※傷だらけの体
「しまった……もうこんな時間だ」
確か、けーくんのほっぺたを叩いて即座にベッドに潜り込んだところまでは覚えている。
しかし、その後の記憶がまったく思い出せない。
違う。もしかして寝てた……?
布団の中が暖かく、まだこの温もりに浸っていたいと思ったけど、これ以上寝てしまってはいけない。
昼夜逆転はさすがにマズいよ。
だから、私は布団を蹴飛ばして無理やり体を起こした。
「ふぁぁぁ……みゅう……」
大きく欠伸をして、窓の外の景色を見る。
外はすでに茜色の夕日が辺りを照らしていた。
こんな時間帯に寝ぼけまなこでボーッと空を見ているのを誰かに目撃されたらたまらない。
私はすぐに窓から離れたのだった。
「ふぅ……一日ここで寝ちゃってたよ……」
居心地の良さに驚いている。
部屋は狭いし、誰とも知れない人と同居しているにも関わらず、なのに。
本当は今日一日考えてこの部屋を出ていった時のその後の生活を思案するはずだったのに。
これじゃあ、けーくんが嬉しがるじゃないの。
「ふふっ……」
……ふと、ギルドから帰ってきた彼が私の姿を見てホッとする姿を想像してしまった。
そんな彼を見て、私も笑顔をほころばせるの。
旅団から盗賊団に囚われてから、私のことをこんなに心配してくれるのは彼が始めてかもしれない。
「――って私のバカッ! ま、まだ気を許してはいけない!! きっと今のうちにどこかに売り飛ばされるんだから!」
でも、けーくんと一緒に居られるのなら、こんな生活も悪くないかも……。
私もいつかはけーくんの役に立てたらいいな……ってちょっと待って!
「それに何が『けーくん』よ! もう何か心の中で緩みきってるじゃないの私!」
いけない。これ以上ここにいたら、もしかすると彼の奴隷になってしまうかもしれない。
ちょっとだけ優しくされたからといって、心を許しているようじゃすぐに悪の道に誘い込まれちゃうわ。
それだけは何とか阻止しなきゃ!
そんな決心を固めたところで、階段を上がってくる音が響いてくる。
そう。これはきっと……って、ん? 足音が二つ?
「……が、俺の部屋なんだ」
「へぇー! 案外普通の部屋なんだね!」
一人はけーくんだ。今日は帰りが早いらしい。
確か、今日はギルドの登録だけなんだっけ? それじゃ早いのも当たり前か。
でも、扉越しに聞こえてくるのはけーくんだけじゃない。
壁を挟んでも聞こえてくる大きな声は、女の人の声だ。
もしかして、けーくん新しい女の子を持ち帰ってきたの?
……違うか。ギルドの先輩なのかもしれない。
だって、ギルドの先輩とも会うって言ってたもん。
ガチャっとドアが開き、二人は中へと入ってきた。
「ただいま帰ってきたぞー。お、ちゃんと留守番しててくれたか。すまないな栗毛ちゃん」
ああ。予想通りけーくんは私を見て微笑んでくれた。
それから、私の頭に手を当てて礼を言ってくれたのだ。
「それとありがとう。俺を起こしてくれて」
口元がうわづいているのを必死に堪えているのが、彼には分かっちゃうかな。
私はいつも通りのクールな表情でいると思いたい。
その偽りの表情が崩れてしまうから、彼の目を見るわけにもいかず、私は目を背けたのだった。
「はは……まだもう少し時間がかかるか」
ううん。多分、そんなかからないと思う。
「おおう……後輩くん。これはどういうことなのかな? どうして後輩くんの部屋に可愛らしい少女が」
目を丸くさせた女の人がけーくんの後ろにいる。
あれって獣人族なのかな? 頭に三角形の耳が生えているし。でも、思ってたのとちょっと違う……。
多分、大人しくしていればとても可愛らしい女の人なのだろう、彼女は。
でも、目の前の彼女は感情豊かに驚きを表現している。……今、けーくんに見せている私と違って。
「……あっ! もしかして後輩くん! 人身売買でもやってるの!? 街にいる貧乏そうないたいけな少女を甘い誘惑で誘い込んでどっかに売り飛ばすヤツ!!」
「誰がそんなことするかっ! 酷い言いようだぞサマリ!」
「アハハごめん。だってまだ出会って一日しか経ってないから人となりが分からなくて」
「……ったく。で、俺の部屋を見て満足か?」
「……ううん。だって、目の前に可愛らしい少女がいるんだよ! 抱きしめずにはいられない!!」
「え!?」
サマリはそう言うと、けーくんを押しのけて私に接近してきた。
その表情はもう何というかまさに野獣だった。
そして、彼女は私と目と鼻の先にまで近づくと思い切り抱きしめ始めたのだった。
「可愛いー! ねえ後輩くん! 妹に頂戴!」
「ダメだ」
「えー……。この子、私の妹になるために生まれてきたのに……」
「勝手に決めつけるなよ……」
そんな会話が二人の間に繰り広げられている。
普通の人なら、抱きしめられて嫌な思いをすることはないだろう。サマリは可愛いし、なおさらだ。
だけど、私は違う。抱きしめられてほしくない。
何故なら……。
その時、サマリに抱きしめられたせいで全身に残っている傷跡が疼き出した。
それは痛みとなって全身を駆け巡る。全身を針で刺されているような感覚。
「――っ!!」
「ふえ? どうしたの?」
「? 栗毛ちゃん?」
心配そうに覗き込んでくれる二人。
だったらお願い……。サマリを私から引き離して……!
けーくんは優しいからきっとすぐに気がついてくれる。だけど、先に気がついたのはサマリの方だった。
彼女は私の表情を察してくれたのか、私を抱きしめるのを止めた。
「サマリ、まさか……」
「……ねえ君、ちょっとだけいいかな?」
サマリの言葉の意味が分からず、私はただ痛みを堪えている。
その言葉の意味が分かるのに時間はいらなかった。サマリは私の衣服を下から持ち上げてめくったのだから。
……出来ればけーくんには見せたくなかったよ。私の傷だらけの体。
盗賊団に囚われていた間、私はあいつらの玩具にしかならなかった。色んなことをされた。
死なない程度に痛めつけられて、精神的にも壊されそうになって……。
でも今日まで生き抜いてきたのはきっと助けがくると思ってたから。確証はないよ。でも、そう思ってないと私は死んでた。
「……後輩くん。彼女、どこで見つけてきたの?」
「……栗毛ちゃんは盗賊団に囚われてたんだ。それを俺が助け出した。ただ、トラウマになってるみたいで言葉を喋れないらしい。でも、こんなに傷だらけだったなんて思わなかった……すぐに病院に行こう」
「そっか……。ねえ君。私がその傷、治してあげるよ」
「え? そんなことできるのか!?」
「出来るよ。だって私は魔法に関してはスペシャリストだからね!」
そう言うと、サマリは魔法の杖を取り出した。
それから怪しげな呪文を詠唱し始める。私が聞いたことのない呪文だ。と言っても、旅団にいた時に誰かが言ってた呪文しか聞き覚えがないんだけど。
サマリの下の地面に魔法陣が浮かび上がり、光る。
青白いその光は彼女を取り囲んでその後に杖に集約された。
「我に癒しの力を……そして、彼の者に祝福を! 『ナスタ ・ ミラ』!!」
杖から放たれた光は私を包み込む。
暖かい光だ。そして、体中がちょっとくすぐったい。
光は私の中に全て吸い込まれていった。それと同時に体中の痛みは消え去っていく。
まさか、本当に治してくれたの?
「よし! これで完治したよ。ほら、服を脱いで確認してみようよ」
サマリが無理やり私の上着を脱がせ始める。
きゃあ! ちょっと止めてよけーくんがいるんだよっ!
でも、彼女はそんなことお構いなしだ。ちょっとデリカシーがなさすぎよ。
赤面しながら、私は上半身裸になってしまっている。
けーくんの様子を上目遣いで見上げたが、彼は特に何の感情も抱いていないようだった。それはそれでちょっと悔しい。
サマリは私を窓へと誘って、窓に反射した私の姿を映してくれた。
本当に消えてる。あんなにあった傷跡が……。
「さっきまでの傷が消えてる……本当に治してくれたのか? サマリ」
「ふふん。どうよ? これで私を先輩と呼ぶ気になった?」
「……まあ少しは。栗毛ちゃんに変わって礼を言うよ。ありがとう」
「どういたしまして。さて、これで抱きしめ放題ってことだよね?」
サマリは私を引き寄せて、再び抱きしめた。
今度はさっきのような痛みはない。もう、あの盗賊団の傷は消えたんだ。
これからは、裸になってもあの傷を見て苦しい思い出が蘇ってくることがないんだ。
サマリ……いや、サマリお姉ちゃん。ありがとう。
と言いたいところだけど、けーくんに何も喋ってない手前、どうにも喋りづらい雰囲気がある。
本当は口に出してお礼を言いたいんだけど……。
まあ、いいか。今日は好きなだけ抱きしめられてあげる。




