第31話 救世主湊山くん
その時、なぜ湊山くんの名を呼んだのか、自分でも分からなかった。
湊山くんは、私が勇者の剣で倒してしまった。
そして黒く小さな光の欠片となって消えてしまった。
私はそれを目の前で見ていた。
助けに来てくれるはずなどないのだ、不可能なのだ。
なのに私は彼に助けを求めた。
そして彼は助けに来てくれた。
彼は叫ぶわけでもなく、興奮するでもなく、ごく普通の調子で私の呼びかけに応えてくれた。
「湊山くん、なの……?本当に湊山くんなの?」
半信半疑どころか全くもって理解不能な状況に私は混乱の極みにあった。
「はい」
「なんでここに?」
自分で助けを求めておいて、何でも何もない。
だが、聞かずにはいられなかった。
「分かりません、でも……」
「でも?」
「呼ばれたような気がします、さく……勇者ミリアに」
「本名で呼んでくれていいよ」
「でも……」
「私、勇者なんて名乗る資格ないから……」
「そんなことないです、ゆう……桜川さん!」
「お主、どこから来おった」
苛立たしげに魔王が言った。
そうであろう。すっかりその存在を忘れて、私と湊山くんは二人の世界に入ってしまっていたのだから。
「分かりません」
視線を私から魔王へとゆっくり動かすと、落ち着いた声で湊山くんは言った。
「魔王の角はどうした?」
「分かりません」
「お主、死んだのではないのか?」
「分かりません」
苛立ちが募る一方な様子の魔王とは対照的に、湊山くんはひょうひょうとして、どこかすっとぼけた様子で答えている。
「まあ良い」
とりあえず状況を理解することは諦めた様子の魔王が言った。
「とりあえず、我を手伝ってそいつらが王城と呼んでいる家畜小屋を潰すのだ」
「嫌です」
「何だと?」
苛立つ魔王を無視して、湊山くんは空中から地面に降り立った。
そして、先ほど受けたダメージで座り込んでしまっている私のところにきた。
そして私を間近に見ると、
「え……これってすごく痛そうじゃないですか!」
と大きな声で言った。
「分かるの?」
確かに痛いが、表面的には怪我はしていない。
「分かります……くそ、桜川さんにこんなことしやがって……!」
そうブツブツ言いながら湊山くんは私の胸に手を向けた。
彼の手が淡い緑色に光った。
(あ……気持ちいい)
「とりあえずの処置です。後でまたしっかり治しましょう」
「うん、ありがとう、でも……」
「?」
「もう魔物がすぐそこまで」
そう、魔王が呼び出した魔物の群れが、ほんの数メートルのところまで迫ってきているのだ。
「あ、ほんとだ」
という湊山くんは少しも慌てていない。
「とりあえずは……」
そう言うと湊山くんは、サッと無造作に手を水平に振るった。
彼の手の先から白く光る光の粒が広がっていき、あっという間に魔物たちを包み込んだ。
すると魔物たちはその場で立ち止まり、座り込んだり、寝転んだりしてしまった。
「魔物たちには眠っていてもらいましょう」
こともなげに言う湊山くん。
「すごい……あ、そうだ、エルファさん達が……!」
私は城壁を見た。
ランベルが今もエルファを抱きかかえている。
そこから少し離れたところにはオローギルとグルヌが倒れている。
湊山くんは彼らを見ると、
「あ、はい」
と言って、フッと姿を消した。
一瞬後にはエルファとランベルのところに現れて、私にしたのと同じように二人に手をかざした。
「おのれ、黙って見ておれば好き勝手やりおって」
我慢ならないといった様子で魔王が湊山くんに向かって魔法を放とうとした。
「湊山くん!!」
私が警戒の声を上げる。
だがその一瞬後、魔法を放とうと上げた魔王の腕がふっ飛ばされた。
「え……」
湊山くんを見ると、しゃがんでランベルに治癒魔法をかけながら、反対の手を魔王に向かって伸ばしていた。
「お主、今何をした……」
さすがに魔王も狼狽が隠せないようだ。
だが、湊山くんはそんなことは意に介さずに、さっと動いてオローギルとグルヌに治癒魔法を施した。
「お主、我が誰だか分かっておるのか!」
とうとう魔王が癇癪を起こした。
治癒魔法をかけ終えた湊山くんは立ち上がって魔王を見て言った。
「分かりません」
「何だと!」
ますます苛立ちを隠せなくなっている魔王。
「あなたがどこの誰なのかは分かりません。けど、分かっていることもあります」
そう言いながら湊山くんは、再び淡い光に包まれて浮かび上がった。
「まず、あなたが俺の意識を支配して王国を攻撃させたこと」
「そうだ、よく分かっておるでは……」
「そしてもう一つ」
「ぐっ……」
魔王の返答など意に介さずに湊山くんは続けた。
「俺があなたより強いこと」
「何だと?」
「分かるんです。なぜ分かるのかは分からないけど」
「戯言を抜かすな!この世界は我が創ったのだぞ。その我を超える強さの者がいるわけ……」
ドンッ!
魔王の左腕が吹っ飛んだ。
「あなたは俺の大切な人にひどいことをした。その報いだ」
魔王を人差し指で差しながら湊山くんが言った。湊山くん得意の指先でドン魔法(命名私)だ。
(大切な人って、私のことかな……)
湊山くんにそう言われて悪い気はしない。
だが、そこまではっきりと口にされるとちょっと恥ずかしい。
「おのれ、おのれ、おのれおのれぇーーーー!」
苛立ちが頂点に達した魔王の魔力が増大していくのが私にも分かった。
魔力の増大に合わせて、湊山くんにふっ飛ばされた腕が再生した。
「腕が再生したよ、湊山くん!」
私が注意を喚起するつもりで言った。
「はい、大丈夫です」
いたって落ち着いた様子の湊山くん。
「こうなったら仕方ない。この世界ごと吹っ飛ばしてくれるわ!」
魔王の顔はほぼ黒一色なので表情はよく分からない。
だがきっと、目がイッてしまっているのだろうな、と想像してしまった。
「この世界ごと、って」
そういえばさっき、この世界は魔王が創ったって言ってたことを思い出した。
「ふははは!己の愚かさを思い知るが……グガァアアーー……!」
高笑いしている魔王の身体のど真ん中に大きな穴が空いている。
湊山くんの指ドン魔法が炸裂したのだ。
「まだやる?」
指で魔王を指しながら湊山くんが言った。
「ぬぉおおーー!」
身体に空いた穴を再生する魔王。
「その程度の攻撃、幾らでも再生できるわぁ!」
明らかに強がりを言う魔王。
「そうみたいだね。この調子だといつまでたっても終わらないなぁ」
「くっくっくっ、どうだ、降参するなら今のうちだぞ?今なら罪を問わないでおいてやろう」
「罪?何言ってんの。悪いのはあんたでしょ」
あんなに強くて恐ろしかった魔王を、湊山くんは完全に手玉に取っている。
「ぬかせぇーーーー!」
魔王は再び魔力を膨らせ始めた。今度は遥かに大きく、膨張速度も速い。
「湊山くん!」
「大丈夫です、桜川さん」
少しも慌てる様子もなく湊山くんは言った。
湊山くんは開いた掌を前に向けた。
すると、魔力を膨張し続ける魔王が光の球に包まれ始めた。
「ふ、何をしても無駄だ。我の魔力を抑えられる者などこの世界にはおらぬわ!」
だが、魔王が完全に光る球に包まれるとあんなに膨大だった魔力がほとんど感じられなくなった。
「このまま閉じ込めておくの?」
私が聞くと、
「いいえ、壊されてしまう可能性もありますので」
と、答えながら湊山くんはもう一方の手で空中に何か丸いものを出した。
「それって何?パチパチいってるけど」
「これは次元の穴です」
「ジゲンノアナ?」
「この世界と別の世界の間には次元の狭間があります。そこに閉じ込めてしまうんです」
「そうすれば魔王がこの世界に来ることは二度とないのね?」
「恐らくは、はい」
湊山くんの言い方だと確実というわけではなさそうだ。
だが、少なくとも当分は大丈夫なのだろう。
もし魔王が戻ってきたとしても、湊山くんがいるのだ。
球を見ると、閉じ込められている魔王がジタバタしている。
何かを叫んでいるのかもしれないが全く聞こえない。
「では」
そう言って湊山くんは魔王入りの球を次元の穴へと送り込んだ。
そして、手の一振りで次元の穴を閉じた。
閉じた後の空中には何の痕も残っていなかった。
湊山くんはゆっくりと地面に降り立ち、私を振り返って言った。
「終わりました、桜川さん」
見る者の誰をも安心させてくれる穏やかな表情だった。
「湊山くん、だよね……?」
「はい」
「ほんとに?」
「ほんとです」
「でも、でも、湊山くんは、私が……」
私の目に涙が溢れ出してきた。
「はい、覚えています。でも、間違いなく俺は湊山空……」
その時既に私は湊山くんに駆け寄って、彼にしがみつくようにして泣いていた。
「私、わたし……すごく、恐かったの……だって……」
その時、
ボンッ!
と、湊山くんの魔力が膨張した。
「うわぁあーー!」
「きゃあーー!」
後ろの方でランベルとエルファが叫ぶのが聞こえた。
きっと、膨張する湊山くんの魔力をもろに受けてしまったのだろう。
顔を上げて見ると、湊山くんの顔は真っ赤だった。
「うん、湊山くんだ、間違いない!」
私は涙をぼろぼろ流しながら笑顔でそう言った。




