第22話 対峙
「――――さま、ミリア様」
クリスが呼ぶ声で私はハッと我に返った。
「あ……ごめんね、ちょっと考え事をしちゃってて」
作り笑いをして私は答えた。
(しっかりしなきゃダメじゃない……!)
ここは国境近くに設けられた天幕の中。
魔族が国境付近に集結していることに呼応して、臨時の作戦本部として設置された。
(さっきの湊山くん……)
クリスに手を引かれるようにして王城に帰ってくると、すぐさまこの作戦本部に転移してきた。
その間も私の頭の中は魔王湊山くんのことでいっぱいだった――――
この世界へ転生して最初に会ったあの時、いきなり私に告白してきた魔王湊山くん。
私の気を引こうとひな祭りケーキを用意してくれた魔王湊山くん。
私からバレンタインデーのチョコが貰いたくて、王城の前をウロウロしていた魔王湊山くん。
魔王城で倒れた私をお姫様抱っこで王城まで運んできてくれた魔王湊山くん。
なのに、私が優しい言葉をかけたり、手を触れたり、寄り添ったりすると、顔を真っ赤にして魔力を膨張させてしまう魔王湊山くん。
気がつくと魔王湊山くんのことを考えてしまっている。
そんな私の気持ちの隙間を突き刺すように、
『勇者ミリアよ、魔王を討伐するのだ』
という王様の言葉がふいに浮かんでくる――――
「ふぅ……」
私は気持ちを落ち着けようと、小さくため息をついた。
「現在のところ、魔族たちは国境近くに集まっておりますが、国境を越えてくる様子はありません」
魔法使いじいさん基、宮廷魔術師オローギルが説明してくれた。
「わが王国は騎士隊を主力とした守備隊を編成して国境沿いに展開しています」
と、騎士隊長ギール。
「守備隊には妖精十二使徒を始めとする妖精部隊を後方支援として布陣させています」
と、妖精の女王エルファ。
「ウチらは闇妖精部隊を斥候に送ろうと思う」
と言う闇の女帝トーラの言葉で、私はあることを思い出した。
「あの、トーラさん、斥候を送るなら頼みたいことがあるんだけれど」
「ああ、何でも言ってくれ」
「頼みたいのは悪魔卿のことなの。彼を探してもらえる?」
「ああ、あのチャラい悪魔だね。必ず見つけてやる、とは言えないができる限りのことはやらせてもらうよ」
トーラが頼もしい笑顔で請け負ってくれた。
「ありがとう」
「悪魔卿を探すのはどういう理由からですの?」
エルファが聞いてきた。
「魔王城で側近のドーガに聞いたことなんだけど……」
と、私はドーガとの話をかいつまんで説明した。
「すると、もしかしたら悪魔卿となら交渉の余地があるかもしれない、ということなのですね」
「ええ、可能性は小さいとは思うのだけど」
「少しでも可能性があるなら賭けてみようじゃないか」
トーラがポンと私の肩に手を置いて笑顔で言った。
「でも、魔王が近くまで来てしまうと悪魔卿も正気ではいられないと思うの」
そう言う私の声はつい不安がちになってしまう。
「そうなると抑えが効かなくなった魔物たちが攻めてくるってことなんですね」
私の言葉にギールが暗い顔で応えた。
「その時に備えて国境に防護結界を張れるよう準備しておきますわ」
と、エルファ。
「防護結界を張れば魔物たちの侵攻を防げるのね」
私は期待を込めて聞いた。
「ええ、ほとんどの魔物は防護結界を超えることはできないでしょう。ですけど……」
「……?」
「私を超えるような強力な魔力で攻撃されたら破られてしまうかもしれません」
「そうなんですね」
エルファは魔王湊山くんの魔力の圧にも耐えることができる。
つまり魔王湊山くんに匹敵する魔力の持ち主だということだ。
だがそれは以前までの魔王湊山くんと比べてであって、今の彼と比べたら……。
「今私たちにできることをしっかりやる、そうだろ?」
私は悲観的な顔をしていたのだろう。トーラが私の肩に腕を回しながら明るい声で言った。
「そうですよ、ミリア様!」
クリスも私の腕にすがりながら言った。
「我ら王国の力を見せてやりましょうぞ!」
ギールが立ち上がって拳を握り締める。
「うん……そうだね、うん!」
私は悲観的な考えを振り払って努めて明るく答えた。
(私一人で戦うわけじゃないんだから……)
天幕での作戦会議の後、私達は前線になっている国境で魔王国軍と対峙した。
国境の川の向こう側には思っていた以上の魔物たちが集まっていた。
ゴブリンを中心にオーク、ガーゴイル、コボルド。ハーピーなどの飛行できる魔物も見える。
「悪魔卿はいるかしら?」
私は隣にいるエルファに聞いた。
「見える範囲にはいないようですけど、強い魔力は感じます」
エルファは魔王国側を魔力で探っているようで、その目は心持ち虚ろに見える。
「悪魔卿はあたし達に任せな」
トーラはそう言ってダークエルフの闇妖精部隊に指示を出した。
闇妖精部隊の隊員たちは無言で頷くと次々に、
ヒュン!
と姿をくらませた。
「ダークエルフは幻影魔法や索敵魔法に優れていますの」
「それと敏捷だね。特に男のダークエルフは魔力はたいしたことないけど、速さはピカイチだからね。斥候にぴったりなのさ」
と、エルファとトーラが教えてくれた。
「闇妖精部隊が戻って来るまでの間に防護結界を張る準備をしておきますわ」
エルファはそう言って妖精十二使徒に指示を出した。
十二使徒はそれぞれ数名の妖精を引き連れて、国境沿いに散っていった。
そろそろ日が暮れようかという頃になって、闇妖精部隊が戻ってきた。
「見つけたぜ、悪魔卿アスウス」
と報告してきたのはトーラの兄のグルヌだった。
「俺は一度戦ってるからな。遠目から見ただけだが、あれがアスウスで間違いないだろう」
「兄貴にしちゃやるじゃないか」
トーラが冷やかす。
「あっ、ひっでえなぁトーラ。愛する兄が手柄をたてたんだぞ、もっと褒めてくれよ」
「愛する言うな!」
「わはははは!」
「そうしたら、私をそこまで案内してもらえる?」
「任せてくれ、勇者様!」
「あちこち動いちゃってるんじゃないか?」
トーラが最もな疑問を口にした。
「ちゃんと部下に見張らせてあるさ。闇妖精部隊の監視尾行から逃れられる奴なんていないからな」
「ふーーん、そう」
兄グルヌにドヤ顔をされても言い返さないところを見ると、トーラも闇妖精部隊の実力を理解しているようだ。
「それじゃ、ミリアさんに隠蔽魔法をかけますね」
「隠蔽魔法って姿を消せるの、エルファさん?」
「いいえ、姿は消えません」
「え?」
「光を屈折させて見えなくする魔法です」
「光を屈折……」
私はエルファの言葉を反芻したが、いまひとつ理解できなかった。
「見えなくはなるけど、消えるわけじゃないからぶつからないように気をつけてね」
「は、はい」
「よし、じゃ行こうぜ、勇者様」
自分で言うだけあって、グルヌの走る速さは相当だった。
勿論、勇者である私は十分彼についていけるだけの速さを備えている。
だがそれは魔力で脚力を強化しているからでもある。
グルヌも自身に隠蔽魔法をかけているのでほとんど姿は見えない。
僅かにカゲロウのような揺らぎが見える程度だ。
(案外頼りになるのね)
そんなことを考えながら、私はグルヌと国境を越えて魔物達の間をすり抜けて行った。
やがて私達は魔物の群れの外れにある木立の陰で止まった。
よく見るとカゲロウのような揺らぎが見える。
どうやら、あれが見張りのようだ
木立の陰に隠れたグルヌが隠蔽魔法を緩めた。
薄っすらと現れたグルヌが無言で指を差した方を見ると、悪魔卿アスウスがいた。
エルファからは、
「魔力を探知できる高位の魔族もいるので、十分に気をつけてください」
と、言われている。
私は自身の魔力が最大限小さくなるように制御した。
魔王湊山くんとの訓練の賜物だ。
(訓練が役に立ったよ、湊山くん)
私はグルヌにこの場に留まるように手で合図した。
半透明のグルヌが小さく頷く。
魔力を抑えた状況で、私は忍び足でアスウスに近づいていった。
まずは彼が未だ正気を保っているのか、それを確認する必要がある。
回り込むようにして近づいていき、アスウスの表情が見える位置まで移動した。
アスウスは用心深く魔物たちを監視している。そんなふうに私には見えた。
少なくとも魔王湊山くんの影響で我を忘れたドーガと同じには見えなかった。
そして、アスウスが頭を巡らせて私の方を見た。
(見られた……!)
見えるはずがないとは思ったが、背筋がヒヤリとした。
だが、私と目が合ったと思った直後、アスウスの目の色が僅かに変わったように見えた。
(気づかれた!)
咄嗟に私は、逃げたいと思ってしまった。
だがここに来たのはアスウス話をするためだ。
逃げるのは彼が正気ではないと分かってからでも遅くはない。
(ギリギリまで我慢よ、私!)
アスウスがゆっくりとこちらに歩いてくる。
私に気づいたのはほぼ間違いなさそうだ。
背中に冷たい汗が流れ、脚が小刻みに震える。
私から数歩のところでアスウスは歩みを止めた。
そして、髪の毛から睫毛から何もかも無駄にキラキラさせながら、髪の毛をかき上げて私にウインクをした。
(うん!濃くて鬱陶しいイケメンのままだ!!)
私は久しぶりにホッとした。




