曖昧で不確かな関係のふたり4
目を閉じて、真っ暗闇の中で聴覚が鋭敏になっていると、声までも完璧だ、と知った。どういう声、とは言いづらいものの、それがオンナゴコロを絡め取ってしまうのだろう。
細かに鼓膜を震わすその低音は一旦、電気信号に変えられているとはにわかに信じがたい。
本当にこんな声だっただろうか。こうも、あたしを絡め取るとは。直接聞く声よりも、痺れる。この普通でない状況がそれを促進させているのかどうかは知らないけれど。
今。あたしの世界には、やつの声しかなかった。電気信号に変えられた、凶器とも言える、低音ヴォイス。
よくよく考えてみれば、今までこいつと電話越しに話したことなど数えるほどしかなかった気がする。それほど、同じ時間を同じ場所で過ごしてきたし、お互いの予定を支障が出ない範囲で把握していた。
だからこそ、電話での声はあたしにあれやこれやと考えさせるのかもしれない。…………けれど、これを迷惑だと思うくらいには、あたしはそれ以上に囚われる思考がある。
『聞いてんの?』
調子よく話していたはずの声が、急にトーンを変えて不機嫌さを前面に押し出してきた。それさえも、震わす。……何を、とはあえて言わない。言いたくない。
あたしの思考の一部だとしても、徐々に侵食していく。あたしにとって一番、とも言える考えがじわじわと押されていく。
「聞いてる」
『……さっきから俺ばっかしゃべってんじゃん』
「そうだっけ?」
あんたのこと考えてるから、なんて言ったらやつはどんな反応するかわかってるから、あえて言わない。あいつの言うとおりあたしはレンアイ体質じゃないんだろうな、きっと。
『そうだよ。お前、一言ずつしかしゃべってねぇじゃん。うん、違う、そう、ふーん、聞いてる、ってさ』
「そうだったっけ?」
返事したこと、覚えてないんだけど。無意識って怖い。
『そうだよっ! お前、今何してんだよ』
不機嫌さを隠そうともしないやつの声は次第にその完璧さを欠いていく。聞くに堪えない、とまでは言ってはかわいそうだけれど、発する本人をよく知っているからこそ、その怒りに満ちた声は似合わない。
これ以上、あたしの一番を侵されたくない。いままでのあたしのままで居たい。
今まで恋して浮かれる友人らを見て、ああはなりたくないな、と思っていた。レンアイであたふたするあたしを、一番見たくないのは、他でもないあたしだ。
だから、答えた。速度を上げて侵食し始めた思考を無理やり押し込めるために感情を込めずに。
「何って、ベッドで寝てる」
付け加えて言うなら、真っ暗闇の中で、ベッドの横になっている。さらに詳しく言うなら、電気を消したのは1時間ほど前だ。さらにさらに細かく言うと、電話が掛かってきたときにはすでに浅く眠りについていた。
『……もしかして、お前寝てた?』
「もしかしなくても寝てた」
『ごめん。……でも早くね?』
「今日は疲れたの。明日も早いし。……もういい?」
音以外伝わるはずのない携帯電話から、やつが口を閉ざし困ったように眉を寄せた様子が伝わった、気がする。もしかしたら、泣きそう、だったかもしれない。
言い方間違ったかな、と思い至ってどうフォローしようかと考え、ようやく口を開こうとしたとき、電気信号に変えられた声が耳に届く。
『おやすみ』
予定していた言葉を継げず、その言葉の返事さえもさせてもらえず。ツーツーと無機質な機械音が鳴る。
失敗したかな? 頭の片隅に掠った思考も無理やり押さえ込んだ甲斐があってか、すぐに睡眠欲に負けて掻き消され、そのまますーっと眠りに付いた。
ちょっと先の未来のふたり。まだまだ彼は頑張ってもらわないと。