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ルミリアとドミトリアス 小話

 ―――これはまだ、ルミリアが幼い頃の話。


 ルミリアはその日、いつものようにお父様と共に王宮へと登城した。

 お父様と別れてルミリアが向かった先は、アレクサンドルの部屋の私室だった。

 けれど何処を探してもアレクサンドルの姿はなかった。途方に暮れたルミリアは、丁度近くを通った女官にアレクサンドルの行方を聞くと、どうやら今日は早朝から予定を変更して帝王学の講義に向かったのだという。

 何だか最近、避けられている気がする。

 そう思いながらもルミリアは不思議そうに首を傾けた女官に、恥じらうように目を伏せた。


「ごめんなさい。私、予定を見落としていたみたいですわ。どうぞアレクサンドル様には内緒にして下さいませね」

「ええ、分かりました」


 人の好い女官はにこりと微笑んで頷き、仕事へと戻って行った。

 

「これから、どう致しましょうか…」


 胸元にぎゅっと握りしめた本は、レンドルフの各地方にある郷土史を編纂し一冊の本に纏めたレンドルフの歴史書である。

 今日はアレクサンドルと一緒にこの歴史書を紐解き、自主学習を行うつもりだったのだけれど、あくまでも講師が付かない勉強だから、ルミリアはいつもアレクサンドルの王子としての勉強の合間に少しだけ時間を貰って共に自主学習を行っていた。

 同じ本を一緒に読み進めつつ、お互いの意見を出しながら歴史書を紐解くのはとても楽しくて、ルミリアはいつもアレクサンドルが話す様々な解釈に心躍らせていた。

 ルミリアにない新たな視点や見落としていた部分を、アレクサンドルは的確に掬い上げ見つけ出してくれる。これまではアレクサンドルの好意に甘えていただけなのかもしれない。


「これからは一人で自主学習しなければいけませんわね」


 ああでも今日ばかりはどうするべきか、ルミリアは思案に暮れた。

 今日はお母様に予定を伝えてお父様と一緒に登城したから、予定が変わった等と言って屋敷に帰れば、お母様は不審な思いを抱くだろう。

 それでもアレクサンドルの私室付近に留まっている訳にもいかず、ルミリアはとぼとぼと当ても無く王宮内を彷徨った。それも五分、十分と経過していく毎に、本当にどうしたものかと焦燥感に駆られ、ルミリアはその場にしゃがみ込んだ。


 用事もなく王宮に留まっておくことは難しい。けれどここに居てもどうしようもないのだから、やはりどんな顔をされたとしても屋敷に帰ってしまうべきか。

 ぐるぐるとそう考えていた時、何かが駆けてくるような足音と共に、ボーイソプラノの澄んだ声がした。


「どうした、具合でも悪いのか?!」

「ドミトリアス様…?」


 そっと顔を上げると、焦ったように、「具合が悪いのなら動くなっ。今人を呼んでくるから!」と今にも駆け出しそうなドミトリアスに慌ててその手を引いた。

 お父様に、こんな事を知られたら不味いっ。


「ごめんなさい、ドミトリアス様。私ならば大丈夫ですわ」

「そんな青い顔をして何を言ってるんだっ。具合が悪いのだろう?」

「…私、そんなに青い顔をしていますか?」


 鏡なども無い今は、自分ではどんな顔色をしているかなど分からない。

 心配そうに、けれど少し怒ったような表情を浮かべるドミトリアスの手をぽんぽんと叩き、「本当に大丈夫ですから」と立ち上がった。

 瞬間、くらりと眩暈がして、少しだけよろけてしまう。慌てて手を引いてくれたドミトリアスが居なければ、そのまま倒れていたかもしれない。

 視界の端がちかちかと明滅する。


「ほら、具合が悪いのだろう? 良いから、少しこっちに来いっ」

「いえ、本当に…」


 ただの立ち眩みですから、という言葉は声に出ることはなく、ドミトリアスの鋭い眼差しに喉の奥に消えていった。

 とても心配されている。それが何処か気恥ずかしくて、申し訳なくて、ルミリアは俯いた。まだ視界は少し薄暗い。

 ルミリアの片手を握ったままドミトリアスが向かった場所は、アレクサンドルの部屋からは随分離れたドミトリアスの部屋だった。


「そこのソファーに座っていろよ。今、女官を呼んでくるから」


 ぶっきらぼうそれだけ言って部屋から出ていったドミトリアスの背を目で追ったルミリアは、特大のため息を吐いた。

 もうどうにでもなれ、という投げやりな気持ちも勿論ある。けれど何というか、上手く立ち回れない自分の不器用さに打ちのめされた。

 ルミリアだって本当は、分かっているのだ。本当はこうして王宮に頻繁に来るということは、どういうことなのかということを。けれどどうにも今のルミリアには、アレクサンドルとのすれ違った思いをぶつけ合うことも、ましてやどう解決すれば良いのかも分からなかった。


「アレクサンドル様は、きっと私の存在を持て余しているのだわ」


 年齢が三つ年上の、今は12歳のアレクサンドルと9歳のルミリアでは、勉強する内容も、そして抱く感情も違う。特に今は段々と少年から青年へ移行していっているアレクサンドルにとっては、婚約者とはいえ自分の周りをうろちょろするルミリアに少々耐えきれなくなっているのだろう。

 なんというか、思春期特有の異性を出来るだけ遠ざけたい時期、とでも言うのだろうか。


「ルミリア、遅くなった。……ルミリア?」


 ぼんやりと空に視線を向けていたルミリアは、我に返って「はい」と上ずった声で返事をし、慌てて取り繕うように「はい、ドミトリアス様。お帰りなさい」と続けた。

 そうこうしている内に女官が来て二人分の紅茶を出すと何か気を利かせたのか、別室で待機していると言って直ぐに出ていった。

 紅茶に手を付けると、固まっていた体が解されていくようだった。視界も、すっかりと元に戻っている。


「様子がおかしいな。まだ休んでいろ。顔色が戻ってない」


 壊れ物を扱うかのような繊細さでルミリアの頬に触れたドミトリアスの手が擽ったい。思わず首を竦めると、ドミトリアスが微笑んで、ルミリアの隣に腰を下ろした。

 どきりと色々な意味で胸が高鳴った。けれど動くことは出来なくて、少しだけ居住まいを正した。


「それで、どうしてあんな所で踞って居たんだ?」

「……それ、は」

「大方、兄上絡みだろう? 別に誰にも話はしない。だが私には話して欲しいな」


 先程の素の声などではなく、外で被った爽やかな王子らしい笑顔で笑うドミトリアスは、目を細めて「さあ、言え」とばかりに威圧してくる。

 ドミトリアスにならば、隠しておく必要もないか。

 ルミリアは隣に座るドミトリアスに、これまでの経緯を話した。




 ルミリアの話に僅かに絶句したドミトリアスは、ならばとルミリアに予てより考えていた事を提案する。

 ルミリア自身は兄上の所業にショックを受けているようだけれど、ドミトリアスにとってこれはまたとない好機だった。


「なら、私と一緒に勉強すれば良いだろう。兄上と時間が合わないのならば仕方ないんだ」

「ドミトリアス様、」

「ルミリアは、私と勉強するのは嫌、か?」

「そっ、そんな訳ございませんわっ。ですがその、退屈やもしれませんわよ? アレクサンドル様と勉強していたのは、この国の地方の歴史を編纂したものですし、」


 慌てたように手を振るルミリアに、しめたと内心舌舐めずりした。


「構わない。というより、私もそういった勉強をしてみたいと思っていたんだ」

「ですけれど…」


 視線をさ迷わせるルミリアの顔を覗き込み、ドミトリアスは勝利を確信した。


「なら、これで決まりだ。良いな、ルミリア?」

「ええ、分かりましたわ。ドミトリアス様。これから、よろしくお願いいたします」

「……そのドミトリアス様と言うのも止めろよ。ドリーで良い。これから二人で勉強するんだ。その時だけで良い、そう呼んでくれ。固くなっていては勉強出来ないだろう?」

「そうですわね。分かりましたわ、ドリー」


 こくりと素直に頷いたルミリアに、ドミトリアスは歓喜した。

 兄上がルミリアとの自主学習時間を実質放棄してくれて良かった。ずっと、ずっとだ。

 ドミトリアスはずっと、ルミリアと二人だけで過ごせる時間が欲しかった。立場上、兄上の婚約者と長時間居るというものはこれからもっと憚られる筈だ。


 だが二人で勉強しているというのであれば、どうだ?

 誰も文句は言わないだろう。

 二人が仲良く勉強をしているのを見るたび、ドミトリアスは内心の悔しさを押し殺して、穏やかに二人の話を聞いてきた。

 兄上がなんの気紛れを起こしたのかは分からない。何せ兄上は弟であるドミトリアスにすらその胸中を明かそうとはしない。王子らしからぬ繊細さを持った兄上のことだ。何か一人で複雑に考え込んで逃げ出したといった所だろうか。


 だが、これかドミトリアスにとって絶好のチャンスであったことは確かだ。そこを逃すドミトリアスではない。


 ルミリアが持っていた本を開き、二人で一冊の本を覗き込んで、どういう内容で、どこまで進んでいるのかを説明するルミリアの心地よい声に耳を傾けながら、ドミトリアスはそっとこれからの事を思って微笑んだ。

 ああ、楽しみだ。



アレクサンドルは、考えに考え抜いて、自己完結するタイプの子どもでした。本編では周りに頼るということを覚えましたが、この時はまだ、どうにも煮詰まると、距離を置く事で冷静になり、自己完結した答えを相手に伝えるということをしていたので、ルミリアにも周りにも、行動の予測が付かず振り回されていました。

蛇足でした。

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