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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

空色のダイアモンド

 病室に入ると智子の姿がどこにもなくて、検査の時間だったらめんどくさいな、と思う。

 検査に行くと、智子はいつも長い間戻ってこない。

 時間をつぶそうにも、どこにいれば良いのかよく分からない。携帯電話も使えない。


 どうしようって思ったとき、頬に風を感じて、窓が少し開いていることに気づく。


 窓の外には小さなベランダがある。

 エアコンの室外機を置くためみたいな、本当に小さいベランダ。


 カーテンに隠れて見えなかった。

 智子はベランダの手すりにもたれて、外を見ていた。


 がらがらと、わざと大きな音を立てて窓を開けると、

「おおぉ??」

 智子の肩がびくっと跳ねて、変な声を上げる。


「プレゼントだよ。君にサンタさんがプレゼントを持ってきた」

 持ってきたクリアファイルを差し出す。


「理紗さんか……驚いて損したよー」

 目を落として、あからさまなため息。「あと、そのプレゼントいらない」


「なんでさ。これは君の将来のために? 必要な? やつなのに」

 私が適当な反論をすると、

「本当に、そう思ってる?」

 智子は私の目をじっと見て、聞き返してくる。

「いや知らんけど。でも私はしっかりとやってるよ」


 クリアファイルの中に入っているのは宿題とプリントの束。


「真面目だねー理紗さんは」

 その中から1枚を適当に抜き取って、わ、数学じゃん、って顔をしかめる。

「まー理紗さんはやらないと怒られるからしょうがないね。私と違って」


「せいぜい束の間の天国を楽しむといいさ。学校に戻れば智子も私と同じ苦しみを味わうことになるんだ」

 私が言うと、智子はふふふと笑う。

「そうだね。確かにここはほとんど天国みたいなものだよ。天国にいちばん近い場所」


 見てよ、ほら。こんなに美しいんだもん。

 智子が指さした先には、小さく海が見える。

 透明な空の向こうできらきらと輝いている。


「しかも個室だし、冷暖房は使い放題だし。ほとんどリゾートホテルなんだよ」

「病院食っておいしくないイメージがあるけど」

「私は食事制限も無いし。普通においしいよ。何なら毎日おかわりしてる」

「そんなのありか……」

「医療保険のおかげだから、保険会社には足を向けて寝られないね。ってお父さんと話してるよ」


 智子が入院したって聞いたのは先週のこと。

 学校でも理由を教えてくれないし、智子は「よく分からぬ。知らぬ」としか言ってくれないし。

 ずっと仲良かったからって理由で、プリントを届けに毎日来ているけれど。

 元気そうで、どう見たってサボってるようにしか見えない。


「私もそんな時間を過ごしてみたい」って言うと、

「まぁ理紗さんには無理だね。こんな生活、選ばれし0.014%の者のみが到達できるのだよ」

「なんというか、ほんとうに上級国民」

 私は心底呆れる。心配するだけ本当に損だ。


「宿題から解放されて、毎日、一日じゅう本を読んで過ごせる。今の私は貴族なのだ」

「暗くてお靴が見えないわ、とか言い出しそう」

「電気も使い放題だから、暗い瞬間などそもそも訪れないのだよ」



 そんなくだらない話をしていると、段々と風の冷たさを感じはじめる。

 暖かくても、もう12月なのだ。

「寒くない? そろそろ中に入ったほうが」

「うん、寒いよ」

 海のほうを見ながら、まったく動くそぶりも見せずに智子が言う。

「だから。入ろうよ」

 パジャマの上にダウンコートを着ただけの智子は、どう見たって寒そう。


「入らないよ」手にはぁと息をはきかけて、「だって、寒いほうが生きてるって感じするじゃん」

「風邪ひいたらまた入院長引くでしょ、病院で風邪なんて意味わかんないし」


「宿題。今、確率やってるんだね」

 智子は私の話なんて無視して、さっき抜き取ったプリントを見ている。


「え、うん。確率は数学っていうか、数を数えるだけみたいな感じ」

「そう。確率なら私、やっぱりこれやらない」


 言いながら、宿題のプリントで紙飛行機を折りはじめる。

「いやいやいや。ちょっと待ちな、それはやめたほうが」

「ねえ理紗さん、これ、天国まで届くかな」

「届くわけないでしょ、ゴミになるだけだからやめなって」


「そうかな。ここ、天国にいちばん近い場所だよ」


 斜め45度。

 なんだか美しいフォームで飛ばされた紙飛行機は、ぐんぐん上昇して。

 すぐに風にあおられて地面へ落ちていった。


「やっぱり届かないよね」

 何故だか満足したように頷く智子。


「さすがにゴミを増やすのはどうかと思うけど……」

「SDSsとかポリコレとか、そんな話?」

「いや、常識の話でしょ」

「そんなのは生きてる間しか見れない夢じゃん。私には、そんな夢見てる暇なんて無いよ」


 何じゃそりゃ。

 よく分からず、どう返していいか分からずにいると。智子はさらに続ける。


「確率なんて、勉強したって何も変わらないし」

「別に数学なんて、生きていくうえで使うとは思わないけどさ。それが学生の務めってやつだよ」


「1%」

「は、何それ」


「私の手術が成功して、半年後も生きてられる確率」


 強い風が私の髪をばさばさと叩く。

 目にかかって、智子の顔が見えなくなる。


 え。

 ちょっと待って。

 何だっけ。今、何の話をしているんだっけ。


「ちなみに。さっきの0.014%っていうのは、私の病気がこの年齢で発症する確率」


 年齢? 発症? 全然話についていけない。


「何? 何の病気なの」


「教えてあげない」

 智子が私の髪をそっと払って、ようやく前が見えるようになる。

「教えてほしければもっとまともなプレゼントをください、サンタさん」


 上目づかいで私を見てくる。

 智子の身長は私よりも10cm低いから、私の正面に立つと、いつもそんな感じ。


 なんでだろう。

 眩しい。

 冬の空が。智子の笑顔が。


 智子のやわらかな笑顔。私はそれを久しぶりに見た。


 ここ最近の智子はずっと、何だか自分だけの世界に入り込んでいるようで。

 ちょっとだけ話しづらかったのだけど。


 だからこそ私は気付く。

 智子は全部を知っていて、全部を受け入れているのだと。


「今のままじゃ理紗さんは黒サンタだよ。クネヒト・ループレヒトだよ。こどもの家に押し入って、いらない物ばかり押し付けてくる。不法投棄の業者だよそんなの。最低な奴、せめて産廃処理料金払え」

「いや、私はただの運び屋で、内容のクレームは担任に言ってほしいんだが……だいたいそんな言われ方をしてプレゼントあげようなんて思う??」

「思うでしょ。今までの行いを反省する、すごいプレゼントをくれる、私は喜ぶ。何か奇跡が起きて手術が成功する。みんなハッピー」


「いや……んー……」

 そりゃハッピーなんだろうけれど。「そもそも、欲しい物なんてある? こんな貴族みたいな生活をしてるのに」


「あるよ。一個だけ」

「願い事をを100個に増やして、とか言わないよね」

「私には時間が無いんだよ。だからもう、一個だけしか欲しくない。見たくない。やりたくない」


 ずっと智子とは目が合ったまま。

 なんだか、その視線から逃げることができない。


「んー……一個だけなら……別にあげても……」

 病名が知りたいというよりも。

 こんな状況の智子の力になれるのであれば。というのは、確かに偽らざる気持ちではある。


「うん。言ったね。女に二言はないよね」

 私の言葉を聞いて、突然いたずらっぽい目をする智子。

「え、いや……その、高いプレゼントとか無しだよ」

 高校生のバイトで買える品物なんて、たかが知れているのだ。


「大丈夫だよ。お金なんて全然かからないし」

 何故だか分かりやすく目を逸らして言う。「私のことを、抱いてよ」


 抱く?


「別に、それくらいなら」

 目の前にある智子の身体を、ぎゅっと抱きしめる。

 こんなの特別なプレゼントでも何でもない。

 よくあることすぎて――智子の身体がちょっとだけやせていることに気づく。


 胸のやわらかさ。女の子らしい膨らみ。

 そういうのはもちろんあるし、もともと細い子よりは全然やわらかく感じるのだけど。やはり何か違う気がする。

 確かめるように背中とか二の腕を触る私に、智子はあははって笑う。

「理紗さん、分かった? 私、ちょっとだけダイエットに成功したよ。どうだ凄いだろ」


「うん。すごいよ」

 全然楽しそうじゃないその声。私の腕に力が勝手に入るのが分かる。「だから別に、無理して笑わなくても」


「私は別に、無理してないよ」

 ちょっと離れると、智子と目が合う。

 お互いの息が触れる距離。こんなに近くで智子の目を見たのは初めてだった。

「ただ、理紗さんが最後に見る私が笑顔でいればいいなって、そう思ってるんだ」


「最後なんて、まだ、」

「私を思い出そうとするたびに泣き顔が出てくるとかさ。そんなのやだよ」

 別に思いつめた顔ではないし、無理して笑ってるようにも見えない。

 その目はどこまでも透き通っていた。

 透明で、きらきらしていて、空気よりも純度が高い。


 まるでダイアモンド。

 どんな状況でも割れずに折れずに笑っている。


 それは青いダイアモンド。

 空とか海とか、私の向こう側に広がる何か大きなものを見据えて、反射している。

 少し目を離したすきに空へと溶けていきそうな透明感。


「空色のダイアモンド」

 私はそう口に出していた。


「何それ」智子は笑う。

「智子ってなんだかダイヤモンドみたいだって思った。自分でも意味わかんないけど」


「むふふふ」智子は何だか気持ち悪い笑い方をする。「それはきっと、私がどんな宝石よりも美しいから」


「言わなきゃ良かった」ドヤ顔みたいな表情の智子を見て、心からそう思う。


「ダイヤモンドってどうやってできるか知ってる?」

「知らんよそんなの」

「ダイヤはね。動物とか植物が死んだあと、高温高圧で長い時間をかけて作られるんだよ」

「ふーん」


「だからさ。誰もが全員、死なないとダイヤモンドにはなれない」

 智子が私を抱きしめる。ほとんどしがみつくみたいに。「私をダイヤモンドにするのは私じゃない。理紗さんだよ」


「……全然、」私はしがみつかれるままに任せることしかできない。「言ってる意味が分からないんだけど」


 あははは、私の言葉に、智子は笑う。

「いいよ別に。だけどね、理紗さんは勘違いしている」

「……勘違い?」何のことだかよく分からない。

「私のお願いは、こんなしょっぱいハグじゃないよ」


「しょっぱいって、あなた」

 いったいどうしろと。「もっと力強く抱きしめてよって話? 折れるくらいに」


「理紗さんの手で殺されるのも、それはそれでアリかな」

 なんだか怖いことを言ってくる。


「だいたいほら。クリスマスプレゼントはクリスマスの日にくれるものでしょ? 恋人たちは、クリスマスの夜、お互いを抱きしめるのだ。ぎゅっとね」


 そんな言い方をすると、なんか違う意味に聞こえてしまう。

「は? 何それ――だいたい、私たちは恋人なんかじゃない」


「恋人なんてただの形だよ。私はそんなのに縛られたくないのだ」


「なんかそれって」

 遠回しな告白に聞こえなくもなくて、私はどんなふうに返答すればいいのか分からない。


「世の中にはね。確率1%の手術を受ける子もいるんだよ」

 私の目を覗き込むダイヤモンド。「そしてその子は、どんな宝石よりも美しい」


 何故ここでそんなドヤ顔。

「はいはい」

 智子の考えてることが、全然分からない。


 なんか疲れた。って智子は言って、私の後ろで窓をがらがらと開ける音。

 私の目には冬の青空だけが残る。

 智子と同じ色をした、どこまでも透き通った空。


 隣から智子がいなくなっただけで急に寒くなる。

 なんで、私だけ置いていかれなきゃいけないんだ。


「12月24日の夜」

 いつの間にかベッドに座ってる智子。「空には誰も見たことない星が輝くんだよ」


「そして、誰か偉い人が生まれるんだね」

 そう答える私に、


「その星が偉い人のためのものなんて、誰が決めたんだろうか」智子は真面目な顔をして言う。

「いや、それくらい偉い人なんだから仕方ないでしょ」

「別にいいじゃん。『星は私たちのために輝きました』」

「なんかすごくポリコレっぽい話」

「だって私はダイヤモンドだし。高いし偉いし、それくらいのイルミネーションで飾られる価値があるのだ」

「ポリコレというか。ただ自分勝手な奴だったね」


 ふぅ。智子はひとつ息をついて、

「じゃあ24日の夜。待ってる」


 話は終わり、とでも言うようにベッドに横になる。


「24日って。もし私が彼氏とデートだったりしたら来れないよ」

「いないでしょそんなの。だってさっき、男のにおいなんて全然しなかった」


「匂いって。あなた」

 確かに彼氏なんていないが。


「ねえ、最後に教えてよ」私は智子の背中に問う。

「一つだけね」

「なんで、私なの」


「妥協だよ」


「は? 何それ。妥協でそんな――」


「何か言いたいならさ、連れてきてよ」

 智子はもうほとんど寝ている。「あと1週間の間に、私が好きになれて、抱きしめられてもいいって思えて、私を好きでいてくれるイケメン男子を」


「私はもっと、色々なことを知りたかった」最後のほうは声が小さくてよく聞こえなかった。


 なんだか本当にそのまま死ぬんじゃないかと思うくらいの静かな眠り。


 病室の窓の外には相変わらず真っ青な空。

 ここは天国にいちばん近い場所、智子はそう言ったけれど。なんで自分が天国に行く前提で話をしてるんだ。

 そんなにいい行いばかりしてたんか君は。

 私にはそうは思えない。

 だから考え直した方がいいに決まってる。まかり間違って天国に行けなかったらどうするんだ。 


 私はいったい、どうすればいいんだろう。

 しばらく考えてもよく分からなくて、何よりも、智子がいなくなるかもしれないってこと自体、全然実感できずにいる。






「メリークリスマス、理紗さん」

 ベッドの上で智子が手を振った。

 部屋の中は明るくて、真っ暗な廊下からの差で目がおかしくなりそう。


「うん。全然クリスマス感が見えないけど。メリークリスマス」

 私がそう言うと、あはははって智子が笑う。

「まぁ、こういうクリスマスも悪くないよね。ツリーもクリスマスソングも無い。ある意味で特別」


 でもさ、と智子が続ける。「私はプレゼントさえもらえれば満足だから」

「何故そこで私の胸を見る……でもさ、やっぱりわかんない。なんで、そんなプレゼントがほしいの」


 んー。って、智子は唇に指をあてて、考えるふり。

「私、病院で検査をしたら、その日から家に帰れなくなっちゃって」

「12月はじめくらいの話だね」

「死ぬ前には色々やりたいって思ってたことがあって。フランスで紅茶マドレーヌ食べたい、アメリカで自家製ベーコン食べたい、イギリスでティータイムのお菓子食べたい。オートミールは別にいらない」

「なんか食べることばっかりな気がするけど。まぁいいや」


「だけど。全然できなかった。病室から出れないもん。だから考えたんだ。何かできないか、残せないかって」

「何だか話がつながるような、そうでもないような」


「理紗さんは知らないかもしれないけどさ、私だって女子なんだよ」

「そんなの、見なくても知ってる、けど……」

 智子がパジャマのボタンをぷちぷちと外して、上半身が見える。

 私の声が段々と小さくなるのが自分で分かった。


「謎のダイエットで少しだけ減量に成功したから。きれいだと自分では思うんだけど。だからさ、多分、誰かに見てほしかった? 求められたかった? のかな」

 よく分かんないや、あははは、って智子は笑う。「ね。期間限定だよ。お得だよ」


 あまり外に出ていないからか、白くてつやつやの肌。

 胸は多分私よりも大きい。

 そして、それをみて私は分かってしまう。智子が本当に欲しがっていたものを。


 女子の身体に惹かれるとか、性的に興奮するとか。そんな気持ちは私には分からない。

 だけど確かに、ひとつの芸術品みたいな美しさがあるんだな、とは思う。


「なんだろ、これを見るのが手術する医者だけだと思うと、確かに悲しくなるかも」

「でしょー。触りたくなるでしょ、私のこと好きになっちゃうでしょ」

「いや、そこまででは……」

「あははは。こんな時でも忖度しないのが理紗さんの良いところだね」


 智子は少しだけ笑って、そして真面目な顔になる。

「別に私はレズでもバイでもないよ。だから安心して」

「こんな状況で何を安心しろと」

「私は誰かに見てほしかった。覚えててほしかった。それが女子の喜びなんだって、誰かが言ってた」


「女子の喜び……」

「誰かに好かれて、求められて、触られて。そして、それはとても幸せなことらしいんだ」


 伸ばされた智子の手。

 私はそれを掴んで、ベッドにすとんと腰を落とす。


「だからさ、理紗さん、付き合ってよ――私の恋人ごっこに。思い出づくりに」

 お互いのふとももが触れ合ってくすぐったい。

 そんな距離でお互いに目を覗き込んでいる。


 智子のその目は、一週間前に窓の外で見た時よりもずっと張りつめていて、すぐにでも割れそうで、


 だから私は言う。

「いいよ、あげる。クリスマスプレゼントだよ」


 すとん。


 智子のひざの上に紙袋を置く。


「何これ」

「智子が期待してるクリスマスプレゼントだよ。開けて」


 ごそごそと中身を漁って、プリントの束を取り出す。

「なんか宿題が特盛りになってる!!」

「仕方ないよ。だって今日から冬休みだし」


「結局理紗さんは黒サンタでしかないんだ……」

 ぶーぶー言う智子。

「なんだっけ、クウネルヒトだっけ」

「クネヒト・ループレヒトだよ……その間違い、なんか悪意を感じるんだけど」


「2週間で終わらせてね」

「いや、言ったでしょ。私、明日手術なんだけど。成功りつ、もががが」

 手で智子の口をふさぐ。

「終わったら学校に持ってくから。冬休みの最後にちょうだい」

「だから、むぐ、私は、んがが」


「私は智子がいなくなるなんて考えられないから」

 口をふさいでいた手を離す。

 指でその唇を押す。つやつやで、すこしだけ乾燥していて、だけどやわらかい唇。


「だから、これは恋人ごっこでも最後の思い出づくりでもないよ」


「じゃあ何なの」なんだか怪訝なまなざしで私を見つめる。

「一時の、気の迷いだよ」


 別にいいじゃん、女子どうしだって、好きじゃなくたって。

 私は智子を大切に思っている。

 智子は誰かを必要としている。

 だから私は智子の願いを叶える。


 それはきっと愛情だ。

 そして愛情があるから抱きしめる。


 間違いじゃないよ。私はそう思う。


 だから私は、智子を抱くんだ。






「私、ひとつだけ思い出したことがあるんだ」

 私は天井を見ながらつぶやく。

 智子はいつの間にか私の二の腕を枕代わりにして寝ている。くるりと私のほうを向いた気配。

「え? 何? 何を思い出したの?」

 ぬふふふ。って笑い声が聞こえそうな声色。


「小学校の頃、私がインフルエンザで休んだことがあったよね」

「あー。あったあった。私が理紗さんの家へ宿題を持っていくように先生に命令されたやつだ」

「そして、そのまま忘れて持ってきてくれなかったやつ」

「……そうだっけ……?」


「そうだよ。やってないって散々怒られて、1か月後に智子の部屋の机で発見されたんだ」

「そんな昔のこと、よく覚えてるね??」

「やられたほうの恨みは末代まで続くんだよ、死んだら怨霊になって枕元に毎日立ってやる」

「その行動に愛情を感じるのは私だけでしょうか」


 ぬふふふ、って笑う智子に、バカじゃないのって返す。

「だからさ、私、思ったんだよ。こいつ絶対毎日監視してないとやらかすって」

「歪んだ愛情がストーカーを生んでしまった!」

「だからさ。お望みとあれば、冬休みのあいだも宿題してるか毎日見に来てやろうかと」

 その言葉は本気だったけれど。


「嫌だよ」智子のその声はシンプルに拒絶だった。「絶対に、来ないで」

「まぁ、そうだろうね」そう言われることも何となく分かっていた。


「言ったでしょ。理紗さんが最後に見る私は笑顔じゃなきゃいけないんだ」


「じゃあ、ちゃんと約束してよ。宿題終わらせるって」

「しょうがないなぁ。理紗さんの頼みなら、守ってあげる」


 じゃあ交換条件。私からもクネルト・ループレヒト。

 そう呟くと智子は起き上がって、ベッドわきの棚からごそごそと何かを探し出す。

「さっきまで、どうしようか迷ってたんだよ。本当だよ」


 アクセサリーケースのように見える箱を開けて、その中身を私に見せる。

「クリスマスプレゼントだよ。理紗さん」


 それは指輪だった。

 青い石が付いた指輪。


「青いダイヤモンドって高いんだね。私、びっくりしちゃった」

 その中身を無造作に取り出して、私の左手の小指にはめる。

「良かった。サイズあってた。ブルーダイヤのピンキーリング。お値段はなんちゃら万円」


 指輪なんてしたことなかった。

 左手の小指がすごく重く感じる。


「どうしたの、これ」

「検索して調べて、お父さんに買ってきてもらった」

「いや、っていうか、なんちゃら万円って」


「心配しないでいいよ、これは私のお小遣いだから」

 むふふふ、智子は笑う。「保険金じゃないから、理紗さんは保険会社に足を向けて寝ても大丈夫」


 でも私には足を向けて寝られないね、って楽しそうに言う。


「や、でも、こんなに高い物もらっても」

「理紗さん、青いダイヤモンドの石言葉って知ってる?」

 智子は私の話を無視して聞いてくる。


「石言葉……? そんなのあるんだ、全然分かんない」

「二つあるんだよ。『永遠の幸せ』と、『絆を深める』」


 小さなダイヤモンド。私はじっと見てみる。

 白ばっかりのこの部屋の中で、それは確かに強く輝いている。


「さっき理紗さんが言ったことを私もそのまま返してやるんだ。これは重い女の呪いだよ」

 智子はピンキーリングのダイヤモンドに口づける。「私を刻みこんで、忘れられなくしてやる」


 そんなこと言わなくたって。

 忘れられるわけない。


「ダイヤモンドは硬くて、強くて、だけど500度以上の炎の中では燃えちゃうんだ」

 だから、理紗さん。智子は私の目をじっと見て呟く。「私が燃えても永遠に。私を忘れないで」


 智子から重ねられた唇。

 キスなんてやったことなくて、どうすればいいのか分からなくて。

 私にできたのは、ただじっとその熱さを感じることだけ。




 そうだった。

 智子はその夜、最後まで笑顔だった。




 左手の青いダイヤモンドを見るたびに私は思い出す。

 これは空の色を映し取っているようで、

 だけど本当は空よりもずっと青い。

 空よりもずっと透き通っている。


 だから私は、あの目を忘れることができない。

 いつだって近くで笑っているみたいで。


 だけど多分それは、いつか私と一緒に消えていくもの。そんなふうに思う。

 炎の中で、美しい空の色と一緒に。


 永遠なんて本当にあるのか、私にはまだ分からないや。

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