※私の一番信頼できる人
森の中を走るということ。
意外……というわけじゃないけど、やっぱり辛い。
幸い、天気が良かったから地面のぬかるみは少なかったけど、森の木々が日光を隠しているため、ある程度はぬかるんでいる。
それに、ユニちゃんを背負って馴れない山道にもならない獣道を走っているので、体力も必要以上に吸い取られてしまうのだ。
「アリー……」
「だ……大丈夫っ! まだ……走れるよ!」
息も切れ切れなのに、私は彼女を心配させまいと声色を高くする。
ああ……足が震えてきた。喉もカラカラで、心臓が激しく脈を打つ。ユニちゃんにも、私の鼓動が聞こえてしまっているんじゃないか。そんな心配をしてしまう。
「ハァ……ハァ……あっ――」
とうとう、ぬかるみに足を取られてしまう。
私はバランスを取れずにユニちゃんと共に地面に倒れ込んでしまった。
前のめりで倒れたため、私の顔に泥が塗りたくられる。白い学生服も、泥のせいで色が変わってしまっていることだろう。
まあ、ユニちゃんを背負った時点で汚れているからいいんだけど。
ユニちゃんは私から離れて、地面を転がってしまった。
うつ伏せで倒れている私が顔を上げて視線を向ければ、ユニちゃんが奥の方で倒れているのが確認できる。
「ユ……ちゃ……」
走るのを止めてしまったことで、私の体が強制的に休息に入ってしまった。
私は吐いた息さえもすぐに吸い戻すほど激しい呼吸に操られ、まともに言葉を発することができない。
どうしよう。これでリアナさんがやって来たら、もう私たちは終わってしまう。
せめて……けーくんと会いたかった……。
背負われていたユニちゃん。その間に受けていた傷も少しは癒えたのだろう。
ゆっくりと立ち上がって私に近づいてくる。けど、その歩みはとても遅い。
多分、さっきの戦いで足をくじいてしまったに違いない。
ああ、だからユニちゃんは逃げれなかったんだ。私だけに逃げろって言ったのは、自分が満足に動けないから……。
「アリー……!」
「ユニ……ちゃん……」
私だって黙って倒れているわけにはいかない。
若干過呼吸気味になりながらも、地に震える足を付けて立ち上がろうとした。
しかし、その後ろでリアナさんの声が聞こえてしまった……。
「アリー……大人のボクから逃げられると思ってたのかい?」
「くっ……! リアナさんだ……!!」
「アリー、私のことはいいから逃げてほしいの」
「ユニちゃん……でも……」
『でも』も『だって』もあるか。
私が満足に走れないこの状況でそんなことを言っても、間違いなく共倒れ。私のわがままになってしまう。
……ユニちゃん。私は……親友を見捨てなければならないの?
うぃーくんを実質見殺しにし、今度はユニちゃんまで……?
嫌だ。そんなことを言っても、今の私はただの『役立たず』じゃないか。
それなら、ユニちゃんを置いて逃げることが彼女を救う方法にもなるんじゃないか。
後ろから迫ってくるリアナさん。
そして、私に近づいて守ろうとしてくれるユニちゃん。
二人の距離が私の心を追い詰める。
時計塔の鐘が鳴り響く。まるで、私の決断を急かしているようだ。
……嫌。やっぱり……ユニちゃんを置いては……。
「リアナ! アリーを殺す前に、私と戦うの!」
「殺す? ボクは別に――」
「そうやってみんなを騙してきた存在は今までに何度も見てきたの。だから、騙されない」
「しょうがない。ユニちゃんだけは、大人しくしてもらうか」
ついにユニちゃんが私の前に出る。
私はよろめきながらも、ユニちゃんと同じ方向……つまり、リアナさんを見つめた。
リアナさんはさっきの剣を手に持っている。
やはり、あれがリアナさんの得意とする武器なのだろう。
「くっ……もう一度これで……!」
疲労しているにも関わらず、ユニちゃんが再び角を取り出した。
でも、ユニちゃんの手から角が滑り落ちる。
そしてそのまま、地面に膝をついてしまった。
「ユニちゃん!」
「さっきの傷で……満足に……!」
「動けないんだね? ボクの攻撃で。まあ、それはそうかもね。だって、今まで何度戦ってきたと思ってるのか……」
『何度も』?
ううん。今はそんな末端の言葉に惑わされてる暇はない。
逃げないと……。
ユニちゃんの意思を尊重し、私は後ずさりし始める。
そう、彼女を置いて逃げるという選択をしたのだ。
「ごめん……ユニちゃん!!」
「気にしないの……。アリーが無事なら、それでいいから……」
この光景を見たくない。
些か身勝手な理由だと思うけど、私は目を瞑ってユニちゃんに背を向けて走り出す。
でも、それは誰かのお腹に当たってしまってすぐに止められた。誰かって? それはね……私の中のヒーローだよ。
「――大丈夫か? アリー」
「けーくん……」
「ごめんな。すぐに追いつけなくて」
けーくんは泥だらけになった私の前に出た。けーくんの身長が、とても頼もしく見える。
彼の声が聞こえたことで、ユニちゃんも安堵したのか地面に倒れて気を失ってしまったようだった。
また、リアナさんは驚きを隠せないようだった。
まるで、けーくんが生き返ったかのように目を丸くし、口を震わせているのだ。
「ケ……ケイ……くん……」
「ようやく追いついたぜ、リアナ。だが、お前の計画は失敗したようだな」
「そ……そんなことって……」
「リアナ。ここで決着を付けてやる……」
彼も全力で走ってきたのかもしれない。少し肩で息をしているように見えるから。
でも、それでもけーくんが来たからには絶対に大丈夫。
きっと、リアナさんをやっつけてくれる。
そのリアナさんは、依然として戸惑っている。
さっきまでの威勢は鳴りを潜め、意気消沈している。
「……? どうした? 俺と戦わないのか?」
「それは……そんなこと……!!」
「まあいい。俺から仕掛けさせてもらう!」
「――くっ!?」
けーくんが剣を引き抜く。そして、風のように一気にリアナさんへ近づく。
けーくんの剣とリアナさんの剣が打ち合い、鍔迫り合いが始まるかに見えた。けど、リアナさんはすぐに退いて私たちと距離を取ってしまった。
「……ん? その髪留めは……」
けーくんも気がついたみたい。
そう、今のリアナさんは髪留めをしているのだ。何の装飾もない、質素な髪留めだけど、どうにも見たことのあるような気がしてならない。
その髪留めが、今の衝撃によって髪から外れてしまった。
地面に横たわるリアナさんの髪留め。
彼女も思わず、視線を髪留めにやってしまった。
「そんなに大事なものなのか? それ」
「…………」
何も答えないリアナさん。下唇を強く噛んでいるのが、何か言えない理由があるのかな。
――と、その時。新たな人物がこの場に現れた。
「よお、お前たち。俺はさしずめ……遅れて参上ってところか?」
その人物はかっこいい顔立ちをしていた。また、細い体なのにけーくんと同じくらいの剣を持っていとも簡単に振り回していた。
……あ。あの人って確か……!
前にうぃーくんがステル国を襲っていた間、サマリお姉ちゃんの家に向かう最中に現れた謎の人物……!
けーくんも彼を覚えていたようだ。だけど、けーくんの表情は険しい。
それもそのはず、けーくんと彼は一度争っているんだ。あの時は明らかに敵だった。
「お前……何のためにここに来やがったんだ? 俺とリアナの戦いの邪魔か?」
「ちょっと待てって。そんなに怖い顔すんなよ。あの時は『手合わせ』なんだからさ」
「くっ!! ジェス……なの!?」
リアナさんは彼を知っているみたい。
あの人、ジェスって名前なんだ……。最初に見た時は名乗りもせず、けーくんに殺されないようにすぐに逃げたんだっけ。
ジェスさんはリアナさんに対して余裕の表情を見せている。ということは……?
「伝説の人物、ケイ。オレはお前の味方さ」
「……自分からそう言う奴を信用しろってのか?」
「むう……なら、行動で証明してやるかっ」
大剣を構えながらも、彼は柄に取り付いているダイアルを回した。
あれは何だろう。その答えはきっと次の瞬間に分かるのだろうか。
「そのダイアルは……!」
「まあ見てなって、ケイ。こいつの理由は後で教えてやるからさ」
けーくんはダイアルのことを知ってるみたい。へぇー、やっぱりけーくんは凄いんだ。
回されたダイアルのおかげだろうか、ジェスさんの剣身が怪しく光る。
同時に、彼の真下に魔法陣が現れたのだ。あんなに準備に時間がかかる魔法陣を簡単に生み出せるなんて……どういう構造なの?
「よっと。それじゃ、行かせてもらうぜ! リアナ!!」
ジェスさんの狙いはリアナさん。
「オレの魔術、見せてやるよ。『ヒノヴェーブ』」
彼がそう唱えると、彼の真下にある魔法陣より、強力な炎が浮かび上がった。
それはジェスさんを燃やし尽くすことなく、とぐろを巻いてリアナさんへと向かっていく。
「くっ!? この魔法は……!」
「どうだリアナ? お前にこれが回避できるかな?」
「きゃああああ!!」
リアナさんに炎を避けることは出来なかったようだ。
彼女は武器で応戦したにも関わらず、炎を直撃で食らってしまった。
大木に叩きつけられる黒焦げになったリアナさんの体。そして、パタリと地面に倒れ込んでしまった。
「……どうだいケイ? これが答えさ」
「……ジェ……ジェス……! あなた……裏切りを……!!」
「お前がいけないんだよ。全部、お前が蒔いたタネってこと。分かってる?」
「まさか……!? く……くぅぅぅ!!」
地面に寝っ転がったリアナさんの苦痛なる叫び。慟哭。流れる雫。
何故か、敵なのに、私の心に響いた。
藁ではなく泥を掴むリアナさん。彼女はジェスさんだけを睨みつけ、すっくと立ち上がった。
「おぉ。まだ立ち上がるのか、酔狂だねえ。お前も」
「ふざけないで!! 私は……必ず未来を……!!」
ジェスさんに呪詛のような言葉を発しながら、リアナさんが逃げていく。
「待てリアナ!」
「まあまあ、落ち着いてくれケイ。アイツが今度やって来ても、オレとお前なら瞬殺だろ?」
「……確かに、そうかもしれないが……」
「アリーとユニを助けた。ひとまず、これでいいじゃないか」
「……ああ」
ジェスさんの言葉に不満っぽい感じだけど、けーくんはそれに従う。
けーくんはまだジェスさんを信頼してないみたい。まあ、それもそうかも……。
けーくんはリアナさんが落としていった髪留めを拾い、それをジーっと見つめていた。
「なあケイ。リアナからどれだけのことを聞いたんだ?」
「何?」
髪留めからジェスさんへ顔を向けるけーくん。
彼は眉をひそめながらジェスさんを観察していた。
「ああいや……アイツ、ケイに何を話したのか気になってな」
「……気になることは、今は『ラジアルロック』と言われている鉱石を『オケージョンストーン』と言っていたこと。他にはまだ確立してない技術の武器を持っていたってところか」
「……なるほどね」
「ジェス。それはお前にも言えることだがな」
「ま、そりゃそうだな。オレとリアナは同じだから」
「お前が真実を語ってくれるってことなのか?」
「そうだな……オレとしてはあまり語りたくないのが本心なんだが、話して信用してくれるってなら、喜んで話すぜ?」
「……教えてくれるか? お前とリアナの秘密を」
正直、最初に聞いただけだと飲み込めないだろう。
でも、ジェスさんは本気の表情で次の言葉を真実として話したのだった。
「オレとリアナは……未来からやって来た」




