第4話「それぞれのかたち」
小道を抜けると、朝の光を受けて石造りの校舎が姿を現した。
苔むした外壁には蔦が絡まり、古びた尖塔の窓からは鳥の声が漏れ聞こえる。
島で唯一の学び舎――「島の中央学舎」。
魔法と武術、両方を教えるために築かれたこの建物は、かつては防衛拠点として使われていた。
そのため、島に何かがあった時――たとえば、魔物が襲ってきた場合には、島民の避難所としても機能する。
日常と非常時が同居する場所。
だが今は、生徒たちのざわめきだけが静かに響いていた。
だがアルドの目には、少しずつ傾いていく“時間の化石”のように映った。
大きな門をくぐると、すぐにあの像が目に入った。
一本の大きな木が立っていた。
その根元に据えられた二つの像が、目を引いた。
一つは、今にも飛びかかりそうな黒豹の像。黒曜石のように滑らかな身体を反らせ、裂けた口から牙を見せている。光の加減で筋肉の陰影が強調され、息を潜めた捕食者のように見える。
その咆哮は、耳に聞こえなくとも迫力があった。木に向かって吠えているようにさえ見える。
隣には、戦士の像。
槍を手に、ひざをついて黒豹と木を見上げるその姿には、不思議な威厳があった。
アルドは、いつもそちらには目を止めず黒豹を見ていた
――咆哮ではない。
木に向かって、吠える。
いや、警告しているようにも、あるいは……帰還を告げているようにも見える。
「ただの像」として見ればそうは思わないのに、なぜかそんな奇妙な感覚が胸に残った。
「……動きそうだな」
ぽつりと、誰に聞かせるでもなく呟いて、アルドは校舎の扉を押した。
校舎の扉を抜けそのまま教室に入ると
先に着いていたセイルが声をかけてきた。
「遅かったな、アルド。何かあったのか?」
「いや……何もないよ。少し遠回りして来ただけ」
セイルは眉をひそめたが、それ以上は何も言わず歩き出す。
彼の隣には、ミナがいた。赤みがかった髪を軽く結い、腕を組んで揶揄うようにこちらを見て言った。
「遠回りして登校って……あんた、変わってるわね。それとも、あの銅像を見てて遅くなってたんじゃないの?」
「ミナの言う通りね」と、さらに背後から柔らかな声が追いつく。
レイラだった。長い黒髪を丁寧に結い上げ、ノートを胸に抱えている。穏やかな瞳は、しかし細やかに周囲を見ている。
「朝の光を正面から受けたくないだけだよ。目が覚めすぎるから」
「……それ、結局は変わってるってことじゃん」とミナが呆れたように言う。
そうして4人が揃い、何気ない会話が教室に響いていた。
「今日、魔法の授業でしょ? 身体強化だったっけ?」
「うん、前回の続き。今回は実技もあるって言ってた」とセイル。
「面倒だけど、ちょっと楽しみかも」とミナが腕を組む。「アルド、また変なことやるの?」
「どうだろうね。普通にやるかもよ?」
「普通って、どれくらい?」
「君の期待を裏切らないくらいの普通、かな」
そんなやり取りをしているうちに、教室に鐘が鳴り、教師が入ってきた。
その日の授業は「基礎魔法・応用:身体強化術」。
すでに基礎魔法は修了しており、昨日に続き、体内の魔力循環を応用して身体の動きを強化する実技演習が始まる。
「今日は跳躍動作を通して、魔力制御の理解と精度を見る」
教師が板書しながら説明する。
「まず模範を見せてもらおう。セイル、頼む」
セイルは静かに立ち、前へ出ると呼吸を整えた。
一定のリズムで魔力を巡らせ、指先から足の裏へと圧を流す。動作は美しく、魔法の“型”を忠実に守っていた。
軽く屈伸し、跳躍。
空中での姿勢も崩れず、音もなく着地。
教室に小さなどよめきが広がる。
「さすがセイル……」
「ほんとに教科書そのままって感じだな」
教師がうなずいた。「正確な循環と魔力制御。見本にするには十分だな」
次に順番に生徒たちが前へ出ていく。
最初の少年は力任せに魔力を流し、身体がふらついて転倒。
次の少女は魔力を巡らせすぎて息切れし、着地で膝をつく。
「焦らなくていい。ゆっくりと確実に行いなさい。」
教師が諭すように言った。
その後、ミナが前に出た。
彼女は肩を軽く回し、深呼吸せずにそのまま魔力をぶつけるように使った。
「ふっ!」
勢いよく跳躍、僅かにバランスを崩したがそのまま前に転がって着地。
「なんとか、なった!」
そう言って笑うミナに、クラスの何人かが笑い返した。
「荒いが、方向性は悪くない。力の抜き方を覚えれば化けるだろう」
次はレイラだった。
彼女は数秒黙り、静かに目を閉じて魔力を“点”のように流していく。
「……ここに重心が残りすぎると、着地が不安定になるわ」
自身の跳躍は高さこそ控えめだが、着地は無駄がなく、綺麗な姿勢で終えた。
「慎重だが確実。力の逃がし方を理解してるな」と教師。
そして、最後に教師が名前を呼んだ。
「アルド、やってみろ」
小さなどよめきが起こる。
教室内の空気がわずかに張り詰めた。
アルドは何も言わずに前へ。
魔力を体内に引き込み、彼独自の“射出”の形で流していく。
膝を深く落とし、まるで弓を引くような姿勢。
一瞬、空気が震えた。
跳躍と同時に、教室の床板が風圧でわずかに軋んだ。
着地は低く、地面に指をつけるような姿勢。だが、ブレは一切ない。
静まり返る教室。
教師が息をつくように言った。
「……理屈はあるんだな?」
アルドは肩をすくめた。
「型は参考にしてます。でも、再現するだけなら意味がない。
自分の体で、どう動けば一番いいかは、自分で見つけたいから」
セイルが口を開く。
「型には理由がある。独自のやり方ばかりじゃ、事故もある」
「うん。でも、“理由”を理解したうえで、“型”を崩すことも大事だよ」
アルドは笑わずに言った。「真似じゃ、超えられないから」
教室はしばし静かだった。
ミナは興味深そうに笑い、レイラは静かにアルドの足運びをノートにメモしていた。
セイルだけが、もう一度自分のノートを開き、黙って自分の型を見返していた。
実技の授業が終わり、生徒たちはそれぞれの荷物をまとめ始めていた。
「ふぅ……魔力を流すだけで汗かくなんてね」
レイラが袖で額をぬぐいながら言った。
「アルド、あんたさ……あれ、どういう発想なの?」
ミナが机に肘をついて覗き込む。「普通、跳ぶときにそんな風に構えないでしょ」
「跳ぶ前に“撃つ”って考えたら、弓を構える動きが自然だったんだ」
「……それ、意味わかんない」
セイルはノートを閉じながら、アルドに向かって静かに言った。
「結果は出てた。でも、基本の型を無視してるのは問題だと思う」
「無視はしてない。参考にはしてるよ。でも“使うため”のものだから」
「正しさとは別に、やり方を崩していいってことか?」
「正しさが“道”なら、俺は“道じゃない場所”からも進める方法を探してるだけ」
ミナが眉をひそめる。「あんたみたいなのが、戦いで味方にいたら怖いわね」
レイラが間に入るように微笑んだ。
「でも、戦いっていつも“正面から一対一”で済むわけじゃないでしょう?
誰かが正面を引きつけて、誰かが背後を見てる。誰かが見てないものを見る。
アルドのやり方、私は嫌いじゃないよ」
セイルが一瞬だけ視線を落とし、やや間を置いて頷いた。
「……なら俺は、“正面からでも崩れない力”を目指す」
「それでいいと思う」
アルドは短く言った。「どっちが正しいかは、たぶん……戦ってみるまでわからない」
その言葉に、ミナとレイラも黙ったまま互いを見た。
教室の窓の外には、昼の光が島の木々を照らしている。
そしてそれぞれの影が、長く伸びていた。