主として。
紺に教えてやろう! と、思い、さっそく部屋に呼んだ。まあ、呼ばなくても来るし、離れないんだけどね……。
「春子、どうしたの? 何か、いつもと違うね」
きょとん、と首を傾げた紺。
私の気持ちが伝わったのか、どこか、そわそわとしている。
「紺、あのさ、お母さんのこと、どう思う?」
「春子のお母さん? そのままだよ。春子の、お母さん」
「えっと、優しい、かな? 紺にも」
「優しいと思うよ」
あっさりとした紺の答えに、お、何だ、紺には好印象なのかな! と喜んだ。が。
「春子、お母さんと話すと、いつも心が温かくなる。だから、優しいと思うよ」
ん? それは、私を通して見たお母さんではなかろうか。
「いやいや、紺から見て、お母さんは優しい? 私の心じゃなくて!」
「僕? ……わからないなぁ。知らないよ」
紺は、とても、それはそれは真顔で、そう言った。
興味がない、と言いたげで、悪びれもしていない。
「えっと、あんまり話さないのかな?」
「うーん、話すことも無いからね」
「ご飯とか、掃除とか、してくれてるの、お母さんなんだよ?」
「うん、知ってるよ。でも、だからって、話すこともないよね」
ここまでいくと、良い意味で、正直。
悪い意味で、礼を知らないのか、有り難さを知らないのか。
「日頃、紺の為にもやってくれてるんだよ? お母さん、凄いと思うよね」
独り言みたいに、ぽつり、っと言葉にした。
紺は、どんな言葉であっても、私の声を聞き逃したことはない。
「……わからない。凄いの? 僕、別に頼んでないし」
曇りなき眼。
本当に、何とも思っていないのだろう。
きっと紺は、感謝、という言葉を、知らないんだ。
……どうすれば、解って貰えるのだろうか?
「だって、ほら、本来は、私がするべきことなんだよ? 部屋の掃除も、洗濯も、料理だって!」
「そうなの? それなら、今から僕がやるよ! 春子の為なら、何だってするよ」
「いや、ちょっと待って、違う違う!」
「違うの? じゃあ、何?」
どうすれば良い?
紺なら、本当に全部やってしまいそうだ!
何か、紺がお母さんに感謝するであろう、何か!
「あれだ! ほら、私を産んでくれた! 私が今、ここにいるのも、紺と会えたのも、お母さんがいたからなんだよ!!」
これだ! と、興奮して、声が大きくなったが、これならどうだ!
一瞬、目を見開き、驚愕した紺。
そして、少し俯いた。私は、その顔を、覗き込む。具合でも悪いのか、と。
驚いた。
何故なら、紺は…………泣いていたから。
大粒の涙が、頬を少し伝って、カーペットへと染み込む。
言葉が出てこない。何て言ったら良いのだろう。だって、紺の泣き顔なんて、始めて見たから。
どうしたのだろう?
今の話の流れに、泣くところなんてあった?
動揺していると、紺が私にしがみついてきた。
両腕を、私にとっては強い力で、握り締められる。
そして、時々鼻を啜りながら、紺が一生懸命口を開く。
「春子と、僕を会わせてくれた……春子を、こんなに、素晴らしい人に、育ててくれた……? 春子を、この世に、産んでくれた……? それが、お母さん?」
「う、うん、そうだよ」
涙を今も流しながら、私に問う。
私が素晴らしいかどうかは、わからないけど、でも、間違いではないと思う。
「僕は、僕は、馬鹿だ! なんてことを!」
一際、大きな声に、驚く。
今なお、腕には力が入っていて、痛い。
でも、それよりも、紺が心配になった。だって、物凄く、それこそ、今にも死んでしまうくらい、後悔しているみたいに、嘆くから。
「こ、紺? どうしたの、大丈夫?」
「春子、ごめんなさい! 僕、春子のお母さんのこと、ただの人間だと思ってた。家政婦みたいに、思ってた。今まで、僕は、なんて無礼をしてきたんだ! もっと、もっと、そうだ、敬語でも敬いきれない、存在かもしれないのに! 春子の、大切な人に、僕は!!」
先程まで、紺の中では、何の感情も抱いていなかった[お母さん]という存在。そのはずなのに、今は本気で悔やんでいる。
紺の綺麗な瞳から流れる涙、鼻を啜る音。悔やんで悔やんで、苦しそうな声。
紺の全てに、混乱する。
どうして、ここまで変われる?
先程の無関心な紺と、同一人物には、とても思えない。
私? ……私が、変えた?
私を産み、育てたのが、お母さんだから?
それなら、こんなにも、紺に影響を与える私は、一体、彼の何なのだろうか。
「あ、あの、紺、落ち着いて! ね?」
「僕、僕! 謝らなくちゃ! 春子のお母さんに、許して貰わなくちゃ!」
ぐっしゃっと音がしそうなくらい、豪快に左の袖で涙も鼻水も拭った紺は、言うや否や、ダッシュで部屋を出て行った。
「ちょ、ちょっと、待って、紺!」
私も後を追う。
「春子のお母さん! 僕、貴方に、とんでもないことを! 今までごめんなさい!」
居間でテレビを見ていたお母さんに、駆け寄ると、紺は迷いもなく土下座した。
一連の言動に、私は少し恐怖すら感じる。
「あら、紺ちゃん? どうしたの、一体」
「僕、これから、お母さんのことも、守るから! 春子のお母さんは、僕のお母さん。春子の大切な人は、僕も、大切な人だから!」
真剣な表情で、淡々と、だけど、言葉には重さがある。
まるで、主に忠誠を誓うかのよう。
「あらあら、どうもありがとう、紺ちゃん。凄く嬉しいわ」
「これから、掃除も洗濯もご飯も、僕がやるよ! 春子のお母さんは何もしなくて良いよ」
紺は、お母さんに、私に向けるのと同じ笑顔を見せる。
まるで、私に話すみたいだ。
お母さんは、一瞬目を見張ったが、すぐに、いつもの優しそうな笑みに戻る。
「それは、ダメよ、紺ちゃん。掃除も洗濯もご飯も、私のお仕事なのよ? 頑張っている春子や紺ちゃんの為に、私が出来ることなの。だから、紺ちゃんは今まで通り、春子をよろしくね」
「……わかった! でも、何かあったら、僕に言ってね! 何でもするから!」
紺は物凄く嬉しそうで、犬の尻尾があれば、ぶんぶんと千切れんばかりに振っているだろう。
改めて、思う。
紺の私に対する何か。執着と言うか、崇拝と言うか、よくわかないけど、紺自身の考えも変えてしまうような、影響力。
能力……というか、執事とは、皆、こうなのだろうか?
それとも、先生が言う通り、紺だけ、違うのだろうか。一般的な執事とは、違う、のかな。
わからないけど、お母さんとは良好な関係を築けそう。
じゃあ、先生の言う、私とお母さん以外。他者、とも良好な関係を築けるかと、言ったら、それは、ノー。
たぶん、無理だろう。
……誰かに相談しよう。
一人で考えても、出口が見えないし、もう分からない。
助けて、椿~!
次は、紺の視点から書いてみたいな、と思ったりしております。
今後とも、よろしくお願いします!




