託される未来
リーダーと共に国を巡る旅。歩いていくには距離が遠いため、俺達は小さな馬車を使用して巡っている。
大半のモンスターが悪さをしなくなってから、この世界の治安は日に日に良くなっていっている。残っているのは盗賊かならず者くらいだろう。後は、野良モンスターくらいか。
だから、馬車で移動することもそれほど危険じゃなくなっている。いつか、全ての人が安全に各国を回れる日が来るのだろうか。それは俺たちの働きに掛かっているかもしれないが……。
この数日で三つの国で報告することができた。この数字が多いのか少ないのかは分からないが、まあ、少しずつ進歩していっていることは確かだ。
国に着き王様に魔王が倒れたことを報告し、その国で食材を買い込み次の国へ向かう。
このサイクルも慣れたもので、今では半ば自動的にこなすことができている。
「リーダー。この次はどこですか?」
「えーっと……」
ステル国より持ち出した地図を広げ、リーダーは自分たちの位置と照らし合わせて指で目的地を追っていく。
「『トシナ』という国です。ここからなら、すぐに着きますけど……今日中には無理そうかもです」
「そうですか」
色々な国を巡っていると、その国ごとの特色が色々と目に入る。
ステル国では不揃いな建築物が羅列している景色的には面白い光景だったけど、他の国は建築物が統一されていたりする。
また、住んでいる『人』の印象もそれぞれで違う。温厚そうだったり、自分勝手のようだったり……。
どこの国もそこに人が住んでいて、その国独自の空気がある。同じ世界に住んでいるのに、少し離れただけでこんなにも違うものなのかと考えさせられた。
野営地として、大木の下に馬車を止めて荷物を広げる。
本日中の目的地への到達は無理だと判断したリーダーの考えによるものだ。
いつしか夕日が姿を表し、地表を橙色に染め上げていく。
早めに野営の準備をしなければならないのは、完全に夜になってしまうと準備がしにくくなってしまうからだ。
まあ、当たり前と言えばそうなんだけど、やっぱり暗がりで作業するのは良くない。
たき火を作り上げ、寝床も確保したころには夕日は地面と接した状態で、空は夜が支配し始めていた。
暗くなる前には間に合ったか。まあ、これも何度も野営した結果、手が慣れてきたということもあるだろうが。
本日の夕食を取った後、俺とリーダーはたき火に向かい合って座っていた。
リーダーはぼーっとしながら、たき火で不規則に揺れ動く炎を見つめていた。
その瞳はずっと遠くを見つめているようにも思える。
……丁度いい。リーダーに色々聞いてみることにしようか。
アリーも疑問に思っていたこと。俺から聞いてみよう。
「リーダー……。ちょっと聞きたいことが」
「……え? な、何でしょう?」
話しかけられたことにびっくりしたのか、彼女は体をびくつかせて俺の方へ視線を移した。
「リーダーの名前……聞いてなかったなと思いまして」
「私の……名前?」
「ええ。今まで、俺たちは『リーダー』という役職でしか、あなたを認識していなかった。それは何の疑問も持たなかったんですけど……ある日、アリーが言ったんです」
「名前を知らないなんておかしいって?」
「はい。そのことを聞いたら、俺も何だか知りたくなって」
「そう……ですか」
何故か、リーダーは伏し目がちになって元気を無くす。
名前を知られるのがそんなに嫌だったりするのか? 彼女の名前に何か意味があるというのか。
そして、俺たちはどうして今まで彼女の名前を聞かなかったのか。単純な話、誰かを認識するには名前が必要だ。それを、今まで俺たちは『リーダー』の時だけ失念していた。
俯いていたリーダーは苦笑しながら俺に応えてくれる。
「……な、名前なんてどうでもいいじゃないですか! それより、もっと楽しい話しません?」
「どうでもよくなんてないですよ。だって、今まで一緒に戦ってきたじゃないですか。それなのに名前すら知らないだなんて……」
「本当に、私の名前を知りたいですか?」
「え?」
「知ってしまえば……もう後戻りはできなくなる」
「リーダー……?」
「今までの平和は終わり、混沌の世界が始まるであろう……」
おどろおどろしい口調で話を続けているリーダー。
しかし、これは俺にも分かる。
「……はぐらかしても無駄ですよ」
「たはは……バレました?」
「もったいぶってないで教えてくださいよ。俺たちは……少なくとも俺は、リーダーのこと信じてるんですから」
「……そうですよね。すいません、分かりました。私の名前教えます」
名前を教えるということにここまで時間をかける必要があるとは思えないが、まあ、リーダーのことだ。
彼女は大きく息を吸って、それから自分の名前を口にした。
「……リーベル、です。私の名前は」
「リーベル……ですか?」
「そ、その疑問は何ですか?」
「いや、てっきりどこかの国のお姫様だったとか、有名な偉人の孫とか何とか無意識に思ってたんですけど……」
「私はお姫様でも、偉人の孫でもありません。私は私ですっ」
「いや、それなら今まで隠す必要ありましたか?」
「ありましたっ!」
「何で?」
「それはっ……そのぉ……」
しどろもどろになって両手の指をこねくり回すリーベル。
彼女の気持ちは、やっぱりいつまで経っても読めないなあ。
とにかく、彼女の名前は分かった。今日はそれだけでもいい。
「け、経緯がどうであろうと、今は隠すことができなくなってしまったんです。だからもう、ケイさんに教えました」
「そうですか……よく分からないですけど、分かったことにしておきます」
まあ、あまり詮索するのも良くないしな。
リーベルはこの雰囲気から逃れたいのか、体を横にして俺から目を逸らす。多分、もう寝るということだろう。
本当はもう一つ聞きたいことがあったんだが……。
魔王との戦いの時に起こった俺と魔王の異変。リーベルが何かを唱え、魔王が苦しみ、俺はその隙をついて勝つことができた。
ただ……あれ以来、俺の中のスキルが失われたような気がしてならない。具体的にどう違うのかは言えないが、そんな気がするんだ。
ただし、一つ確かなのは、スキルが失われていたとしても、俺の中で培った力は消えていないということだ。サマリから受け継いだ魔法は使えるし、先輩から受け継ぎ、教わった技術は失われていない。
リーダー……リーベルは俺と魔王に一体どんな魔法を使ったのか。そして、俺のスキルは本当に失われたのか。それを聞きたかった。
まあ、それは彼女があの時言った『信じてほしい』という言葉を、それこそ信じるしかなさそうだけど。
多分、名前とは違って真実を語ってくれることはないだろう。
根拠もないけど、俺はそう推測した。
「……ケイさん」
「どうしたんですか。リーベル」
「……私のわがままに巻き込んでしまって、申し訳ございません」
「わがまま?」
この国めぐりのことだろうか。俺としては色んな国が見れて満足しているし、国同士の連携を図っていくのは何より重要だ。
迷惑なんて気持ち、まったくない。
「大丈夫ですよリーベル。俺、ちっともそんなこと思ってませんから」
「……ありがとう」
それだけを言い、しばらくして彼女は寝息を立てた。
明日の朝も早い。俺もそろそろ寝ようかな。
次の日の朝、俺とリーベルは無事にトシナ国へたどり着くことができた。
日の入りからすぐに起床して国を目指したけど、リーベルの言うとおり割とすぐに着いたから、もしかしたら昨日の時点でも間に合ったかもしれない。
ま、そんな一刻を争う旅じゃないから少しくらいの遅れでも十分問題ないけど。
……野宿が嫌な人にとっては、腹立たしい出来事だったかもしれない。幸い、俺とリーベルは気にしないけど。
国の唯一の入り口に立っている兵士は二人。
警備としてはどこの国もそうだけど、少し増強した方がいいのでは?
中に入られたら国民が犠牲にならないだろうか。それとも門が頑丈に出来ているから、問題ないのか? それとも、兵士自体がものすごく強いとか……。ステル国は弱い部類に入るけど。
そこまで詳しくは調べてないから分からないが、国として、門に兵士は必ず二人配属されている。
これはどこの国でも変わらないのか。
リーベルは兵士に話しかけるために歩みを早める。
そして、一枚の紙を差し出していつも通りの言葉を口にするのだった。
「すいません。ステル国より伝達があって参りました。これはステル国の遣いであることの証明書です」
「見せてみなさい」
兵士はリーベルより渡された紙を眺めて、俺たちを一瞥する。
それから紙を丁寧に折りたたんで、リーベルに返却した。
「遠い所よりはるばる、お疲れ様でした。ご案内します」
俺たちの証明が取れたことから、兵士の態度が変わる。
ま、粗相があったら国同士に関わる問題だしな。これくらいは礼儀として叩き込まれているのだろう。
もしかしたら、偉い人たちというのは傍若無人で丁寧な態度をされないと怒るのかもしれない。
俺は特に気にしないけどな。
門が開かれる。トシナ国の初お披露目と言った所か。
国の内部は外からでは分からないことが多い。モンスターの襲撃もあったから、大抵は外壁で覆われているのだ。外壁がない国はモンスターの襲撃がなかったか、国の戦力が充実しているかのどちらかだろう。
だから、国の内装が目に入るのは門が開かれた瞬間であることが多い。
目の前に設置された大きな噴水が俺たちを出迎えてくれた後、並び立つ家々が次々に目に映っていく。
ここの作りは割と平均的なものだ。ステル国は色んな風貌の建物があるけど、ここは一軒家がほとんどだ。大きい建物はない。
ある種、懐かしいような感じもしてくる。村にいた時は、頭上を遥かに超える建物なんて存在しなかったからな。
兵士に連れられて、徐々に城へと近づいていく。城の見た目は白を基調とし、赤や青も入り混じっている。
美しい濃淡で彩られていたレンガ調の構造に、俺は思わず息を呑む。建築されて数百年は経っているだろうにも関わらず、その白さはまるで建築当時の色合いを醸し出しているようだ。
きっと、城の外壁を掃除する専用の雇人がいるのだろう。じゃなきゃ、雨風で晒された外壁はもっと朽ちているはずだ。
兵士が立ち止まり、別の兵士に指示を与えた。すると、目の前にある巨大な鉄の扉が開かれる。重い金属音で重量感を感じながら、俺はリーベルと並んで城の内部へ進んでいく。
やはり、と言っていいだろう。内部も清潔感溢れる構造をしていた。隅から隅まで清掃が行き届いている感じだ。
外壁も綺麗だったが、内部も掃除されているってことは、王様は相当な几帳面なのだろう。
王様との面会はすぐに行われることになった。まあ、モンスターも姿を消したし、他の公務もあるだろうけど、意外と暇になっているんだろう。
その原因を、俺たちがこれから説明するというわけだ。
王様との面会は特に話すことはない。いつもの繰り返しだ。
俺から会話をすることは特にない。リーベルが話をし、俺は王様とリーベルのやり取りを聞いているだけ。
しいて言えば、王様の風貌もやはり清潔感のある身だしなみをし、とても礼儀正しいというところか。
口調はどこの国でもあまり変わらない。偉そうかそうでないかはその国によって異なるけど。
話はいつもどおり平和に終わりそうだ。モンスターという脅威もなくなった今、国同士の交流、物流を復活させる時だろう。その思いはどこの国でも変わらない。
さすがは人間同士の争いが一度起こっただけのことはある。みんな争いは避けたいんだ。
「よう王! 元気か?」
おだやかに謁見が終わろうとしたその瞬間、この場の空気が壊れた。その存在は王様の後ろに位置するドアからやって来て乱暴に空座へと座り込む。
あちこち尖がっていた個性的な髪をしているそいつ。体つきはとても頑丈そうで筋肉質で力持ちだ。
そこは王様の隣。言わば大臣の席じゃないか? ということは、今の人物は……。
その人物は、俺とリーベルの顔を見下すと、クククッと笑いながら質問をぶつけてきた。
「ん? お前らは何だ? 何を会話してた?」
王様は呆れたような口調で、その人物を諌める。王様が怒らないのはいつものことだからか、それとも親しき仲なのか……。
「ゲイリス。客人の前だぞ。それに、彼女らはステル国よりの遣い……使者なのだ」
「死者? あぁ……つまらん顔をしているものな。死人でもおかしくねぇ」
「違う。そっちではない」
「んなこと分かってるよ。ただの冗談だっての」
豪快に笑って王様のため息を出すゲイリスという名の男。
リーベルはこっそり、俺に対して耳打ちをする。
「随分失礼な男ですね」
「まあ、大臣ですし王とも仲良さそうですから……あれが日常の風景なんじゃないんですか? この国の」
「……だと、いいんですけどね」
「リーベル?」
含みのある言い方。彼女はゲイリスのことについて何か知っている?
いや、ステル国と何ら関わりのなかった国だぞ? 結構離れてもいるし、関係性があるとしても……稀だろうに。
「まあいいや。お前ら、今日はここに泊まんのか?」
面をくらったかのような表情のリーベル。
彼女はゲイリスに対してこう答える。
「え? ええ……ご厚意をいただければここで夜を明かそうかと……」
「じゃ泊まってけや! 次も遠いんだろ?」
「あ……ありがとうございます」
大臣にしては随分気さくな人物だと思う。
今までに見たことのないタイプじゃないか?
「じゃあな王! 俺はちょっと準備があるから席外すわ」
「あ、ああ……」
ゲイリスは王様を小突いてから、再び大笑いしながら元来た扉から帰っていった。
彼一人がいなくなっただけで、辺りは静まり返る。彼がどれだけ騒がしかったかの理由はこれで十分だ。
「はぁ……」
「王様? いかがされたのですか?」
ゲイリスがいなくなって、王様は三度ため息をつく。
頭を抱えて深い悩みがあるようだけど、ゲイリスのあれは日常風景じゃないのか?
「……いや、これはこちらの問題だ。あなた方に話すわけにはいかん」
「そう……ですよね」
「……しかし、このままでは問題も解決できぬか。すまぬが、少し話を聞いてもらっても構わないだろうか?」
「ええ、もちろん。大丈夫ですよね、ケイさん?」
「ああ。大丈夫です、リーベル」
王様は承諾した俺たちに対して感謝の意を述べると、ゲイリスの最近について話を始めたのだった。
「最近、ゲイリスの様子がおかしいのだ。あぁ、ゲイリスというのは先ほど来た大臣のことだ」
「……とても元気の良さそうな方でしたけど」
「前までは大人しい、冷静な好青年だった。ああいう風な状態になったのはつい数週間前のことだ。突然、彼は人が変わったかのように今の様子になった」
「何か心境的な変化があったりしたんでしょうか」
「それは……分からぬ。ただ、確かなのはゲイリスの様子が変わってから、夜な夜な地下室で何かをしているということだ」
「何か……?」
「そこは個人的な事情もあり、なおかつ内部の人間がゲイリスの夜中の行動を監視・見聞きすればたちまち噂が城中に広まってしまう。彼が悪いことをしていればそれは問題ないのだが、私の杞憂だった場合は彼に申し訳なく思ってな……」
「……つまり、外部の人間である私たちがゲイリスさんの様子を見れば問題ないということでしょうか?」
「誘導しているようで申し訳ないのだが、お願いできるだろうか? ゲイリスと私は古くからの友人でな。昔のよしみもあって、事を荒立てたくないのだ」
「分かりました。一晩泊めてもらうんですもの。ご協力いたします」
俺もリーベルと同じ気持ちだ。それに、ゲイリスの様子はどうも気になる。
彼が一瞬にして変貌してしまった原因は、確実に深夜行われている行為に違いないのだから。
一晩明かす部屋に通された俺とリーベル。
兵士は最初、性別のことを考慮して別々の部屋を用意していたのだが、リーベルの方が拒否をした。
だから、俺とリーベルは同じ部屋でくつろいでいる。
さすがにベッドは二つ用意してもらっているけど。
「すいませんケイさん。私のわがままで。同じ部屋で大丈夫でした?」
「いや、俺は別に何とも思いませんけど……」
「女の子と二人きりですよー? 何か、ドキドキしません?」
「全然? 野宿だってしてるじゃないですか。今更……」
もしや、彼女はそんな不純な動機で同じ部屋にしたんじゃあるまいな?
たまに、リーベルはこういうことをするからなあ。
「あっ、すいませんケイさん」
「な、何ですかいきなり」
「ケイさんにはもう意中の人がいるんですものね。私なんて入る余地ありませんもんねー」
「い……意中!?」
「もーはぐらかさないで下さいよー。サマリさんのこと、でしょう?」
「そ、それは今は関係ないでしょうが!」
「照れてますねー? 可愛いじゃないですかー。萌え萌えですねえ」
リーベルは俺をからかい、クスクスと笑っている。
こ……こいつ。彼女は最近、俺とサマリの関係を茶化すことが多い。
こちらとしていい迷惑だ。さすがに怒りはしないけど、止めてほしいとも思ってしまう。
ただ、今回の彼女は少しだけ違った。
刹那に、彼女は元の真剣そうな顔つきに戻っていたのだ。
「――そのまま幸せに暮らして下さいね」
「リーベル……。どうしたんですか一体」
「えっ? 私何か言いました? 何でもありませんよ。さっ、夜中に備えて休息を取りましょう」
「何でもよくないですよ、こっちは。話して下さい」
「……すいません。こればかりはまだ言えないんです。いいえ、言ってはならない」
「リーベル……。魔王の時もそうでしたけど、俺たちに何か隠してませんか? あなたを信じたい気持ちは十分にある。けど、その隠し事は俺たちにとって悪い方なんですか? それとも……」
「もちろん良い方の隠し事ですよ♪ だから期待してて下さいっ」
ウインクして、彼女はベッドへ転がり込む。
毛布を被って、表情が見えなくなってしまう。
リーベルはああ言っているけど、きっと悪いことを隠している。
俺たちは、そんなに頼りない人間だったのだろうか。彼女は一人で解決しようと必死に心の中で耐えている。
彼女の方から伝えてくれないと、俺としても動けない。
彼女が何を悩んでいるのか、そしてどんな脅威が潜んでいるのか、俺には分からないからだ。
推測できればいいんだけど、魔王もいなくなり、モンスターとの友好も始まる今、脅威と呼べるものは思いつかない。
一体、彼女の中でどんな未来が想像されているのだろうか。それを分かるすべは、今のところない。
夜中になった。王様から言われた時間通りに起きることができた俺とリーベルは、事前に手渡された城の内部図を見ながら地下室へと進んでいく。
真っ暗な城の内部。しかし、清掃された清潔感溢れる壁が、小さなロウソクの灯を何倍にも反映しているおかげで、薄暗いにまで軽減されているのは有りがたい。
なるべく足音を立てず、俺たちは目的地へと歩いていく。
「ケイさん……」
「どうしたんですか?」
昼間での出来事を今更蒸し返す気はない。
それはリーベルも分かっているみたいで、別の話題のことを口に出した。
「ゲイリス大臣のことですが……」
「ええ。これから様子を見に行くんですよね」
「彼には敵いません。絶対に戦わないで下さい」
「まだ分からないじゃないですか。敵わないって……戦う前から諦めるなんて俺には出来ませんよ」
「それが私には分かるんです。ケイさんでは、絶対に倒すことは不可能」
「――リーベル」
俺は前に進む彼女の手を掴み、俺と向き合わせる。
彼女の表情は真剣そのものだけど、どこか悲しみに満ちていた。
「さっきからどうしたんです? らしくないじゃないですか」
「……私は、ケイさんに余計な傷を負わせたくなくて……」
「だから、どうしてそれが分かるんですか? 隠し事に関係してるんですか?」
「……それは」
「確かにあの時、魔王を倒す際、俺はあなたのことを信じました。だけど、今のリーベルは信じることができない。……何を焦っているんですか?」
「焦ってる? 私が……?」
「俺にはそう見えます。ゲイリス大臣のことだってそうだ。戦う前から負ける気なんて……そんなの俺は認めない」
「焦ってる……そうかもしれません」
うなだれるリーベル。彼女の身に一体何があるのだろう。
話してくれないと、何も分からないじゃないか。今まで一緒に戦ってきた仲間じゃないのか? 俺たちは。
「なら尚更……! 俺たちに話してくれてもいいでしょう? 辛いなら、俺たちに悩みを打ち明けてくれればいい」
「私も辛いんです。心の内に秘めているのは。でも話せば……これまでの全てが無駄になる」
「これまでの全て……?」
こくりと頷くリーベル。彼女は多くは話さないが、その瞳は真剣だった。
……ダメだ。俺はリーベルと喧嘩したいわけじゃないのに。彼女のことが心配で少しキツイ言い方になってしまっただろう。
「すいません。少し熱くなってしまいました」
「いいえ、煮え切らない私がいけないんです。でも、今はどうしても……」
「……とにかく、今は声を荒上げたら見つかります。でも、明日には話してもらいますからね。出来るだけのことを」
「約束します。絶対に話します」
今はゲイリスの行動を調査しなければ。
一旦、わだかまりを捨てておかないと後に響く。
それから、俺たちは無言のまま地下室へと進んでいった。
地下室には鍵が必要だった。しかし、それらは全て開け放たれている。これはゲイリスが出入りするため、開けているのだろう。
普段なら近寄る人もいない。いるとすると大して使わない行事用の荷物の出し入れだろうか。
それとも、地下室には牢屋があって罪人をそこに入れるためだろうか。
どちらにしても、普段の用事ではいかない場所だ。
そんな日常でも稀な地下室に、夜中に何かしているということはよっぽど隠したいことなのだろう。
ここから先はより慎重に足を運ばなければいけない。
俺とリーベルは顔を見合わせて、ゆっくりと地下への階段を下りていく。
忍び足で進む暗がりの道。
足音が出ないように慎重に進むことから、進み具合はゆっくりだ。しかも、足場を確かめながら進むからかなり神経を使う。
一日経ったんじゃないかと思うほど長い階段――普通に歩けばそれほどでもないだろうが――を降り終わり、石畳の上に足を乗せることができる。
地下にお似合いのひんやりとした感触。そして、澱んだ空気。
そんな地下の一室だけが、ぼんやりと明かりを漏らしていた。
「リーベル。恐らくあそこが……」
「そうですね。もう少し接近してみましょう」
小声で話し合って、再び進んでいく。
寧ろ、ここからが本番と言えるだろう。もしも階段で足音を立ててしまったら、ゲイリスは明かりを消して物を隠せばいい。
しかし、地面を歩いている音が聞こえたとなればそうはいかないだろう。場所もバレている。となれば、彼の取る行動は一つしかない。
俺たちを亡き者にすることだ。
いつも以上に音に気を配りながら、俺たちは進んでいく。
どのくらい時間をかけて接近しただろうか。ようやく、俺たちは明かりのついている部屋の入り口にたどり着いた。
ゲイリス大臣の怠慢か、扉は締め切っておらず中の様子をかろうじて覗くことができる。
俺とリーベルは頷きあって、かすかな隙間に目を合わせて中を見た。
「――っ!?」
部屋の中に人がいる。ゲイリス大臣だけじゃない。あれは兵士だ。
まるでゴミのように、数人の兵士が床に投げ捨てられている。
意思のない人形のように、抵抗もなく倒れていた。
それとは対照的なのがゲイリス大臣だった。彼は逆に生き生きとし、魔法陣を作っている。
何の魔法陣なのかは分からない。だが、あの部屋で『生きている』のはゲイリス大臣だけのような気がした。
「さーてと……仕上げだ」
ゲイリス大臣は重い装備を身に着けている兵士を片手で掴み取り、魔法陣へ放り投げる。
すると、魔法陣が藍色に光りだして一つの光球が出現する。それは兵士の体へと吸収されていった。
リーベルは何か知っているのだろうか。俺は彼女の耳の近くで、ささやき声で話しかけた。
「リーベル。あの魔法陣は一体……」
「あれはこの世のものではありません。この世界の人間には扱えない魔法陣です」
「しかし、ゲイリス大臣が描いたんですよね? あの魔法陣は」
「ええ。……恐らく、ゲイリス大臣は――」
その時、ゲイリス大臣がこちらに振り向いた。空間で唯一生気を帯びているその瞳は、まっすぐに俺たちを見定めている。
バレないよう細心の注意を払ったつもりだったが……バレたのか!?
「そこでうろちょろすんなよ、客人。もっと堂々と入ってきたらどうだ?」
リーベルが先導して扉を大きく開け放つ。
そして、彼を挑発するような態度で話しかけたのだった。
「――バレてしまいましたか。私たちの会話が聞こえるなんて、まさに地獄耳ですね」
「地獄耳? 違うな。俺はそこの扉から覗き込んでいた時から気づいていた。今のはただのデモンストレーション。お試し視聴ってところさ」
「最初から筒抜けだったのか……」
まだ、彼が何をしたかは不明だ。ただこれだけは感じ取れる。嫌な予感がする。
だから俺はすでに剣に手を伸ばしていた。
「ゲイリス大臣。兵士に何をしたんだ」
「ああ。説明しないと分かんねえよな。じゃ端的に教えてやる。実験さ」
「実験?」
「モンスターでの実験は実証済みなんだが人でやったことは無ぇんだ。何せ劣等種だからな。上手くいくか不安だったが……」
「兵士を犠牲にしてまでする、意味のある実験なのか!?」
「犠牲? 俺は誰も殺してないぜ?」
ニヤリとしながら、ゲイリス大臣は魔法陣で倒れた兵士を視線を移す。
それがきっかけになったわけじゃないと思うが、兵士は目を開けてゆっくりと立ち上がった。
「生きてたのか……」
力なく倒れていたのは単純に気を失っていただけか。
だが、それなら実験は一体……?
「ケイさん。あの兵士はもう私たちの敵です」
「どういうことですか? リーベル」
「あの魔法陣。ゲイリスが作り出した心を移植させるものなんです」
「おっ、正解! さすがはリーベルじゃないか」
ゲイリス大臣とリーベルは知り合いなのか?
ここに来て、リーベルがゲイリス大臣を敵視していた理由が一つ見つかった。
「さってと。実験は終了したし、後はメアリスたちに任せるとすっかな」
「逃げるつもりか? ゲイリス大臣」
「もちろん。ただ、その前にこの国でやりたい放題やらせてもらうぜ! ストレス溜まってんだよな。こんな役目、柄じゃねえってのに」
「ゲイリス大臣……! 王様はあなたのことを信じてたんだ!? それをこんな実験に兵士を犠牲にして……!」
「感情論ってやつか? 悪ぃ。劣等種に何言われても響かないんだ」
作業的に切り捨てられた俺の言葉。ゲイリス大臣には人の心というものがないらしい。
いつからこんなことをやったのか。そんなことはこいつを捕まえた後たっぷりと聞かせてもらうさ。
戦う意志を見せるため、俺は剣を引き抜いた。
「リーベル。ゲイリス大臣は俺が王様に突き出します」
「ケイさん。でも――」
「敵わないってやつですよね。でも俺、その言葉だけで諦めたくない」
「おぉ! 来い来い! 力比べしよーぜ」
「言われなくても!」
ゲイリス大臣の動きを見極めながら、駆けた俺は構えていた剣を彼に振り下ろしながらも、ギリギリの所で止めた。傷つけるわけにはいかない。俺が頼まれたのはゲイリス大臣が何をしているか、だ。国王の手前、俺が殺すわけにはいかなかった。この寸前で剣先を止める手法は、戦いなれていない普通の人ならそれだけで観念するだろう。
しかし……彼の表情は不敵に笑っているだけで、恐怖も悲痛も感じていない。
「おうどうした? 俺にコケオドシは通用しないぜ?」
「――少しは戦いというものを知ってるみたいだな。大臣」
「今の太刀筋には『殺す』意思が感じられなかったからな。当然だ」
「……すいません国王。少し、手荒にいかせてもらいます!」
俺の手加減を少しだけ緩める必要がありそうだ。
俺は一度大臣と距離を取って、彼の動きを監視する。
大臣がどんな攻撃を仕掛けてくるのか、俺はまだ分からない。まずはそれを知らなければ。
しかし、ゲイリス大臣も同じく静止するだけで一向に仕掛けてこない。
まさに熟練の戦士と言えるのだろうか。自分の手を明かしたら、それで勝敗が決するところまで、彼は知っている……!?
大臣はあくびをしながら、俺に対して悪態を付き始める。
「おーい。攻撃してこいよ。それとも、俺が動かなきゃ出来ねえのかぁ?」
「無用な挑発には乗らない主義だ」
「ふーんそっか。じゃ――」
「――!?」
「――いかせてもらったぜ?」
この一瞬で大臣は俺に接近し、脳の命令が走る前に腹部に激痛が走った。
敵が接近してきた時の脳の動きとして正常に防御しようと思えば、俺の足……いや体は宙に浮き、大臣から離れていく。
次に感じた痛みは背中からだった。壁が俺の体のせいで崩れ落ち、俺は奥の檻の鉄棒に体を打ちつける。
「なっ……なんだ今のは……!?」
「動きを見極めようにも、その『目』が無きゃ無意味だよなあ?」
「そんなの……!」
次は避けられるはずだ。俺は集中して大臣をにらみつける。
大臣が消える、次に狙うのは背中だ。俺は剣を後ろ手に持って彼が来るであろう場所を予測する。
「――ほう。少しは出来るんだな」
「当たり前だ……!」
俺の予想は当たっていた。大臣の拳は俺の剣の腹で受け止めることが出来た。
――が、俺はすぐに天井に体をぶつけていた。
「次の手は読まなかったのか?」
「くっ……!!」
天井と俺の背中が離れる。その一瞬を狙って、大臣は俺へ踵落としを食らわせてきた。
直感で彼が何をするか理解できる。だが、防御もままならず、避けられない。
俺はめまいがするような速さで地面にめり込んでしまった。
「ケイ……とか言ったか? お前」
咳き込んで何も喋れない。それをいいことに、大臣は勝手に話を進めていく。
「悔しいよなあ? 今まで一番強いって思ってたんだろ? 魔王も倒したし、これから平和な世界が来ると思ってたんだろ? でも残念だったな。俺という存在が、まだこの世界には残ってるんだよ!」
「ゲホッゲホッ……!!」
「どんな人間も俺には敵わない。お前らが『劣等種』と言われる所以だ」
「そんなの……まだ……分からない……ガッ!?」
「『分からない』? よくそんな口が言えるなあ、お前は!」
「グッ……!」
俺が何か話そうとすると、大臣が俺の背中を踏み潰す。
それの衝撃で、俺はまた咳き込んでしまう。
しかも、大臣はただ踏みつけるだけじゃない。その踵でグリグリと背中をえぐってくるのだ。
「しっかし劣等種は弱ぇなあ。なあリーベル」
「……あなたと話す口は持ち合わせてないわ」
「まあそういうなよ。俺、お前のことは割と気に入ってたんだぜ?」
「自由を踏みにじるあなたのような存在に気に入られるなんて、一生の恥よ」
「お前な。どうして自分の正体を自らバラすような真似したんだよ。名前を教えちまったら、俺らに場所分かっちまうだろうが」
「自由のためよ。ゲイリス、あなたたちに勝つために」
「勝つためぇ!? その、そのだ。お前の希望ってのが、コイツなのか? 俺の足元で悶え苦しんでいる、コイツなのかあ!?」
大げさに驚く大臣。彼は俺がその希望になっているのが不思議で仕方ないとでも言うように。
大臣からすれば、確かに俺なんて取るに足らない存在なのかもしれない。だが……俺がそう言われるようになったのも確かな『理由』がある。
それを、これからリーベルが語るんだ。
「ええ、そうよ。あなたは知らない。彼の強さを」
「劣等種がどんなに強くなろうとなぁ! 俺らには『勝てない』だろうが……! こっちの世界にいすぎて頭がおかしくなっちまったのか? リーベル」
「――今だっ!」
リーベルとの会話に夢中になっている大臣。
この隙を逃すはずがない。俺はこんな状況になっても決して離さなかった剣をもう一度強く握りしめる。
そして、高く振り上げて大臣の体へと薙ぎ払った。
「ん?」
俺の剣先は大臣の太ももへ向かい、彼の足を切断する……はずだった。
しかし、俺の剣はいとも簡単に、太ももに触れた瞬間に真っ二つに折れてしまったのだ。
「無駄だっつってんだろ」
クソ……! 今までの衝撃で剣が脆くなってたのか……!
俺が今まで使っていた剣は魔王との戦いで壊れてしまった。あの剣の耐久性は信頼性があったが、新しく貰ったこの剣じゃダメなのか……!!
「ケイ、お前は粋がるねぇ。優しい俺様が『敵わない』って何度も言ってんだぜ?」
「う……うるさい……! 俺は諦めない……!!」
「じゃあ死ね」
その一言で、俺の腹は大臣の足によって貫かれた。
吐き気を伴う激痛が俺を襲う。目は見開き、両手は本能に従って石畳の地面を掴もうと引っ掻く。
「おいお前ら。こいつらを牢屋にぶちこんでおけ」
「……はっ」
痛みのせいでぼんやりとしか聞こえない周りの音。
その中で、大臣は兵士に何か命令しているようだった。
多分、さっき心を移植させた兵士なんだろう。
俺は抵抗することもできない。兵士に腕を捕まれ、強引に牢屋へと入れられるのだろう。
リーベルも特に抵抗していないようだ。彼女の声は俺の耳に届かない。
どこまで周りの音を聞き取れていただろうか。俺の意識は次第に薄れ、消えていった。
昨日の出来事は夢ではなかったらしい。
現に、今の俺は牢屋で倒れているからだ。まず、大臣から受けた傷の状態を確認する。
……無意識に魔法を使ったのだろう。傷はとっくに癒えていた。
つくづく、サマリには感謝しなければいけないだろう。彼女の力が無かったら、さすがの俺でも殺されていた場面がある。……今回の大臣だってそうだった。
「おはようございます。ケイさん」
俺の様子を伺うように、控えめに顔をのぞかせたのはリーベルだった。
彼女の申し訳なさそうな顔と小動物のような仕草は、とりあえず気分的には悪くない、か。
「広がる景色は最悪の目覚め、だけどな」
「え?」
「いや、こっちの台詞です」
「この状況、捕まってますよね」
「どうみても。それ以外考えられません」
「これからどうするんですか?」
「もちろん、こっから脱出します。そして王様に伝える必要がある。大臣が深夜に行っていることを」
王様は俺たちを少しは信頼してくれるはずだ。だからこそ、このようなお願いを頼まれた。
証拠はないが、大臣を疑っている今なら、深夜あったことを話せば訝しんで大臣を問い詰めるはずだ。大臣も王様に追求されたら真相を語るだろう。
リーベルだって、この状況ですることは分かっているはずだ。だけど、この選択を行えば必ず行き当たってしまう行動に、彼女は不安を隠しきれていない。
憂いを帯びた表情は、そんな彼女の心模様を映し出していた。
「――大臣とはまた戦いを?」
「ええ。今度こそは勝ってみせますよ」
この言葉に嘘はない。今まで見たことのない相手の動きだが、必ず目で追えるようにしてみせるさ。
そのために、まずはこの牢から出ないとならないが……。剣がポッキリと折れてしまったため丸腰の俺。
どうやって牢屋をぶち破ろうか。……魔法を使ってみるか?
「……ケイさん。私が昨日言ったこと、覚えてますよね?」
「大臣には敵わないってやつですか? 残念ですけど、俺は諦めませんよ」
ギリッと彼女の歯が軋む。
それから、彼女には珍しく俺を睨みつけて冷たい一言を言い放った。
「……大臣と戦うというのなら、私はここであなたを気絶させます」
「リーベル。どうしてそんなに大臣の強さを恐れているんですか? 俺には分からない。確かに一度は破れた。けど、二度目はないかもしれない。そうやって、俺は今まで戦ってきたと思ってます」
「ならば、ケイさんは明日雨が降るという事実を覆すことができますか?」
「何ですって……?」
とんちをしている暇はない。だが、彼女は至って真剣にその問を俺に投げかける。
こんな話を持ち出した自分でさえ嫌悪しているのか、リーベルは嘲笑しながら俺の無言を『否定』と受け取った。
「さすがのケイさんも雨を晴れにすることはできませんよね? それと同じなんです。ゲイリスは……」
「言っときますが、天気は事象でゲイリス大臣は人間です。そんな例え話で煙に巻いても、俺は納得しませんよ」
「どうしても彼と戦うと?」
「当たり前でしょう。あんなやつを放っておいたら世界はまた平和から遠ざかる」
「私のお願いなんです。聞き入れてもらえませんか?」
「俺は何度もあなたのことを信じて、そして付いてきた。でも、今回だけは俺は退くことはできない。リーベルが何かを隠し、そして、それがゲイリス大臣に関係していることはなんとなく理解できます。しかし、これは俺の信念の問題です」
「私はあなたと口喧嘩したいわけじゃないんです。ただ、諦めてくれればいいのに……」
「俺も同じ意見ですよ」
こんなことをしている時間はないというのに。それは彼女だって分かっているはずなのに。
彼女の中に渦巻く不安が、俺を縛りつけようとしているのか。ゲイリス大臣を恐れ、戦いを拒否する。
その答えを俺が出さない限り、彼女の鋭い眼差しは俺を捉え続けるのだろうか。
彼女はついに実力行使に入ろうとしている。その証拠に、彼女は手のひらを俺に向けている。魔王の戦いの後から、彼女に秘められた能力が弱まったような感じがしていたが、それすらも俺を欺くための嘘だったのだろうか。
とにかく、リーベルは俺に隠していることが多すぎる。こうして対立してしまうと、こんなに彼女の秘め事が煩わしく思ってしまうものか。
「……なら、俺も手加減しません。容赦しないってのが、俺ですからね」
「知ってますよ、もちろん。だって……あなたのことをずっと見てきたんですもの……」
彼女は小声でこうも呟いていた。もっとも、一番見てきてたのはサマリさんだ、と。
見てきた時間は関係ない。張り合う必要もない。……ただ、俺はリーベルのことを知りたい。そう思った。
「俺が勝ったら全て話してもらいますからね。リーベルのこと、全部」
「……ふっ、私だって、負ける気はありませんから。ケイさんが負けたら、一生私の手足になってもらいますよ」
「望むところです」
剣が使えないのは仕方ないが、ハンデというものだ。
緊迫する一帯。ここが牢屋の中だということを、俺たちは忘れてしまっているようだ。
リーベルがどんな技を出してくるのか、少しも興味がない。そう言えば嘘になる。
彼女の力を見たことは数少ない。一番マジマジと見せつけられたのは魔王の時くらいだろう。
あの時、彼女の協力が無かったら魔王に勝てなかった。歴史は正史通り敗北し、魔王がこの世界で台頭することになっていた。
……それほどまでに、魔王との力の差は圧倒的だった。もし、俺が魔王に敵うまで努力するとなると、更なる歳月が必要になっていたはずだ。
それが彼女の力で一気に距離を詰めることができた。そう、やはりリーベルの力は凄いんだ。
だから、俺は負けるわけにはいかない。ここで彼女に勝ち、ここを出て、ゲイリス大臣をぶっ倒す。
「ほ、本当に行きますよ……準備はよろしいですか?」
「攻撃の開始を宣言してくれるなんて、リーベルは優しいんですね。俺は問題ありません。いつでもかかってきて下さい」
やはり、彼女に若干のためらいを感じる。
目を細めながら、リーベルは俺と自分の手を交互に視線を移している。
「そ……それじゃあ……えぃ――」
身構える俺。彼女から一体どんな攻撃が繰り出されるのか……。
残念ながら、その答えはまだ先になりそうだった。
金属が触れあう重たい音が鳴り響いたのだ。それは錠が解除される音だ。
俺は鉄格子の方を見て、それがこの牢の鍵が開け放たれる音だと理解した。
そして、俺たちを監獄から開放してくれたのは、他でもない王様だった。
「……お、王様?」
「大丈夫だったか?」
「俺たちは大丈夫でしたよ」
王様が重たい鉄格子をスライドさせたおかげで、自由へのきっかけが作られる。後は一歩踏み出せばここから逃げ出せる。
しかし、その前に王様は膝を付き、俺たちに向かって土下座をした。
「……大臣の非礼を許してほしい。申し訳ない」
「い、いえ! そんな! 王様がそのような真似をなさる必要はありませんよ!」
「しかし、今回の出来事は私が頼んだことによって起きてしまったこと。責任は私にもある」
面食らう俺とリーベル。先程まで対立していた俺たちだけど、今はすっかり意気投合してぽかんとした顔を突き合わせている。
と、とりあえず王様には顔を上げてもらおう。ここまでされたら、逆に俺たちが悪者みたいだ。
「王様、顔をお上げ下さい。まずは昨夜ここであったことを話します。それから王様がご決断下さい。ゲイリス大臣のことを」
「……すまない」
それから、俺たちは昨夜のことを話した。
作り上げた魔法陣で、兵士の魂を移植させていること。
その話を聞いた瞬間、王様の顔は真っ青になっていた。
「ゲイリスがそんなことを……。何かの冗談ではないのか? いや、冗談ではないのだな……」
「現場に案内しましょう。こちらです」
俺は王様を連れて、昨日戦闘があった場所へ行く。
幸いにも同じ地下室だったようで、昨日の痕跡はちゃんと残っていた。
魔法陣自体はゲイリス大臣の手によって消されていたが、壊れた壁、天井は残っている。
「最近の兵士の雇用はゲイリスに任せているのだ」
「その兵士に何か変化はありましたか?」
「……いや、一人一人気にかける時間がないものでな。ただ、数名と会話した程度では、違和感はなかった」
「そう……ですか」
「ああ……だが、一つだけ」
「何です?」
「最近は犯罪者が改心して兵士になる事例が増えていると聞く。まあ、更生してくれるのはとてもいいことだからな」
「結局は、話を信じてくれるかどうか……それはこの部屋にかかってるってことですね」
そう言うと、リーベルは魔法陣が描かれていた部屋の中へ入る。
それから、部屋の中を隅々まで探し始めた。きっと、この部屋で起こった出来事を決定づける証拠を探しているのだろう。
「とにかく、証拠が見つからなかったとしても、あなた方の内容を直接ゲイリスに問いただしてみようと思う。日頃より少し様子がおかしいのも、そろそろはっきりさせておきたい」
「ゲイリス大臣がおかしくなったのは数週間前と聞きましたが、以前に兆候は?」
「いや、私が見た限りでは特には」
大臣がおかしくなった時期。そこに何か手がかりが隠されているような気がする。
「――あ、ありましたよ王様。ゲイリス大臣の証拠が」
「本当か!?」
リーベルが樽の中から一つのアクセサリーを取り出した。
メッキが剥げて、使い古されているのがひと目で分かる。その貴金属を見た瞬間、王様は絶句していた。
「それは軽犯罪者の首輪ではないか……!?」
「どうしてそんなものがこの部屋に?」
「――決まってますよ、ケイさん。兵士がその犯罪者なんです」
「え?」
「犯罪者なら、何をしてもそれほど話題には上がらない。ゲイリス大臣にとって中身は関係ないんです。重要なのは魂を入れる『箱』。魂さえ入れ替えれば自由に動く人形ができる」
「でも、無理に犯罪者を使うより、今ここにいる兵士を入れ替えればいいんじゃないんですか?」
王様には失礼な言い方だけど、リーベルが話していることは推測にすぎない。
それならば、ここで働く兵士を使った方が手っ取り早いのでは? そんな疑問にリーベルは更なる推測を付け加えた。
「……ゲイリス大臣に限らず、知り合いがおかしくなれば、気づくことができますよね?」
「……新人なら気づかれにくい?」
俺の答えにリーベルは頷いた。
「そうです。一般市民を使っては目立ってしまう。その問題点を犯罪者を使うことで解消。そして、その犯罪者が改心して兵士になれば国としても評価が上がってしまう。……その心はすでに別物になっているのに、です」
「評価が上がって悪い気になる人は少ない。王様ともなれば喜ぶ。それにつけ込んで、自分がやっていることを更に雲隠れさせたのか……!」
王様は息を呑んで、今までゲイリス大臣がやってきた所業を目の当たりにしている。
何かを決意したのか、俺とリーベルに目を合わせた。
「あなた方に頼んで良かった。その手前で申し訳ないが、もう少しだけ付き合ってはくれないか?」
「もちろん。協力しますよ。リーベルは?」
「……否定はできませんよ。ここまで来てしまったら」
「よし、早速ゲイリスを見つけよう」
そう言って、王様は急いで地下室へと出ていく。俺たちもその後ろについていく。
地下室を出て、光が俺の体に降り注ぐ。目がくらんで、思わず手をかざして日よけをつくる。
それと同時に、王様とは違う二人の男性の声が聞こえた。
「こんなところにいらっしゃったのですか。王様、お仕事がありますよ」
「さあ、こちらへどうぞ」
ようやく目が慣れてきたので声の主を目撃する。どうやら、兵士のようだ。
だが、俺は警戒心を強めていた。リーベルが無言で俺の服を小さく引っ張っているからだ。
「仕事している場合ではない。ゲイリスを知らないか?」
「……いえ、知らないですね」
「ならば私の元に呼んでくるのだ。これは事を急ぐ! 至急ゲイリスを探し出すのだ!!」
「それは出来ませんね」
「何故!? 王の命令だぞ!」
「王? それはこの国でぬくぬく私腹を肥やしているクズのことを言うのですかな?」
「何?」
「――王様、下がって!」
俺は王様の前に立って、兵士の剣を白刃取りした。その勢いで剣を真っ二つに折りながらもう片方の兵士に蹴りを入れて吹き飛ばした。
「こいつらがゲイリス大臣の兵士です!」
吹き飛ばした兵士が構えていた剣が床に転がっている。
これを俺は拾い上げ、武器を手に入れた。
「なんと……。ますますゲイリスがやって来たことが真実になってしまったのか」
「くっ! 一刻も早くゲイリス大臣を探し出さないと……!」
「――おー! 俺を呼んだかー?」
「その声……ゲイリス!」
飄々とした雰囲気。自身の行いを悪びれる様子もないゲイリスが、そこに立っていた。
しかし、いつの間に……!? 地下室を出た時には確実にゲイリスはいなかった。
「ゲイリス……地下室での出来事を聞いたぞ」
「ああ。そりゃアイツラがついてる嘘だって。長年の友だろ? そんくらいで俺を疑うなよ」
「証拠も出ている。この首輪はなんだ!」
「……何だと?」
ゲイリスの表情に曇りが入る。王様が提示した一つの証拠。使用感のある首輪。
それを見た瞬間、ゲイリスは舌打ちをして王様に真実を話し始めた。
「処分したはずだがな……余計なものは」
「ゲイリス! お前はこの国で一体何を企んでる!?」
「実験さ。劣等種の体に魂を入れて、それが動くかどうかのな」
「実験……!?」
「いやあ~、モンスターの成功率は高かったんだが、劣等種は何せ劣化品だからな。粗悪品に高級な魂を入れて体が持つようにするってのが俺の任務だったってわけだ」
「ゲイリス……下衆な考えを……! 同じ人間だろうに!」
「ったく、メアリスのやつ……だから俺にこんな任務は務まらないって言ってんだよ。やっぱりケアレスミスするよなあ。こういうのはマーティスの役目だわやっぱ」
「訳のわからないことを! 覚悟はいいなゲイリス! 貴様は即刻死刑だ! この国にいて生きていられるとは思うな!」
「それも、お前を殺せば問題ないだろ?」
「――そんなことは俺がさせない」
剣を構える。今度こそだ。今度こそ、俺はゲイリスに勝つ。
「――なっ!?」
視線は確かにゲイリスを捉えていた。だが、瞬きする前に、ゲイリスは俺の目の前から姿を消していた。
次に聞こえてきたのは、王様のうめき声とゲイリスの笑いだった。
「――ってかっこいいセリフを吐かれながら王様をシュンコロする俺カッコいいとは思わねぇ?」
「ゲイ……リス……!!」
「あ、冥土の土産ってもんを上げると、本物のゲイリスはもう死んでるぜ」
「な……に……!?」
「ゲイリス! お前だけは――」
「しゃらくせえ邪魔だ」
「グハッ!?」
俺の力で王様を回復させなければ。そう思い、ゲイリスを追い払おうとしたが、逆に俺が追い払われてしまう。
ゲイリスの拳を受けた俺は遠くの支柱へ体を打ちつけてしまう。さすがに大きな音を立てたから兵士が何事かと集まってくるだろう。
「俺はゲイリスの体を奪って好き勝手やらせてもらっただけさ。まあ、偶然にも名前が同じってのが気に入ったんだがな」
「そ……そう……か」
「じゃ、辞世の句なんていらないからさっさと死んでくれよ」
「――っ」
遠くで見る王様の死。首をはねられて、吹き飛ぶ頭。
多分、本人は死んだことすら気づかないだろう。
クソっ……! 痛む体を無理やり働かせて、立ち上がる俺。
いつの間にか、リーベルは俺の側に来ていた。
「逃げましょう、ケイさん」
「何だって……!? 正気かよリーベル!」
「私は正気です。そして、これは勇気です」
「勇気……!? 無謀だって言いたいのか!?」
「あなたの命をここで失いたくないんです!」
「リーベル……」
兵士が集まってくる。どれがゲイリスの子飼いかは分からない。でも、王様が死んで動揺しているのは少なくとも本物だろう。
「ゲイリス大臣! これはどういうことですか!?」
「ん? あぁ、これか」
ゲイリスは俺の方向を見る。まさか、罪を被せるつもりか……?
「俺がやった。王様は俺が殺した」
「何ですって!? 気でも触れたのですか!?」
「触れてんのは気じゃねえな。この皮だ」
ゲイリスが唸り声を上げる。ビリビリと破れていく大臣だったもの。
そこから現れたのは巨漢だった。肩幅も広く、大臣の二倍もの身長を持ち、筋肉も発達している。
「あーーーーーーーーーークソ窮屈だったぜ。だが、任務も終わってるし、少しくらい暴れても罰は当たんねえだろ」
兵士を品定めするかのようなゲイリスの表情。
これから起こる惨劇を思えば、こんなところで突っ立てられない。
だけど、リーベルはそんな俺を未だに止めるのだった。
「クソッ……!」
「言ったはずです。ケイさんに勝ち目はない」
「リーベル!! 俺は今……目の前の人間を助けたい!」
「…………」
「ここで逃げれば、俺たちは助かるだろう。けど……後できっと後悔する! 命があっても……後悔だけはしたくないんだ」
足を引きずりながら、俺は前へ進む。
そんな俺の肩に、リーベルが手をかけてくれた。
「ケイさん……」
「リーベル……? なっ、これは……」
突然、俺の身体が楽になる。これはリーベルの力?
うつむいていた彼女はもう、顔を上げていた。
それは前を見据え、遠くにいる敵を討つ覚悟。
「ケイさんの気持ち……分かりました」
次々と兵士が戦っていく。しかし、それらはゲイリスにたどり着く前に別の兵士によって遮られる。
あれが魂を入れ替えられた兵士なんだ。もちろん、兵士たちは混乱する。そして、戦いを指揮する人間もいない。
「この世界……あなたに託します」
ゲイリスの目の前に立つ俺とリーベル。
もちろん、ゲイリスの表情は不敵な笑みを浮かべるだけで恐怖なんて微塵にも感じていない。
「ゲイリス!」
「おお、何度でも来いよ。俺に敵えばの話だがな!」
「ふざけるな!」
剣に炎を纏ってゲイリスに振り下ろす。
魔法を使ったことで少しは効果が出てもおかしくない。だが、そんな攻撃さえゲイリスには無意味だった。
剣は折れ、魔法はゲイリスの体に触れた瞬間にかき消された。
「オラァ!」
ゲイリスの拳が俺の腹をえぐる。そして、天井へ打ち付けられて地面へ激突した。
「ハハッ、弱っちいなー劣等種は」
咳き込む体にむち打ち、俺はゲイリスを睨む。
魔王の時は使わなかったが、アレをやるしかないらしい……。あの時は敗北の幻覚が見えた。
だけど、今なら……歴史が変わり、未来が変わった今なら乗り越えられるかもしれない……!
俺は体に力を込めて、今まで関わってきた人たちを思い浮かべて能力を引き継ぐよう思いを込めた。
「……何?」
だが、魔王との戦いのような力が感じられない。
それどころか、俺の中で何かが欠けているのを実感した。
信じたくはなかった。だが、これが真実なのだろう。……俺は『スキル』を失っている。
「あの時、魔王にスキルを移したんです。私が」
「リーベル……」
「だから、慕われている魔王は能力を取り込み過ぎて自滅した。ケイさんも分かっていたはずです。認めたくなかっただけで」
「……ああ」
「今のケイさんは弱いです。ゲイリスには勝てない。それでも――」
「くどいよ。リーベル」
「――ええ。そうですね」
傷ついた兵士が俺たちの元にやってくる。
すでに虫の息だが、俺たちに何か伝えたいことがあるから来たのだろう。
「あなた方はステル国よりの使者だと伺っております! ここは気になさらずお逃げ下さい! そして、あのゲイリス大臣を……殺すための……」
息絶える兵士。
……俺は息絶えた兵士が持っていた剣をゆっくりと持ち上げた。彼の意思を受け継ぐように……。
「何度やったって無駄ってのがわかんねぇのかぁ? 劣等種ってやつは哀れだなぁ!」
「言ってろ。俺は諦めないからな……」
リーベルとゲイリスが、お互いを睨み合っている。
少なからず、因縁があるようだが……。
「ゲイリス。この世界はあなた達の遊び場じゃない。この世界に住んでいるものたちは皆、こうして生きている」
「違うな。ここは実験場に過ぎねぇよ。俺たちに程よい刺激を与えてくれる、娯楽の場だ」
「どんな世界だって……私たちのような存在はいちゃいけない!!」
「だったら消滅させるってのか!? 神である俺を?」
「消滅してみせる……いえ、消滅させる! 今、ここで!!」
「そこの劣等種を使ってか!? 無理に決まってんだろ!」
「……いいえ。いいえっ!! できる! ケイさんなら絶対に!!」
「頭狂ったのか? この世界は俺たちの祝福を受けているだろ!?」
「『ギフト』という名のスキルね……」
「この世界に入れ込んでる理由は知らねえが、常識くらい身につけとけ」
その時、俺の手に新たな剣が現れた。
まるで、この時を待っていたかの如く、それは俺の手にしっかりと収まった。
この形……どこかで見たことが……。
「確か、この世界では『神殺しの剣』とか言われてるようですね。ちょっと面白い武器のようですが……」
「え……?」
この剣の特徴って……斬っても人が傷つかない。まるで、ゲイリスが言ってたことと逆じゃないか?
「そう。この剣を選ばれし者が持てば……神を超えられる。世界を傷つけず、神を殺す。これが、私からケイさんへの最後の祝福です」
「……その剣。リーベル!! テメェが持ち出してやがったのか!」
どうやら、ゲイリスにも見覚えがあるようだ。
きっと、今まで隠せてたのもリーベルの力か単なる特殊な剣として見逃されていたか……。
どちらにしても、この剣を使えば目の前の敵を殺せる……!?
「ゲイリス……覚悟しろ」
「ハッ! たかが剣を持ったからって俺に敵うと思う――」
勝負は一瞬にして決まった。
俺は瞬足でゲイリスに近づき、その体を真っ二つにしたのだった。
「――なっ!?」
ゲイリスには一瞬の出来事だっただろう。恐らく、奴が気がついた時には、体は二分され地面に落ちていたのだから。
「ゲイリス……力があれば、こんなもんだ」
俺はゲイリスを見下ろし、そして眼前に剣を突きつけた。
「これで終わりだ。この世界はお前のような支配者を必要としない」
「……く、クククッ……」
気でも触れたのだろうか。ゲイリスは不敵に笑い、そして俺につばを吐き出す。
「神は俺一人じゃねえってことだ……。あいつらは、俺と同じようには行かねぇぜ」
「言ってろ。それでも俺たちは超えていくさ」
剣をゲイリスの頭に突き刺す。
今まで苦戦していたのが嘘のように、神は呆気なくこの世界から退場した。




