間、私はずっとお姉ちゃんから貰った本に目を通していた。
お姉ちゃんじゃ失敗した装飾品の作り方。多分、私なら作れるはず。
後は素材をどうやって集めるかだけど、それはとりあえず置いておいて。
とにかく、今はこの本の内容を頭に叩き込まないと。
私は彼女と意思疎通は出来ているということを知らせるために、コクリと頷いた。
「良かった。やっぱり私が持っているより栗毛ちゃんの方が有効活用できそう」
寝っ転がっていたベッドに今度は腰掛けたサマリお姉ちゃんは、優しそうな笑みで私の様子を眺めている。
うーん……そんなに見つめられてたら集中できないよ。人の目が凄く気になってしまうのは、奴隷として盗賊団にいたからかもしれない。あの時の私は常に好奇の目に晒されていたから。
「それにしても、後輩くんは一体どこをほっつき歩いているのやら。よりによって先輩の私を置いて……」
サマリお姉ちゃんは自分の言葉で勝手に傷ついて落ち込んでしまう。
お姉ちゃんの様子は数秒ごとに変るから傍目で見ててちょっと面白い。だけど、ちょっとうるさい。
この暴走を止められるのはけーくんしかいないだろう。
そんなことを思っていると、階段を上がってくる音が聞こえてきたのだ。
一段一段急ぎ足で掛けてきたその人物は私とサマリお姉ちゃんのいる部屋で立ち止まった。
そして、乱暴にドアを開け放ったのだった。
「ごめん栗毛ちゃん! 遅くなった!!」
「ホントに遅いよ後輩くん! 一体何をやってたのさ!!」
「……どうしてサマリがここにいるんだよ」
「いやあ、栗毛ちゃんがどうしてもって言われて仕方なくねー」
違うよ。私はけーくんに向かって首を横に振る。
「違うって言ってるぞ」
「栗毛ちゃん! 私を裏切ると言うの!? 一緒にお風呂に入った仲じゃない!」
「風呂? 二人も入れるほど大きいか?」
「チッチッチッ。実は昨日は私の家に招待したのです!」
「へえー。あ、そうだ。後でサマリの家教えてくれよ。これからも栗毛ちゃんがお世話になるかもしれないから」
「あれ? 教えてなかったっけ?」
「初耳だけど」
「う、ウソを言っちゃいけないよ後輩くん! ははーん、さてはこの場を和ますギャグっすね?」
知らず知らずのうちに冷や汗をかいていくサマリお姉ちゃん。
あーあ……やっぱり教えてなかったんだ。まあ、お姉ちゃんらしいけどね。
「お前……もしや俺に教えてるから大丈夫って騙して栗毛ちゃんを家に迎えたな?」
「ギグっ! ど、どうしてそれを! ハッ! もしかして心を読むスキルが……!!」
「ないよそんなの。あったらどれだけ楽か……」
そう言ってけーくんは私の方を見た。
ちょっとだけ恥ずかしい。思わず私は目を伏せる。
……って何をやってるのよ私は。早くけーくんに向かって喋らないと!
でも、何故か私の声はけーくんに向かって音を発してくれない。どうして? 何で?
一人の時はちゃんと声が出るのに……。
……トラウマ、なのかな。盗賊団にいた時の。
喋るのがこんなに怖くなっていたなんて思わなかった。私は情けない女の子なのかな。
けーくんとサマリお姉ちゃんが言い合っている間、私はずっと唇を噛みしめることしかできなかった。
悔しいよ。これから仲良くなりたいのに喋ることができないなんて。このままじゃあ、けーくんは私を見限って……。
その時、私の中で闇が生まれ始める。言い知れない不安が頭をもたげ、心は出口のない迷路へと迷いこんでいく。
「……ったく。今日はサマリと口論するために急いだんじゃないんだぞ」
「へっ? どういうこと?」
「俺は栗毛ちゃんに用があるんだよ。そこどけ」
「むー、しょうがないなー」
サマリお姉ちゃんは頬を膨らませながらもけーくんと位置を変わった。
私の隣に今、けーくんがいる。だけど、声が出ない。
そんな私に、けーくんは一つの紙袋を差し出してくれた。
「はい。プレゼント。色々と遅れたけど、仲良しの印みたいなものだと思ってくれ」
「……?」
紙袋は軽く、中に何が入っているのか分からない。
パン? ううん。それならこんなに小さい紙袋じゃないもん。
紙袋を見て困惑している私に、けーくんはちょっと勘違いをしたようだった。
「……あー、やっぱり服とかの方が良かったか? それならごめんな。俺、そういうのに疎くてさ」
「服なら私が選んであげようか? てか何を買ったの?」
「それは開けてからのお楽しみってやつだ」
「ふーん……」
サマリお姉ちゃんも紙袋に興味を持っている。ここで開けた方がいいよね。
私は二人の眼差しに緊張しながら、紙袋の中を覗いた。
……これってヘアピン?
それは、お花の装飾品が付いたヘアピンだった。二つで一セットだったのか、中には二つ入っている。
このお花って……なんだろう。青紫のお花。五枚の花びらが円を描くように広がっている。
素朴だけど、美しいと思った。私にはもったいないくらいに。
私の知らない間に目を輝かせていたのに気がついたのか、けーくんはホッと胸を撫で下ろしていた。
「とりあえず気に入ってくれてよかった……」
「へー、やるじゃん後輩くん。よし、私が栗毛ちゃんに付けてあげるよ! こっち向いて」
ヘアピン。聞いたことはあるけど付けたことがない。
だから、私はサマリお姉ちゃんの言うがままに彼女に顔を向けた。
サマリお姉ちゃんの手つきは手慣れていた。私からヘアピンを受け取ると私の前髪をまとめてすぐにヘアピンを入れてくれた。
「よし、こんなもんかな。やっぱり前髪に付けた方が目立つからこっちにしたけどいいよね?」
「え? あ、ああ。俺はいいと思うけど……」
「ほら栗毛ちゃん。窓を見てみて。きっとびっくりするよー」
私の肩に触れたサマリお姉ちゃんは、私を窓に誘導する。
たかがヘアピンでここまで変わるだろうか。目の前には私じゃない私がいた。
いや、正確には雰囲気が変わった私だろうか。衣服はボロボロだけど、栗毛の髪と非常に相性のいい青紫のヘアピンで飾った魅力的な女の子がそこにいた。
けーくん……ただ可哀想だからって助けた私にどうしてここまで?
しかも、すごく似合ってるよ……。嬉しいけど……。
何故だろう。私の目頭が熱くなってくる。それから、肩を震えさせて泣いてしまった。
「あっ! 後輩くんが栗毛ちゃんを泣かした!」
「え!? な、何か気に入らないことがあったか!?」
「いやーこれは違うね。感動の涙だよ。……ってか、どうしてこの娘にそんなに入れ込んでるの? 途中で出会った盗賊団の奴隷なんじゃなかったっけ?」
「……何かな、彼女が奴隷として盗賊団にいた姿を見た時思ったんだ。この子には幸せになってほしいってさ。そりゃ奴隷は他にもいるけど……」
「まあ、奴隷で幸せになるって話はあまり聞かないからね……。幸せだって話も、ちゃんと奴隷に対する権利を保証しているところだと聞くし……」
「今日のプレゼントは栗毛ちゃんに元気になってほしいって思ったから。彼女に合うのは何かなって考えて選んだんだ」
……バカ。けーくんのバカ。
まだ私は何も喋ってないんだよ。無口で、助けてもらったけーくんに対して失礼なことばかりしてるのに。それに、私が性格の悪い女の子だったらけーくんを殺してお金を奪って逃げちゃうかもしれないんだよ?
どうしてこんなに優しくしてくれるの……。
……私も応えたい。プレゼントしてくれたけーくんに。寂しくならないように一緒にいてくれたサマリお姉ちゃんに。
だからもう怖くないよね、私。
「……とう」
「え?」
もうちょっと大きな声で。頑張れ。
「ありがとう」
私は後ろを振り返ってけーくんとサマリお姉ちゃんを見て、思いっきり元気な笑顔で笑いかけた。
けーくんとサマリお姉ちゃんが固まっている。も、もしかして私何か間違ったことしちゃったかな……?
「喋った……よね?」
「あ……ああ。サマリも聞こえたってことは今、確かに栗毛ちゃんが喋ったってことか」
「……やったよ後輩くん! 栗毛ちゃんが心を開いてくれたんだよ!!」
「お、おお! そーだな!! 遂に栗毛ちゃんが俺たちに話しかけてくれたんだ!! よっしゃあ!!」
まるで我が娘のように、けーくんとサマリお姉ちゃんが手を取り合って喜び合っている。
もう……喜び過ぎだよ。すごく恥ずかしいよ。
後、伝えなきゃいけないことがもう一つ。今のも気に入ってるんだけど。
「あ……あのね。けーくん、サマリお姉ちゃん」
「何だ?」
「……私の名前、アリーって言うんだ。あの、だから、よろしくね」
「そっか。やっと自分の名前を言ってくれたんだな。ありがとう、アリー」
「うん……」
「じゃあ改めて自己紹介。俺はケイ。そしてこっちの頼りない先輩は――」
「サマリでーす! 改めてよろしくねアリーちゃん!」
「……ん。よろしくサマリお姉ちゃん」
「いやーアリーちゃんが心の中でちゃんとお姉ちゃんって呼んでてくれて良かったよー。まさかアリーちゃんも私のことを呼び捨てにしてるんじゃないかって実際不安になってて……。あ、ってか後輩くん! さっきの『頼りない先輩』とは何よ!」
「だって本当のことだろ。満足に魔法も使えないのに……」
「それはしょうがない。認めるわ。でもね、それを差し引いても『頼りない先輩』は止めてほしいんだよね!」
「いや、それを差し引いちゃったら何も残らないんじゃ……」
「何をー!」
さっきと同じやり取りだ。けど、今からはちょっと違う。私も会話の中に入れる。
こんなに嬉しいのは始めて。今まで私は何を怖がっていたのだろう。
けーくんもサマリお姉ちゃんも優しい人なのに。
明日から新しい日常が始まる。私の、本当のスタートがここから始まるんだ。
そして、この装飾品の本で学んで、いつかはけーくんの役に立てるようにするんだ。心を開いたのなら、もう迷わない。私はけーくんのために頑張る。
でも、これからはもうちょっと素直になろう。私は仲良く喧嘩しているけーくんとサマリお姉ちゃんを見ながらそう思ったのでした。




