第16話 あるダンジョンマスターの最後
ミノタウロスの体が完全に消え去り、その場に薄い紙のようなものに包まれた赤に白い筋が混じったブロック状の物体が残される。
10キログラムはありそうな大きさのそれは、大きさこそ違うが道中でタクミが拾ってきたものとよく似ていた。
「ドロップアイテムって、もしかしてミノタウロスの肉か?」
「うーん、そうみたいだニャ」
「マジか。幸運さん、仕事してくれよ」
ボスを倒したんだからもっといいアイテムが出ると思っていたタクミは、がっくりと肩を落とす。
そんなタクミの反応にミケは笑った。
「でも考えてみれば、ドロップ品の肉は普通の装備やスキルオーブと違ってDPでは交換できないものニャ。今のタクミ様の状況を考えれば、これが一番いいかもしれないニャ。それにすごく美味しいらしいニャ」
「あいつ、筋肉もりもりなのに美味いのか。筋が多くて嚙み切れないとかないよな?」
「ニャハハハ。まっ、食べてみればわかるニャ」
ミケの説明とお気楽な様子に、たしかに言われてみればそうだなと納得したタクミは、ドロップアイテムのミノタウロスの肉に手を触れてアイテムボックスに収納する。
そして顔を上げると、すぐ隣に鎮座する3メートルはある両開きの扉へと視線を向けた。
そのいぶした銀色をした頑強そうな扉は、この奥に重要な場所があると明確に示している。
その奥に何が待っているのか、ワクワクしながらタクミは扉の前に移動した。
「行くぞ」
こくりとミケがうなずいたことを確認し、タクミがその扉に手をかけて押していく。
その見た目とは裏腹にほとんど重みを感じさせずに扉は開いていき、その奥にあった部屋があらわになる。
「へぇ、なんかホテルのロビーみたいだな。ミケのダンジョンとは違うのか」
キョロキョロと部屋を見回しながらタクミが感心したような声を漏らす。
ツルツルとした光沢のある白い床にダークブラウンを基調としてまとめられた壁。天井には小ぶりながらもシャンデリアが吊るされ、温かみのある光で照らされたその部屋は、言われてみればホテルのロビーに見えなくもない。
ただその中央にそびえるクリスタルが異彩を放っているが。
「ソファーでも置くかニャ?」
「確かに置いたらそれっぽいよな。今だとあるのはクリスタルと空の宝箱くらいだし」
「えっ?」
こんな場所にDP使わずにもっとダンジョンに使えばいいのに、と内心呆れながらシャンデリアを眺めていたミケが、タクミの言葉に視線を下げる。
そこにはクリスタルを支える支柱に隠れるように置かれていた蓋の空いた宝箱があった。
それに気づいた瞬間、ミケはその小さな体で体当たりするようにしてタクミを突き飛ばす。
「んっ?」
ミケに押され、たたらを踏んだタクミが何事かと振り返る。
そしてその目に飛び込んできたのは、クリスタルから突き出された槍に胸を貫かれるミケの姿だった。
ミケの小さな体がゆっくりと後ろへ傾いていき、そして地面に倒れる寸前で慌てて駆けつけたタクミが受け止める。
「おい、ミケ!」
「ゆ、油断したニャ。ごめ、んニャ。タクミ様」
タクミに抱かれたミケが、か細い声をあげながらタクミを見つめる。
その表情は痛みに歪んでいたが、それでもその瞳は柔らかくタクミを安心させるためにほほ笑んでいるようにも見えた。
「チッ、邪魔すんじゃねえよ。落ちこぼれが」
「クハッ」
だが、その微笑みも怒気を感じさせる言葉と共に引き抜かれた槍によって完全に苦悶の表情に変わる。
自分でもミケでもない低い声に、顔を上げたタクミは戦慄する。
そこには二足歩行する巨大な緑のトカゲが槍を持って立っていたからだ。
「なんだお前は!?」
「落ちこぼれと一緒にいるだけあって、お前も馬鹿なのか。俺が誰かなんて考えなくてもわかるだろう、に!」
言葉の途中で突き出される槍を見た瞬間、タクミはミケを抱えたまま背後に飛んだ。
空ぶった槍を引き戻したトカゲは、忌々しそうにタクミを見つめチロチロとその長い舌を出し入れする。
そんな相手を眺めながら、タクミは自身の心がどんどんと冷えていくのを感じていた。
光沢のある緑のうろこで全身を覆い、爬虫類特有の鋭い目でトカゲは隙をうかがっている。
だがタクミはそんな相手のことをほとんど見ていなかった。
その視線は腕に抱いたミケをじっと見つめており、心臓の位置に開いた傷跡と、目を閉じぐったりとしたまま動かないその姿にただただ後悔のみが積み重なっていく。
「人間ごときがなめんじゃねえ!」
突進してきたトカゲが槍を連続で突き出してくるが、タクミはそれをなんなくかわしていく。
それなりの速度の攻撃ではあるのだが、それはあくまで人の範疇に収まる程度でしかなく、スキルや装備によって強化されたタクミにとっては止まっているようなものだった。
「このダンジョンのダンジョンマスターか」
「今頃気づいた……かっ」
トカゲは最後まで言葉を発することはできなかった。タクミの蹴りがその腹部に叩きこまれ、トカゲは壁まで吹き飛ばされたからだ。
カラン、カラン、と高い音を立てて槍が地面を転がり、その柄を踏みつぶして折ったタクミはゆっくりとトカゲに近づいていく。
「お前、ミケのことを落ちこぼれって言ったな」
「くっそ、まだだ。まだ俺は終わらねえ。俺はこの世界の神になるんだ! こんな序盤で脱落するなんてありえねえ。人間ごときにやられるはずがねえんだ!」
タクミの言葉など聞かず、トカゲは地面に座り込み、痛む体に顔を歪めながら呼び出した分厚い本へ視線を向ける。
パラパラと自動的に本のページがめくられていき、その途中でタクミの足がそれを踏みにじった。
トカゲが引きつった顔を上げて目にしたのは、真っ黒なブーツの裏側だった。そしてそれはトカゲの顔面を地面に強制的に押し付ける。
「おい、落ちこぼれ。よく聞け。ミケは変だが優しくていい奴だ。お前なんかと一緒にするな」
「ぐ、ぐああああ」
ミシミシと自分の頭が立てる音を聞き、徐々に強まっていく痛みにトカゲが悲鳴を上げる。
しかしタクミはそんなことに一切構うことなく、その足に体重をかけていった。
「お前、さっき人間ごときって言ったな。そんな人間ごときにやられてる気分はどうだ?」
「貴様、殺してやる。絶対に殺し……ぐぁあああ」
「そんな三下の悪役みたいなセリフを言うなよ。ミケの苦しみを少しでも味わわせてやろうと思ったのに、殺したくなるだ……」
「んっ? 私は別に苦しくないニャ?」
「へっ?」
いきなり聞こえてきたミケの元気そうな声に、タクミが間抜けな声をもらしながら視線を自分の胸に向ける。
そこでは腕に抱かれたミケがにこやかに笑いながら手を振っていた。その血色はとてもよく、痛みを我慢しているようにも見えない。
「なんで?」
「いや、なんでと言われてもニャー」
呆けたような表情で固まるタクミの腕からするりと抜け出し、ニャハハハとミケが楽しそうに笑う。
そんなミケの姿を地面に顔を押し付けられながら見上げていたトカゲが、憤怒の表情を浮かべながら声をあげた。
「なぜ貴様は生きている? 今外に出るとしたら本体ごと出るしかないはず。俺は確かにお前の核を貫いた。なぜだ!」
「んー、馬鹿なのかニャ? 私がなんで無事かなんて考えなくてもわかるだろうにニャー」
先ほどトカゲにいわれたセリフを真似しながら、ミケがあざけりの表情を浮かべながらからかうような口調で返す。
それにトカゲはますます顔を赤くしていったが、どれだけトカゲが抵抗しようともタクミの足はビクともしなかった。
「お前のような奴がこの星の神になったら迷惑極まりないニャ」
「落ちこぼれのお前に、俺が負けるはずが……」
「私じゃないニャ。お前はタクミ様に、人間に負けたニャ。じゃ、タクミ様、さっさと片づけて欲しいニャ」
「おう」
「や、やめ……」
ミケに促され、タクミはその右手をトカゲに向ける。手足をじばたばと動かしてなんとかして逃れようとする姿はまさしくトカゲそのものだった。
しかしタクミの足に頭を押さえられたトカゲが満足に避けられるはずもなく、タクミの手から放たれた衝撃波によってその体の大半がかき消える。
残された尻尾がわずかな間ぴくぴくと動いていたが、それもすぐに動きを止めた。
「ふう、これでこのダンジョンの攻略は完了だな。でもなんでミケは生きてたんだよ。俺、お前が死んだかと思って……」
「仲間をかばって死ぬのって、憧れないかニャ」
「くっ。ふざけんな、って怒りたいところだが……わかってしまう」
きゅるりん、とあざとい仕草をしながら上目遣いをしてくるミケに、タクミは悔しそうに拳を震わせた。
心配させておいてその言い草はなんだ、という気持ちは確かにある。
だが仲間をかばって死ぬというお約束が放つ誘惑が、どれほど魅力なのかオタクであるタクミにはわかってしまうのだ。
しかも絶対にタクミには危険が及ばないとわかっていればなおさらだろう。
「うんうん。タクミ様ならそうだと思ったニャ。あっ、ダンジョンマスターの書き換え完了したニャ。これでこのダンジョンはタクミ様の思いのままニャ」
「おっ、マジで。やったじゃん」
「イエーイニャ」
2人は楽しそうにハイタッチし、宙に浮いたタブレットを見つめる。
そこにはアリの巣のように複雑に枝分かれしたダンジョンの全容が写されていた。
「こんなに広かったのか。よく一度も迷わずにここまで来られたな」
「『幸運』スキルのおかげかニャ?」
「ちゃんと役に立ってたんだな。すまん『幸運』」
ドロップアイテムが肉ばかりだったせいで役に立っているのかいまいち疑っていた『幸運』スキルに謝りながら、タクミはミケがタブレットを操作するのを眺める。
ミケは慣れた様子で罠の一覧を探すと、1つの罠を選択し、続けてダンジョンの最奥、マスタールームをタップした。
「うーん、転移の罠をここに設置して、出口を入り口近くに設定すれば……よし、帰るニャ」
「なあ、ミケ。転移はいいんだが、ハエと一緒に転移したら合成されるとかないよな」
「ハエなんていないから大丈夫ニャ」
「合成されるほうを否定してほしかったんだが……まあ、これまでの傾向からいってもたぶん大丈夫か」
「そうニャ。人生気軽に考えたほうが楽しいニャ」
「お前は気楽で楽しそうだよな」
まるでスキップするかのような軽い足取りで設置された転移の罠に向かっていくミケの背中をタクミが追う。
そして、罠を踏む直前でくるりと振り返ったミケは、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべ
「さーて、楽しい合成の時間だニャ。タクミ様、お先にどうぞニャ。大丈夫、クモなんか私は持ってないニャ」
そう言ってタクミを手招きしたのだった。
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