第8話 夢?
「もう無理、もう無理だって!」
そんな言葉を叫びながらがばっと体を起こしたタクミは、困惑した顔できょろきょろと辺りを見回す。
そこは見慣れた自分の部屋であり、クリスタルの輝く地下室ではない。コチコチと時を刻む秒針の音を聞きながら、タクミは大きくため息を吐いた。
「はぁー、夢か。なんて夢を見てんだ。俺は」
獣なお姉さんに抜いてもらう話、とでも題名をつけたくなるような自分の性癖に直撃する夢をタクミは見てしまい、その中での自分の情けない姿に自己嫌悪におちいっていた。
気持ちよかったか、気持ちよくなかったかで言えば間違いなく気持ちよかった。これまで感じたことのない快楽だったと言っても過言ではない。
「柔らかかったよなぁ」
夢だというのにはっきりと手に残っている自分にはない柔らかさを思い出し、タクミの頬が思わず緩む。
そして同時に浮かんだ嫌な予感に、タクミは自分のズボンを上から押さえ特に変な感触がしないことに、ほっと息を吐いた。
「うわぁ、汗だくだくだな。滅茶苦茶しわになってるし、これはクリーニングしないとだめだな」
寝苦しかったためか、はだけたワイシャツとしわまみれのズボンを眺めタクミはため息を吐く。
そのまま寝たらクリーニング代がかかって趣味にかけるお金が減るぞ、と寝る前の自分に忠告したかったが、そんな力は当然ながらタクミにはない。
まあ食事を数回抜けばいいか、と明後日の方向の解決策を見出しながら、タクミは汗を流すために部屋を出て階段をおりていく。
「んっ? みそ汁の匂いか」
どこからか漂ってきた良い匂いに、タクミは懐かしさを覚える。
両親が田舎へと移住してしまう前まで、タクミの家では朝食は全員で食べるというのが習慣になっていた。
朝起きたタクミが階段を下りようとすると、父親か母親のどちらかが朝食の準備をしており、みそ汁の匂いが漂う時は和食派の母親が作っているんだと顔を見る前にわかったものだった。
そしてダイニングに続く扉をタクミが開けると……
「あっ、おはようニャ。タクミ様」
キッチンに立って料理をしていた猫耳の少女からかけられた言葉に、タクミは思わず扉を閉める。
バクバクと早まる鼓動を感じながら、なんでいるんだ? あれって夢じゃなかったのか?
そんな疑問がぐるぐるとタクミの頭の中を回っていた。
「実はまだ夢の中なのか?」
その可能性に気づいたタクミは頬を引っ張ってみたがちゃんと痛かった。
しかし夢の中であれだけ気持ち良い経験をした身としては、それだけでここが夢じゃないと断じることはできない。
じゃあどうすればいいんだ、と途方に暮れるタクミの前で、扉が勝手に開かれた。
「なにしてるニャ?」
「いや、現実と夢の判別方法について考えてた」
「ふーん。まあそういうのはご飯を食べてから考えるといいニャ。せっかく用意したんだしニャ」
三毛の髪をした猫耳少女に手を引かれ、タクミはダイニングにあるテーブルに座らせられる。
白いご飯にわかめのみそ汁、目玉焼きというシンプルなラインナップが目の前に運ばれてくるのを眺めながら、タクミは現実逃避気味に、こんな食事を食べるのはいつぶりだろうと考えていた。
両親が母方の実家のある田舎に引っ越して3年。米を炊く程度のことはしても、料理することがそこまで好きではないタクミは、自分から進んで作ろうとすることはなかった。
だいたいは卵かけご飯かスーパー等で割引された総菜を買ったり、カップ麺で済ますことが多く、昼食を栄養補助食品にすることで気休め程度にバランスを保つ日々。
インスタント以外のみそ汁を家で食べることなど、下手をすれば数年ぶりかもしれなかった。
「冷蔵庫にまともな食材が入っていなかったニャ。食事をおろそかにするのは健康に悪いニャ」
「すみません」
「まあいいニャ。これからは私が作るニャ。タクミ様もいっぱい出して栄養が足りていないだろうし早く食べるニャ」
当然のようにタクミの対面の席に座り、猫が手を合わせてタクミを見つめる。
テーブルに並んだ2人分の食事をしばらく見つめていたタクミは、小さく首を横に振って自らも手を合わせる。
「いただきます」
「はい、どうぞ召し上がれニャ」
にこにことほほ笑む猫の視線を受けながら、タクミはみそ汁を一口飲み、白いご飯をかきこむ。
料理に使われている味噌は両親から送られた物だろうし、お米はタクミが普段炊いているものと変わらないはずなのに、なぜかその料理はとても美味しく感じられた。
「料理うまいんだな。えっと……」
「ああ、私の名前かニャ? 特にないからタクミ様に名付けて欲しいニャ」
「俺!?」
驚き声をあげたタクミに、猫はコクコクと首を縦に振って返す。そして楽し気に尻尾を揺らしながら、きらきらとした瞳でタクミ見つめた。
思わぬプレッシャーを感じつつも、これまで得た猫関係の名前がタクミの頭の中を駆け巡っていく。
その中で最も似合う名前を選ぼうとタクミは考えたが、元々のキャラクターの個性に引っ張られてしまい、はたしてその名前を付けてよいものかどうかという疑問が浮かぶ。
たっぷりと1分以上の沈黙の後、苦し気にタクミがひねり出したのは……
「じゃあ、ミケで」
「最終的に無難なところを選んでしまうのがタクミ様らしいニャ」
「悪かったな、無難で!」
ニャッハッハと笑うミケに対し、タクミは少し疲れたような顔をしながら目玉焼きに塩をかけ、箸を伸ばす。
「で、ミケ。さっきのことは夢じゃないんだよな?」
「うーんと……タクミ様が気持ちよすぎて泣いちゃったことかニャ?」
「違えよ! ダンジョンの話だ。ダンジョンの」
「わかってるニャ。冗談ニャ、冗談」
ぱたぱたと手を振り笑うミケに、顔を赤くしながらタクミがツッコミを入れる。
いまここにミケがいるということは、寝る前に起きたことは現実だったということに他ならない。つまりタクミの痴態を全てミケに見られていたということになる。
まだミケが今、少女の姿をしているからまともに話していられるが、もしミケがその時の姿だったらタクミは何も言えなくなってしまっていただろう。
なんとかごまかそうと、目玉焼きを大口でほおばるタクミに、ミケはずずっとみそ汁を一口飲んで話し始める。
「全部現実ニャ。ダンジョンができたことも、そしてそれが地上に大きな被害をもたらすかもしれないのも」
「そう、なんだな。俺にできることはないのか。この平穏な生活が俺は好きなんだが」
真剣な表情でそう返してきたタクミに、ミケは嬉し気に目を細める。
タクミの考えは正にミケの考えと一致していた。タクミならそう答えてくれるだろうと猫は考えており、その返し方も想定済みだった。
「世界を救うなんて大層な仕事は、一般人がするものじゃないニャ」
「じゃあなんで俺の家にダンジョンができたんだ?」
「それは……」
完全に止まったタクミの箸をちらりと眺め、少しのための後にミケは空中へと手を伸ばす。
そしていきなりその手のひらの上に現れたタブレットの電源を入れると、タクミが良く見えるようにテーブルの上に置いた。
「タクミ様には、この世界を守る勇者を育成してほしいニャ」
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