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「ごきげんよう。貴女、とても優秀なのね? わたくし、自国民が優秀で誇りに思うわ」
学生を引き連れた王女メルリーの突然の言葉に、エリフィアは目を丸くした。お礼を小さく言って、エリフィアが逃げるようにそそくさと去っていくのを、メルリーは不思議そうに見送った。
後日、紙とインクの香りの漂う図書館で、一人、課題をこなしているエリフィアの元に、メルリーが一人で現れた。
「ごきげんよう。今日も勉学に励んでいらっしゃるのね? そうですわ! わたくしの分の課題、やっておいてくださる?」
笑顔でそう言ったメルリーに、エリフィアは冷たい視線を一瞬だけ送って返答した。
「お断りします」
「あら、なぁぜ? あなたはわたくしの課題をやりたくならないの? なぜ喜ばないの? 王女が優秀な成績の方が嬉しいでしょう?」
目を丸くしたメルリーがエリフィアを問い詰めた。その目には悪意など一切なく、本当に不思議な様子だった。一度、ため息をついたエリフィアがメルリーに語って聞かせた。
「成績は自分の実力を図る手段にすぎません。王女殿下を偽りの成績で見栄えを良くすることなど、誰も望みません。そもそも、王女殿下の成長の機会を奪うことが罪となるでしょう」
エリフィアが言いすぎたかとメルリ—の顔色を窺うと、驚いて目を丸くしたメルリーは嬉しそうに笑って返答した。
「貴女、面白いわ! わたくしも貴女と一緒に勉強させてちょうだい?」
そう言って、エリフィアの手を握るメルリーは、香水のいい香りを漂わせていた。
「エリフィア! あなた、この魔術具に興味はなくて?」
「これは……すごい。すごい魔力を感じます」
「なぜ、我が国だけで魔術具が作られていたのかしら? 今は製法がわからないなんて、もったいないわ。隣国に輸出できたら、より豊かな国にできたのに」
「よっぽど手間がかかるとかじゃないですか? わたくし、忙しいので失礼します」
エリフィアが理由をつけてメルリーを遠ざけようとしても、いつの間にかメルリ—はいつもエリフィアの横にいるようになった。
メルリーを取られたと思った一部の令嬢令息からエリフィアは嫉妬されたが、メルリーの成績が伸びるにつれ、意義を申し立てる者はほとんどいなくなった。
意義を申し立て続けた一部の中に、エリフィアの婚約者、マリオットがいた。何かとエリフィアに話しかける様子を勘違いした親戚筋からの報告によって、エリフィアはマリオットの婚約者となったのだった。
その頃にはエリフィアの優秀さは学園中で有名になっており、魔法の実力は国内でも一番だと噂されるようになった。その噂を広めた一因に、メルリーがいたのだが。
「エリ、貴女のご家族はいらっしゃらないの?」
「メルリー様。わたくしには、わたくしを心配する家族などおりません。メルリー様がわたくしに栄誉を与えてくださっても、家族は関心も抱かないでしょう」
「わたくしがおりますわ。エリ。あなたは、寂しくなんてないわ」
エリフィアが最優秀学生として表彰されることとなったとき、メルリ—の問いにエリフィアはそのように答えた。
メルリーはエリフィアを励ましながら、顔を歪に歪めた。エリフィアだけが気づいた、嘘をつく時のメルリーの癖だ。メルリーはエリフィアのことを寂しいと思っている。そんな気持ちを隠しきれていないメルリーに、エリフィアが思わず笑ってしまったのだった。
「エリ、隠し部屋を見つけたの! 一緒に探検しましょう?」
「え、メルリー様!? 一体何を!?」
メルリーに手を引かれ、学園の人気のない廊下を進んだ二人は、生徒の立ち入り禁止区画まで辿り着いていた。
「メルリー様? ここは、生徒の立ち入り禁止区画では!?」
「そんな固いことを言わないで、エリ。わたくしは王女よ? 罪に問われないわ!」
笑顔でメルリーがそう言うと、エリフィアも本当に罪に問われないような気がした。メルリーに引かれた手を振り解くこともなく、好奇心に負けたエリフィアがメルリ—の押した本棚の裏に現れた、少しカビ臭く、暗い、地下へと続く階段に入っていくまで、わずかな逡巡のみであった。
「エリ? あなたは我が国でいちばんの魔法使いよ。あなたの実力を信頼しているわ」
「メルリー姫様。あなたの身を守る栄誉に感謝を。この身が朽ちても、あなたをお守りいたします」
流行りの喜劇のセリフを真似、くすくすと笑いながら二人は階段を降りていったのだった。
「……なにこれ? 湖?」
階段を降りた先には、大きな扉があった。エリフィアが押しても引いても動かなかった扉は、メルリーが押すと、いとも簡単に開いた。森の香りが香り、心地のいい風が吹いた。
「エリ。開かないふりでもしていたの? この扉、とても軽かったわよ?」
「そんなわけないわ。わたくしが押しても開かず、メルリー様が押したら開いたのなら、王家の血筋でも必要だったんじゃないですか?」
そんなことを言い合いながら、開いた扉の先は、大きな湖と美しい庭園だった。エリフィアが安全かどうか魔力探知で調べ、安全とわかった二人は、喜んで駆け出した。
王女らしさや優秀な魔法使いらしさなど、その場にはもうなかった。ただの少女となった二人は、駆け回り、花を摘み、メルリーの持参したお菓子を摘んで休憩した。
「メルリー様は、お菓子なんてお持ちだったのですね」
「冒険には、お菓子は不可欠でしょう? 美しい湖……足先だけ、つけてみない?」
「わたくしが安全を確認してからでしたら。……特に異変はありませんね」
ひんやりと心地のいい温度にエリフィアが目を細める。エリフィアが足を湖につけてそう笑うと、待ちきれない様子のメルリーが靴を投げ出して、エリフィアの隣に駆け寄ってきた。
そうっとメルリーが足をつけたその瞬間、水の中から白い大きな何かが伸びてきて、水飛沫が上がった。そして、メルリーの足を掴んだ。メルリーが悲鳴を上げようとした瞬間、メルリーは水中に引き摺り込まれた。予期せぬ動きに、エリフィアが一歩遅れて湖に飛び込み、メルリーを探す。貴族子女と言っても家族に迫害されていたエリフィアは、泳ぐくらい可能なのだ。もがくメルリーを見つけ、エリフィアが慌てて魔法を展開する。
白い何かが増えて、メルリーを包み込もうとするその姿に恐怖を覚えながら、エリフィアが展開した魔法は、メルリーを救出することに成功した。メルリーの元まで泳いだエリフィアが、メルリーを抱きしめ、浮上する。体力強化の魔法を使いメルリーを抱き抱えたエリフィアは湖から離れ、扉の内側に戻った。メルリーの息を確認し、回復魔術を展開する。辺りを照らす光の魔術も使って。エリフィアの魔法使いの才は、こんなところにも現れていた。
「メルリー様! メルリー様! メル!!」
エリフィアの声に目を開いたメルリーが、小さく悲鳴を上げた。
「ひっ……エリ? ごめんなさい。混乱して。ここは……安全なのね?」
「ごめんなさい。メルリー様。あんな大口を叩いて、あなたの身を危険に晒しました」
「いいえ。エリ。あなたは悪くないわ。あれは、王族を狙ったものだったの。あなたのせいじゃない。大丈夫」
「メルリー様、ごめんなさい」
「エリ? さっきみたいにメルと呼んで。何度呼んでと頼んでも呼んでくれないのだもの。メルと呼んでくれたら、全て許すわ。それに、ここにきたのはわたくしとあなたの二人の秘密よ? 絶対に誰にも言ってはダメ」
最後の言葉を唱えるにつれ、顔色が悪くなる王女の体調を慮り、エリフィアは頷いた。
「わかりました。メル」
「敬語もやめてほしいわ。だって、わたくしたちは親友、でしょう?」
そう首を傾げたメルリーに、エリフィアが力無く笑った。
それから、メルリーはしばらくの間、夜、うなされることとなった。メルリーの強い希望で、エリフィアは、メルリーの寮室に呼び出されることが増えた。もちろん、エリフィアが寝ついている時に強引に呼ぶことなどなく、メルリーのお願いベースであったが。
メルリーを心配したエリフィアも、夜呼ばれるまで待つことが増え、次第に二人の時間は増えていった。
「ごめんなさいね、エリ。今日も呼び出してしまって」
「いいえ。メル。わたくしも、メルと話す時間が楽しみだったもの。問題ないわ」
あれ以来、時折暗い表情を浮かべるメルリーは、決してその理由をエリフィアに明かすことない。エリフィアも無理に聞き出すことなく、隣にいるだけに努めるようにしていた。
そして突然、メルリーはエリフィアの婚約者と共に夜会に現れ、婚約破棄と国外追放を宣言したのだった。




