国と村の確執
「……ふう」
考える力を失ったトロールの体は後ろへとゆっくりと倒れていく。
吹っ飛んだトロールの頭も体の近くに落下し、ねっとりとした音と共に損壊していく。
最初は柔らかい果物が落ちた時の音に似ていて、数週間は果物が食べられなかったことを思い出す。
あの時は先輩に凄くからかわれたが、いい思い出だ。
「よし。後はあの子を……」
再び跳躍し、俺は彼女を迎えにいく。
彼女は健気に俺の言うことを聞いててくれた。彼女を守るためとはいえ、あんな場面を見せてしまってトラウマになったら意味がない。
そういう意味で、俺はちゃんと言いつけを守ってくれた彼女に感謝した。
でも、まだ守ってくれないと困る。
俺は彼女を抱えて、すぐに木から降りてその場を去っていった。
「ねえ、まだー?」
「……ここなら大丈夫か。いいよ、目を開けても」
「……んー」
目を開けた彼女は少し眩しそうにしていた。
だが、彼女の瞳に死んだトロールが映ることはない。その場所はとうに通り過ぎたのだから。
「お兄ちゃんが大っきいモンスター倒したの?」
「ああ。そうだよ。それとさっきはごめん。ちょっとキツい言い方になっちゃって……」
「いいよ別に! だってお兄ちゃんは私を守ってくれたんだもん! それよりそれより! お兄ちゃん強いんだね!」
「……ありがとう」
「お兄ちゃんのおかげでお花取れた! 早くみんなに見せに行ってくる!」
「ああ。気をつけてな!」
「うん。ありがとー!!」
そう言って、この村の元気は村人たちに希望のおすそ分けをしに行った。
ああいう子がいるなら、この村はきっと大丈夫だ。後は俺たちギルドがトロールを退治できればいい。
……またテントに戻ろう。偵察が一体いたことを報告しなきゃな。
すぐさまテントに戻る俺。元からここにいたギルドの兵士たちは俺という存在に気づきながらもすぐに目をそらす。
まあ、ジッと見つめられるのも苦手だからいいんだけど。
その中で、一人だけ俺の登場にため息をついているものが居た。それはこの村で出会った最初の兵士だった。
「まだいたのか……てっきり俺の忠告を聞いてくれたものだと思ってたぜ」
「悪いけど、あの忠告は聞けない。トロールを倒して、この村を救う。そのために俺の力を使いたいんだ」
「……死んでも知らんぞ。勝手にしろ」
「ああ。勝手にさせてもらう。……その勝手にさせてもらったところで悪いが、トロールが一体村に来ていたぞ」
「何?」
「女の子と花を摘みに行った帰りだ。一体のトロールに遭遇した」
「それで、倒したのか?」
「倒したけど、ヤツは偵察か何かだろう。これから本隊が来るのなら、な」
「そうか……」
兵士の複雑そうな表情が目につく。偵察でも倒したものは嬉しくなるんじゃないか?
俺は脅威が一つ減って嬉しいと思うんだが。
とにかく、本隊が来る時が俺の力の見せ所ってことだ。
「……本当にトロールを倒すつもりか」
「何度も言わせるな。俺は絶対にこの村を救うって決めたんだよ」
「……ったく、迷惑な話だ」
兵士はそう言いながら、再び眠りにつく。
さっきから兵士たちの様子がおかしい。本当にこの人たちは村を救う気があるんだろうか。
そこで、俺は兵士たちが身にまとっている鎧に注目した。
その鎧はどれも清潔感を保っていて傷一つ見つからない。
普通、トロールと戦うのなら多かれ少なかれ傷がついてもおかしくない。それが、傷が無いなんて……。
いや、疑うのは悪い。もしかしたら、俺以上に強い兵士かもしれないんだ。それなら納得がいくけど……。
「……俺は村の様子を見に行く」
「勝手にどうぞ」
欠伸をしながら兵士は俺に許可する。
不満を抱きながら、俺はテントを抜けていった。
「ふぅ……どうするかな」
とりあえず、ぶらぶら歩くか。
村の雰囲気を確認するため、俺は目的もなく歩く。
その時、さっきの女の子が手を振ってくれた。
「あ、お兄ちゃん!」
「ん? どうしたんだ?」
「さっきは本当にありがと! お花、みんな喜んでる!」
「そっか。それは良かったな」
そうだ。彼女に色々と教えてもらおう。村のことを。
そう思って、俺は彼女へと歩き出す。その時、一人の女性が女の子の側にやって来た。
「お母さん? どーしたの?」
「なるほど……あなたが彼女のお母さんでしたか」
女の子の母と思われる女性は小さく会釈した。
その表情は疲れ切っているのか、疲労感が見て取れる顔つきだった。
「見かけない顔ですが……ギルドの人なんですよね?」
「ええ。そうです。今日来たばかりの新人なんです」
「この子がご迷惑をおかけしまして……本当に申し訳ありませんでした」
「いえ、気にしないで下さいよ。この子がまた花を摘みに行けるようにトロールを退治する。それがギルドの使命ですから」
「……お前は違うようだな。他のギルドとは」
「え?」
俺と母親の会話に割り込んできた人物。それは一人の老人だった。
年齢もあるが、この村にとっても詳しそうだ。そんな博識が感じられる顔つきをしている。
老人は地面に杖をつきながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「お前、本当にトロールを退治してくれるのか?」
「え? ええ。もちろんじゃないですか。それがギルドの役割なんですから」
「……おい、家は空いているか?」
今度は母親に向かって話しかける老人。
母親は戸惑いながらも頷いた。
「野ざらしで話すにはちと勇気がいるからの」
「……もしかして、この村がどうしてこんな原状になったのかを?」
老人は何も言わず俺を母親の家へと招き入れた。
家の内装なんて、偉そうなことは言えないけどとても整理されているようだ。
ただ、余計な家具が置いていなく、質素に見えるかもしれない。だけど、生活に必要な物は全て揃っている。
中央にあるのはテーブル。老人と俺はそこに向かい合って座った。
「……さて、お前は他のギルドの連中とは違うようだからな。話しておきたいことがあるのだ」
「話しておきたいこと? それは一体……」
「村がこんな有様になってしまった原因……それはギルドに他ならない」
「ギルドが? もしかして、この村を荒らしたんですか?」
「さすがにそこまではしない。ただ、ギルドの連中はモンスターを倒そうともしないのだ」
「何ですって?」
「お前も違和感に気づいたかもしれんが、あのテントのバカ共はモンスターが来ても戦わん。いや、戦っているフリをしていると言えばいいのか……」
「フリ? どうしてそんなことを」
「お前さん、働かないでお金が貰えるとしたらどうする?」
「……なるほど。そういうことですか」
「理解したか。そうだ。どうやらギルドは任務を受注している間はお金が勝手に増える仕組みになっているらしい」
「そんな……そのせいでこの村がこんなに荒らされるなんて……! そうだ! 国には進言したんですか!? こんなこと、許されるはずが――」
「お前さんがどこで生まれたか知らないが、たかが村の言うことを国が信じると思うか? 村の世話を国がしているのなら多少なりとも耳を傾けるだろう。しかし、現状はどうだ? 村は村で自衛。国は国で自衛と完全に分かれている。最近は国が村の事情にしゃしゃり出てきているようだが、権力の差は国が上じゃ」
「そうか……そうですよね」
「奴らは村がどうなろうとも気にも留めない。国の安全が守られればそれでいいのじゃろう……」
村の中で国という存在が大きくなり始めたのはごく最近の出来事だ。
それまではただの物資を調達できる場所。その程度の認識でしかなかったんだ。
国だって認識は村と同じはずだ。今までは物資を買ってくれる商売相手程度の認識だったんだ。
商売相手はたくさんいる。だから、村の一つや二つ潰れたって構わないんだ。
……そんな。これからもっと良い関係になっていくと思ってたのに。
「お前さんは女の子を守ったそうじゃな」
「……はい。でも、俺はそうすることが普通だと思って」
「ありがとう。そして、厚かましいとは思うが頼む。この村を救ってくれ」
「もちろんです。トロールは絶対に俺が倒します」
「そうか……。あと、こっちは単なる願いだが、腐敗したギルドを立て直してやってくれ」
「はい。分かりました。村長」
「……よく私が村長だと気づいたな?」
「その話し方で分かりましたよ。それに、ただの老人なら家を使わせてもらえないかなとも思いまして」
「今度、この村に脅威が来た時は個人的にお前さんに頼みたいところだな」
「ええ。大歓迎ですよ」
ようやくこの村の現状を知り、仲良くなったような気がする。
後はこの期待に応えるだけだ。
決意を新たに、女の子の母親が話しかけてくる。
「ねえ、せっかくですからお昼ごはん一緒にしません? 少し遅めですけど……」
「え!? そんないいですよ! お構いなく……」
「お兄ちゃんと一緒にお昼ごはん食べられないの?」
「いっ!?」
女の子は涙目になり始めている。
こういうのには俺は弱いんだよなあ。
まあいいか。お近づきの印ということで。
「……じゃあ、厄介になります」
昼ごはんを食べれば、あっという間に時は過ぎていくだろう。
夜が本番だ。トロールの退治。村の期待を背負って、俺は戦いに挑むんだ。
他のギルドの兵士が戦わないなら、俺一人で何とかするしかない。
夜戦に向けて、俺は昼ごはんを食べながら作戦を練るのだった。




