第29話 新階層の反響
まるでスキップするかのような軽快な足取りで家に帰ってきたタクミは、玄関の扉を軽やかに開け放つ。
「たっだいまー、ってミケ待ってたのか?」
「お帰りニャ。たまたまテレビでタクミ様を見たから、そろそろかなって思ってたニャ」
「ああ、あれな」
玄関に腰掛けながらにやにやと笑うミケの視線に、タクミは少し恥ずかしそうに頬を染める。しかしその顔に浮かんでいるのは笑顔だった。
連日の作業の疲れと緊張感から解放されたことで、ある意味ハイになっていたところにインタビューを受けたのだ。
今考えてみれば、その時のタクミの行動は明らかにおかしかった。もっとも後悔はしていなかったが。
「いやー、やめちゃったよ。会社。いちおう人事にクビって言われたと連絡したら、事実関係を確認するから待ってくれって。しばらくは有給扱いだと」
「お疲れ様ニャ」
「本当に疲れたわ。でも言いたいこと言えてすっきりはしたけどな」
ミケに差し出されたポーションをぐいっと一飲みし、その瞳の輝きを増したタクミが靴を脱ぎ始める。
廊下の奥から漂う食欲を誘う香辛料の匂いが玄関まで届き、タクミがその鼻を少し膨らませる。そして同時にそのお腹が盛大な音を立てた。
もう限界です、と言わんばかりのその音にミケが嬉しそうに笑いながら尻尾を揺らす。
「カレー、温めなおしておいたニャ。しかもシャドウブルのビーフカレーニャ!」
「おっ、いいね!」
シャドウブルと聞いて、もどかしそうに靴を脱ぎ捨てたタクミと並び、ミケは尻尾を揺らしながらキッチンに向かって歩き始める。
数日ぶりの2人一緒の食事に、心を弾ませながら。
結局タクミはカレーを3度おかわりし、ミケが炊いておいた3合の米のほとんどはタクミの胃の中に消えていった。
丸く膨れたお腹をさすりながら、満足そうに体を椅子の背もたれに預けるタクミの姿を見て、食事の片づけをしていたミケが笑う。
「美味しそうに食べてくれるのは嬉しいけど、食べすぎニャ」
「いやー、この2日まともな食事をとってなかったからな。弁当を差し入れてもらったりしたけど味なんかしないし」
相手の会社に泊まり込みで復旧作業に当たったタクミだったが、なにも不眠不休だったわけではない。
畳の休憩室があったのでそこで仮眠させてもらったし、後輩や工場長などに差し入れをもらったりもしていた。
ただ事態が事態だけにタクミの頭のリソースは全てプログラムの修復に向けられており、ゆっくりと食事を楽しむ暇などあるはずもない。
タクミにとって幸いだったのはそこまで大きい工場ではなく、納期の迫った仕事もなかったようで休みをもらえた従業員たちはむしろ喜んでいる者が多かったこと。なにより修復作業に付き合ってくれたその工場を取り仕切る工場長が、タクミに同情的だったことだろう。
おかげでタクミは胃に穴を開けることなくなんとか修復を完了できたのだから。
「そもそも話を聞いただけで簡単な事案だと判断して、過去の指示書を持たせて新人に向かわせるなんてありえないんだけどな。しかもやらかした後、実物を見もせず電話で指示したらしいんだぜ。あのプログラムには課長も関わっていたらしいから自信があったんだろうが、さすがにダメだろ」
「そうなのかニャ」
タクミの愚痴を聞きながらミケが洗い物を済ませていく。
正直に言って、プログラムのことなどミケには全くわからない。その口からもれる専門用語などさっぱりだ。しかしタクミの大変さに同調することはできた。
少しの間タクミの愚痴は続いたが、ミケが2人分の食器を洗い終わるころにはそれも終わりかけており、タクミは気持ちを切り替えるように大きく息を吐く。
「どちらにせよもう今更か。それより収入源が絶たれるからどうすべきか考えるべきだな。来月までは給料が入るけど、それ以降のお金をどうするか。さすがにダンジョン1本はまだきついか?」
「うーん、レンガの2階層を接続したから、ダンジョンで稼ぐシステムの構築は加速すると思うけど、わからないニャ。でも生活費ならしばらく問題ないニャ」
「失業手当があるし?」
「違うニャ」
フルフルと首を横に振ったミケはタオルで手をぬぐうと、床に置いてあった黒いリュックを持ってタクミに近づく。
そしてその黒いリュックをテーブルの上に置くと、そのジッパーを開いて中を見せた。
何事かと思ってそれをのぞいたタクミがピシリと固まる。そこには輪ゴムでくくられた厚い札束がいくつも入っていた。
タクミがギギギギと油の切れた機械のような動きでミケのほうを向き、その右手の人差し指をリュックの中身に向ける。
「えっと、ミケさん。この札束は?」
「私の貯金ニャ! たぶん1千万くらいはあると思うニャ」
「1千って、ええっ! マジで?」
タクミが思わず札束を二度見する。
基本的に給料のほとんどを趣味につぎ込んできたタクミの貯金は、ギリギリ3桁万円で飛行し続けていた。
そんなタクミにとって、初めて見る1千万に近い札束の厚みは想像以上であり、ガツンと頭を殴られたかのような衝撃を与えるものだった。
「やましいお金じゃないから安心してほしいニャ」
「いや、そんなことは思ってないけど。しかしミケにこんな貯金が……」
ふふーんと腕を組んで得意げにしているが、今のミケの見た目は子供である。そんな子供に貯金額が負けたというのは少なくないショックをタクミに与えていた。
とはいえこのお金はミケがせっせと働いて貯めたお金というわけではない。1年間の準備期間に、毎日自動で10万円支給されていた余りのお金だった。
日本に降り立ったミケは1日10万円を1年間支給されており、その総額は3,650万円にもなる。
ミケはホテルの宿泊費やオタク趣味にそれなりにつぎ込んではいたものの、それでもお金を使い切ることはできなかった。
なぜならミケは浪費を楽しむのではなく、買ったゲームや本、イベントなどを体験することを楽しいと感じていたからだ。
漫画に夢中になり1日ホテルから出ない日もあったし、徹夜でゲームをやりこんだこともある。むしろお金よりも時間が足りないことを嘆く日々だったのだ。
別の方向から見れば、時間という制約が結果としてミケに現金を残したともいえるだろう。
「いや、でもこれはミケの貯金だろ。それを当てにして生活するのはちょっと……ヒモみたいじゃないか?」
「別にいいんだけどニャ。うーん……なら、この家に住まわせてもらっている家賃を払うってことでどうニャ?」
「それもどうなのかと思うが……まあ助かるし、いいのか?」
なんとなくあまり変わってはいないような気はしたものの、ミケの言うことにも一理あると考えたタクミは首を縦に振ってそれを承知する。
シェアハウスだと考えれば生活費を共有するのも妥当なところだろう。
タクミのほとんど取れていなかった有給はまだ30日残っている。人事の判断次第ではあるが、しばらくは会社から給料も入ってくるだろうし、とタクミは気持ちを切り替えた。
「そういえばダンジョンって今どんな状況なんだ?」
「タクミ様がインタビューを受けたところで新しい階層を接続して、そこからご飯の準備とかしていてちょっと見ていなかったニャ」
「じゃあ見てみようぜ」
「わかったニャ」
タブレットを何もない空間から取り出したミケは、それをテーブルの上に置くとタクミの隣の席に腰を下ろす。
そして少し椅子をずらしてタクミのそばに身を寄せると、タブレットをスワイプして渋谷のダンジョンを表示させた。
「うわっ、気持ち悪っ!」
画面に表示された2人で作った新階層の入り口周辺には、無数の赤い点がうぞうそとうごめいている。
その動きは冬眠のために石の下などに密集した虫を想像させ、タクミの背中にぞわっとした嫌な感覚を呼び起こした。
ミケはすかさずリモコンを操作し、テレビの電源をつけ、ニュースに目を向ける。
そこには次々と渋谷ダンジョンの中に入っていく人々と、その対応に苦慮する警察官の姿が映っていた。
「……想像以上の大人気ニャ」
「いや、まあそうなんだが、これ別の意味で事故が起きそうだぞ。将棋倒しで死人が出るレベルじゃないか?」
「どうするニャ?」
「現状、新階層に人が集まりすぎてる。それを分散させる必要があるが……」
そこまで言うと、タクミは取り出したスマホを操作して検索を始める。ただビリビリにひびの入った画面での操作は思い通りには進まず、少し焦りをにじませながらタクミは目的の掲示板を開くことに成功した。
かなりの速さで流れていくスレッドを最初から流し読みし、タクミはある話題に目を引かれる。
「げっ、ポーションが5百万円で売れたらしい。しかも引き続き買い取りするって」
「安全そうだしスライムを倒してみたいっていう人も多いニャ。この相乗効果かニャ?」
「かもな」
隣でのぞき込んでいたミケにスマホを渡したタクミはタブレットをスワイプさせ、新しい階層作成の準備に入る。
右に出てきたダンジョンのテンプレートからタクミが迷わず選んだのは、草原のフィールドだった。
「とりあえずだだっ広い草原フィールドを作ってこっちに人を呼び込む。ミケはとりあえず周辺にスライムをたくさん配置してくれ。それと撒き餌のポーションも頼んだ。俺はもうちょっと掲示板を確認する」
「わかったニャ」
目にもとまらぬ速さでタブレットを操作するミケの横で、タクミは掲示板やSNSを確認しながら必要な事項を選択し、随時ミケに指示をとばしていった。
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