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セファルディア〜滅びと継ぐもの達〜  作者: YUKI
第1章 島の日常と少年たち
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第5話「日常の輪郭」

朝の光が、乾いた空気をすべるように教室に満ちていた。

高窓から差し込む日差しが、木の床に淡く揺れている。黒板の上で、振り子時計が小さく、律儀な金属音を刻んだ。


「今日の課題は、“兵法”の実地応用だ」


教壇に立つ戦術論の教師、グラドはそう言って教室を見渡した。年齢は四十代後半。左足をわずかに引きずるその姿は、教科書よりもずっと多くを語る、実戦の重みをまとっていた。


「敵将が後方に控え、全軍の指揮を執っているとする。その将を討ち取れば、敵軍は瓦解する。さて、どうする?」


黒板に描かれた簡略な陣形図には、前線部隊と補給線、そして中央に小さな「×」の印が記されていた。それが“敵将”を示す。


「君たちなら、どう狙う?」


教室にざわめきが走り、数人の手が上がる。


「正面からどーんと突っ込みます! 一気にぶつかれば、敵もびっくりすると思います!」


真っ先に声を上げたのは、やんちゃな男子だった。


「それじゃ、ただの力まかせじゃん」


隣の女子が笑い混じりに突っ込む。


続いて、別の生徒が真剣な顔で言った。


「ぼくなら……夜にこっそり後ろにまわって、ひとりで狙います。気づかれないように、ぬき足さし足で……」


クスクスと小さな笑いが教室に広がる。だが、その雰囲気は緊張をほぐす柔らかなものだった。


やがて、セイルが静かに手を挙げた。背筋を伸ばし、教壇に向かって真っすぐに声を発する。


「ぼくなら、まず味方の防御をしっかり固めます。それから隊をふたつに分けて、敵の左右から挟んで攻めます。そうすれば、敵将も動かざるをえなくなるはず。正面から堂々と戦える状況を作ります」


グラドは黙ってうなずいた。


しばらくして、レイラが少し不安げに声を出す。


「えっと……わたしは、補給部隊を先に狙うと思う。ごはんとか、武器とかが届かなくなったら……前に出られなくなるし、敵将も何かしら動くんじゃないかな……」


「間接的だが、着眼点は悪くない」と、グラドが短く言う。


その後、ミナがぽつりとつぶやいた。


「うーん……あたしだったら、飛べたら上から見つけて、一気にやっつけるかも。見つけられたら、だけど!」


教室にまた笑いが起きたが、グラドは笑わず、むしろまじめな調子でうなずいた。


「空からの視点。実際には難しいが、非常に有効な発想だ。よく言ったな、ミナ」


そして、グラドの視線が教室の隅に向く。


「アルド。君なら?」


一瞬、教室がざわついた。「あいつに意見なんて聞くのか?」という空気が走る。しかし、アルドはゆっくりと立ち上がった。


「……敵の大将を狙うなら、いったん逃げるふりをする」

アルドは一拍置いて続けた。

「で、相手が出てきたとこを……喉のところ、ちゃんと狙って撃つ」


教室の空気が固まる。冗談でも、想像でもなく、本気の戦術として語られたその言葉に、子どもたちは息をのんだ。


セイルが眉をひそめて口を開いた。


「それって……ずるくない?」


アルドがゆっくりと振り返る。


「ずるい? なんで?」


「だって、油断してるところを狙うなんて、フェアじゃないよ。ちゃんと戦って、勝つのが一番じゃないの?」


「でも、そんなこと言ってて、負けたらどうするの? 正しい戦い方って、死んでもいいってこと? みんなの命をかけて、フェアなだけで満足するの?」


セイルは言葉を失い、しばらく沈黙した。


その間に、ミナが口を開く。


「……イヤなやり方だけど、現実には……あるかも」


教室に重い沈黙が流れた。だが、その空気を断ち切るように、グラドが前に出て黒板に一本の線を引く。


「——どれも正しい。どれも間違ってはいない。戦場に、教科書通りの答えなどない」


彼の目は真剣だった。


「今度は相手がこっちよりずっとたくさんいたら、どうやって勝つ?」


グラドの声が教室に響く。生徒たちは顔を見合わせて、そわそわし始めた。セイルも少し困った顔をしていた。剣を振ることは得意でも、頭で考える戦いはあまり得意ではない。


「うーん……えっと、隠れて、びっくりさせるとか……?」


ミナがおそるおそる手を上げる。


「ふむ。奇襲か。悪くはないが、それだと一度きりの勝負になるな。その後、どうする?」


グラドは優しくはないが、真剣に考えさせる口調だった。他の生徒たちも口々に答え始める。


「高いとこから石を落とす!」

「火をつける!」

「こっちが降参するふりして、近づいたら急に攻撃する!」


グラドは何度かうなずいたり、首を振ったりしながら、最後に言った。


「アルド、おまえは?」


頬杖をついていたアルドは、立ち上がる。


「まず、相手に“勝てる”って思わせます」


「……なんだと?」


「それで、あえて負けたふりして逃げる。そしたら、向こうは安心して追ってくる。そこを罠にします。食べ物とか道具も壊しておけば、お腹すいて困るし、怒って焦るし」


「……それだけで勝てるのか?」


「あと、人を使います。子どもとか、お年寄りとか。敵が攻撃しにくい人を前に出せば、止まるかもしれない」


訓練場にいた生徒たちは、なんとも言えない顔をして沈黙した。セイルが、眉をしかめてアルドを見る。


「それ……ズルいよ。そんなの、戦士のやり方じゃない」


「ズルくても、生き残ればいい。綺麗に負けるより、汚くても勝つほうがマシ」


「でも……そんなの、戦いじゃない。ちゃんと正面から戦うのが、騎士のやり方だって、先生も言ってた」


アルドはしばらくセイルを見つめたあと、静かに言った。


「それで……助けられる人が死んでも、いいの?」


セイルは口をつぐんだまま、拳を握りしめた。何かを言いたいのに、言葉が見つからなかった。


アルドは静かに座った。


「ぼくは、勝てる方法を考える。それが戦いなんだと思うから」


その背中を、誰も追えなかった。


「戦いってのはな……敵をよく見て、よく考えて、その心のスキをつくものだ」


グラドがぼそりと締めくくるように言った。


「正しいかどうかより、勝つか負けるか。戦場は、それだけで変わる……だが、勝った後のことも、考えろ」


生徒たちは、静かにうなずいたり、目を伏せたりした。


「だが、忘れるな。策とは“人を守るため”にある。喉を狙えば、勝てるかもしれない。だがそれは、周囲の“信頼”を失う危険もある」


アルドは何も言わず、目を伏せたままゆっくりと窓の外を眺めた


そして授業の終わり、皆が教室を出ていく中で、グラドがそっと声をかけた。


「君の目は……かつての戦場で、多くの命を背負った指揮官に似ている。孤独になるぞ。……だが、必要な孤独というのもある」


アルドは答えなかった。ただ、黙って頷いた


授業が終わったあと、セイルはひとり、校舎の裏手、陽だまりの中にあるベンチに、座っていた。

手にした木の枝で地面に何かを描いては、すぐに足で消す。その繰り返し。


やがて、背後から足音が近づく。


「なにしてんの?」


声の主はミナだった。彼女は手にした果実の皮をむきながら、隣に腰を下ろす。


「いや、べつに……なんとなく考えてただけ」


セイルは苦笑した。


「また? セイルってさ、最近まじめすぎじゃない? 前はもっと、こう、のんきだったじゃん」


「そうか? そんなに変わったかな、ぼく」


「うん、ちょっと“お兄ちゃん”になってきた。レイラが言ってたよ。最近のセイル、ちょっと偉そうって」


ミナはからかうように言ったが、悪意はなかった。


セイルは肩をすくめる。


「そうかもな。……今日の授業で、アルドに言い返したこと、ちょっと後悔してる」


「え? でもセイルの言うこと、まちがってなかったよ。あたしも、アルドのやり方、ちょっと怖かったし……」


「怖い、っていうかさ……あいつ、本気なんだよな。誰かの命を守るためなら、自分が嫌われることなんて気にしない。あんなの、ぼくにはできない」


風がそよぎ、木々がかすかに鳴いた。


ミナは果実の皮を丸めてぽいと投げると、ぽつりとつぶやいた。


「あたし、あいつの考え、ちょっとだけわかる気がする。……あたしさ、あんまり言ってなかったけど、うちのお母さん…昔、調査団に入ってたでしょ。それですごい大怪我して帰って来て…最初は怖くて泣いてばっかだったけど今は、怪我してでも帰って来てくれて嬉しかったから……誰かがずるくても、生きて帰ってきてくれたら、それでよかったって思うよ」


セイルは驚いた顔でミナを見た。彼女はそれに気づかず、遠くを見つめたまま続けた。


「でもさ……ずるくても、生きて帰るって、やっぱり大事なことだと思うの。でもそればっかりだと、自分がどんどん冷たくなってく気がして。だから——」

ミナは少し笑って言った。

「みんなで、生きて帰れるやり方を探したいんだ。ずるくなくても、ちゃんと」


「……ミナって、そんなこと考えてたんだな」


「まあね。ちょっとは頭、使ってんのよ?」


ミナはふっと笑った。セイルもつられて、少しだけ笑った。


風がふたりの間を通り過ぎ、さわさわと草を揺らした。木々のざわめきが、どこか遠い世界の音のように聞こえる。


「ねえ、セイル。あたし、アルドのこと、ちょっとだけすごいなって思うよ。怖いけど……ああいうふうに考えられるって、きっと何か背負ってるからだよ」


「……ああ。そうかもな」


セイルは、さっきの授業を思い返す。堂々と話すアルドの声、誰にも真似できないような、その冷静さと鋭さ。あれは子どもの言葉じゃなかった。


「でもさ。ぼくらはまだ“こっち側”にいるんだよな。命を奪ったことも、失ったこともない。ただ“想像してる”だけ。あいつは、もう“向こう側”を知ってる気がする」


「……うん。たしかに」


ミナはうなずいた。ふたりはしばらく黙って座っていた。とくに言葉は必要なかった。ただ同じ時間を、同じ気持ちで過ごすこと。それだけで、少しだけ世界は優しくなったように感じられた。


「アルドは、やっぱ変わってるよな。でも……大事なとこでは、頼りになるんだと思う。きっと」


「うん。だからこそ、孤独になるんだろうね。グラド先生が言ってた通り…」


ふたりはしばらく黙って、空を見上げた。


「あいつを…孤独にさせたくは無いんだよ…」


セイルがつぶやいたその言葉に、ミナは少し目を丸くしたが、やがて静かに頷いた。


「……うん。わかるよ」


校舎の鐘が鳴った。午後の授業の始まりが近づいてるのを知らせる音。


セイルはミナの横顔を見つめながら、小さく息を吐いた。


「……ありがとう。なんか、ちょっとだけ気が楽になったかも」


「んー、でしょ? あたしって、意外と頼りになるんだから」


ミナは冗談めかして笑い、セイルの肩を軽く叩いた。


そのとき、校舎の影からレイラの声が聞こえた。


「ふたりともー、なにしてんの?もうすぐ授業始まるよー!」


「やばっ、また先生に怒られる!」


ミナが慌てて立ち上がる。セイルも苦笑して、立ち上がった。


セイルはひとり呟いた。


「みんなで、生きて帰れるやり方か……それがあれば、いちばんいいよな……」


そのとき、頭の中にふと浮かんだのは、教室で放ったアルドの言葉だった。


「——喉のところ、ちゃんと狙って撃つ」

決して忘れられない、その冷たくも澄んだ言葉。まるで、自分たちがまだ知らない“外の現実”を、すでに見てきたかのようだった。


セイルはそっと目を閉じた。

——いつか自分も、選ばなきゃいけない日が来る。

正しさと、守るべきもののあいだで。あのとき、アルドが抱えていたものが何だったのかを、自分の手で確かめる日が。


先に歩いていたミナが立ち止まっているセイルを不思議に思い声をかけた。


「何してんの?置いて行くよ」


「今行く」


ミナに追いつくように歩き出すセイル

二人は歩き出す。背中にはまだ迷いも、不安も残っている。けれど、それでも前へ進もうとしていた。


その背中を、少し離れた木陰からアルドが静かに見つめていた。


彼は何も言わず、窓の外で揺れる木々を見つめていた。


「……みんなで生きて帰る、か」


その言葉が、心のどこかにひっかかっていた。


アルドは立ち上がり、空を仰いだ。薄雲がゆっくりと流れていく。


(でもそれは、どうすればできるんだ?)


風が吹き、彼の髪がわずかに揺れた。


遠く、訓練場の方から木剣の音が聞こえてくる。誰かが練習しているのだろう。


アルドは歩き出した。自分の中の答えを探すように、一歩ずつ。


——戦いとは何か。


——正しさとは、勝つこととは、守ることとは何か。


少年たちはまだ、答えのない問いの只中にいた。


だが、確かに言えるのは——それでも、彼らは前を向いていたということだった。


だんだん使い方がわかってきたな……

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