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20.寝不足と切実な問題
眠い。ずっと目を閉じていた為、もしたらウトウトと意識を失ったのかもしれないけれど。体力的にも頭の重さ的にもスッキリしているはずはなかった。硬い地面と吹きぬける風。こんな場所で元気よく眠ることができる学生がいるのなら、その人は相当だと思う。
パキパキと首を鳴らしながら背伸びをして、白々とした光を放つ朝日を見つめた。と言うかほとんど日の出の状態。そんな物を見るなんて年明けくらいしか、……と思ったけれど、山のように出される課題で最近結構見ているような気がしてきた。うん、大学生なんてそんなもの。
「おはようミハル!野宿なんか初めてだからボクちょっと楽しかった」
「おはよー、ビィ。楽しめるならそれに越したことはないねー」
あくび混じりに返事を介してしまった為「ふぉふぁよー」、なんてもそっとした声になってしまった。変な声だとビィに笑われながら、すでに起きていたカストルさん達にも挨拶する。
「おはよう、ミハル。暫くはきついが、辛抱してくれ」
流石に人を見ている、と思う。一目でぜんぜん休めてないということに気付かれてしまった。大丈夫ですよ、と無理にでも笑っておく。現状は理不尽でも、疲れたなんていっても変化はないのだし。
「まぁ、なるようになりますよ。あと4日くらいあるのならその内慣れると思いますし」
「無理はしないようにな」
気持ちを汲んでくれたのだろうか、カストルさんも笑って返してくれた。何はともあれ。一日の始まりだ……!ってああああ!
どどど、どうしよう重大な問題発生。急に顔を引きつらせてあちこちを見回し始めた私にどうかしたのかと声をかけてくるカストルさん。
「いやあのその問題と言うか問題じゃないというか、いやホントそのえぇとあの……」
見渡す限りの平原で、思い出したように生えている木はまばら。草むららしき場所はあるにはあるけど明らかに高さが足りない。目を細めながらそんな私を観察していたディアが一言。
「尿意か?」
「もうちょっとオブラートに包め!」
全力かつ素で思い切り叫んでしまった。何を言っているのか分からんと返事をされたがそのくらいニュアンスで解れと言いたい。ともかく理解してしまったらしいカストルさんとレームさんが一緒になって焦りだした。
「確かに問題ですね・・・。私達だけならばそんなに気にすることはないのですが」
男同士でも気にする人は気にすると思う。そんなことで気を紛らわせながら、けれどしないなんて選択は不可能だった。ううう、実験以外で尿うんぬんを男の人と真顔で話すことになるとは。尿糖だとか潜血だとか、運動の有無による尿の濃さだとかの実験のためにカップに採取したことはあったけどこんなに恥ずかしい思いはしなかった。資料館で班レポートを纏め中「ちょっとトイレー」なんてざらだったのに、居たたまれなさが半端ない。試験管越しと現実は違う、とわけの分からないことを考える。目線を逸らしまくりながら妥協しようと口を開いた。
「……とりあえず全員後ろ向いて耳塞いでてください」
「ボクが霧張ろうか?」
ビィの提案に一も二もなく飛びついたのは言うまでもないだろう。
21.現実に現実
気付きたくなかった問題も、冷え冷えする霧に隠れながら無理やり乗り切った。一体何の羞恥プレイなんだろう、ちょっと泣きたい。体に残る疲れが三割り増しになったのは気のせいじゃないと思う。というかこれが後何日続くんだろうか。考えたくない、本当に。
シモの事を考えていたら嫌なことまで気付いてしまう。カストルさんたち、絶対手を洗ってないよね。何のことかってつまりは用を足した後に。美形とこのネタは精神ダメージが大きすぎた。仕方がないとはいえ、ダルさに参っている体に止めを刺してしまった気がする。まぁ、地球単位でも便を手で拭く文化があるわけだし、水もないし、尿は基本殺菌されていて清潔だし、と自分に言い聞かせてみる。っていうか、自分も洗えないわけでは、あるのだし。
……無理だ、後でビィに流してもらおう。あぁでも魔力を使う=空腹、ということはビィの一部を削いでいるってことだ。この霧の壁ですら迷惑なのにこれ以上負担を掛けるのもできないわけで。
「食糧難でも、あるしね」
寄生虫が恐ろしい良くわからん動物を生きたまま触ったり焼いたりしている時点で衛生だとか何だとかを考えることはできないのだ。人間から分泌されている分、数十倍はまし、大丈夫。と、自己暗示を掛ける。きっと私はその暗示に掛かっている。掛かってるはずだ。掛かってるんだってば。
「何をぶつくさ言ってやがる」
現状受け入れの為に問題ない問題ないと口にしていれば胡乱気にこちらを見てきたディア。相変わらずの無駄美貌は朝日すら曇らせるらしい。藍色の目を宝石のように嵌め込んだ顔は、水晶のような太陽をただの添え物にして燦然と輝いている。直視してしまい思わずため息をついてしまった。
感嘆の、ではなくげんなりとした。
美形と排泄なんてちょっとと言うかかなりアレなことを考えている時にこの超絶美形を見れば誰だってするだろう。脳裏には資料に載っていた、解剖されて露になった腎臓や直腸、膀胱の写真。人間表面が違っても中身は一緒、アイドルは○○しないなんて古いネタを振り払う。
「いや、うん、あまりに自分がピープルな思考をしてたんでちょっとね」
そう言って返答を返せば、何故かディアが変な顔をしてこちらを見ていた。変な顔、といっても理解に苦しむといった表情で、見た目だけを表現するなら憂いを帯びた色っぽい顔。が、残念な事に直訳すれば、「訳が分からん」といったところだろう。
「変な女」
「っちょ!」
訳が分からんのはこっちのセリフになったわよ無駄美貌!
「とにかく飯だ、あのポテチとやらをよこせ」
「………………わかったわよ!」
何はともあれ現実で、動かしようもない事実の状態という事を諦めるしかない。やり場のない苛立ちは、絶対召喚主にぶつけようと心に決めた。とにかく、ディアが捕って来たらしいお肉を食べて、ちゃきちゃき歩こう。
22.饅頭と食事情
(相変わらず微妙な味……)
ポテチまみれの串肉を齧り、モグモグと租借する。どうやら私が起きる前にディアが狩ったらしい野獣の皮を見ながらゴクリと飲み込んだ。胡椒やハーブ、ニンニクなんて気が利いたものが有る訳もなく、野性味溢れた臭みが鼻を刺す。品種改良と厳選された餌、というのは本当に偉大だったんだなぁと今更ながら実感する。
「ミハル、本当にそれだけで構わないのか?小麦の菓子を摂っているとはいえ、持たないのでは」
「大丈夫です。むしろ朝食にお肉を口にするなんて久しぶりなんですよ。普段は卵とか豆腐…えぇっと、豆の加工品なんかで済ませてますから。正直、朝からは重すぎてこれ以上はちょっと」
朝からカレーなんてことを時々やっている為、実のところ説得力は皆無だったのだけれど。無駄に酷使された体は悲鳴をあげていて、胃が拒否反応を起こしている現状では確かに無理だ。詰め込めば入らない事もなさそうだけれど、嘔吐などという嫌な可能性が残っているので辞退しておく。……朝から黒糖饅頭も結構つらいけど。
「レームさんごめんなさい、多分またお世話になると思います」
「問題ありませんよ。私の術は身を削るものではありません、いくら掛けても負担になりませんから」
相変わらずふんわりとした微笑で返答を返してくれる。よろしくお願いします、と頭を下げた。
饅頭の甘さと肉の臭みなんてあまり体験したくないコラボレーションを口に受けていると、ビィがいきなり大声で叫んだ。
「甘い!」
パッチリとした目をさらに大きく開き、食べ跡に見える餡子を見て瞬かせた。すぐに目じりが下がり、ほにゃ、っと言う擬音が似合う笑みを浮かべる。
「これ、凄く甘くておいしいね。甘い物なんてボク何年ぶりに食べただろ?」
十四歳、という割には随分子供っぽい反応をしているビィに私も相好をくずしてしまう。
「お饅頭、っていうの。中に入った黒いのは、小豆って言う豆を砂糖で煮込み裏ごしした物。六個入りで一個あまってるからあげるよ」
「ホントに!?やった!」
手に食べかけの饅頭を持っていなければ手を叩いて喜んでいただろう。その位のはしゃぎっぷりだった。
と、何も考えずに現状では貴重な炭水化物源を手渡してしまったが、良かったのだろうか。分配だとかなんだとか、そういった配慮も必要だったかもしれない。けれどビィは十四歳、言い換えれば成長期。エネルギーが一番必要な時期なのだし、と事実を言い訳っぽく考えてしまう。けれど幸せそうに饅頭をぱく付くビィを見て、ほんの少しだけしまったと思ったのは確かで。
思わず目線を逸らせてしまえば、こちらを見ていたレームさんが笑って首を振っていた。ディアは小さく肩をすくめ、カストルさんも笑いかけてくる。
問題ないよ、という思いが嬉しくて、ほんの少し頭を下げながら私も笑う。
「何で皆笑ってるの?」
「ビィと同じく、オマンジュウがおいしいからですよ」
首を傾げるビィにそう言うレームさん。そうなんだというビィがとても可愛くて仕方なかった。
23.続く道とありがちな疑問
ビィの魔力で固定されていた火を水も使わず消した後、目的の方角にまた足を向ける事になった。黙々と歩き続ける私達。そういえば北北東と具体的な方角を言っていたけれど、東西南北はあまり地球と変わらないようだった。日の出ていた方向を東と仮定しても、カストルさん達と向かう方角とは矛盾しない。ん?そうなるとカストルさんたちの世界も太陽が昇るほうが東って事か。いや、それ以前に。
「今までなんの突っ込みも入れませんでしたけど、どうして言葉が通じてるんでしょうね?」
言語が同じなわけが無いのだ。要するに「私にとって東」を意味するみんなの言葉を「東」と便利語訳か何かが訳しているに過ぎない。
「言われてみれば……。隣国ですら語学を学ばなければ会話する事適わない。明らかに異国で生きていたはずの私達が話をすることが出来るのだろうか」
「ボク達の世界は専門家くらいしか学ばないよ?古代ポプル文字とか単語そのものが力を持つ魔術言語とか」
「……俺の世界でも語学がなければ異国人と会話する事は出来ない」
ビィの世界は世界共通言語とかそういうやつなんだろうか。羨ましすぎる。
「私の国も語学と言う物はありませんでしたね。他国と言葉が違う、とは。想像するだけでも少々難しいです」
「レームさんの世界も言語は共通、かぁ」
英語で赤点を取りまくった私と代わって欲しい。
「あ、そういえばですよ?私が自己紹介した時、レームさんは「春の世界」って言ってたじゃないですか。私にとっては「美しい春」。ミ、って単語は違ってもハルは一緒でしたよね?」
「そういえば。……違いと言うのは何なのでしょうね?」
しいて言うなら音読みと訓読みくらいか。ハルは春。ミは美であり未であり実であり。まぁ貼るとか張るとかあるかもしれないけど、春のほうが名前的にいい感じだと異世界ホンヤクコンニャクが判断したのだろう。多分。
「自分で疑問に思っておいてなんですけど、今のところは何らかの作用があるって見込みでいいでんじゃないですか。調べようもありませんし」
「うーん、ボクは気になるけどなぁ。だってボクが使う術は魔術言語を使ってるから発動するし」
あれ?それっておかしくないか?
「え?」
「俺の国の言葉に聞こえたぞ?」
「私もだ」
「……へ?」
ぽかん、とあっけに取られたような顔をするビィ。
「えぇっと、ビィは普段日常会話に使っているものと違う言語を使って「呪文」を唱えてるのよね?」
「そ、そうだよ。日常会話まで力ある言葉を使ってたら魔力の調節が出来ない子供の周りで大惨事だって」
どうやら本当に動揺しているらしい、ちょっと日本語……、いや言葉が変だ。しかし面白い、動揺まで変な訳をするのか。言語云々は文系じゃない私には意味不明の分野だけど、ちょっと実験してみたくなる。
「んー、んじゃ「清廉たる水」。なんて言ってるか分かる?」
「ま、魔術言語!?な、なんで勉強して無いのに意味が通じるの!?」
「俺は普通に清廉たる水って聞こえたぞ」
「私もですね」
「私もだ」
「ありえない!レームはともかくなんで皆が!?」
レームさんが別、と言うのは術師だからなのだろうか。んー、しかしわけが分からん。意識しているから魔術言語に聞こえるのかしら。
「ビィ、「清廉たる水」っていう言葉を、ビィが日常会話で使ってる言葉に換えるとどう言うの?」
「せ、清廉たる水、だけど?」
「換わっていませんね」
「ないですね」
「えぇ!?」
「んじゃもう一回。清廉たる水」
「こ、こんどは普通の言葉だ……」
使った言語順に訳される、のか?初めて聞いた時は魔術言語だったから翻訳機が魔術言語としてビィに届けて、二回目はビィの国で使われてる言葉を聞いたからそっちで伝わった、とか。
24.一分実験と出来ない考察
そういえばディアにも似たような事があったよなぁ、ポジティブとかオブラートとか。外来語は訳せない?
「ちょっと実験その二。ポジティブとは前向きに、と言う意味である」
意味「が」ある、って言うのが正しい訳し方ではあるけれど、とりあえず。小声でぼそっと。誰にも聞こえていない自信がある。っていうか、なんだって?みたいな顔を皆してる。いやぁ、美形の疑問顔勢ぞろいって結構壮観。あ、ちなみに実験その一は清廉たる水関連。とにかく試してみよう。
「ディア」
「あぁ?」
いやそこは普通に返事してくれ、特に悪意は無いぞ、まじで。
「「ポジティブ」。「前向きに」」
「……なにおなじ事を二回言ってやがる」
あ、やっぱり。うんうん、と頷くわたし。わけが分からん説明しろって視線がディアからびしびし飛んでくる。
「さっき私が何を二回言ったか答えてもらっていい?」
「ポジディブ、だろ」
「んじゃもう一回。「前向きに」。私はなんて言った」
「……ポジティブ」
「追加実験。ポジティブとは肉眼で見たのとおなじ色彩、明暗の画像という意味である」
「なんだよいい加減」
「もう一回。「前向きに」」
「……「前向きに」。もういいだろ」
「さらに追加。ポジティブとは前向きに、と言う意味もある。ディア、最後の一回。「前向きに」、「ポジティブ」」
「………ポジティブ」
うむ、混乱してきた。便利翻訳機が、ではなく私が。とりあえず何らかの法則があるような気がしてきたけどさっぱり分からん。感覚としては私にとって聴きやすい単語に変換されているって、事、かな。追加単語登録にもちゃんと対応している。ケータイの予測変換みたいなあり方?
「ミハル、説明してもらいたいのだが」
「あ、はい」
しまった、ギャラリー置いてけぼりで中途半端に納得してた。
「えぇっとですね、さっき私とディアが「前向きに」って連呼してましたよね?」
「連呼させたのはお前だろうが」
「気にしない気にしない。ともかく、そう聞こえましたよね?」
「ああ、なんども前向きに、前向きに、と」
「私の世界にもカストルさんとおなじ、言語がいっぱいあるんですよ。で、私の国と異国の言葉で「前向きに」って言ってたんです」
「……異国の言葉も正しく伝わる、と言う意味ですか?」
「そういうことですね。その辺の事がビィの「静謐たる水」、つまり魔術言語に精通する事かな、と。ちなみに、世界に向かってその言葉は同じ意味であるって伝えてから言ってみました」
「さっきボソッと言ってたのはそれか」
「そ。昨日、私にとって異国の言葉で「前向きに」って言った時、ディアは何を言っているのか分からないって言ってたから。つまりこの異世界翻訳機は学習機能があると見ていいんじゃないかな」
「そ、それじゃおかしいよ?魔術言語は普段使われない言葉だし、言い換えれば「異国の言葉」って言うのと同じことだと思う。それなのに「学習させなくても」意味が伝わるって言うのは変だよ」
「あ、言われてみればそっか」
ビィが「言葉自体に力がある」って言ってたし、翻訳機への干渉の違いとか?水に塩と砂糖を溶かす時、温度が高ければ砂糖の方が溶けやすいし。我ながら変な例えだけど。
「何にせよ何らかの法則がある、って事はなんとなく分かりました。分かったところでだからどうしたって事になりますけど」
「無駄な時間を使った」
「いいじゃない、無駄上等。どうせこっちに来てる人と合流するまでの時間自体が無駄みたいなものだし」
歩きっぱなしで足が痛いし、異世界だし、わけが分からないし。ちょっとぐらい気になったことを切り込んでもいいじゃない。あんまり納得のいかない結果になりはしたけれど。……周りが呆れたような感心したような微妙な表情を浮かべているのは、見ない振りの方向で。