※最悪な目覚め
目の前にお姉ちゃんがいた。でも何故だろう。私の目を通して映る彼女の姿はぼんやりと霞がかっていた。それに、お姉ちゃんはこんなに小さかっただろうか。霞がかっていた視界でも分かるほど、彼女の足は短かった。太ももから下は……?
お姉ちゃんの周りから液体が止めどなく流れている。この色の名前は忘れた。思い出せば、きっと私は……。
力なく横たわっているお姉ちゃんをぼんやりと見つめている私。
お姉ちゃんは片目を『瞑らされて』、私に話しかけた。
「……ごめん。もう……守れないね……こんな……体じゃ……」
耳を澄ますと、お姉ちゃんの言葉が私の中へと入っていく。けど、その言葉の意味が理解できない。
放心していたのだろう。私は脱力感にさいなまれている。
お姉ちゃんが手を伸ばす。何故か、今のお姉ちゃんは指が三本しかなかった。
「……でも……ただじゃあ……死なないんだから……」
お姉ちゃんの中指が私の髪留めに止まる。それから、唇が動いた。
お姉ちゃんが何を言っていたのか私には分からない。だけど、それは呪文のように聞こえた。
唱えたことに満足したのか、お姉ちゃんはそこで目を閉じた。呼吸によって微かに動いていた体も同時に動きを止める。
中指が髪留めから私の頬、そして地面へと移動する。彼女の命の灯火と一致した中指。それが、彼女の死だと気付かされたのはいつだっただろう。
「サマリ……お姉ちゃん……?」
私は愚かにも、決してお姉ちゃんに届かない瞬間から声を出すことができたのだ。
今にも泣きつきたい。でも、そんなことしたらお姉ちゃんの努力が無駄になる。敵に見つかったら、私はすぐにでも殺されるだろう。
だから私は非情にも、すぐに立ち上がってこの場から離れる。早く生きている人間に会わなきゃ、守ってくれた私の命も無駄になる。
そう、私は弱い人間。守られてばかりで自分は何もできなかった。……あの時に私も何かできたはずなのに。
「――っ!?」
目の前の現実が信じられなくて、私はガバッと起き上がった。
肩で息をし、さっきの出来事を頭の中で反芻していく。……サマリお姉ちゃんが、死んだ?
その事実に焦りながら、私は額の汗を拭う。まるで激しい運動をした後みたいに、体中が汗だくになっていた。
それから目元に違和感を覚え、手に触れる。涙の後が、うっすりと残っていた。
「ここ、は……」
ずっと放心していたからか、今この瞬間まで自分がどこにいるのか考えもしなかった。
改めて周りを見回すと、ここは確かに私の……ううん、けーくんの家だ。布団から這い出て、私は居間へと向かう。
「あ……」
そこにはいつもの日常があった。けーくんは朝食の準備をし、たまにユニちゃんがちょっかいを出す。
けーくんによって台所から追い出されたユニちゃんは私に気がついたのか、妙に驚いた表情を浮かべていた。
「アリー。珍しいこともあるのー」
「え?」
「今日はお寝坊さんじゃないの?」
時間としてはいつなのだろう。でも、こんなに目覚めが悪い朝というのも久しぶりのような気がする。
一番顔が見たいサマリお姉ちゃんがいないから、まだ少し不安感が残っている。
この状況を見れば、さっきのは悪い夢だろうとは思うんだけど、現実味があって気持ち悪い。
ただ黙っている私を不思議に思いつつも、ユニちゃんは何かを閃いたようにポンッと手を叩いた。
「あっ、今日は午後からサマリさんたちと遊ぶから、それが楽しみなの?」
「サ、サマリ……お姉ちゃん」
脳裏に焼き付く、あの悪夢の光景。私の想像力はこんなにも豊かだっただろうか。
私の様子をおかしいと思ったのだろう。ユニちゃんは再び台所へと足を運んでいく。きっとけーくんを呼んだんだ。
ちょうどよく、けーくんが料理を運んでくる。木の器に並々と注がれたスープ。そして一斤のパン。みんなでそんなに食べられないよ、けーくん。
「お、今日は起こす手間が省けたな。いつもそうだと俺は嬉しいんだけどな」
「ねえねえケイくん。今日のアリーおかしいの」
「おかしい? またユニが催眠術とか変なことやったんだろ?」
「うー……私、そんなに信頼ないの?」
「人が料理しているところでちょっかいを掛けてくる奴は信用に値しない」
「それは謝ってるのー」
三人分の食事をテーブルに置かれるのをボーっと眺めていた私。
変わらない、いつもの風景だ。……大抵、私がお寝坊さんだから見ることは少ないけど。
けーくんは椅子に座る前に、私に近づいてくれた。そして、私の額に手を当てる。
「熱は……ないみたいだが、どうした?」
「あ……うん」
「何か変な夢でも見たか?」
どうしよう。サマリお姉ちゃんが死んだ夢を見た……なんて言ったら失礼だろうか。
けーくんは怒らないだろうか。少し緊張してしまう。
でも、嘘を付きたくない。私は意を決して喋ることにした。
「サマリお姉ちゃんが、死んだの」
「夢の中でか?」
「……うん」
「現実は?」
「……生きてる」
「だったら問題ないだろ? 夢なんてのは結局夢だ。楽しい日々があればすぐに忘れるさ」
「そう……かな?」
「それに、あいつが死ぬなんていつものことだろ? 死んだフリなんて、あいつのお手芸だしな」
確かに、サマリお姉ちゃんはギリギリの戦いで、下手をすれば命を落としかねないことをやっている。
もしかして……夢の続きもそうだったのだろうか。けーくんが助けに来て、サマリお姉ちゃんも魔法で回復して、大逆転する。そんないつものお話。
……もはや細部も思い出せない。夢のサマリお姉ちゃんがどんな感じだったのかさえ。『死んだ』という記号だけが、唯一思い出せる夢の内容だった。
「ほら、せっかく早起きしたんだからゆっくり朝食を食べようぜ?」
「うん……そうだねっ」
「きっとアリーのためにサマリさんは死んだの。早起きするようにって」
「ハハッ、そうかもな。今日の午後はあいつとどっか行くんだし」
所詮夢での内容。けーくんとユニちゃんが笑い話に花を咲かせる。もちろん、それに私も参加する。
「ところでけーくん。このパン……食べきれないよ」
「ああ。余った分は昼と夜に分けようと思っててさ」
「そっか」
「今日の授業は午前中だけだが、気を抜くんじゃないぞ」
「大丈夫だよ。もう慣れたもん」
「よしよし。その意気だ」
もう……子供扱いして……。でも、私はまだけーくんにとっては養われる立場の存在。
けーくんに認められるためには、早く学校を卒業して(早く……って出来るのかな?)モンスターを倒せるように頑張らないと!
あ……モンスターとはもうすぐしたら戦わなくてもいいかもしれないんだっけ。
王様のおかげで、モンスターと人間の友好が進んでいくんだろうし。うーん……そうしたら、私が勉強していることって意味があるのかな?
……いい人間と悪い人間がいるように、モンスターだっていいモンスターと悪いモンスターがいるはずだ。
魔王がその象徴じゃないか。そう、私は魔王を倒すために勉強しているのだ!
「ん……ごちそうさま!」
食事を済ませた私は足早に食器を台所に置いて、自分の部屋へと向かって学生服に着替える。
着替えもお手の物だ。最初はけーくんに手伝ってもらったけど、もう大丈夫!
カバンを手に持ち、私はまだテーブルで食事しているけーくんたちに挨拶をする。
「行ってきまーす!」
「ああ、気をつけるんだぞー」
「午後は、私が迎えに行くのー」
「うん。ありがとうユニちゃん!」
よし、元気が出てきた。いつも通りの私を取り戻すことが出来た。
玄関から外に出た時にはもう、私はさっき見た夢の内容を完全に忘れていた。




