05
タナの街を出て30分程歩いたところで街道でもチラホラ魔物が姿を見せ始める。試験内容はビックベアの討伐だが、どんな魔物も街道を利用する一般人の人達には脅威だ。ということでついでに片付けながらビックベアを探すことになった。
「『ストーンバレット』!」
「『ファイヤーボール』!」
ビックベア以外の魔物は試験には関係無いので全員で討伐する。キースはソロの冒険者をやってるだけあって危なげも無く安定している。リド達も見事な連携だ。かくいうわたしもアンネに色々教わったお陰で不安無く魔術を扱える。
魔術の発動速度はアンネより一秒程縮めているが、キースの反応を見る限り驚くようなことではないようだ。試験中はこのくらいの速度で固定しておこう。
わたしの魔術で蜂の巣に、アンネの魔術で黒焦げになった魔物が地面に落ちる。洞窟から戻ってきた時には見なかったコウモリのような青黒い魔物…ウェイブバットというらしいが…。
「コウモリって基本夕方以降が活動時間だよね」
「そうですね…。こんな昼間に、それも草原で見かけるなんて異様です。ウェイブバットの生息地は洞窟や山間部のはずなんですけど…」
動物のコウモリなら家屋の屋根裏などにも住み着くが、魔物は別だ。その生体は似てるようでちゃんと明確な違いがある。そもそも動物と魔物では体の大きさが違う場合も多いし、好む食事も違う。ホーンラビットだってああ見えて肉食よりの雑食らしいし。このウェイブバットだってそうだ。吸血能力を持っている時点で普通のコウモリとは違う。昔どこかでチラッと聞いたが、動物のコウモリで吸血能力を持つのはほんの一部らしく、殆どのコウモリは昆虫食が多いらしい。…今この話はいいか。
「キースは何か分かる?」
「いや…。俺もこんなことは初めてだ。本来ウェイブバットはタナの街の北にあるシュターン山の坑道を中心に生息している。この草原とは距離があり過ぎる。…予想外のことがあるかもしれない。気を引き締めろ」
「了解」
討伐したウェイブバットを『収納空間』に仕舞い、当初の目的であるビックベアを探して歩き出す。
風が草原を撫でていき、揺れた草花が葉擦れの音を立てて揺れる。景色も相まって雰囲気はとても穏やかだが、生態系に異常が出ている今油断はできない。キースにバレないようにこっそり『索敵』のスキルを使って周囲を警戒しながら歩く。
周囲にはホーンラビットの気配が複数。ウェイブバットは先程討伐したものだけだったようだ。他の気配は『索敵』で検知できる範囲には居ない。チラリとキースを見ると、彼の耳も忙しなく動き周囲を警戒しているから、音の方でも警戒は十分そうだ。
暫く歩いていると草原の先に森が見えてくる。タナの街とリエムという隣街を繋ぐ街道を囲うシュターンの森だ。因みに山や森に同じ名前が付いている理由は、この辺りの地域がシュターンというかららしい。
「ビックベアは基本的にあのシュターンの森を中心に生息している。…だが先程のウェイブバットの件もある。普段の森とは違う可能性もあるから気を付けろ」
「予想できる範囲で出てきそうな魔物は?」
「……難しいな。ウェイブバットがあれだけ生息地から大きく離れていた以上、本来森を生息地にしない魔物と出くわす可能性もある」
「普段の森なら、ビックベアの他にはエアホークが居るくらいだけど…」
顔を見合わせるリドとミナ。普段と違う、というのは自然と不安や恐怖を掻き立てる。ミナは引っ込み思案な性格で気が小さくもあるので分かるが、勇敢で率先して前に出るような性格のリドまで不安に眉を下げるとは…。アンネも表情には出していないが、きっと不安に思っていることだろう。
「大丈夫だよ。目的のビックベアだけ討伐してさっさと帰ればいいし、途中で何か出てもキースが居るんだし、厳しければ撤退すればいいさ」
そうでしょ?とキースに視線を投げれば、彼は当然だと頷いた。
「これでも金等級の冒険者だ。試験官として着いてきた以上、被害は出させない」
「そ、そうですね…。銅等級のわたし達ならともかく、キースさんが居れば、大丈夫…だよね」
等級とは冒険者の強さの指標だ。下から銅、銀、金、白銀、金剛と分かれている。まだ駆け出しのリド達に比べてキースがどれだけ強いのかはこの等級を見れば一目で分かるが、あくまでも基準でしかないので過信はできない。何が起きるかわからないのが冒険だ。
「…!」
森に入ってすぐ『索敵』に魔物の気配が引っかかってバッと振り返る。キースの方も音を拾ったのかわたしが振り返った方に耳を向けて剣の柄を握る。
「オズ…?」
「シッ!魔物が近い…」
隣に来たミナを背に庇うようにして『索敵』に集中する。
『索敵』の感知範囲は半径5キロ。その範囲に感知している魔物の数は、20匹程だ。しかし『索敵』は魔物の数と位置を感知できるだけで、それがどんな魔物かまではわからないのが欠点だ。
「キース」
「…マズいな。足音からしてビックベアだが、数が多い」
「一点で突っ切れば逃げ切れそうだけど…」
「危険だな。このメンバーでそれができるとは思えない」
リド達も決して弱いわけではないがビックベアはギルドの指標で銅等級の中位から上位程度の危険性がある魔物だ。リド達“夜明けの風”は銅等級の中位のパーティー。頑張れば倒せないこともないが無理をしたり囲まれたりすれば危険を伴うくらいのレベルだ。
わたしがやってもいいが、キースの前でプレイヤーだと疑われるようなことはできない。力を出すとしても精々魔術の発動を早めるくらいが限度だ。初心者冒険者と偽っている以上、中位の魔術は安易に使えない。
どう切り抜けようか考えているうちに茂みが大きな音を立てて揺れる。キースが剣を抜いたのとほぼ同じタイミングで魔力を込めた指先を向けると、そこから3メートルはありそうな巨大な熊が姿を表した。同時に、後ろからヒュッと喉が鳴るような音がした。
「そんな……!マーダーグリズリー…!!」
ミナの恐怖に震える声が聞こえる。どれがそうか、なんて確認しなくても分かる。群れの先頭に立つ、一匹だけ異様な禍々しさを放つ赤黒い体毛の巨大な熊。生気の宿っていないような虚ろな目が微かに左右に揺れる頭からこちらを見下ろしていた。
「で、でも本当にあれ、マーダーグリズリーなのか…?なんか、雰囲気が変だぞ…?」
「見た目はマーダーグリズリーだが…、確かに妙だな…」
「フラフラして、アンデットみたいだな」
何気なくそう指摘した瞬間、マーダーグリズリーの頭がグラリと大きく後ろに倒れる。何かの攻撃の予備動作かと構えたが、マーダーグリズリーの首はそのままグチャリ…と生々しい音を立ててその首の半分が胴から離れてしまった。
「ぅ、うわああぁぁーーーーーー!!!!」
「「きゃああぁぁーーーーーー!!!!」」
リド達の悲鳴が周囲に響き渡る。その音に反応するようにわたし達の周りを囲っていたビックベアが一斉に襲い掛かってくる。
「―――『バリアー』!!」
指先に集めていた魔力を使って防御の下位魔術を発動する。六角形の光の筋が通るドーム状の膜が周囲に展開し、甲高い音を立ててビックベアの爪を全て受け止めた。咄嗟のことで出力を間違えたような気もするが、今はキースの反応を気にしている場合ではない。
「ミナ!防御を任せたいんだけど、いける?」
「っ……!が、がんばります…!」
「うん!ありがとう!」
微かに涙の滲んだ顔で、それでもしっかりと返事を返してくれたミナの頭を撫でてビックベアに向き直る。『バリアー』からビックベアの爪が全て離れたのを確認してから術を解いて、膜の解除に合わせて走り出す。キースが呼び止める声が聞こえたが振り返ることはせず、一番近くに居たビックベアの懐に飛び込んで魔力を貯めた右手を心臓辺りに向ける。
「『エアバースト』!」
手のひらの球体のように集まった風が、一瞬ビー玉程に小さくなると、瞬間、一気に膨らんでビックベアの巨体を回転させながら弾き飛ばした。周辺の木々をなぎ倒しながら吹っ飛んだビックベアはその先で地面に転がると血を吹き出したままピクリとも動かなくなった。
「オズ!」
「仕方無い仕方無い。咄嗟だし少しくらい“力んじゃう”こともあるさ」
「!…そうね!でも反動も怖いから加減には気を付けて!」
「了解」
魔術は術が強力であればある程発動した時に術者に返ってくる反動が大きい。勿論術者の技量が上がればその反動も自然と小さくなるが、普通の魔術師は自分の技量以上の魔術を使おうとすると反動に負けて瀕死の傷を負うか術が発動すらせずに暴発するかのどちらかだ。だが当然、全能魔術師であるわたしはそんなことは絶対に起きない。このやり取りは勿論キースを誤魔化すためのものだ。
横から来たビックベアの爪攻撃を躱すと、反対側にいた別のビックベアの頭に突き刺さる。明らかに致命傷になったであろうそれを横目に確認してから攻撃したビックベアに『エアバースト』を打ち込む。『連続詠唱』のパッシブスキルがあるので本来は間髪入れずに術を使うことはできるが、キースの目を欺くためにも術の発動に一定の間隔は維持したい。
「(これだけの数を相手にしながらキースを気にしないといけないのは流石に骨が折れる…。でも、このくらいはできるようにならないと…!)」
元の世界では使わなかった頭の使い方をしているせいか精神的な疲労感を感じる。気疲れってやつだ。
胴を狙ってきたビックベアの腕を利用して攻撃の回避と同時に片手で体を浮かしその顔面に『エアバースト』を打ち込む。キースも手伝ってくれているお陰で漸くビックベアの数も半分になったところで、先程まで棒立ちで首が千切れかかっていたマーダーグリズリーの体がゆらりと動き出す。
「!キース!!」
グチャリと再び生々しい音を立てて首を戻したマーダーグリズリーが、ゆったりとした動きで右手を振り上げる。その動きは本当にゾンビのようだが、その右手はそれまでの動きからは想像もできない程の速度で振り下ろされる。わたしの声に反応したキースはマーダーグリズリーの攻撃をすんでのところで飛び退き避けた。叩きつけられたマーダーグリズリーの右手はとてつもない威力で地面を割り隆起させてしまう。
「っ、マーダーグリズリーってこんな強いのか…!」
「単に強いだけじゃなくって、アンデット化してる分力を加減できてないんだろうね」
生き物は命に危険が及ばないよう無意識に体に負担を掛けないように力をセーブするらしい。その無意識のリミッターが外れるのが所謂火事場の馬鹿力というやつだが、今のマーダーグリズリーはアンデット故に加減をする必要がない。そのため常に火事場の馬鹿力が発動しているようなものなのだろう。
「…やれるか、オズ」
「足引っ張らないように、やるだけやってみるよ」
キースが隣で剣を構え直す。正直力加減をしながら戦うのは神経を削りそうな気もするが、今はこの状況を切り抜ける方が先決だ。
指先に魔力を集めて両手に火球を造って構える。動くたびにグチャグチャと生々しい音を立てるマーダーグリズリーとそれに従うように動く残りのビックベアに、わたしとキースはどちらからともなく走り出した。