第15話 約束された勝利
そう言うとタクミは、地面を蹴って駆けだした。だがその方向はミノタウロスがいる正面ではなく、なにもいない真横に向かってだ。
人知を超えた速度で走るタクミにとって、50メートルなどあってないような距離であり、端まで行きついたタクミはその勢いを止められず壁に激突する。
「いてててて。こりゃ時間がかかりそうだな」
そう言いながら壁から離れたタクミは、光学迷彩スーツについた土をパッパと払うと、くるりと体の向きを変えて再び走り始めた。
そして反対側まで走ったタクミは、再び同じように壁に激突する。
その意味不明な行動にミノタウロスとミケは頭に疑問符を浮かべながらタクミの姿を追って、顔を左右に振る。
キュッキュッとシンクロしたように首を振る姿は、メトロノームかテニスの観客席でボールの行方を追う人々のようだ。
「なにがした……ああ、そういうことかニャ」
しばらくそれを見続け、やっとのことでタクミの意図に気づいたミケが破顔する。
そして未だにその行動の意味が分からず、首を左右に振り続けるミノタウロスを見てニヤリと笑った。
「タクミ様にそういう意図がないのはわかるけど、おちょくっているようにも見えるニャ」
タクミが左右に走るたびに、ミノタウロスはその斧をわずかに動かし、いつでも振れるようにぎゅっと握りしめている。
この左右の動きはフェイントで、いつか突撃してくるに違いないとミノタウロスが考えていると予想できる動きだった。
だがそれはミノタウロスのただの妄想だ。実際のタクミは、自らの動きに慣れるために走っているに過ぎないのだから。
「あいつ動かないな。やっぱりテリトリーに入ると襲ってくるタイプなのかね。しかし俺が光学迷彩スーツを着ているから平気だけど、スキルを制御しきれずに大怪我するやつとかでるんじゃね?」
そんな愚痴ともつかない考察をしながらタクミは走り続ける。
慣れようと思ったところで、スキルで得た人知を超えたスピードにそう簡単に対応できるはずがない。
『身体強化』スキルによって知覚も強化されるが、タクミはそれに重ねがけするスキル『俊足』を保持しているため難易度がはるかに高いのだ。
「っ! まだ駄目か。はぁ、スキル選択ミスったかも」
「まあまあ、これでも飲んで頑張るニャ。スキルは落ち着いたらまた考えればいいニャ」
「それもそうだな。サンキュー、ミケ」
再び壁にぶつかったタクミが後ろを振り向くと、少女の姿に変化したミケが緑色の液体の入った瓶を持って立っていた。
タクミはそれを受け取ると、スーツの顔部分を動かして口の部分を開け、躊躇することなくその液体を飲み干す。
それだけで壁と壁の往復で少しあがり始めていたタクミの息が落ち着き、蓄積していた疲労が霧散した。
「やっぱポーションってヤバいな。でも本当に副作用はないんだよな?」
「ないはずニャ」
「その、はず、っていうのが怖いんだよな。人体実験みたいなもんだろ」
「自分の体で試すのはヘルシンキ宣言に違反しないから大丈夫ニャ」
「そっちの心配はしてないんだけどな」
タクミは苦笑いしながら、空になった瓶を空中へと放り投げる。
くるくると回転しながら宙を舞っていた瓶は、落下する途中で空気に溶けるようにして消えてしまった。
「まっ、こんな地球の理論が通じない代物に常識を求めるほうが間違いか。さて、もう少し頑張ってくるわ」
「ほどほどにニャー」
そう言ってタクミは片手をあげ、再び駆け始めた。
その後もときおりポーションで疲労を回復させ、たまに持ってきた携帯補助食品をかじったりしながらタクミは走り続けた。その時間、およそ1時間。壁にぶつかった回数は優に千を超える。
タクミがぶつかり続けたせいで、ダンジョンの壁面にはタクミサイズの穴ができあがっていた。そしてその結果……
「うん、無理!」
タクミは諦めた。
色々と思考錯誤しながら何度繰り返してもほとんど自分の成長を実感できなかったのだ。むしろその状態でよく1時間も粘ったといえる。
「うーん、モンスターを倒して強くならないとスキルをうまく制御できないのかもしれないニャ」
「本当にそうだったら、この苦労はいったいなんだったんだって感じだけどな。でも、もしそうだとしたら、勇者を育てるにしても出すスキルは考えないとダメだな。自爆しかねないぞ」
「やっぱり最初は魔法系かニャ。基礎魔法なら安いし、この世界にない力だから目玉にもなるニャ」
「安全にモンスターも倒せるしな」
そんな風に勇者を育てるためのダンジョンについて2人が本格的に話し始めると、どこからともなくドスドスという地面を蹴る音が聞こえてきた。
そちらへと振り向いた2人が目にしたのは、その顔に怒りの感情をこれでもかと詰め込んだミノタウロスが鼻息荒く地面を蹄で蹴りつけている姿だった。
「あれっ、なんかあいつ怒ってね?」
たらりと汗を流しながらそう言ったタクミに、ミケは腕組みしてうんうんとうなずいてみせる。
「警戒し続けたのに結局なにもなくて、なんなんだよ、お前! って感じかニャ?」
「いや、そんなん知らんがな」
タクミとしてはただ自分が慣れるために走っていただけで、それを勝手に勘違いしたのはミノタウロスだ。
そんなことで怒られても、というのがタクミの正直な気持ちだったが、完全に怒りで我をさすれているミノタウロスにそんなことを言っても通じるはずがない。
「ミケ、離れてろ」
ミケをかばうように前に出たタクミが、背中に回した手を振ってミケに逃げるように合図する。
その優しさにミケはほほ笑みながら、タブレットをスワイプして2つのボタンを続けてタップした。その瞬間、タクミの目の前に金属製の宝箱が現れる。
「タクミ様、もうそれを使ってサクッと倒しちゃうニャ」
ミケに促され、タクミが宝箱を開く。そこから出てきたのは、タクミの身長ほどありそうな直刃のロングソード。
やや赤黒い剣身と茶色の皮で巻かれたグリップの間にあるガードには、どこか見覚えのある牛の姿を模した意匠がほどこされていた。
それをタクミが手にした瞬間、ミノタウロスが明らかに動揺する。怒りに満ちていたはずのその目には、明らかな迷いが見て取れた。
「これってもしかして……」
「タウロス系特攻の剣、タウロスキラーニャ。5千万DPだから効果もばっちりのはずニャ」
「そんなのがあるなら最初から出してくれよ」
「本当はなくても楽勝なんだニャ。まあこれは1時間頑張ったタクミ様へのご褒美ニャ。初めてのダンジョンボス討伐なんだから最後くらい格好良く決めるといいニャ」
ぐっ、と親指を立ててよい笑顔を浮かべるミケの姿に思わず声を出して笑いながら、タクミはタウロスキラーを両手で持って正眼で構える。
アニメや漫画で見た立ち姿を真似ただけだが、その姿は意外と様になっていた。
「ポイントで殴るようで悪いが、こっちはしがないモブなんでな。このくらいのハンデは許してくれ」
そう言ってタクミは剣を上段に構えなおし、地面を蹴った。
攻撃してくる気配を察し、覚悟を決めたミノタウロスが斧を振りかぶる。そして放たれた矢のような速度で近づいてくるタクミに向け、その力の限り斧を振り下ろした。
まるで爆発したかのような音が響き、その刃を半ば地面に埋めた斧の衝撃によって土煙が巻き上がる。
次の瞬間、ミノタウロスの体はくの字に折れ曲がり宙を舞っていた。
強制的に吐き出された空気によってその口を大きく開けながら、ミノタウロスの広い視野は、自らの胸に剣を深々と突き刺すタクミの姿を捉えていた。
ミノタウロスはなんとか手を伸ばしタクミを捉えようとしたが、それよりも先にタクミが突き刺した剣を横に振り切る。
まるで抵抗など感じさせない滑らかさでタウロスキラーはミノタウロスの体を切断し、その瞳から命の輝きを失わせた。
だらりと力を失ったミノタウロスの体はそのまま宙を飛び、そしてタクミもろとも壁にぶつかりまるで磔にされたかのような状態で止まる。
一方タクミは、ミノタウロスの屈強な胸筋に跳ね返され、ごろごろと地面を転がった。
「いっつつ。こういうときにさっと地面に降り立て……うおぉぉお!」
やっと回転が止まり、タクミが痛みにしかめた顔を上げると、壁に磔になっていたミノタウロスの巨体が自分に向かって倒れてくるのが見えた。
本能的に4本の手足をせかせかと動かしてタクミはなんとかぎりぎりでそれを避ける。
音を立て地面に倒れたミノタウロスはピクリとも動かない。タクミはそれでこの戦いが終わったことを悟り、深く息を吐いた。
「あなたを殺して私も死ぬ、みたいな見事な攻撃だったニャ」
「さすがにそれはひどくね?」
「ニャハハハ、冗談ニャ。お疲れ様ニャ。そしてボス初討伐おめでとうニャ」
「ボス初討伐、か」
その言葉に自然とタクミの口の端が上がる。
正直に言ってそれは戦いとも呼べない戦いだった。ただタクミは剣を持って突っ込んだだけ、そして本能のままにそれを振り切っただけ。
最初から負けるはずのない差を、さらに広げたうえでの勝利。他人から見れば当たり前の結果でしかない。
だがそんなことはタクミには関係ない。
「うしっ」
ぐっとこぶしを握りこみ、タクミが笑う。その視線の先では、役目を終えたミノタウロスがきらきらとした光の粒子になって宙へ溶けていく幻想的な光景が広がっていた。
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