2.1
朝焼けは外の空気も透明な窓ガラスも突き抜けて、わたしのまぶたにほのかな赤色を落とした。
厚ぼったい寝袋のなかで、今日の日中は暖かくなりそうな空気を感じる。
なんの準備もなしに来たのは痛かった。カップ麺一個ではどうがんばっても今日には帰らなくてはならなくなっていた。
わたしが山ごもりを続行できたのは、他ならぬ朽木さんのおかげ。
わたしの憂さ晴らしなんかに協力してくれる朽木さんはとてもいい人だ。
――それに比べて。
思いだしてしまった嫌な顔を打ち消そうと寝袋のなか小刻みに身を震わせた。
今年のゴールデンウィークは一日の平日を挟んで大きくふたつにわかれた飛石連休で、その前半に彼氏と行った旅行は最悪に終わった。
倦怠期に入っていたのを気に病んでわたしから誘った旅行だったが、最後の日にケンカ別れをしたのだった。
おとといは一日学校だったけど、彼と顔を合わせることは一度もなく、電話一本、メール一通さえもなかった。
それで、連休の残りは山にこもって好きな絵を描いて気晴らししようと決めたのだ。
学校が終わってから出発したせいで、山の麓に着いたのは日も傾いた暮れ方。朽木さんが拾ってくれなかったら、想像以上に恐怖だった真っ暗闇に怯えて泣いていたことだろう。
うつらうつらと考えごとをしているうちに二度寝してしまうのは家にいるときと同じで、再び意識を取りもどしたのは部屋の戸の向こう側から人の活動する気配を感じとったときだ。
お世話になっている身のくせに、二日続けて朝寝坊なんて。昨日起きたのなんてもう日が高くなってからだった。
わたしは寝袋から這いでてケータイをチェックした。
着信、メールともに0件。圏外だから、まぁ当然。なんて、そんなことよりも現在の時刻は……。
時刻の確認のあと、わたしは伸びをして、それから窓枠に手を掛けて念のためにと太陽の位置も確認した。
太陽とわたしとを隔てるのは、昨日わたしと朽木さんとできれいにしたあの窓。
その向こうの太陽は、空の一番高い箇所のすぐ傍まで昇っていた。
それでもきっと朽木さんは優しいんだ。
あいつなんてそんな思いやりを欠片も持っていない。
ふん、わたしに優しくしなかったことをいつか後悔するわ。彼がいなくたって、ほら、今だってもう素敵な男の人と同じ屋根の下で生活しているんだから。
部屋を出て早々に笑顔の朽木さんと顔を合わせて、ついさっき独り善がりの遠吠えに利用してしまったことを深く反省した。
「継美さん、おはよう」
「おはようございます。あの、ごめんなさい。わたしまた寝坊してしまって」
朽木さんは、「気にしないで」とわたしの頭に手を置いた。
そこでわたしが無口になってしまったものだから、朽木さんは、馴れ馴れしくし過ぎたかな、という感じのきまり悪い顔でわたしの頭の上から手をどかした。
「ええと、昼食の用意はできているんだけど、たくさんはいらないかな」
「あ、はい。ダイエット中なので、せっかくなのにごめんなさい。少しだけいただきます」
ダイエット中なので、だって。そんなおかしなウソつかなければよかった。彼とケンカした腹いせに、なんて言えないけど、それならそうとただ絵を描きに来ましたって言えばよかったのに。ばかみたい。
「今日も絵を描きに行ってきます」
料理の盛りつけをする朽木さんは笑顔で返事をした。
「帰る日までにこのスケッチブックをいっぱいにできたら、そのなかで一番のお気に入りを朽木さんにプレゼントします」
朽木さんは、「楽しみにしているよ」と言って小皿に盛った山菜の和え物を差しだした。
「いただきます」
わたしは皿を受けとって昨日と同じ位置に着席した。
「今日はどの辺りで描くかもう決めた?」
朽木さんも昨日と同じ席に着く。
「えっと。戻ってこられなくなると困るのでそんなに遠くへは行かないと思いますが、でも、まだなにも考えていません」
それなら、と手を叩いた朽木さんは、指であっちの方を指ししめした。
「小屋を出たら、道に沿ってずっとこの方向に歩くと、景色のいい山川があるから。よかったら行ってみるといいよ」
そういえば、初日に真っ暗ななかをさまよっていたとき、何度か川辺に出たりもした。
結構横幅のある川で、昼間はいいかもしれないけど、夜は真っ黒な川水に吸いこまれそうで近づくのが恐ろしかった。
「きっと気に入るよ」
わたしは笑顔で朽木さんにお礼を言い、それから少しのあいだ遠くの空を眺めて、最後にまた言葉を交わし小屋を出発した。




