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魔竜を倒した彼女が、王子ではなく荷物持ちの俺を選んだ理由

作者: 宮田花壇
掲載日:2026/11/03

 その日、長らく王国の仇敵だった魔竜が討伐された。


 もちろん、俺が倒したわけじゃない。倒したのは雇い主の魔術師様で、俺は荷物を運んでいただけだ。


 そして、長かった旅もついに終わりを迎える。


 魔竜討伐の旅から帰還して一夜明け、俺は宿の一室で荷物を整理していた。


 使い込んだ鍋に、残り少ない薬箱。底を繕った靴は、もう一度直せばしばらく履けるだろう。もっとも、伯爵令嬢である彼女が、今後もこんな靴を履くとは思えないが。


 彼女は王国最強の魔術師だ。


 魔竜を討伐するほどの腕前で、頭もよく、何があっても冷静だ。貴族の生まれで、容姿だって美しい。


 そんな人の靴を俺が繕うことになるなんて、昔は想像もしなかった。


 俺が彼女と初めて出会ったのは、十年以上も前のことだ。


 俺は田舎の貧しい村の出身で、当時、父親の遠征に同行して村を訪れていた彼女に、命を助けられたことがある。


 村の近くで魔物に襲われた俺を、彼女が魔術で救ってくれたのだ。


 あのときの彼女は、まだ今ほど名の知られた魔術師ではなかった。それでも俺にとっては、物語に出てくる英雄そのものだった。


 それから時が経ち、魔竜討伐の遠征に同行する荷物持ちを募集するお触れが出た。


 俺は真っ先に志願した。


 魔竜の討伐など無謀だと、誰もが口を揃えていた。当然、同行者だって命懸けだ。結局、俺以外に志願者はいなかったらしい。


 だが、その分、報酬は破格だった。故郷の家族を養えるし、村の暮らしも少しは楽にできる。


 もちろん、それは本当の理由だ。


 ただ、あの人のそばで働けるなら、少しくらい恩返しができるかもしれない。そんな気持ちもあった。


 そうして念願叶って彼女の荷物持ちになったわけだが、実際に一緒に旅をしてみると、一つ困ったことが分かった。


 彼女は、生活能力については少々問題があったのだ。


 放っておけば食事を抜くし、靴が破れても気にしない。怪我を隠して進もうとするので、一度本気で怒ったこともある。


 あのときは解雇されるかと思った。


 ところが彼女は、しばらくぽかんとしたあと、妙に素直に謝ってきた。


 以来、俺が飯を作ればちゃんと食べるし、休めと言えば渋々ながら休むようになった。


 まあ、世話の焼ける人だった。


 そんな彼女とも、今日でお別れだ。


 報酬を受け取ったら、俺は故郷に帰る。家族も待っているし、村のみんなにも無事を知らせたい。


 何より、伯爵令嬢と荷物持ちでは、旅が終われば接点もなくなる。


 それでいい。


 憧れの人の役に立てたのだ。これ以上を望むなんて、贅沢というものだろう。最初からどうにかなるなんて思っていない。


 それに、魔竜討伐の褒美として、国王陛下は王子殿下との婚姻を考えているらしい。


 彼女には、そういう立場こそふさわしい。


 強いて心配があるとすれば、ちゃんと飯を食うかどうかだけだが、そこは王家がしっかり管理してくれるに違いない。


「……もう、荷造りをしているのですか」


 振り向くと、いつの間にか彼女が立っていた。


「はい。今日の褒賞式が済めば、仕事も終わりですから」


「故郷へ帰るのですか」


「そのつもりです。長い間、お世話になりました」


「……そうですか」


 彼女はそれだけ言って、黙ってしまった。


 いつもどおりの、感情の読めない顔だった。


「どうかしましたか?」


「いいえ。何でもありません」


 彼女は少し考えるような顔をしてから、俺の手元を見た。


「その杖も、今日までお願いできますか」


「もちろんです。最後までお運びしますよ」


 俺が答えると、彼女は小さく頷いた。


 それから何か言いかけたようだったが、結局、何も言わずに部屋を出ていった。


 変な人だ。


 まあ、今に始まったことではない。


 *


 王宮の広間は、俺には場違いなほど豪華だった。


 金の装飾に、立派な絨毯。貴族たちがずらりと並び、玉座には国王陛下が座っている。


 俺は広間の隅で、いつものように彼女の杖を抱えていた。


 彼女は玉座の前に立ち、国王からの賛辞を受けている。


 旅の間は、焚き火の前で眠そうにしていたり、苦手な野菜を皿の端へ寄せたりしていた人だ。


 だが、今の彼女は誰が見ても立派な英雄だった。


 やっぱり、こういう場所が似合う人なのだ。


「此度の働き、まことに見事であった。そなたには相応の褒美を与えねばなるまい」


 国王陛下が満足げに頷いた。


「そこで、我が息子との婚姻を考えておる。そなたほどの者ならば、王家に迎えるに不足はない」


 広間がざわめいた。


 やはり、噂は本当だったらしい。


 胸の奥が少し痛んだが、覚悟していたことだ。


 彼女が幸せになるなら、それでいい。


 俺は抱えていた杖を持ち直した。


「ありがたきお言葉です、陛下」


 彼女は静かに頭を下げた。


「ですが、一つお願いがございます」


「ほう。申してみよ」


「褒美を選べるのでしたら、あの方との結婚式をお願いします」


 彼女が、こちらを指さした。


 杖が床に落ちた。


 乾いた音が広間に響く。


 ……え?


「……あの方、とは?」


 国王陛下が尋ねた。


「そちらにいる、私の荷物持ちの彼です」


 彼女はきっぱりと言った。


 広間中の視線が、一斉に俺へ向いた。


 いや、待ってほしい。


 何の話だ?


「そなたの荷物持ち、とな?」


「はい」


 彼女ははっきりと頷いた。


 王子殿下も、国王陛下も、貴族たちも呆気に取られている。


 当然だろう。


 俺だって、まったく理解できない。


 彼女は魔竜を倒した英雄だ。王子殿下と結婚できるというのに、どうして俺なんかを選ぶのか。


 気づけば、口が動いていた。


「……な、なぜ、自分なのですか」


 失礼な質問だったかもしれない。


 だが、聞かずにはいられなかった。


 彼女なら、きっと明確な理由があるのだろう。


 この人はいつだってそうだった。どんな窮地でも冷静で、何をすべきか分かっている。


 ところが。


「……それは」


 彼女は言葉に詰まった。


 珍しい。


 魔竜を前にしても取り乱さなかった人が、困ったように眉を寄せている。


「あなたが、帰ると言ったので」


「……はい?」


「嫌だったのです」


 彼女は俯いた。


「あなたが故郷へ帰ると聞いて、嫌だと思いました。もう一緒にいられないのが、どうしても」


 俺は何も言えなかった。


「私は、あなたがいなくても生きていけます。食事も作れますし、靴だって直せます。……たぶん」


 そこは断言できないのか。


 ……いやまあ、それはそれとして。


「でも、あなたがいないところへ帰るのは、嫌なのです」


 彼女は顔を上げた。


「覚えていますか。旅立ちの日のことを」


「旅立ちの日、ですか?」


「誰も私が帰ってくるとは思っていませんでした。魔竜を倒せるなどと、本気で信じていた人はほとんどいなかった」


 確かに、そうだった。


 出発の日、見送りの貴族たちは揃って暗い顔をしていた。まるで葬式のようだったのを覚えている。


「でも、あなたは違いました」


 彼女が言った。


「あなたは、帰り道の分まで茶葉を詰めてくれたでしょう」


「ああ……はい」


 それなら覚えている。


 彼女は紅茶が好きだったし、行きの分だけでは帰りに困ると思ったのだ。道中、同じ銘柄が手に入るとも限らないし。


「あなたは、どこまでも私の勝利を信じてくれていた」


 彼女は少し笑った。


「それが、とても嬉しかったのです」


 俺は思わず彼女を見つめた。


 そんなことで?


 ただ、茶葉を詰めただけなのに。


「それだけじゃありません。怪我をしたときも、疲れたときも、あなたはいつも私を待っていてくれました。私がどんな姿で戻っても、当たり前のように食事を用意してくれた」


 彼女の声が、少し震えた。


「だから、旅が終わっても、あなたのところへ帰れるものだと……勝手に思っていました」


 ああ。


 そういうことだったのか。


 俺が何でもないと思っていたことを、この人はずっと覚えていたのだ。


 破れた靴を繕ったことも、怪我を叱ったことも、帰りのお茶を用意したことも。


 俺にとって彼女が特別だったように。


「……あなたが好きなのです」


 彼女が言った。


 その顔は真っ赤だった。


「ですから、私と結婚していただけませんか」


 王国最強の魔術師が、俺の返事を待っている。


 魔竜を倒したときにも見せなかった、不安そうな顔で。


 俺は慌てて落とした杖を拾い、それから彼女に向き直った。


「……自分で、よろしいのですか」


「あなたがいいのです」


 即答だった。


 まったく、この人は。


 肝心なところでは、いつだって迷わない。


「……自分も、ずっとあなたが好きでした」


 ようやくそう言うと、彼女が目を丸くした。


 どうやら、まったく気づいていなかったらしい。


 俺は苦笑した。


「喜んで、お受けします」


 彼女はしばらく俺を見つめていた。


 それから、旅の間に何度か見せてくれた、あの小さな笑顔を浮かべた。


 *


「うむ! では、婚約は成立ということでよいな!」


 国王陛下の声で、俺はようやく周囲の存在を思い出した。


 そうだった。ここは王宮だった。


「あ、あの、陛下。よろしいのですか? 王子殿下とのお話は……」


「よい。そもそも褒美として持ちかけた話だ。本人が望まぬのであれば仕方あるまい」


 国王陛下は愉快そうに笑った。


「それに、これほどまでに想い合っておる二人を引き裂くほど、余は野暮ではないぞ!」


「あ、ありがとうございます!」


「うむ! では、式は王宮で盛大に執り行おう。魔竜を討伐した英雄の婚礼だ。国を挙げて祝わねばな!」


「あ、あの、陛下」


 俺はもう一度、恐る恐る口を開いた。


「何だ?」


「式の準備には、自分も加わらせていただけないでしょうか」


「ほう?」


「彼女は好き嫌いがありますので。料理や花などは、できれば自分が確認したいのです」


 彼女は魚料理が好きだが、香草は苦手だ。花も、香りの強いものだと頭が痛くなるらしい。


 せっかくの結婚式なのだから、嫌な思いはさせたくない。


「はっはっは! なるほど、花嫁のことはそなたが一番よく知っておるというわけか! よかろう。好きにするがよい!」


「ありがとうございます!」


 俺が頭を下げると、隣で彼女が笑っていた。


「……何ですか?」


「いいえ。あなたは、どこへ行ってもあなたなのですね」


「そりゃ、そうでしょう」


 そう答えると、彼女はますます嬉しそうに笑った。


 何がおかしいのか、俺にはよく分からなかった。


 やがて褒賞式が終わり、俺たちは広間を退出することになった。


 さて、彼女の杖を運ばなければ。


 そう思って持ち直したところで、彼女が俺を呼び止めた。


「最後に、もう一つだけ運んでいただけますか」


「え?」


 彼女は俺の前で、両腕を伸ばしていた。


 ……なるほど。


「それは、ずいぶん大きな荷物ですね」


「重いですか?」


「いいえ。これくらいなら、お安い御用です」


 俺は杖を近くの侍従に預け、彼女を抱き上げた。


 広間から拍手が湧き起こる。


 彼女は少し恥ずかしそうに、俺の肩に顔を埋めた。


「……落とさないでくださいね」


「何を今さら。今まで一度だって、あなたの荷物を落としたことはないでしょう」


「先ほど、杖を落としました」


「……あれは勘弁してください」


 彼女が声を立てて笑った。


 俺もつられて笑った。


 今朝までは、この人と別れて故郷へ帰るつもりだった。


 それがどういうわけか、結婚することになっている。


 人生、何があるか分からないものだ。


「ところで、帰ったらお茶にしませんか」


 腕の中から彼女が尋ねた。


「いいですね。ちょうど茶葉も残っていますし」


「帰り道の分ですか?」


「ええ。少し余りましたから」


「……よかった」


 彼女は満足そうに微笑んだ。


 俺はその笑顔を見ながら、王宮の扉へ向かって歩き出した。


 荷物持ちとしての最後の仕事は、どうやら花嫁を運ぶことになったらしい。


 もっとも、今度の荷物は、一生手放すつもりがないのだけれど。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

もし少しでも皆様の暇つぶしになったようでしたら、


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