第三話
「君が、リシェルの義妹だって?」
唖然とした様子で繰り返したレオーネは、しかしすぐさま疑ってきた。
「本当に?」
「ほ、本当です!」
つかまれたままの腕に、彼の温かな手の感触。
どうにも居心地が悪くて、リシェルはひたすら顔を背ける。
「歳は?」
「十五です」
「なぜこのような時間に、このようなところに?」
「街へ買い物に行っておりましたので」
「そのわりには何の荷物も持っていないようだが?」
「それは……買いたいものが見つからなくて……」
「ふうん?」
跪いたままのレオーネは、あいかわらずリシェルのことを凝視し続けていた。
「クローデッド伯爵が再婚されて、リシェルに義妹ができたとの話は知っている」
ただ、と、レオーネは続けた。
「義理とは言え伯爵家の令嬢が、なぜ徒歩で街に? 馬車を使わない理由はなんだ?」
「それは……わたし、歩くのが好きなので……」
上手い言い訳が見つからなかった。
「護衛の一人も付けずに?」
「も、もとは平民なものですから、付添がいると落ち着かなくて……」
お願い、もうやめて。
これ以上、追求しないで。
声に出さずにそう願い続けていると、ようやくレオーネが立ち上がる。
「胸を見せてほしい」
「――っ! いきなり、なにを……!」
突然、とんでもないことを願われ、リシェルは口をぱくぱくした。
「って、レオーネ! おまえ、いきなりそれはねえだろ。女を口説くには順番ってものがあるだろうが!」
「ロッソ、頼むから黙っててくれ」
わずらわしげに溜息を吐いたのち、レオーネはリシェルの腰を抱いてきた。
「やっ……お離しください……!」
「胸――というより、君の胸元に星の花嫁の印があるのか否かを確認させてほしい」
「――……っ!」
気付けば吐息が交わるほど近くに、彼の端正な顔立ちがあった。
「あ? 花嫁の印? なんだ、それは」
それはリシェルの左胸に存在する、花の精霊の紋章のことだ。
生まれた時からそこに刻まれていたそれをもって、リシェルは星の花嫁と認定された。
「そのようなもの、わたしにはございません」
「ならば背中は? 八年前につけられた古傷があるか否か、確認させてほしい」
「い、いいえ……! ありません、そのようなもの」
リシェルは首を振りながら後ずさった。
「わたしはソフィアです。リシェルではありません……!」
渾身の力で、レオーネの腕を振り払う。
「だが、君と目が会った瞬間、剣で胸をひとつきされたような衝撃を受けた。八年前、リシェルに恋をした時に感じた衝撃と、同種のものだ」
「恋?」
なにを言っているのだろう? と、呆然と問うた。
「恋って……あなたがリシェルに、ですか?」
「この八年間、会えなくとも誰より愛おしく思っていた」
レオーネは無表情のまま、淡々と応える。
――って、どういうこと……?
戸惑いすぎて、わけがわからなくなった。
彼とは八年前に一度会ったきり。
その時、彼に恋をしてもらうようなきっかけがあったとは、とても思えない。
「なぜ君が照れる? だいぶ頬が赤いようだが」
「これは……夕焼けでそう見えているだけです」
リシェルはさらに後ずさった。
「とにかく……! 助けていただきありがとうございます。ですが、わたしはソフィア。リシェルは姉です」
「本当にそうなのだろうか」
「わたし、もう帰らなければ……そろそろ暗くなってまいりますので、ここで失礼いたします」
するとレオーネは、リシェルのことをひょいと抱き上げた。
「ひゃあっ……なにをなさるのです!」
「家まで送ろう」
「ご遠慮いたします!」
脳裏に義母と義妹の顔が浮かんだ。
もしレオーネと再会してしまったことが彼女たちに知れたら、今度こそあの家を追い出されてしまうかもしれない。
「お願いです、下ろしてくださいませ!」
「君をひとりで帰らせるわけにはいかない」
「困ります……! わたしにも事情があるのです!」
「どのような?」
「それは……」
もごもごと口ごもっている間に、結局、強引に馬車に乗せられてしまった。
「ロッソ、王都はすぐそこだ。おまえは歩いて帰れ」
「って、マジ!?」
「大マジだ」
レオーネは馬車の戸を閉めるなり、御者に出立を命じる。
「困ります……どうか降ろしてください」
伯爵家に近づくにつれ、リシェルはどうしようもなく焦った。
「なぜ? 君はそんなにも何に怯えている?」
「事情があるのです……」
両手を組み合わせ、「お願いです」と、繰り返す。
すると反対側の席に座っていたレオーネが、リシェルの隣に移動してきた。
――ち、近い……!
彼の息づかいを感じるほどの距離に、自然と身体がこわばった。
「ならば伯爵家まで行かずに、近くで降ろそう。それなら問題ないな?」
「そうしていただけるとありがたいです……えっ」
突然、彼に手を握られた。
そして手の甲に、キス。
あたたかな彼の唇を、肌で感じる。
そのまま上目遣いでひたと見つめられれば、全身がいっきに火照った気がした。
「なぜだろう……君にふれたくてたまらない。君の言葉を信じるなら、君はリシェルではないというのに、まるで彼女と一緒にいるような気分だ」
「どうかお離しください……!」
「嫌だ、と言ったら?」
「わたしも嫌です!」
わけもわからず応えると、レオーネがかすかに微笑んだような気がした。
「……しかたない。嫌われたら元も子もないからな、応じよう」
レオーネは名残惜しそうに、リシェルの手を離した。
「ただし、俺の願いもきいてほしい」
なぜここで交換条件? と、リシェルは身がまえた。
「この八年間、ずっとリシェルのことを想ってきた。リシェルに会えたなら、あの頃に伝えられなかった言葉を伝えて、ふれて、抱きしめて……とにかく俺のすべてを捧げて、彼女のことを愛そうと考えていた」
「そ、それを今、わたしに言われても……」
と言いつつも、胸がどきどきと高鳴っている。
まさか彼がそのように考えていてくれたなんて、夢にも思っていなかったから。
「君が願うとおり、伯爵家の近くで降ろそう。だから約束してくれ。俺とまた会ってくれると」
「そのようなお約束はできません……そもそもあなたとわたしがお会いする必要はありませんし」
「であれば俺も、このまま君とクローデッド家に入ろう。そして今日会ったリシェルが真実、星の花嫁であるのか否かの確認を――」
「そのようなこと……! おやめください! 疑われれば、姉が悲しみます」
「ふうん?」
レオーネは金色の眼差しで、こちらを見透かすようにしてくる。
その時、馬車が止まった。
慌てて外を見やれば、薄闇の中、伯爵家の屋敷が浮かび上がって見えた。
「残念。もう着いたようだ」
「降ります……! ありがとうございました」
馬車を降りるなり、「お世話になりました」と、膝を折って挨拶。
早足で屋敷へと向かう途中、何度か振り返ってみるが、レオーネが乗った馬車はその場からなかなか動こうとはしなかった。
――お願い……早く帰って……! そしてどうか誰にも、この場面を見られていませんように……!
リシェルは強く、強く願った。
まさか考えもしなかったのだ。
この時、一台の馬車が、こちらを監視するように近くの木陰に隠れていたなんて。