脳裏に映る未来の自分
戦争の始まり。
それは意外にもあっさりと、しかし確実に始まった。
誰かが開戦の合図を叫ぶわけでもなく、進軍してきた魔王軍と、ステル国の前で待機していた俺たちの軍の剣がぶつかりあったその時が開戦だった。
その瞬間から、気持ちのいい風が吹く原っぱは、血なまぐさい嫌な風が吹き荒れる戦場と化す。
俺たちの戦力は乏しい。魔王軍がどんな作戦を立案し、実行しても、俺たちの人数じゃ成功率は百パーセントになるだろう。
そんな俺たちが勝てる可能性のある唯一は……魔王軍に下っているモンスターへの説得しかない。
モンスターを寝返らせれば、勝機はある。
だからこそ、ユニは今必死になってこの戦場に声を届けていた。
それは、目の前にきたモンスターを一太刀で薙ぎ払っている俺の耳にもバッチリ届いている。
彼女は今までの想いを乗せて、訴えかけている。一生懸命、本気で人間とモンスターの友好を考えている。
その声はモンスターには届いているのだろうか。
「おい! ユニの声を聞いているんだろ! どうして魔王に従ってるんだよ!」
近くのモンスターに対して俺は叫ぶ。
早くしなければ、俺たちは一瞬にして消滅してしまう。だから、早く目を覚ましてくれ……!
ユニの声を聞いている内に、モンスターの中でも意見が分かれてきたようだ。
開戦当初は爪を光らせて兵士たちや俺を狙っていたのに、動きが鈍くなっている者が現れ始めた。
それとは対照的に怒りを爆発させて俺たちを襲うモンスターもいる。こっちは魔界に住んでいる魔王直属のモンスターなのだろうか。
どっちにしても、ユニの説得は効果があるってことだな。
よし、この調子だ。この調子で戦争を終わらせよう。
「ケイ。魔王はまだ来ないのかな」
俺に声をかけてくれたのはリアナだ。
彼女は魔王を倒すために、一緒に付いてきてくれた。まあ、未来からやって来たのだから魔王に対しても、俺たちよりはノウハウを持っているに違いない。
それに、この先の未来では、俺は死ぬ予定だからな。そうならないためにリアナには頑張ってもらわないと。
「どうやら……そうみたいだな」
「くっ……ボク的には早く来てもらいたいんだけどな」
「早く不安を取り除きたいってことか?」
「……うん」
「安心してくれ。俺は絶対に未来を変えてみせるよ」
周りを見回して魔王の姿を探すが、一向に現れる気配すらない。
まあ、当然と言えば当然だ。頭が前線に出てしまえば、それを狙えばいいだけの話。もし頭が死んでしまえば仲間の士気にも影響する。
そして、何も魔王が出てこなくても、魔王側は勝利出来てしまうのだ。それを崩すのが……戦力の逆転だ。
魔王側が不利になれば、魔王だって否応なしに出てくる。その時が、俺の全力を出す時だろう。
ユニの説得は続く。サマリたちの体力も心配だけど、後もう少しで成功するはずなんだ。
周りのモンスターの動きにいよいよ迷いが見え始めている。
彼女の説得は実にシンプルなものだ。魔王に反抗していた心を取り戻し、人間と協力して魔王を打倒しよう。前までは人間との交流も少なかったかもしれない。けど、今は違う。自分が俺やステル国と交流している。そこに嘘はない。
今までの確執は全て魔王が仕組んだもの。それに操られて悔しくないのか。……といったところだ。
彼女の真摯な言葉と声色は、かつて魔王に反抗していたモンスターの心を動かす。
それは平和への一歩を踏み出しているのと同じだ。
「……モンスターの動きが止まった」
「戦いを……止めてくれるのか?」
ようやく、大勢のモンスターの士気が低下した。
戦う意思を止めて、その場に佇み始めた。……成功したんだ、ユニの説得が!
俺は心の中でガッツポーズを取った。完璧とは言えないけど、全然良い。これで無意味に争う必要が無くなるのだから。
魔王の軍勢から考えると、ユニの説得に応じたモンスターが多すぎるような気もするが、それだけ彼女の言葉が響いたということだろう。
……綺麗事だけじゃないから、ある程度の血は流れてしまった。でも、これからは流れない。モンスターと人間の交流が始まれば、どっちも文明が進んでいく。
そう、新しい時代の始まりなんだ。
ユニの説得と同じように、王様の声が響き渡る。それは戦いを止めるように伝える言葉だった。
その言葉に従い、兵士たちも剣をしまい込んでいく。
「やったな、ユニ……」
今は届かないだろう。けど、俺はそう呟いてしまうくらい嬉しかった。
ユリナ隊長……ようやく俺たち前へ進めそうです。だから、天から見てて下さい。俺たちの世界を。
……まあ、進む前にでっかい壁があるんだけどな。
「……ケイ。来るよ、魔王が」
「ああ。どうやら、そうらしいな」
モンスターの動きが止まれば、魔王が動かざるをえない。そして、その時が……ようやく訪れた。
俺たちが戦争をしていた場所。そこよりも遠くの景色に、一つの影が見えた。強大なオーラを放つその影。さらに後ろには幾千もの影が行進している。あの影はまさか……!?
同じことをリアナも感じたようで、俺に確認する意味もこめて言葉にしてくれた。
「ケイ……あれってもしかして、魔王直属のモンスター!?」
「みたいだな。チッ! 結局血を流してたのは、魔王に反対していたモンスターだけだったってことかよ!」
ここで戦っている数が少ないのも納得だ。今戦っていたのは、この世界に流れていたモンスターたち。そして、魔界で暮らしていた魔王直属のモンスターは、英気を養った後にこうして俺たちを目指してきている。
そう、俺たちは魔王によって再び潰し合いさせられていたのだ。
「魔王……まるでこうなることを分かってたみたい」
何かを危惧するように、リアナが呟く。
彼女の顔を見る限り、ある人物が思い浮かんでいるようだ。多分、ジェスのことだろう。
「ジェスの野郎が何か告げ口したのかもしれない。ユニの説得で反旗を翻したモンスターで余計な被害が出るってな」
「……かもしれないね」
一番先頭を歩いているのは魔王だろう。
その影は腕を動かし、後ろの行進を止めさせる。それから、一人で歩いてきた。
「……ケイ」
「分かってる。俺が行く」
魔王の相手となれば、俺の出番だ。
俺も魔王に近づくために歩き出した。それを止める者はいない。みんな、魔王に敵わないと思っているからだ。唯一敵うとすれば……俺しかいない。だから邪魔をしない。
……正直、自分はそこまで担がれる存在じゃないと思っていた。今までは。けど、俺には力がある。みんなが俺を想い、俺がみんなを想うことで発動するスキルが。
このスキルを使って魔王を倒す。これが俺に与えられた役目なんだ。そのために俺は生きてきた。
今ならそんな気がするよ。
魔王と対峙する。
この瞬間、俺は初めて魔王の存在を確認した。奴は意外にも細身の男性に見えた。
腕は細く、長身であり、顔も整っている。まとっている衣服は高級そうなシルクであり、権力を見せつけている。
「お前がケイか?」
「……ああ。そうだ」
俺の言葉に魔王が不敵に微笑んだ。
「……フッ。貴様のような奴に『調整』と『奪取』が殺されたのか」
「だったら何だってんだ」
「いや……すまなかったケイ。奴らは『弱すぎた』な」
「何だと?」
「今まで自分の力が試せず不満だっただろう。だが安心してくれ。貴様はここで死ぬ」
「……その言葉。そっくりそのまま返してやるよ」
「それを言うほど、お前は強いのか?」
「ああ!」
すでに引き抜いていた剣を持って魔王に突撃する。
奴を倒せれば、争いは終わる。人間とモンスターの新しい未来が始まるんだ。
しかし、魔王は動じない。それどころか、人差し指をチョイと動かすことしかしない。
俺を挑発するためだけの行動か? そう思った瞬間、俺は血を吐き出していた。
「ガッ!?」
背中に空気を感じる。いや、これは体の中心に穴を空けられたんだ。
たった指を動かすだけで、魔王はこれだけの力を誇るのか!?
正直、サマリの魔法が無かったら死んでいた。彼女から受け継いだ力のおかげで、俺はすぐに回復することができ、反撃することも可能だった。
残像がかき消されるくらい素早く剣を振るう。魔王の首を狙い、一発で仕留める。
「ほう」
「ぐっ……!!」
そんな俺の剣撃も、魔王にとっては無力同然だ。
魔王は避けることすらせず、俺の剣を首筋で受け止めていたのだ。そこから先へ、俺は切断することができない。
どんなに力を込めても、みんなの想いを込めたとしても、魔王は動じず俺の剣は沈黙を保っていた。
「な……何だと……!?」
「これがお前の力か。それだけの力で今まで生きてきたというのか」
「ま……まだまだ!!」
「劣等種である人間が、優位種であるモンスターに敵うわけがない。死ぬ間際にそれを学べたとは……感謝した方がいいな」
「まだ……俺は死んじゃいねぇ!!」
「これから死ぬのだよ」
「ガハッ!!」
避ける間もなく、魔王の拳が俺の胸へとめり込んでいく。そのまま、俺は空高く浮かび上がってしまった。
ダメージは魔法のおかげで何とかなる。問題はただ一つだ。魔王を殺さなければならない。
丁度いい。俺は空にいる利点を利用し、空中を瞬時に移動して魔王の背中へと奇襲をかけようとした。
「――見えた!」
魔王の後ろにつくことができた。
俺は気づかれる前に剣を魔王の背中へと押し込もうとした。
しかし、それも防がれてしまった。魔王が何かを呟いた。それが魔法の合図だったんだ。
「――っ!?」
地面から現れる無数の針の山。それらは俺の体を貫き、血を吹き出させる。
俺を殺めたのと勘違いしたのか。俺が息絶える前に、針は地面へと戻っていった。
本当に……サマリの魔法を受け継いでいなかったら死んでた場面が多すぎる。
だけど……くそ! 自分の体を回復しても魔王を殺せないんじゃ意味がない……!!
「どうした? 虫の息だが……」
「これほど強いんじゃ……俺も本気を出さざるをえないってところだ」
「……今のが本気だと思ったが?」
「へっ……!」
冗談きついぜ。今の精一杯の強がりも、魔王にはお見通しってことか。
だったら……本気の力を出すしかない……!
それはつまり……スキルを……暴走させる……!!
今まで、みんなが俺を想い、俺がみんなを想うことでスキルが発動できていた。それを……変える。
サマリやアリー……ユニだけじゃない。今まで出会ってきたみんな……。まだ見ないモンスター……。そう、全ての力を俺に結集させる。
出来るかどうか分からない。けど、こうしないと奴には勝てない……!
「行くぞ……魔王……!!」
「……? 何をする? まあ、見ものだな」
俺の睨みさえも、魔王は涼し気な表情で見下してくる。
見せてやるよ……この世界の意思を……!!
――え?
その時だった。俺の脳内に、一抹の映像が流れ込んできた。
スキルを暴走させた俺が自らの身体を破滅させ、魔王に殺される映像。
そこには魔王の他にユニもいる。だが、彼女は俺と敵対しているようだった。
今は隣にリアナがいる。けど、脳内の映像はリーダーが隣にいた。
台詞も浮かんでくる。それを心の中で反芻していた。
『こうしなきゃ奴には勝てないんだよ! グ……グァァァァ!!』
『ケ……ケイさん!! ダメです! それ以上は!!』
『あーらら。ケイくんったら大胆ねー。あれじゃ死ぬわ』
各々が俺に対して感想を加える。
その場面で、俺は白目を向いて声帯や肺を潰すくらい恐ろしく低い声で唸り続けていた。
この時の俺にはリーダーの心配する声は聞こえていないんだ。彼女は必死に俺に呼びかけ続け、スキルの暴走を止めさせようとしている。
リーダーの声は無意味になり、俺は全ての力を失って膝をついた。そよ風が吹いてしまえばどこまでも飛んでいきそうなくらい、俺の体は沈黙していた。
思わず自分自身の肩に触れそうになったが、指先がすり抜けたことから映像だと思い出すことができた。
まるで、魂が無くなってしまったかのように、膝をついてからの俺はただの置物と化していた。
『ふ……何を見せてくれるのかと思ったら自滅したか』
『ケイさん!! 起きて下さい! あなたがいないとこの世界は……!! 嫌……! そんなのは嫌!! ケイさん! ケイさぁーん!!』
自分がこれから行ってしまう『過ち』に恐ろしくなって、俺は思わず剣を手放してしまった。
目の前には魔王がいるのに、俺は何てことをしているんだ。武器を捨てるだなんて、降伏と同じじゃないか。




