3.5
雲のない夜空に切れ長の月が浮かぶ今夜は特に暗い夜だ。木々の陰でなくても、照明がなければ歩くことさえままならない。
「遅くまで付きあわせて悪かったね」
彼女は大きな袋を膝にがさがさ当てながらゆっくり歩いた。
「いいえ、わたしの方が夜突きにすっかりはまってしまって。でも、朽木さんがあんなワイルドな魚捕りをするなんて意外でした」
もしかして、がたいがいいだけの優男と思われていたかな。
「もっと意外なことを教えようか」
笑わないでくれるかな、と言う僕を彼女は、「今朝方、笑わないでって言ったわたしを朽木さんは笑いましたよ」と非難した。
「参ったな」
彼女は一笑して、「大丈夫です、絶対に笑いません」と約束した。
「本当に?」
彼女は僕の眼を一心に見つめて固く誓った。
僕は咳払いをして心を落ち着かせる。
僕が、臆病な僕の話を他人にするのはこれが初めてだ。初めてどころか、生涯そんな話をすることはないと思っていた。
夜の火影や、草を切り裂く音、それに天井を揺らす大きな影。
僕はあの小屋に再び住みはじめたその日から、それらが怖くてしょうがなかった。
「子供の頃はそんなのなかったと思うんだ」
彼女は笑わなかった。
「僕はね」
本当は恐がりなんだ。
ちょうど今ごろの時間だ。僕の部屋には得体の知れない光が見え隠れしだす。
「霊感のようなものですか?」
「わからないんだ。もしかしたら、幻覚や幻聴かもしれないし」
ただね、怖いんだ。
カンテラが照らす細い山道に視線を落とす。疎らに生える草の影で地面が斑に染まり、伸び縮みする模様はカンテラの真下に吸いこまれては後ろへと流れ消えていく。
僕はただ単にその話をしようと思っただけで、それで彼女になにか言ってもらいたいとかはなかった。でも、それにしたって、いつまでも押しだまったままの彼女には、さすがに不安が募る。
気づかれないようにちらりと窺った彼女の眼は、なにもない夜の空に向いている。
僕も彼女の見る空に眼を送った。
大空の闇に飲み込まれた僕の心がそこでたゆたって見える。と、それとは対照的に際やかな光が突然空から流れ落ちる。
「朽木さんっ、今流れ星が!」
足を止めた彼女は、僕も確かにそれを見たことを確認すると満足げにまた進みだした。
「流星群が来ているんだ」
だから、残念だけど流れ星はロマンチックな偶然じゃないんだ。
「でも、朽木さん」
うん。でも、そのときにふたり居あわせたのは少しロマンチックな偶然かも。
彼女が言い止めて口に出さなかった続きを密かに想像した。
「朽木さんが見る夜の光って」
僕の考えたことが通じてしまったのか、彼女の頬がほのかな赤に染まっているように見える。
「山って空に届きそうなくらい高いじゃないですか。だから、もしかしたら毎晩流れ星が朽木さんの部屋を通っているのかも」
彼女は照れた顔に微かな朗色を浮かべて僕の眼を見た。
「ありがとう。もしそうだったら、すごくロマンチックだね」
ああ、なんだか話してよかった。
もし僕が子供で、それで母親がいたとしたら、きっと今みたいに安心させてくれるんだろうな。
「ねぇ、朽木さん」
彼女は僕を包むような声で言った。
「あの木だった頃は叶わなかった望みなら。今度こそ、ずっと恋していたかたの傍まで行ければいいですね」
夜の深いところで彼女のまなざしは特に際立つ。




