第21話 説得
(湊山くん、なんで……)
彼はなんであんなに変わってしまったのか。
兆候はあった。
元から魔王湊山くんは慌てたり興奮したりすると魔力が膨張してしまうことがあった。
多くの場合、私が優しい言葉をかけたり彼に接触したりした時だ。
だが、それは魔王湊山くんの魔力制御力を上げることでかなり改善できた。
そう思っていた。
(でもあの時は……)
今思えば、武闘競技の時の彼の異変は違っていた。
言うならば「人格が変わってしまった」ようだった。
魔力制御訓練でどうにかなることではなかったということだ。
(なら、どうすれば)
魔王城の通廊を走りながら、私の頭の中に様々なことが渦巻く。
すると、廊下の暗がりから魔物達が出てきた。
皆、赤黒い目をして私に襲いかかろうとする。
(みんな穏やかだったのに)
花見や運動会の時は魔物たちと楽しい時間を過ごすことができた。
国境に橋を架ける計画も魔王湊山くんは話してくれた。
そうすれば今まで以上に王国と魔王国の交流が活発になっただろう。
私は魔物たちを傷つけないで済むように、横をすり抜けたり、飛び越えたりして避けていった。
たが、中には手強い相手もいた。その場合は力を加減して張り倒した。
外に出て転移魔法陣のところまで来ると、私は振り返って魔王城を見た。
(何、あれ?)
魔王城に黒い靄のようなものが立ち込め始めた。
先ほど魔王湊山くんから感じられた、底なしの闇のような魔力と同じものだ。
私は王様の言葉を思い出した。
「勇者ミリアよ、魔王を討伐するのだ」
(本当に……本当に魔王を、湊山くんを討伐しなきゃいけないの?)
今まで王様から命を受けて、何度も魔王湊山くんをぶっ飛ばした。
でも、それはいつも遊び半分の悪ふざけみたいなものだった。
最近は王国と魔王国との距離も縮まってきていた。
このまま良好な関係が進んで、名実ともに友好国として付き合っていけるだろうと、本気で思っていた。
しかし、魔王湊山くんの変貌を見た今は、王様の言葉が私に重くのしかかってくる。
魔物たちが王国に攻め込んでくることも十分に考えられる。
(そういえばドーガが……)
悪魔卿は王国内の下位の魔物達が暴走しないように見て回っていると、ドーガが言っていた。
だが、先ほどドーガは魔王湊山くんの魔力に影響されて正気を失ってしまった。
もし、悪魔卿も同じようになってしまったら。
(王国が攻められてしまう……!)
ここに残って魔王城から出てくる魔物たちを抑えるべきか。
それとも一旦戻って皆と一緒に王国を守るべきか。
私は転移魔法陣を前にして逡巡した。
すると、転移魔法陣が輝いた。
「ミリア様!」
転移してきたのは騎士隊副隊長クリスだった。
「クリス!あなたも転移魔法陣を使えたのね」
「はい、宮廷魔術師様が術式を書き換えてくださいました」
「それで、王国の様子はどうなってる?」
クリスがわざわざ来たということは何らかの異変が起きているのだろう。
「国境付近に魔物が集まり始めています」
「それで?」
「攻めてくるような様子はないのですが……」
「なにかあるの?」
「はい、魔物たちがかなり殺気立っているように見えました」
「そうなのね……」
悪魔卿が魔物の暴走を抑えるべく、見回っているとドーガは言っていたが、すでに遅かったのかもしれない。
「こちらも、大変な状況みたいですね」
黒い靄に覆われている魔王城を見ながらクリスが言った。
「そうなの、魔王が……」
そう言いかけたが私は次の句を継げなかった。
「ミリア様……?」
そう言うクリスの目には私を心から気遣う気持ちが現れていた。
「あ……ごめんね、うん、魔王はなんとかしなきゃだけど、今は王城を守りに……」
再び私は言葉に詰まった。
(本当にそれでいいの?)
魔王湊山くんが元のようになってくれれば、魔物たちも正気に戻れるはずだ。
そうすれば王国が攻められる心配もなくなる。
「ごめん、クリス。やっぱり私もう一度魔王と話してみる」
「……はい」
この短時間で、魔王城を覆う黒い靄は一層濃く、範囲も広くなっていた。
魔王城に正面から駆け込むと、通廊には魔物がたむろしていた。
「「「ガァアアーーーー!」」」
数体のオークが棍棒を手に私に向かってきた。
私は全身を魔力で強化してオークたちの間をすり抜けて行った。
だが、先ほどよりもオークたちの動きは素早くなっていた。
奥に進むにつれて、オークの棍棒を避けきれなくなり、腕で払い除けた。
「痛っ……!」
(さっきより強くなってる)
魔物で溢れる通廊を通り抜け、なんとか魔王の間に辿り着いた。
大きな音を立てて扉を開くと、魔王湊山くんはまだ玉座に座っていた。
「湊山くん」
私は大股で玉座に向かっていきながら呼びかけた。
「ねえ、湊山くん、もう一度私の話を聞いて」
うつむき加減の顔を上げて魔王湊山くんが私を見た。
「だめ……だ」
「なんで?なんでだめなの!」
私は魔王湊山くんに手を伸ばしながら叫ぶように言った。
(手が触れ合えば……!)
あと少しで手が触れ合う、そう思った時、
「来ちゃ……だめだっ……」
魔王湊山くんが苦しげな声で言った。
その苦しげな声に呼応するかのように、彼の背後に黒い影が広がった。
(なに、これ?)
魔王の間の高い天井まで届くかと思うほどの大きな黒い影。
それは魔王湊山くんの姿が影になって大きくなったようにも見える。
だがそこには、彼が持っている性質とは全く違う何かが感じられた。
例えて言うなら、悪の根源が影の形で顕現した、とでも言えばいいのか。
私は魔王湊山くんに手を延ばしたままで固まってしまっていた。
あとほんの少し延ばせば魔王湊山くんの手に触れることができる。
だがその後少しが届かない。
「湊山、くん……」
私はすがるように魔王湊山くんを見た。
彼の瞳は暗い漆黒の闇のようだ。
「みなとや……」
「だめなんだ……!」
再び呼びかけようとした私を遮って、叫ぶように魔王湊山くんが言った。
その直後、
「ぐっっ……!」
魔王湊山くんが両手で頭を抱えて苦しそうに唸った。
「湊山くん!」
私はその隙に一歩進み出て魔王湊山くんの手を握った。
(湊山くん、聞こえる?)
私は手をぎゅっと握りながら心の中で呼びかけた。
魔王湊山くんが顔を上げた。
私を見る彼の目から暗さが薄らぎ、ほんの少しだけ正気の気配が見えた。
(勇者、ミリア……)
(湊山くん、どうしちゃったの?)
(わからない……けど)
(けど?)
(あなたは……ここにいては、いけない)
(なんで?)
(とにかく……ここを出て、勇者ミリア)
(じゃあ、一緒に行こう、ね?)
私は魔王湊山くんの手を引っ張って、強引に立たせようとした。
「どうしたの?行くわよ!」
私は声に出してそう言って、魔王湊山くんを立ち上がらせようと引っ張ったが、彼はびくとも動かなかった。
「何やってるのよ、早く……」
そう言う私の手をは魔王湊山くんは振り払った。
そして再び頭を抱えて唸りだした。
「うぅうう――――」
「湊山くん……」
「うぁああああああああーーーー………!」
魔王湊山くんは頭を抱えたまま立ち上がり、絶叫した。
すると、彼の背後に現れていた黒い影が収束した。
そして魔王湊山くんの中に吸い込まれていった。
絶叫が止んで、魔王湊山くんが私に視線を向けた。
「み、湊山、くん……?」
震える声で私は彼を呼んだ。
私の声が聞こえたのか聞こえていないのか分からないが、魔王湊山くんは私に掌を向けた。
彼の手から黒い触手のようなものが伸びてきて、私を絡め取った。
「え……なに?」
黒い触手は私をぐるぐる巻きにして宙に持ち上げた。
そしてじわじわと私を締め上げ始めた。
「ちょっと、みなとや……うあぁああ……!」
(ヤバい!)
私は魔力で身体強化をかけた。締め付けの苦しさは和らいだが、それも時間の問題だろう。
締め付けは強くなる一方だ。
(どうしよう、このままだと……)
諦めかけたその時、魔王の間に駆け込んでくる靴音が聞こえた。
「ミリア様!」
クリスの鋭い声が聞こえた。
(クリス……!)
ザンッ!
斬撃音が聞こえ、私は支えを失って空中から床へと落とされた。
クリスは床に寝転がっている私の横に跪き、手にした剣で手際よく黒い触手を切っていった。
「ミリア様、行きましょう!」
クリスが私の手を取って立ち上がらせた。
「う、うん」
そう答えた私は、振り返って魔王湊山くんを見た。
彼に私たちを追うような素振りはなかった。
だが私たちの方へとゆっくり歩き始めた。
(王城に来るんだね、湊山くん……)
私は直感的にそう思った。
その途端、王様がいつも言っている言葉が頭に浮かんできた。
『勇者ミリアよ、魔王を討伐するのだ』
私は頭をブンブン振った。今頭に浮かんだ言葉を打ち消すように。




