第一話
翌日、クローデッド家への処分が下された。
リシェルの父は、真実を曲げ、この国に甚大なる被害を与えようとしたと判断され、伯爵位を取り上げられることとなった。
そして義母と義妹とともに国の外れの街アレッダへの移住が強制され、その街から出ることを禁じられたのだ。
王とともに父や義母、義妹と面会をしたレオーネは、戻ってくるなりリシェルに話して聞かせてくれた。
「なぜ願われるままソフィアたちに従ったのか? との問いに、君の父上はこう答えた。——私は趣味である昆虫の研究に没頭したかった、と」
正直、どうでもよかったのだと、父は明かしたらしい。
リシェルのことも、ソフィアのことも、エリオのことも、自分の研究さえ邪魔をされなければ、誰がどうなろうともかまわなかったのだ、と。
「自分の時間を確保するため、面倒事は避けたかったようだ。だからソフィアがリシェルに成り代わろうとしても、何の口出しもしなかったらしい」
伯爵位の剥奪を告げられた際、父はがくりと肩を落としてこう言ったのだとか。「これで研究に使える金が少なくなってしまう」と。
「……そうですか。教えてくださって、ありがとうございます」
その時、リシェルは自身の心がすうっと冷え込んでいくのを感じた。
結局のところ、そういう父だったからこそ、今回のような問題が起こってしまったのだ。
「君の弟は、もちろん何の罪にも問われなかった。このまま君と一緒に生活することができる」
「ええ……ありがとうございます」
けれどクローデッド家は崩壊してしまった。
あの子の未来はどうなってしまうのかと、リシェルはやはり不安を拭えなかった。
するとそれを見抜いたのか、レオーネが向かい合って座るリシェルの手を握ってきた。
「心配しなくていい。剥奪された伯爵位は、一時預かりとなっただけだ。君の弟が成人すると同時に、また何らかの爵位が授与される」
「え……」
「王がお約束してくださったのだ。今後、エリオの生活と教育を我がイルデブラン家が担当するのであれば、しかるべき時に爵位を授けよう、と」
「——……っ! だって、それはきっと……!」
驚くあまりに、声が出なくなった。
そして心が打ち震えた。
なぜならそれは、レオーネが王に掛け合ってくれたからこそ得られた結果に違いないと思えたからだ。
「俺は君と一日でも早く結婚できるよう、全身全霊をかけて準備にあたるつもりだ。だがその前に、さっそく俺と一緒に暮らしてくれないか? もちろん、エリオも一緒に」
リシェルはもう何も言えなくて、レオーネの手を握り、そこに頬を寄せた。
どうかこの喜びと感謝が、少しでも彼に伝わりますように。ただただそう願っていた。
「リシェル……こっちにおいで」
レオーネはリシェルを抱き寄せると、自身の足の上に座らせた。
「俺は、君を大切にするよ。一生……俺のこの命が尽きるその時まで」
まるで結婚式の誓いの言葉のようで、リシェルは戸惑った。
「だから俺と一緒の生活を始めてくれないか?」
リシェルは彼の頬にかかる銀色の髪をそっとよけた。
そして「はい」と返事をする代わりに、頬に口づけをしたのだ。
「リシェル……」
レオーネはリシェルの首筋に唇を這わせた。
「レオーネ様……あ……」
鎖骨のあたりに顔を埋められ、リシェルの身体が小さく跳ねる。
二人を取り巻く空気が、一気に変わる。
こちらを見つめる彼の瞳の奥に、火が灯ったような気がした。
——いけない。このままではまた……。
昨夜のようなことになってしまうかもしれない。
「あの、レオーネ様にひとつ、お願いがあるのですが……」
まずはそれを話しておきたいと、リシェルは両手をレオーネの肩に置き、距離を作った。
「……それは今じゃなければいけない話か?」
名残惜しそうに頬を撫でてくるレオーネに、「はい」と返事をして、リシェルは自分の椅子に戻る。
「残念だな……今はこう、もう少し君を堪能したかったというか……」
「お願いです、レオーネ様。わたしをこのまま特殊部隊で働かせてください」
居住まいを正してそう願えば、レオーネは瞬く間に真剣な面持ちになった。
「なぜ?」
「わたしにもできること——したいことがあると思えたからです」
「……魔に対して、ということか」
いいえ、とリシェルは首を横に振った。
「この国に対してです。……それはまあ、魔に対して行うことが、結果、この国に対して行えることになるのですが」
リシェルは昨夜、先に眠ってしまったレオーネの隣で考えていた。
真の星の花嫁であると認められた自分は、近い将来レオーネと結婚し、この国に贈られた精霊の祝福をより強固なものにするだろう。なぜならそれが自分に課せられた何よりの使命だから。
では、そのあとは?
レオーネの妻として家で彼の帰りを待ち、ゆくゆくはイルデブラン家の当主となる彼の仕事をサポートする?
もちろんそれは大切な役目であり、おそらく自分は喜んで行うだろう。
けれどそれ以外に、自分にしかできない何かがあるのではないか?
「わたしはエヴァルド語を習得しています。特殊部隊に入隊した際に任された翻訳の仕事も、まだ終わっていません。それからわたしは剣を使えます。……昨日、手応えを感じたのです。対魔用の剣を使えば、わたしだって魔を倒すことができるのだと」
自分がなぜ花の精霊の力を受け継ぐ者として生を受けたのかはわからない。
けれどここで、リシェルにしかできない何かが、きっとあるはずだ。
だからこそレオーネと結婚したのちも、自身の使命を果たすために様々な可能性を探りたいと思い始めていた。
「お願いです、レオーネ様。もういろいろとあきらめて、下を向いて過ごすのは嫌なのです」
これから先の未来は、自分がなりたい理想の自分でいたい。
それがゆくゆくレオーネのため、王国のためになると信じて、前に進みたいのだ。
「……俺は、君を危険な目に合わせたくはない」
「でしたら教えてください。わたしにも、対魔の術を」
「本当だったら今すぐ俺の部屋に閉じ込めて、一日中ベッドで君を愛して……誰にも会わせず、俺だけに笑いかけてほしい……って、これじゃオセアノと一緒か」
レオーネはくつくつと自嘲気味に笑った。
「それでは君の隣に立つことは許されないか……」
やがてレオーネは、「わかった」とうなずいた。
「許そう、君の正式な特殊部隊入りを」
「ありがとうございます……!」
「だが、君に関する様々なことに介入させてもらう。そして臨機応変に君がいるべき場所を判断し、指示させてもらう。俺は君をあらゆるものから守りたいし、そうすべき立場にある」
「はい」
むしろそうしてもらえることで自分の立ち位置を見失わずに済むかもしれない。
「お願いいたします」
リシェルは頭を下げた。
「あと俺は、どうやら相当に嫉妬深い男らしい」
「え……」
「だから覚悟してくれ」
「何を、ですか?」
「俺に、溺れるほどに愛される覚悟を」
ふたたび手を握られたので顔を上げれば、レオーネは珍しく微笑んでいた。
なんて優しい瞳でリシェルを見るのだろう。
その眼差しに彼の想いを感じ、リシェルは胸が締め付けられた。
「嬉しいです……」
微笑み返せば、レオーネは満足げにうなずいた。
リシェルの中が、幸せで満たされていく。
「ありがとうございます。レオーネ様……わたし、がんばりますから」
進むべき道は決まった。
たくさんのものを失ったけれど、これからは失ったもの以上にたくさんのものを、レオーネがリシェルに与えてくれる。
——今はただ、わたしにこの宿命を与えてくれた花の精霊に、感謝を。
そして抱えきれないほどの愛を与えてくれようとするレオーネに、やはりたくさんの愛を——両手に持ちきれないほどの花束のような愛を、返したいと思えた。
* * *
その翌日、リシェルの父と義母、義妹は、辺境の街アレッダへ向けて旅立った。
面会はしなかった。
誰のためにも、もう二度と顔を合わせない方がいいのだろう。
そう判断したリシェルは、王宮の西の塔のバルコニーから、去りゆく馬車をそっと見送ったのだ。