第6話 ダンジョンの作成
準備期間の最終日前日の夜、帰宅する人々にまぎれてつくばエクスプレスの守谷駅で降りた猫は、迷うことなく国道294号を南へ向かって歩き始めた。
しばらく歩いたところにある煌々と光を放つ巨大ショッピングモールに吸い込まれていく車を眺めたりしながら猫は歩き続け、ある交差点を右に曲がる。
大通りから外れると、そこに立ち並んでいるのは住宅街だ。
ときおり聞こえる家族の声や、漂う夕食の匂いに微笑みを浮かべながら猫はゆったりと地元民しか通らないその路地を進んでいった。
「アキバから40分くらいだし、少し行けば自然も残っている。改めて見ても住むには結構いい場所だね」
1軒の家の前で足を止めた猫がそんなことを呟く。
築20年は過ぎているだろう。少し古めかしさを感じるデザインではあったが、2階建てのその家が寂れている様子はない。
通りからのぞく日当たりのよさそうな小さな庭もきちんと草取りされており、この家の住人の性格がよく表れているようだった。
猫は小さく笑みを浮かべると、塀に備え付けられた郵便受けの上にあるチャイムを押すことなく中に入っていく。
そして換気扇を見つけると、猫はその体を霧のように体を溶かした。猫だった霧は止まった換気扇の穴に吸い込まれていき、そして家の中で先ほどまでとは違う人の姿を型どっていく。
「ふぅ、侵入成功っと。あー、この姿も久しぶりだなぁ。なんか落ち着かないや」
低くなった視界、高くなった声、短くなった手足。それらを確認しながら猫が笑う。
そして白、黒、茶色の3色が混じった髪の毛と尻尾を揺らしながら、最近使われた形跡のあまりないキッチンを抜け、十代前半に見える猫耳の少女がとことこと歩いていく。
黒のタイツ風の衣装に身を包んではいたが、その足取りはとても静かなものとは言えなかった。
家の中に人の気配はない。
冷蔵庫のブーンという音を聞きながら廊下に出た猫は、3つのドアと階段を見つけ、少し家の間取りを考えてそのうちの2つのドアを除外すると、残った1つのドアを開けた。
「ビンゴ」
この季節にしてはひんやりとした空気が漂う室内に入った猫は、そこに並ぶフィギュア、本、ゲームなど趣味全開の品々を眺め、笑みを浮かべる。
その中には猫が連れて行ってもらったコミケの戦利品も並んでおり、炎天下の中、延々と列に並んだ、苦しくも今となっては楽しい記憶が猫の頭によぎっていた。
ここにあるコレクション全てにきっとなにかの思い出が詰まっているんだろう。そんなことを考えながら猫はぐるりと部屋を見回す。
「あっ、読みたかった漫画発見。絶版して入手しづらいはずなのに全巻そろってるなんて、さすがタクミ君、いい趣味してるね。後で許可もらって読ませてもらおう」
並んだ本棚の中に読みたかった漫画を見つけた猫は機嫌よさげに尻尾を揺らす。
本人の許可を得ずに人のコレクションに触らない。この1年で数々の人々から薫陶を受けた猫は、真摯なオタク道をしっかりと歩いていた。
「やっぱり部屋の中央かな」
コレクションがこれでもかと並んだ壁際を除外し、猫が目を付けたのは作業用のテーブルが置かれた部屋の中央だ。
家の中に空いているスペースがまだまだあることを猫は承知していたが、特別感を演出するのにこの場所以上のところはないと判断していた。
猫はひざまずき、その小さな手を綺麗に掃除された床に置く。
「ダンジョン生成」
猫の体内にあらかじめ与えられていた生体エネルギーが消費され、部屋の中央に地下へと続く階段が作成される。
とはいえこの階段は決められた時間が来るまで猫以外には見えない。そして、それを作るのに手を床についたり、言葉を呟く必要もない。
この儀式は特殊な日本文化に完全に染まりきった猫の趣味だった。
イメージ通りに出来上がった階段を猫は降りていき、地下の小部屋に出来上がったダンジョンコアのクリスタルを眺め、うんうんと首を縦に振る。
いままでは自分の仮住まいでしかないただの場所に過ぎなかったそこが、今の猫にとっては本当の宝石のように感じられた。
「さて、ダンジョンが現れるまであと12時間。うーん、どうやって時間を潰そう」
ダンジョンが現実に反映されるのは、グリニッジ標準時の午前0時。日本で言うのであれば明日の午前9時になる。
この12時間はダンジョン作成のための準備時間であるのだが、猫の計画にこれ以上のダンジョン拡張は必要ない。
余裕がないというわけではないし、猫の事前の計画では半分以下の生体エネルギーで当面は大丈夫なはずではあった。
しかし使い道がないのに無理に使うより、不測の事態に備えて生体エネルギーを保存しておくほうが都合がよかった。
しばし考えた猫が手をまっすぐに伸ばすと、空中から一冊の分厚い本が現れる。
それは候補者たち全員に配られたダンジョン作成のためのマニュアルのような本であり、その中にはダンジョンにおいてできること全てが綴られていた。
今までは枕代わりにしか使ってこなかったそれを、ぺらぺらと猫はめくっていく。
「うーん、これはこれでロマンなんだけど、使い勝手は悪いんだよなぁ」
その本の艶消しの黒い装丁やその分厚さは、オタク心に突き刺さるものがある。
しかしそれが趣味の品ではなく、調べ物をするための実用品であることを考えると、猫は厳しいという判断を下さざるをえなかった。
なにかできる手段を探す。その1秒が地球の命運を左右する可能性だってあるのだから。
「タブレットみたいに出来たら……あれっ?」
そう呟いた猫の言葉に応えるように、ぺらぺらと自動的にページがめくられていく。
そして数秒後、ゆっくりとめくられたページが動きを止めた場所に書かれていたのは、この本の形態変更という項目だった。
「うわっ、こんなこと出来たんだ。完全に見逃してた」
もちろん今回のダンジョン造りにあたって、猫はこの本に何度も目を通していた。ダンジョンでなにができるかを考え、最善の道を模索し続けるために。
だがこの本の形態変更について書かれていたのは、猫が見ていたのよりももっと後。このゲームの素晴らしさについてとうとうと語られている、小説で言えばあとがきのような部分の1ページに紛れるように存在していたのだ。
「これ誰か狙っている人がいるな。いや神か」
おそらく自分と同類と思われる存在が神にいたことに少し親近感を覚えながら、猫は迷うことなく本の形態変更を実行する。
それだけで生体エネルギーの半分程度を持っていかれたが、よっぽどのイレギュラーが起きたり、目論見が失敗しなければ十分にカバーできると判断したのだ。
「おおー」
猫の目の前で人を殴り殺せそうな分厚い本がその形を変化させていき、猫にとって馴染み深いタブレットに生まれかわる。
その画面をタッチ、フリックして操作性を確かめた猫は、にんまりと口角を上げた。
「いいね」
試しに検索してみたが、その結果が表示されるのにかかったのは0.1秒に満たない時間だ。
あいまいなワードを指定しても、それに関連するであろう項目を探してくれる親切設計。
本当に今までネットで使っていたのと同じような感覚で調べ物ができるようになった猫は、こぼれる笑みを隠し切れなかった。
「うん、これならタクミ君も使いやすいだろうし良い発見だったな。あっ、そうだタクミ様って今から考えておかないと。違うか、最初は『先駆者』様だった。うー、どこかで失敗しそうだなぁ。気を付けないと」
なまじここ最近付き合いが多かったせいもあり、ふとした瞬間にタクミ君と言ってしまいそうな気がして、猫は気を引き締めなおす。
「あっ、そうだ。語尾もなおさないと。違った。直さなきゃニャ。やっぱり非日常といえば特殊な語尾だからニャー。この方が『先駆者』様も受け入れやすいだろうしニャ」
猫は猫耳系メイドカフェのことを思い出しながら、その語尾にニャをつけ始める。
普通はそんな特殊な人がいたら驚くか呆れるかぐらいだろうが、本物の猫耳と猫の尻尾を持つ、天然物の猫自身がそんな語尾を使えばあっさりとタクミは受け入れてくれるだろうという確信が猫にはあった。
なぜなら強くタクミの薫陶を受けた猫自身が、自分だったらそうだと思うからだ。
「じゃあ役の作りこみがてら、タブレットで復習するニャ。早く時間が経たないかニャー」
これまでのダンジョン作成時と同じそんな言葉を胸に抱きながら、これまでと全く違うドキドキとワクワクが混在する不思議な気持ちを感じる猫は、自らの小さな胸に手を当てほほ笑んだのだった。
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