第1話 自宅にダンジョンができた!?
「ただいまー、んっ?」
自宅のドアを開けた目の下にクマを浮かべたやせ型の男は、微妙な違和感を覚えて玄関に入ったところでしばし固まる。
男は若白髪の少し混じった頭を左右に動かして原因を探したが、よれよれのワイシャツとそのやつれた顔が示すように、溜まりに溜まった疲労によりぼーっとして働かない頭では何がおかしいのかわかるはずもなかった。
首を傾げながらも結局気のせいかと放置することに決め、男は適当に靴を脱いで家の中へと入っていく。
玄関にどさっと黒のリュックを置き、廊下を歩き、階段をのぼるその足取りはふらふらとしていて危なっかしい。
それもそのはず、男が自宅へと帰ってきたのは4日ぶりなのだ。
帰れなかった日は会社に寝泊まりし、期日の迫った仕事を睡眠時間を削ってなんとかこなしたところであり、ピークを通り越した疲労が意識を急降下させ始めていた。
「くっそー、あのハゲ。いつか覚えてろよ」
親会社からの確認に安請け合いをして、そのまま男を含め数名の部下に放り投げた上司へと呪詛の言葉を吐きながら、男は2階の奥にある自室へと向かっていく。
戸建ての一軒家でしかも朝の7時という時間であるにも関わらず、家の中からは男が立てる音以外聞こえてこない。
この家に住むのは男だけなのだから当たり前のことではあるのだが。
自室の扉を開け、ベッドに着の身着のままダイブした男は、いつ干したのか記憶にない布団にずぶずぶと沈んでいく。
(今日、明日は休みだし、久々にアキバに行けるな。ネコおじ、まだいるかなぁ)
60過ぎという年齢にもかかわらず猫耳をつけたままアキバを徘徊する、年の離れた変わり者の友人のことを思い出し、ちょっと笑いながら男は意識を手放したのだった。
「ニャー」
まるで耳元で聞こえたかのような、はっきりした猫の鳴き声に男の意識が覚醒する。猫を飼っているわけではないため当然部屋の中には何もいない。
ポケットからスマートフォンを取り出し時間を確認すると、まだ午前9時1分なので帰ってきてから2時間ほどしか経過していなかった。
しかしそれにしては男の体の疲れはかなり取れていた。なんなら今すぐにでも出かけられそうなほどに。
「やっぱベッドで寝ると違うってことかね」
くしゃくしゃになったYシャツのボタンを外しながらベッドを降り、ドアを開けて男が1階にある風呂場へと歩いていく。
その足取りは軽く、帰ってきたときの疲労が嘘のようだった。
「じゃ、ちゃっちゃと汗流して出かけるか。せっかくの休みなんだ……し?」
言葉とともに男の足が急に止まる。その視線の先にあるのは、ある1室のドアがわずかに開いているありえない光景だった。
その部屋は男が趣味の部屋として使っている場所であり、中のコレクションの保存性を高めるために常にクーラーで一定の温度に保っているほど念を入れている部屋だ。
そんな部屋の扉を開けたまま出かけるということはない。
「おいおい、まさか泥棒じゃないよな」
男がその部屋に置いてある物の中には、オークションにかければそれなりの価値になるものがある。だが重要なのはそんなものではない。そこに詰まった思い出たちなのだ。
色々な店舗を足を棒にして歩き回ったり、友人と共に炎天下の中何時間も列に並んだことや、寒空の下鼻水を垂らしながらかじかむ手でやっと掴んだ過去の記憶が男の頭を駆け巡る。
男がブラック気味な仕事をやめずに働いているのも、自身の趣味やこの家の維持費を捻出するためだった。
つまり男にとってこの部屋を荒らされるということは仕事をしてきた意味を失うということに他ならなかったのだ。
男は意を決した顔をしながらゆっくりとそのドアノブを掴み、少しだけ扉を開けて中を覗き込む。
少し冷えた空気が男の頬を撫でていくが、人がいる気配はなく、見たところコレクションが無くなっているようなこともなかった。
なかったのだが……
「……」
無言のまま男が扉を開け放つ。
壁一面に並べられたフィギュアやゲーム、そして本たち、ゲーム用のデスクトップパソコンとそれに並んだノートパソコン。それらには何も変わりがない。
変わっていたのはただ1つ。その部屋の中央に1メートル四方ほどの穴がぽっかりと空いており、地下に続く階段が見えていることだけだった。
男は無言のままその穴を見つめる。そして目をこすり、自分の頬をつねり、最後には1度部屋の外へ出て、再び入り直してやっとその穴があることを確信した。
「なんだよ、これ」
思わずといった感じで男が呟く。普通に考えてこの状況はおかしすぎた。
帰ってきたのが4日ぶりだとはいえ、その間に家に侵入し、穴を開け、地下に続く階段を作るなんて無理に思えたし、なにより意味不明だ。
しかも四角く切り取られた穴から続く階段は、あるはずの家の床下部分をすっとばしている。
まるでこの穴の先が異次元に繋がっているかのように。
「いや、まさか。でも……」
男の頭にある考えが浮かぶ。ネット小説などでよくある、自分の家にダンジョンが出来る系のあれだ。
たまたま自分の家にできたダンジョンに主人公が入り、モンスターに殺されそうになったりとかなんやかんやありながらも、その秘密の自宅ダンジョンで鍛えたり有用なスキルを手に入れて無双する話だ。
「いやいや、現実と小説を一緒にするなんて……でも現に目の前にあるんだよなぁ」
明らかな異常事態。男も理性では警察に通報したほうがいいとはわかっていた。
しかしそんなことになればこの命よりも大事なコレクション部屋が荒らされてしまうし、なによりまるでフィクションが現実化したような目の前の光景は、男の心の少年の部分を刺激するのに十分な魅力をもっていた。
簡単に言えば、もったいない。そう思ったのだ。
男は誘われるかのように一歩前に踏み出し、そして首を振ってキッチンに向かうと包丁と中華なべを持って戻ってくる。
ガラスに反射して映った自分の姿になんか間抜けだなと思いつつ、男は目を閉じて一度大きく息を吐くと、覚悟を決めて階段を降りていった。
土がむき出しであるが、まるで職人が作ったかのように真っ直ぐに整えられ歩きやすい階段を男は慎重に降りていく。
2階分くらい続いたその階段を慎重に降りきった男の目に入ってきたのは、蔦が絡まった石の台座の上で、青く明滅する1メートルほどのクリスタルだった。
その小部屋にはそれ以外になにもなく、別の場所に続いているような通路もみられない。
「なんだこれ? 明らかに重要アイテムっぽいが」
ゲームであればセーブポイントや召喚獣などが封じ込められていそうなそのクリスタルを眺めながら、少しだけ緊張を解いた男が構えていた包丁と中華なべをおろす。
男はぐるりとその周りを回りながら観察してみたが、クリスタルは明滅を繰り返すのみで何も起こらなかった。
「これは触ったらなにか起こるやつだな。ゲームなんかだと大抵ヤバイことが起きるんだが……」
これまでのオタク知識を生かし未来予測をした男だったが、非日常このうえない目の前の光景に背中を押される。
「わかっちゃいるけど、やめられないってね」
ネットでネタ化したその言葉を呟きながら、男はクリスタルへ手を伸ばした。
その瞬間、クリスタルが激しい光を発し、男の頭の中に中世的でどこか機械じみた声が響く。
『神のダンジョンの人類最初の踏破者を確認。称号『先駆者』を与えます。また……』
「じゃじゃーん。私、登場ニャ」
そう言いながら突然クリスタルの中から飛び出してきた何かが、ぼふっと男の胸の中に飛び込む。
思わずそれを抱きとめたものの受け止めきれずに尻を地面に強く叩きつけた男は、何者かの言葉よりもその痛みに意識を取られ、涙目になりながら顔をしかめた。
「いっつー。これ、絶対腰にくるやつだろ。ってか何だよ」
にじむ視界の中、男はなにがあったのか確かめるために手を動かす。手に伝わってくるのは温かみのある柔らかくすべすべとした感触。
そして少し動かした先には、滑らかな絹のような触り心地の細長いなにかがあった。
「あっ、うっ。ちょ、ちょっとやめて。あ、あうっ」
「へっ!?」
明らかに自分の物とは違う高い声、しかもどこか艶を感じさせる音に男がピシリと体を固まらせる。
そして自分の胸の内で丸まり、うるんだ瞳で自分を見つめる裸の少女と目を合わせ、男はかつてないほどの素早さで少女を床に置き、壁際までその身を躍らせた。
「ああ、俺の人生終わった。まさか獄中で点呼のネタが現実になるとは……」
体育座りでずーんと落ち込む男を見つめ、ぽつんと床に座らされた猫耳の少女は首を傾げながらどこか楽しそうに微笑むのだった。
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