第21話 力を得た者たち
「なあ、相澤。お前の嫌な予感ってなんでこんなに当たるんだ?」
「知らん」
いつもの分厚い筋肉が細くなってしまったかのように身を縮こまらせる伊藤に対し、パーマを当てたわけでもないのにくしゃっとウェーブする髪をかきながら相澤がつっけんどんに返す。
ちりちりとした相澤の嫌な予感は未だに続いていた。
ダンジョンが発見されて2日後。渋谷警察署の廊下を歩く彼らが向かう先は、事件の容疑者などから事実関係を確認したりするいわゆる取調室という場所だ。
交通課の相澤と地域課の伊藤にはあまり縁のない場所であり、警察官になるにあたって、ある意味憧れのある場所ではあるのだが、2人の足取りは重かった。
まあ取り調べられるのが自分たちということを考えれば当然ではある。
「別に会議室とかでもよかっただろ」
「あのダンジョン関係で色々大変らしいぞ。警視庁や警察庁からもけっこう人が来ているらしい」
「さすがコミュ力の伊藤。いつもの筋肉ネットワークか?」
そう問いかけてきた相澤に、少し調子を取り戻した伊藤が力こぶを見せつけながら良い笑みで返す。
もし効果音があるなら、キラーンと鳴りそうな伊藤の白い歯を見つめながら、相澤は嫌な予感が増していくのを感じていた。
とは言っても業務として出された取調室行きを拒否できるほど、相澤は馬鹿でも破天荒でもない。
それに呼び出される心当たりはあるのだ。
相澤1人が呼び出されてのであれば予測は難しかったが、伊藤と一緒にということを考えればその心当たりは2つしかない。
(1つは死んだ配信者の件。だがそっちは映像が残っていて客観的な状況把握が可能なことを考えれば可能性は低い。もう報告書はあげているし。となると、やっぱアレだよな)
そんなことを考えながら相澤が自分の手に目をやる。ゴリマッチョの伊藤と違い、それなり程度に鍛えられた男らしいごつごつとした手だ。
自慢の長い生命線は変わることなくそこにある。残念ながら結婚線が全くないのは変わってはいないが。
嫌だ嫌だと思いながらも歩き続ければ目的地には着くわけで、指定された取調室の前に立ち相澤と伊藤は顔を見合わせる。
通常、取調室の扉は開いている。平成20年1月に発された『警察捜査における取調べ適正化指針』において、適正な取調べ順守が明記され、密室での強引な取調べなどが行われなくなったのだ。
つまり昔の刑事ドラマであったような、胸ぐらをつかんだり、長時間の取調べだったり、デスクライトを顔に当てたりというようなことは空想の話に変わった。
そういったこともあり、プライバシー保護のためのパーテーションで区切られてはいるものの基本的に取調室の扉は開いているはずなのだ。
しかしそれが今はしっかりと閉じられている。嫌な予感が増すのには十分な光景だった。
2人は視線を交わし、どちらが先に行くかで少しもめた後、何も言わずに手を前に出し無言でじゃんけんする。結果はパーとグー。
顔を歪めた相澤とわずかに口角を上げる伊藤の姿を見れば、どちらが勝者かは誰の目にも明らかだった。
こんこんこん、と相澤が3回扉をノックすると、中から聞きなれない男の声で「どうぞ」と入室を促された。
ドアノブをひねって扉を開いた相澤は、警察学校入校時の緊張感をもって一歩踏み出し、横に並んだ伊藤と同時にすばやく腰を折って頭をさげ、そして上げる。
「失礼します。相澤巡査、指示に従い参りました」
「同じく伊藤巡査、参りました」
「ああ、そんなに緊張しなくていいよ。扉を閉めてそこにかけてくれ」
取調室の中央にある机の奥側に座っていたスーツの男が気軽そうに2人に声をかける。細身でニコニコと笑みを浮かべるその姿は、典型的な事務方のように2人の目には写った。
男の年のころは40代中盤といったところ。
その隣には30手前といった感じのパンツスーツをビシッと着こなした女も座っている。どこか冷たい印象を受ける女は、その切れ長の目でじっと2人を観察していた。
相澤にも伊藤にも、2人の顔に心当たりはない。
相澤たちは指示に従い、2人が座る対面の席へ腰を下ろす。
取調室はとても広いとは言えない空間だ。静かにしていれば相手の息遣いさえ聞こえるのではないか、そんなことを思ってしまうくらいの場所で4人は顔を見合わせる。
少しの沈黙の後、会話の口火を切ったのは、やはりスーツの男だった。
「突然すまないね。私は入間、こっちの彼女は佐藤という。あぁ、申し訳ないが名刺を切らしていてね。これで」
そう言って入間が2人に首からかけていた名札を示して見せる。
そこには『内閣情報調査室 入間陸斗』という情報が記載されていた。相澤は思わず「ゲッ」と漏らしそうになった言葉をすんでのところで飲み込む。
表情も取り繕おうとしたが、わずかに動いた表情筋だけで入間には相澤がどんな心境なのかばればれだった。
しかしそんなことはおくびにも出さず、適当に名札から手を離すと言葉を続ける。
「君たちの報告書は読ませてもらったよ。非常にわかりやすく、そして目を疑うものだった。正直に言えば、現実と妄想の境界がわからなくなった病人が書いたのかとも思ったよ」
「そうでしょうね。書いた私たちとしても、そう思います」
「でも事実です」
苦笑いを浮かべた相澤の言葉を、神妙な顔のままの伊藤が補足する。
先日の渋谷ダンジョン内で起きた出来事すべてを2人は報告書として提出していた。
その内容は書いた本人たちからしても、まるでファンタジー小説のようなものになっていた。ダンジョンが現れる以前であれば2人も入間と同じ印象を持っただろう。
しかし2人が書いたことは事実であり、そこに嘘も偽りも全くないのだ。
「ああ、それはわかっている。他の者からも話を聞いて情報を収集しているからね。ではまず、この報告書の経過に従いながら改めて説明をしてくれ。ここに書かれていない君たちの個人的な所感も交えてね」
入間に促され、2人が差し出された自分たちの報告書に目を通しながらダンジョンへの到着、侵入、救助、そして死亡者の消失について語っていく。
佐藤の細い指が2人の言葉をノートパソコンに打つタッチ音が続く中、うんうんとうなずきながら入間は話を聞き続けていた。
「その後は警戒及び他の市民がまだいないかの捜索を続けまして……」
「そこで宝箱を発見した、と。そのときに報告に戻らなかった理由は?」
「報告書にも書きましたが、箱は動かせずダンジョン内部で拠点としていた場所からも少し離れた場所にあったからです。その前に人が消失する場面を見ていましたので、報告に戻っている間に宝箱が消える可能性を考え、中身だけを持ち帰るつもりでした。拾ったスマホは消えませんでしたから」
「まあ、ダンジョンと呼ばれる場所で宝箱があれば開けてみたくもなる。正直に言えばそんなところかい?」
「その気持ちがなかったと言えば嘘になります」
会話を重ねてきたおかげで、相澤たちの緊張感も少し解けてきており、入間の質問になめらかに答えを返していた。
配信者の死亡と消失を確認し、捕獲したコボルトを入口まで届けた相澤たちは口頭での報告の後、再び一般市民の捜索を続けていた。
そして今聞かれたとおり、2人は捜索の途中において宝箱を発見していた。しかも2つも。
それを見つけたときに2人の驚きと興奮、そしてその時に交わされた馬鹿なかけあいを考えれば「その気持ちがなかったと言えば嘘になる」というのはいささか過小すぎる表現だろう。
「そして君たちは正体不明な水晶玉のような物を見つけ、不思議な力を手に入れた、と。悪いがそれを少し見せてくれないか?」
「わかりました。伊藤」
「ああ」
席を立った2人は少し距離を取り、腕を少し前に伸ばして手のひらを天井に向ける。
そして次の瞬間、相澤の目の前に野球ボールくらいの火の玉が現れ、伊藤の手のひらから白く光を放つ2本の縄がその姿を現した。
その2つの現象を映す入間の目は少し大きくなり、それはすぐに元に戻った。
そして入間はパソコンに記録することも忘れそれに見入っている佐藤に呼びかけて正気に戻すと、小声で一言、二言伝えて相澤たちに向き直った。
「ありがとう。これで聞き取りは終了だ。業務に戻ってくれて構わないよ。またなにかあれば連絡をさせてもらう」
「承知しました。失礼します」
「失礼します」
案外普通の聞き取りだけであっさりと終わったなと、ほっとしながら相澤たちは頭を下げ外に出ていこうとする。
そんな2人の背中に、入間は声をかけた。
「ああ、そうだ。君たちの採用試験の志望動機も調べさせてもらったよ。人々の安全を守るという決意にあふれた素晴らしいものだった。これからもぜひ頑張ってくれたまえ」
「ありがとうございます」
「ご期待に応えられるよう精進してまいります」
そつなく答えを返した相澤たちは、取調室を後にする。
そして廊下をしばらく歩き、ここまでくれば大丈夫だろうというところまで離れたところで伊藤がぽつりと漏らした。
「最後のアレ、なんなんだよ」
「身辺調査したって匂わせだろ。あー、嫌な予感が止まんねぇ。またなにかあったら、って絶対になんかあるだろ」
「ご愁傷様。とりあえずこれやるよ」
受け取ったチョコ味のプロテインバーの袋を破り、「お前もだろ」と伊藤に返しながら、相澤はやけくそ気味にその黒く細い棒にかじりついたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
現在新連載ということで毎日投稿を頑張っています。
少しでも更新が楽しみ、と思っていただけるのであれば評価、ブクマ、いいねなどをしていただけると非常にモチベーションが上がります。
よろしければお願いいたします。




