第5話 最後のピース
「ふふっ、太陽が私を殺しに来ている」
ネットの広大な海を泳ぎに泳いだ猫は、夕方といってもいい時間なのにさんさんと輝く太陽の光を避けるようにビルの影をふらふらと歩いていた。
ゲームの開始まで残り2週間。おおよその構想はすでにできているが、最後のピースを猫は決めかねていた。
ホテルを出た猫は南へと進み、かの有名なおでん缶の自販機を横目に横断歩道を渡る。
猫は頑張った。これまでの長い猫生の中で、最も頑張った2週間だと言っても過言ではないほどに頑張ったのだ。
だからちょっとぐらいいいんじゃないかと、気分転換がてら今日は出かけることにしたのだ。中華なメイドカフェで癒されるために。
さすがに平日の昼間で、猫が歩いている道が大通りから一本奥に入ったところであるため、人の姿はそこまで多くない。
午後5時少し前という半端な時間にこの場所にいるような者は、観光客か近くのオフィスから休憩として抜け出してきた勤め人、もしくは……
「あれっ、ネコおじ? すごい疲れた顔してるけど」
「おお、タクミ君。今日仕事は休みなのかい?」
「10連勤後の貴重な2連休っすよ。また明日から仕事。うあー、行きたくねぇ」
じゃがいものキャラクターの看板が掲げられたビルの階段から降りてきた若い男と、猫は気軽そうにやりとりを始める。
この1年間、秋葉原の街を中心に遊び歩いてきた猫には、それなりに知り合いがいる。その中でもこのタクミは猫が最初にこの街に降り立ち、どうやって時間を潰すべきか迷っていた時に手を差し伸べてくれた恩人だった。
別の言い方をすれば、猫をオタク沼に引きずりこんだ張本人である。
「早く転職すればいいのに」
「いつかきっかけが出来たらっすね」
「この1年の間にどれだけその言葉を聞いたことか。ああ、ちょうどよかった。今から夕食がてら中華メイドに会いに行くんだけど、タクミ君も行くかい?」
「あー、今はちょっと。掘り出し物があって散財したところなんで」
後ろのじゃがいもの看板を指差し、タクミが苦笑する。そこは界隈では有名なレトロゲームを取り扱う店だった。
猫もタクミに誘われ何度も足を運んだことがあり、ずらりと並んだレトロゲームのソフトや駄菓子、かつて一世を風靡したゲームセンターの筐体などが並ぶその光景は強く印象に残っている。
そのノスタルジックな空気は、それに触れた幼少時代などない猫にも不思議と懐かしさとワクワクした気持ちを呼び起こさせる、そんな場所だった。
「誘ったのは私なんだし、おごるよ。ちょっと話したいこともあったしね」
「マジっすか。ごちになります」
「そういう遠慮のないところ、嫌いじゃないよ。じゃあ行こうか」
猫がおごると言った瞬間に満面の笑みをタクミは浮かべる。
こうしてみると猫がおごるというのを待っていたようにも思えるが、タクミにそんな意図は全くない。なぜなら猫に誘われなければ、さっさと家に帰って買ったばかりのゲームを楽しむだけなのだから。
猫もそれを十分に理解していたが、せっかく出会うことができたタクミと話をしておきたかった。
おごる、と言えば趣味に給料のほとんどを突っ込んでその余りで生活しているタクミは、断らないであろうことをこの1年の付き合いで猫は理解していたのだ。
2人はしばらくタクミが買ったゲームなどについて話しながらゆっくりと南に進み、高架を抜けてすぐにある中華メイドカフェへと到着する。
「勇者様のお帰りです」
「「お帰りなさいませ勇者様」」
いつもどおりの歓迎の声に軽く会釈を浮かべた猫は、赤と白を基調とした中華風の店内を、髪を2つのお団子でまとめたメイドに先導されて歩く。
中華風味の入ったメイド服の女の後を、猫耳をつけた初老の男性、そして黒いリュックを背負った背の高い男が歩くという何とも不思議な光景だったが、それにツッコミを入れる者は誰もいなかった。
「タクミくんもチュートリアルセットでいいかい?」
「お願いします」
「じゃあチュートリアルセット2つで。ドリンクはオレンジジュースとジンジャエールだったよね」
「はい」
席に案内された猫は慣れた様子で注文を終える。まだ開店して間もない時間ということもあり客は猫たちの他に2人しかいない。
片方は、顔は知っている相手であり、猫の視線を受けた彼はぺこりと頭を下げて挨拶をしてきた。それににこやかに笑って返した猫は、横並びに座るタクミへと向き直る。
「そういえばネコおじ、さっき話したいことがあるって言ってたけど」
「ああ、仕事の都合で秋葉原を離れることになってね。お世話になった君には話しておこうと思っていたんだ」
「ネコおじ、仕事してたんだ」
「そっちに驚くんだね。いや、まあ平日からぶらぶらしてた私が言うのもなんだけど」
タクミの反応に、猫が思わず苦笑いを浮かべる。
仕事の関係で休みが不定期になりがちなタクミがいつ秋葉原に行っても、だいたい猫はその辺りをうろついていた。
その見た目と金払いに、退職したお金持ちなんだろうな、となんとなくタクミは考えていたのだ。
「寂しくなるっすね」
「こうしておごってもらえなくなるし?」
「それは言わない約束でしょ」
そんな風に談笑する2人の前にドリンクが置かれ、チェキの撮影、そしてお絵描きオムライスの儀式が行われる。
ちなみにこの中華メイドカフェの基本メニューにはオムライスとパンケーキしか食べ物はない。
中華がコンセプトだから中華料理が出てくるだろうと思ったら大間違いなのだ。
メイドさんがケチャップでお絵描きしてくれた意外とボリュームのあるオムライスにスプーンを入れながら、猫はタクミと話し続ける。
「まあホテル住まいだから引っ越しは楽なんだけどね。タクミ君は持ち家だっけ?」
「そうっすね。まあ親が田舎に引っ込んじゃったんで、実家を自由に使っているだけっすけど」
「コレクションも保管できるし、彼女も呼び放題か」
「あー、俺にはとんと縁のない言葉をさらっと出すのやめてくれます?」
しかめっ面のままスプーンいっぱいにのったオムライスをぱくりと咥えたタクミに、猫は「ごめんごめん」と軽い口調で謝った。
タクミはとりたてて不細工とか不潔というわけではない。趣味にお金を注ぎ込むせいで、ファッションに無頓着ではあるが、ザ・普通という言葉がよく似合う風体をしている。
だが、こと恋愛になるといつも、いい人止まりであり、それ以上の関係に進めたことは一度もなかった。
タクミがじっと猫のことを見つめる。背筋のピンと伸びた美しい姿勢。その顔にはどこか余裕を感じさせ、白の中にわずかに残った黒髪が大人の渋みを増している。
なぜか頭に猫耳をつけているが、それさえも自然と思わせるなにかが猫にはあるようにタクミには思えていた。
「ネコおじはもてそうっすよね。変人ですけど紳士っぽいですし」
「そうかな?」
その返事さえ、タクミには持つ者特有のものに思えてしまう。自分だったら確実にそんな余裕のある返事はできないとわかっているからだ。
「まあ、俺は趣味が恋人ってことで。性欲は自分で処理できますし」
「下ネタは出禁になるよ」
「おっと。こういうところがダメなんすかね?」
猫とタクミはそれからも2人でくだらないことを話し続けた。
猫たちに続いて団体客がやってきたため、メイドさんに癒されるという当初の目的を猫はあまり達成できなかった。
ただ、その代わりにタクミと楽しい時間を過ごすことができ、猫は満足したのだった。
「ごちになりました。じゃあ俺、帰ります」
「引き留めてしまったようで悪かったね。また会えたら会おう」
「はい。失礼します」
食事を終え、中華メイドカフェを出た2人は、そう短く挨拶を交わした。そしてタクミは秋葉原駅に向かって歩き始める。
猫はしばらく手を振ってその後ろ姿を見送り、そして雑踏に紛れる前に後をつけて歩き始めた。
「うん、やっぱり彼にしよう」
そんな呟きを通りの隅に残しながら。
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