第20話 変貌
(とにかく湊山くんに会わなきゃ)
私は転移の間へ急ぎながらエルファ達とのやり取りを思い出した――
「私達もご一緒しますわ」
「そうだよ、勇者様一人じゃ危険だよ」
私が立ち上がるとエルファとトーラが心配して申し出てくれた。
「ありがとう、でも大丈夫」
と言う私に、
「いけません!」
「そうだよ、あんたに何かあったら大変なことになる!」
エルファとトーラは私の腕をつかんで引き留めた。
そんな二人に私は言った。
「でもね、あなたは達は王国を守るのが約目でしょ?で、魔王に対処するのが私の役目、そうじゃない?」
「それはそうですが……」
「……」
「あなた達はここにいて王城を守ってもらったほうがいいと思うの――――
私が魔王城前に転移すると魔王側近ドーガが待っていた。
ここ最近は魔王城前に転移すると、魔王湊山くんが魔王城の外まで迎えに来てくれていた。
たが、今回は魔王湊山くんは出てこなかった。
(まあ、当然か)
「勇者ミリア殿」
ドーガが深々と頭を下げた。
「早速、魔王のところへ」
私が促した。
「で、魔王の様子はどう?」
魔王の間へ続く暗い廊下を歩きながら私が聞いた。
「今も無言で玉座に座ったままです」
「他に異変とかはあるの?」
私の問いにドーガは言い淀んだ。
「その……魔力が不安定になってるというか、いつもと違うというか」
「いつもと違う?」
「はい、魔王様から感じられる魔力が以前と違っているのです」
私は武闘競技の時の魔王湊山くんを思い出した。
「なんとなくわかる気がするわ」
「そうなのですか?」
ドーガは私の答えに素直に驚いたようだ。
「ええ、この前の武闘競技の時にちょっとした事があったの」
「そうだったんですね」
「あなた達に気取られないように取り繕ったんだけど、却って徒になっちゃったかも……申し訳なかったわ」
「いいえ、とんでもございません」
そうこうしているうちに私達は魔王の間の扉の前に着いた。
いつもは開け放してある扉が今は閉じられている。
私はもの問いたげにドーガを見た。
「この扉にはある程度の魔力を遮る効果がありますので」
「そこまで危険な状態ということなの?」
「いえ、念の為の措置です」
ドーガはフードを目深に被っているので表情はよく分からない。
だが、声の感じから本意ではない事が伝わってきた。
そして私が勇者だからなのだろう、ドーガの魔力を感じることができた。
その魔力は不安な心を表すかのように揺れている。
「そういえば……あなたがここにいるってことは魔王の側には悪魔卿が付いているの?」
「いえ、悪魔卿は妹のメフィーラと共に魔王国内を見て回っています」
「え?てことは魔王が一人でいるってこと?」
「……はい」
それでいいの?と喉まででかかったが、私はぐっと堪えて言葉を飲み込んだ。
ドーガとアスウスの連名で書状を送ってきたということは、その二人が魔王に次ぐ位階なのだろう。
つまり彼らは魔王国で二番目と三番目に強いということだ。
その二人が勇者の私に助けを求めてきた。
(ということは……)
「もしかしたらあなたや悪魔卿でも、今の魔王には近づくのは危険ということ?」
「い、いえ、き危険というわけでは……」
「だとしても、今の魔王のそばにいると何らかの影響を受けてしまいそうだ、ということなんじゃない?それがあなたや悪魔卿のように強い魔族でも」
「……はい」
そう言ってドーガはうなだれた。
「実は、既に下位の魔物が魔王様の異変に影響され始めているのです」
やや顔を上げてドーガが言った。
「それで悪魔卿が見て回っているのね」
「はい、より獣に近い魔物が凶暴化しやすいので」
「魔物が凶暴化なんてことになったら」
「はい……王国に被害が及ぶこともあり得るかと」
「そしてそれはあなた達高位の魔族にも起こるかもしれない、てことなのね」
「……はい」
(そんなことは、絶対に避けなきゃ)
「分かったわ、まずは私が魔王に会って話してみる」
「お願いします」
ドーガがゆっくりと魔王の間の扉を開け、私とドーガは中に入った。
魔王の間に入ってすぐに魔王湊山くんが発している魔力を感じた。
魔王はそもそもが独特の魔力オーラのようなものを漂わせている存在だ。
魔王湊山くんとの魔力制御訓練のおかげか、私も彼の魔力オーラを敏感に感じることができるようになった。
奥の玉座に座っている魔王湊山くんは、両腕を肘掛けに載せて俯いている。
だが今私が感じている魔力オーラは、それまでの彼とは明らかに違うものだった。
「確かに、今までとは違うわね」
「はい」
私は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「ふぅ――……よし」
小さく気合を入れて私は玉座に収まっている魔王湊山くんへ向かって歩み始めた。
玉座まであと四、五歩というところで私は止まった。
「久しぶり、魔王」
私は努めて平静を心がけて魔王湊山くんに呼びかけた。
魔王湊山くんは下を向いたままだ。
「魔王、聞こえてる?」
もう一度呼びかけるも、反応なし。
そして三度目をと思って息を吸い込んだところで、魔王湊山くんがゆっくりと動いた。
顔を上げた魔王湊山くんと目が合う。
(この目……)
武闘競技の時と同じだ。
私を見ているようで見ていない。
どこか虚ろでありながら、背筋に寒いものを感じさせる。
(いや、あの時よりもっと)
私は思わず後ろに一歩下がってしまいそうになった。
(だめ……ここで下がったら……!)
「あのさ、最近調子はどう?」
「……」
「最近来れなかったから、どうかなって思って」
「……」
魔王湊山くんはじっと私を見ているだけで何も言わない。
「もしかして怒ってる?そか、そうだよね、一緒に訓練するとか言ってしばらく来なかったもんね」
「……」
「ごめんね、放ったらかしちゃって。また始めよう、訓練」
私は反応がない魔王湊山くんに話しかけ続けた。
話が途切れないように気をつけながら、少しずつ近づいていった。
(私が手を触れれば、きっと湊山くんは)
全くの自惚れだということは百も承知している。
私が手を触れたり肩を寄せたりすると、魔王湊山くんは顔を真っ赤にする。
そしてドギマギしながらも喜んでくれる。
少なくとも嫌だとは思ってないはずだ。
(そう、手と手が触れ合えば気持ちも通じるはず)
「ね、訓練に行こう。また川沿いの並木に行く?それとも闘技場がいい?あ、そういえばね、王国にも闘技場が……」
(あと少し……)
私は足を踏み出しながら手を伸ばした。
その時、私を見る魔王湊山くんの目の色が変わった。
深い闇のような暗くて黒い色に。
(ヤバい……!)
私は反射的に魔力で強化した両腕を交差させて防御の姿勢をとった。
まさにその直後、魔王湊山くんが発した重い壁のような波動が私を直撃した。
「くっ!」
私は数メートル後方に飛ばされたものの、なんとか倒れずに済んだ。
だが、
「ぐぁっ……!」
ドーガは防御が間に合わなかったようで、魔王の間の端までふっ飛ばされてしまった。
「魔王、あなた……」
ふっ飛ばされたドーガから魔王湊山くんに視線を戻して私は言った。
魔王湊山くんはじっとこちらを見ている。
その目はこれまで以上に虚ろで暗い、まるで底なしの虚空のようだった。
じっと見ていると吸い込まれてしまいそうだ。
(これが湊山くん……?)
私は彼に対して初めて小さな恐怖を覚えた。
(ううん、違う、湊山くんがこんな人のわけない、きっと何かの間違いよ!)
私は、心に生まれ始めた恐怖を振り払った。
そして改めて魔王湊山くんの方へ歩き出した。
「魔王、ううん、湊山くん」
私は彼の名を口に出して呼んだ。
「少しお話しよう、ね?きっと何か行き違いがあるんだよ」
防御したとはいえ、今しがたの波動はかなりの衝撃だった。
私はゆっくりと、そして大きく呼吸をしながら歩みを進めた。
「ねえ、どうしちゃったの?」
声が震えないように気をつけて言った。湊山くんの虚ろな目はそのままだ。
魔王湊山くんが座る玉座の前まで来るとゆっくりと手を伸ばした。
(震えないで、私の手……!)
私の手が魔王湊山くんの手に重なる。
「湊山くん……」
私はそっと呼んだ。
すると、私を見ている魔王湊山くんの暗い虚空の瞳が、ほんの微かに揺らいだ。
「…………だ」
魔王湊山くんがかすれた声で言うのが聞こえた。
「湊山、くん……?」
そう言って、私は震える声で聞き返した。
(正気に、戻ってくれた?)
「来ちゃ……だめ……だ」
「え?」
私が聞き返した直後、彼の異質な魔力が一気に膨張し始めた。
それは、全てを飲み込んでしまいそうな、まるで底なしの闇のようだった。
私の身体に冷たい恐怖が走った。
「み、湊山くん……」
思わず私は魔王湊山くんの手に重ねていた手を離してしまった。
「ウッ……ウゥ……」
後ろからドーガの苦しげな声が聞こえてきた。
見るとドーガが頭を抱えて唸り声を上げている。
(これって湊山くんの魔力の影響……?)
魔王湊山くんの闇のような魔力は尚も膨張し続けている。
ほんの少しだけ正気が戻ったかに思われた彼の目は、再び暗くなってしまっている。
そして膨張する彼の魔力は魔王の間全体を覆うほどになった。
「湊山くん……」
私の目に涙が滲んできた。
「ウガァ――――!」
ドーガが叫ぶ声が聞こえた。
振り返って見ると、彼の目が赤黒く光っていた。
そして彼は私に向かって掌を突き出し、魔法弾を放ってきた。
「くっ!」
私は腕を振って魔法弾を弾き返した。もはやドーガは正気を失ってしまっている。
再び撃とうとしたドーガを見て、私は一気に間合いを詰めて突きを食らわせた。
「うう……」
壁までふっ飛ばされたドーガは倒れて唸り声を上げている。
振り返って玉座を見ると、黒いわだかまりが幾つも玉座を囲んで現れていた。
(何あれ?)
それは見ているうちに形を変え、オークやゴブリン、ガーゴイルが姿を現した。
彼らには私も見覚えがあった。
オークはコック服を、ゴブリンとガーゴイルは割烹着を来ていたのだ。
ついこの間、私達王国の者と楽しい時間を過ごした魔物たちが、ドーガ同様赤黒く光る目を私に向けている。
私は魔王湊山くんを見た。
彼は漆黒の闇のような目で私を見ている。
彼に近づくためには、今現れたオークたちを倒さなければならない。
その過程で、彼らのうちの何人かを殺してしまうようなことも十分にあり得る。
そんな事はしたくなかった。
逡巡している私を取り囲むように、オークたちが近づいてきた。
(もう、これ以上は……)
私は最後にもう一度魔王湊山くんを見た。
そして唇を噛み締めながら魔王の間を後にした。




