第一話 レオーネ視点
「どうしたってんだ、レオーネ。ようやく愛しの婚約者殿に会えたってのに、ずいぶん浮かねえ顔だな。もっとぱあっと喜んだらどうだ?」
クローデッド伯爵家からの帰り道。
馬車に揺られながら、レオーネはひどく落ち込んでいた。
「美しく成長してたじゃねえか」
向かいの席から声をかけてくるのは、ロッソ・リナルディ、十八歳。
黒髪と碧眼が特徴的な彼は、騎士団特殊部隊長に就任したレオーネの副官だ。
もとは留学先で友人関係となった貴族の青年なのだが、レオーネとともに働くことを希望したため、しばらくイルデブラン家で世話をすることになった。
それで今回の用事にも付いてきたのだが。
――美しく、か……まあ、たしかに容姿は美しかったかもしれないな。
先ほど八年越しの再会を果たした婚約者――リシェルの姿を、レオーネは思い起こした。
茶色の巻き毛が印象的な、大きな瞳の少女だった。
自分の容姿に自信があるのだろう。
こちらに向ける視線はやけに挑戦的で、話す声も大きく、何かにつけてレオーネの側に寄ってこようとした。
――別れ際に手を握られた時には、さすがに驚いたな。
美しくて、積極的。
もしや世の男たちからは好かれるタイプなのかもしれない。
――だが、違う。
そう。
レオーネにしてみれば、何かが大きく違ったのだ。
「ロッソ……この違和感の正体はなんだ? 彼女が俺の婚約者である星の花嫁だと? なぜかそうは思えない」
「って、正気か? 八年もの間ずーっと、一度会ったきりの彼女のことをしつこく――いや、しっかり想い続けてきたんだろ?」
「しつこく、と聞こえたが?」
「わりい、本音が出ちまった」
ぎろりと睨むが、ロッソはこともなげに笑う。
「おまえ、エヴァルドに留学中も、ずっと彼女に会いたいって言ってたじゃねえか」
「それはそうなんだが、どうも俺の知っている彼女とは違うんだ」
「どう違う」
問われて、レオーネは考えた。
「いくつもあるが……まず彼女は、あのようにうるさく話す女性ではなかった。しっかり主張はするものの、口調や声はやわらかで、可愛らしくて」
「八年も経てばいくらでも変わるだろ」
「だが彼女は、八歳にしてすでにとても落ち着いていたんだ。礼儀正しく、けれど決しておとなしいわけではなく、溌剌としていて、無邪気で、可愛らしくて……」
「さっきから可愛い可愛い言ってるが、それ、おかしなフィルターかかってるんじゃねえのか? 一度会ったきりなんだろ? しかも数時間。顔だって忘れるし、おまえの中で美化してるに決まってる」
「いや、そういうわけじゃない」
レオーネは続けた。
「それにあの茶色の巻き毛……彼女はもっと淡い髪色をしていたはずだ」
「それはどうとでも変えられるだろ。好みの色に染色する女性もいるらしいぜ?」
「瞳もかつては紫だったような……今日の彼女は青だ」
「おまえの記憶違いじゃねえのか? というか、そもそも彼女は『星の花嫁』だ。いわばこの結婚は国に与えられた宿命。彼女が別人のわけねえだろうが」
「それは……」
言われてみればたしかにそうなのだが。
ということは、やはり彼女こそが、自分が想い続けたリシェル・クローデッドその人なのだろうか。
「そうか……彼女がリシェルか……」
やりきれない思いを抱えて、レオーネは両の拳をきつく握った。
脳裏に、彼女と出会ったあの日のことが、よみがえってくる。
それは八年前のこと。
レオーネが十歳で、彼女が八歳の時だった。
* * *
『はじめまして、レオーネ・イルデブラン様。わたし、リシェル・クローデッドと申します。どうぞお見知りおきを』
ドレスのスカートを両手でつまみ、優雅に膝を折って挨拶をした彼女をひと目見た時、レオーネはたちまち恋に落ちた――ということもなく、とくに何の感情もいだかなかった。
初対面を果たしたあとには、家族を含めての茶会になって。
彼女とあれこれ会話をした時も、印象は良かったが、とくにそれ以上の感想を持つことはなかったのだ。
彼女に恋をしたのは、そのあとのこと。
難しい話をする親たちを抜きにして、二人でイルデブラン家の屋敷の中庭を散歩することになった時のことだ。
その時、予想外の出来事が起こった。
突如、レオーネとリシェルの前に、獅子ほどの大きさの黒い獣が現れたのだ。
――あれは……魔だ!
すぐさま悟った。
それは人外の、おそろしい生き物だ、と。
魔はレオーネとリシェルを見つけるなり、飛ぶようなスピードで走ってきた。
自分が闘わなければ、と思った。
ここオルランド王国の『星』として――魔を滅する存在として生まれ、そのための訓練も受けてきた自分なのだから、ここで彼女を守らなければ、と。
けれどその時のレオーネは、その場から一歩たりとも動くことができなかった。
これほど強大な魔と相対したことは、初。
つまりレオーネは、恐怖に固まってしまったのだ。
そこからはコマ送りのように景色が流れていった。
襲いくる魔。迫る牙と爪。呆然とする自分。
そこで動いたのは、リシェルだった。
「レオーネ様……! お逃げください!」
彼女は魔に背を向け、両腕を広げて、レオーネの前に立った。
「な、なにを……」
直後、耳をつんざくような彼女の悲鳴。
すぐに理解した。魔の爪が彼女の背を切り裂いたのだ、と。
しかし彼女は倒れなかった。
「リシェル……君は……君は……!」
腰を抜かし、その場に座り込むレオーネに向けて、彼女は美しく微笑んだのだ。
「だい、じょうぶ……ですか?」
「――……っ!」
「お怪我は、ありませんか……?」
その瞬間、レオーネの身体に電撃のようなものが走った。
痛みに涙をこぼしながらも、レオーネを気遣い、花がこぼれるように微笑む彼女。
――この少女が、精霊に与えられし、自分の運命の相手……!
彼女の圧倒的な姿を目にして、レオーネの心は歓喜に震え、そしてすっかり彼女に捕らえられてしまったのだ。
その頃のレオーネは、『星』として生まれた自分に、つまらなさを感じていた。
決められた仕事、決められた結婚相手、決められた未来。
なんて退屈な人生なのだと、鬱々とした毎日を送っていた。
けれど、彼女に守られた瞬間、意識が変わった。
本来であれば、自分こそが彼女を守らなければいけなかった。
ならば次こそは――いや、これから先ずっと、自分は彼女を守るために生きていこうと、そう思えたのだ。
だからレオーネは、隣国エヴァルドへ留学することを決意した。
なぜならその国は、魔に関する知識や、対魔の闘いにおいて発展している国。そこで身を入れて勉学に励み、星である自身のスキルアップに努めたかった。
――リシェルには、会いたくて、会いたくて……けれど八年間、会えなくて。
先日、有意義な留学を終えて、この地に戻ってきた。
国王に挨拶をし、騎士団特殊部隊長の職に就き、自分の身の置き所は決まった。
だからこそようやく彼女に会えると、本日、クローデッド家を訪ねたのだ。
そうしたら、この有様だ。
リシェルは、かつてレオーネが恋した彼女とは、印象がまったく違う女性に成長を遂げていたのである。
* * *
「……しかたない、か」
ひとりごちながら、レオーネは車窓から外の景色を眺めた。
彼女に恋をし、勝手に期待をしたのはレオーネだ。
今は正直、大いに戸惑っているが、だからといって過去、彼女が自分を救ってくれた事実が変わるわけではない。
ならば彼女のことを愛せるよう、努力を重ねるしかないだろう。
「……今日は、何か嫌な感じがするな」
同じように外を見ていたロッソが呟いた。
「ああ、そうだな」
夕焼け色に染まる空が、まるで血の色のよう。
これから夜が訪れる。
二頭立ての馬車は、クローデッド家から王都を目指して走り続けていた。