08
視線が合うと丁寧にお辞儀される。それに思わずつられてしまうのは体に染み付いた日本人の習慣だろうか。
「先程、ギルドにいらっしゃった海魔族の冒険者の方ですよね。初めまして。わたしはアーサー・グエン。ドワーフの商隊に雇われた護衛の剣士です」
「ご丁寧に。わたしはオズ。魔術師だ。…それで、ご要件は?」
返事がつい淡白になってしまったが、アーサーは気にした様子も無くニコニコとしている。人の良さそうな人相をしているが、もしかして性格も人が良いんだろうか。
「実は、貴女にお願いがあって参りました」
スッと笑顔が消えて真剣な表情へと変わる。役者も顔負けなその切替の早さに驚いたが、真っ直ぐなその視線から目を逸らすのが躊躇われる。
「…お願い?」
「はい。…その冒険者証、貴女、銀等級の冒険者ですよね」
「まぁね」
「ですので、我々の依頼を…受けないでいただきたいのです」
ピクリと反射的に眉が上がる。
受けてほしい、ではなく、受けないでほしい、とはまた妙だ。一体何を考えているのか…。
腕を組んでジッと見つめるがアーサーも視線は逸らさない。どうやら本気で言っているようだ。
「…なにか理由が?」
「勿論です。ですが、それを今話すことはできません。しかし、これはお互いの為にも必要なのです。どうか信じて下さい」
懇願するようなその表情に心が揺さぶられる。別になにか理由があるのなら断る気はそもそも無かったが、ここまで必死にお願いされるとやはり良心にくるものがある。元々わたしは押しに弱いところはあるし、冒険者になったばかりで護衛の依頼なんて、バドルさんに直接頼まれでもしなければ受けるつもりは無かった。まぁ、とはいえそれをアーサーに言う必要は無いだろう。
「…わかった。そこまで言うならそうしよう」
「!ありがとうございます!」
パッと笑顔になったかと思えば流れるような仕草で両手を取られる。慣れないスキンシップに戸惑うがアーサーの方はあくまで自然にそうしたようで特に気にした様子はない。彼はこういうことに慣れているようだ。
「どうかお気を付け下さい」
聞こえるか聞こえないかのギリギリの声量でアーサーが呟く。なんとなく聞き返そうとしたところで、アーサーはわたしの手を離して「よろしくお願いします!」と去って行ってしまった。
あっという間のやり取りに思わず小さく溜息が溢れた。腕を組み直してアーサーが去って行った方向を見つめる。最後の呟きは一体どんな意味だったのか。あの依頼にはなにか裏があるのだろうか。考えれば考える程憶測が憶測を呼ぶ。答えは簡単には出ないだろうし、今これ以上考えるのは得策ではないだろう。
軽く頭を振って考えを散らす。これからどうしようかと顔を上げると、丁度背後から聞き慣れた声に呼ばれた。
「オズ!おまたせ!」
「やぁリド。お迎えありがとう」
「へへっ!じゃあ必要なもの買い足しながら宿まで行こうか!」
確かに、と頷いて歩き出したリドに着いていく。
寝間着は必要だし、他にも必要になるものがあるかもしれないし、なにより異世界での初の買い物だからか少しワクワクしている。
リドに案内されながら露店の並ぶ商店街を歩いていく。野菜や果物など食べ物を扱っている店は勿論、装飾品や服を扱っている店に、食べ物の屋台まで。物珍しいものが多過ぎてあちこちに目移りしてキョロキョロしてしまう。
「はははっ!オズ、そんなに楽しい?」
「!あ、うん…。ごめん、行儀悪かったかな?」
「ううん。オズがそんな風にはしゃいでるの初めて見たからさ!なんだか新鮮で」
「…なんか恥ずかしいな」
誤魔化すように口元の触手に指を絡める。確かにリド達の前でこんな風に羽目を外したことは無かったし、自分もここまではしゃぐとは思って無かったので思っていたよりも恥ずかしい。
せっかくだからとリドの提案で屋台の料理を買っていくことになった。宿の食堂でも食事はできるらしいが、今日はわたしが初めてだということで屋台でいろんな料理を買ってみんなで食べることにしたのだ。沢山買ってもわたしの『収納空間』に入れてしまえばいいし、リド曰く『収納空間』の中は時間が止まる仕様らしく、料理も温かいまま仕舞っておけるそうだ。思っていた以上に便利なスキルで助かった。
手持ちの資金も十分にある。ホーンラビットの買い取り金だけでなく、試験で狩ったビックベアやウェイブバットも買い取ってくれたので暫くは十分な生活ができるだけのお金は手に入ったのだ。
目につく屋台で気になった料理を片っ端から買っていく。ホーンラビットの串焼き、野菜の包み焼き、山菜の炒めもの、魚の串焼き、魚のムニエル、貝の酒蒸し、アップルパイ、クレープ。4人も居るし、今日はなんだかいつも以上のお腹が空いているし、少し多めに買ってもきっと食べ切れるだろう。
「海が近いって言ってもこんな新鮮な魚介、よく内陸で食べられるね?」
「魚介を扱う商隊には必ず時間停止や保存の魔術が使える魔術師の同行が義務付けられてるんだ。それで新鮮なまま魚介を運ぶんだよ。とは言っても運べる距離は魔術師の実力に左右されるから、平均的に3日から5日の距離が限界って言われてる。オズだったらきっと一ヶ月ぐらいの距離も平気だろうけどね!」
「へぇ…」
タナの街はハーシャ港が片道3日の距離だ。だから問題無く新鮮な魚介を仕入れることができるし、魚介を扱う店が多いのだろう。山も近くて山菜も豊富だし、冒険者が魔物を狩るので肉も冒険者ギルドか仕入れが出来る。タナの街は意外と食材が豊富なようだ。
買った料理を全て『収納空間』に仕舞い、リドに案内されながら宿へ向かう。中央通りを進んでタナの街の中心街に向かい、そこから西通りに曲がって服飾店や宝石店の前を横切り、段々と人気のなくなっていく道を進んで、街を囲うレンガ壁の目の前まで来て漸くリドは足を止めた。
「ここだよ!この街で一番の穴場宿、“星見の丘亭”!」
外観は周りの建物に比べれば少しばかり古いように見えるが、ボロいというわけではない。現代で言うなら、古民家のような古き良き外観だ。自然と冒険心や好奇心のようなものを擽られてワクワクしながらリドに続いて中に入る。3階建ての奥行きのある間取りの建物で、エントランスは天井まで吹き抜けになっていて、カウンターと階段だけのシンプルな間取り。客室は2階と3階のようだが、廊下は奥へと入っていく形になっている為部屋の扉はエントランスからは見えないようにしっかり配慮されている。シンプルながら素敵な宿だ。
「女将さん!さっき話したオズを連れてきたよ!」
カウンターの奥へとリドが声を掛ける。暖簾をくぐって出てきたのは少し背中の曲がった老齢の女性。彼女はわたしとリドを交互に見ると、優しげな笑顔を浮かべながらカウンターの外へと出てきた。
「いらっしゃい。海魔族のお客さんなんて初めてだよ。こんな古い宿で良かったらゆっくりしていっておくれ」
「はい。ありがとうございます」
「いえいえ。お食事はどうしましょうね?」
「今晩は屋台のものを買ってきたのでそれをいただきます。明日の朝食はお願いできますか?」
「あ!女将さん!俺達もそうする!」
「はいはい。任せてちょうだい。お部屋のものは好きに使って良いからね」
「わかりました」
今、宿にはリド達しか居ないそうだが、行き来の利便性を考えて、彼らと同じ2階の空き部屋を借りることにした。部屋は各階に3部屋。リドがエントランス側、ミナとアンネが中央の部屋を借りているらしいので、わたしは空いている一番奥の部屋を借りることにした。
女将さんに部屋の鍵を預かって階段を上っていく。キシキシと軽い音を立てる階段は年季を感じるがしっかりしている。2階に上がると丁度良く真ん中の部屋の扉が開いた。そこからひょっこり顔を出したのは、ローブを脱いで楽な格好をしたミナだった。
「あ、リド、オズさん!おかえりなさい!」
「ただいまー!」
「ただいま、ミナ。夕飯も買ってきたから、みんなで食べよう」
「!はい!ありがとうございます!」
「じゃあこっちの部屋で食べましょ!」
ミナの後ろからアンネも顔を出し、みんなで二人の部屋に入る。
二人の部屋はやはり女の子の部屋というか、綺麗に整理整頓されている中で女の子らしく服や装飾品などの小物が目に着く。
リドは慣れた様子でテーブルに備え付けられた椅子に座り、ミナとアンネはベッドのに腰掛けたのを見て、わたしもリドと向かい合うようにもう一つの椅子に腰掛けた。
『収納空間』から買ってきた料理を順番に出してテーブルに並べていく。
「わあぁ…!」
「沢山買ってきたわね…!」
「普段こんなに沢山買わないから新鮮だな!」
「さぁ、冷めないうちに食べようか」
両手を合わせると不思議そうな視線を向けられる。この世界にはやはり無い風習なのか。「わたしの世界の習慣だよ」と教えると、リド達も真似して手を合わせた。
「「「「いただきまーす!」」」」
ホーンラビットの串焼きを一本取って口に運ぶ。今の体の口は触手の下にあるが、思っていたよりも邪魔にはならない。触手の隙間から熱々の肉に齧り付くと、簡単に歯が通る程の柔らかい肉質と、噛むたびに口の中に肉汁が旨味と一緒に口の中一杯に広がる。
「…!美味しい!」
「よかった!タナの街は食材が多いのもあってどの店の料理も美味しいから。気に入ってもらえて嬉しいわ」
「女将さんの料理の美味しいんだ。オズもきっと気に入るよ!」
「それは明日が楽しみだね」
会話を楽しみながら食事を進めていく。
明日から本格的に冒険者としての生活が始まる。緊張していないわけではないが、それよりも楽しみな気持ちの方が強いので、わたしは案外好奇心が強いのかもしれない。でもこの気持ちはきっと、これからも大事になってくるだろう。
次に手を伸ばした焼き魚の串焼きを口に運びながら、リド達と一緒に沢山笑いあって夜を過ごした。