第五話
——もしかして、あの方が……!?
ふと気付けば馬の蹄の音が、どんどんこちらに近づいてきていた。
「まさか、イルデブラン隊長か!?」
血相を変えたオセアノが、部屋の中に戻る。
「ただちにすべての扉や窓の鍵を閉めろ! 誰も中に入れるな!」
「レオーネ様! レオーネ様ー!!」
リシェルはなりふり構わず彼の名を呼び続けた。
お願い、気付いて。
どうかここに来て、もう一度、今度は面と向かってリシェルと呼んで。
祈りながら、リシェルは何度もその名を叫び続ける。
「レオーネ様……!」
やがて数頭の馬にそれぞれ騎乗した集団が、この屋敷の庭園に駆け込んできた。
その先頭に彼の姿を見つけ、リシェルは自身の感情が爆発しそうなほどに高揚する。
「レオーネ様……!! わたしはここにいます!」
けれど背後には、またしてもオセアノが迫っていた。
「レオーネさ——っ! んんっ!」
オセアノの手で、口を塞がれる。
いまだ両腕を縛られているリシェルは抵抗できず、ただうめき声をあげるしかなかった。
「リシェル……! そこか!」
こちらに気付いたレオーネは馬から飛び降り、バルコニーの下まで走ってきた。
「おつかれさまです、イルデブラン隊長」
オセアノは存外落ち着いた様子で、にこりと笑う。
「いったいどうなされたのです? 夜会でお疲れでしょうに」
「オセアノ……今すぐその手を離せ。彼女を解放するんだ」
続いて馬から下りてきたロッソや特殊部隊の隊員たちが、レオーネの背後に立った。
「オセアノ、てめえ……」
拳を握るロッソを、レオーネが「あとにしろ」と、制止する。
「彼女を解放? ははっ、隊長はずいぶんおかしなことをおっしゃられますね。彼女は僕の妻ですよ。こうすることに、いったい何の問題があるのです?」
「オセアノ……これ以上、俺を怒らせるな」
レオーネの声音は地を這うように低く、震えていた。
「彼女を妻と呼ぶことは、もう二度と許さない」
「信じてくださらないのですか? 僕たちの結婚誓約書だって、もう教会に提出済みなのに」
するとレオーネは、溜息を吐きながら首を横に振った。
「それは、これのことか?」
ロッソが広げて見せた、一枚の書類。
それを目にするなり、オセアノが血相を変える。
「それは……!」
距離があり、はっきりと見て取ることはできないが、オセアノの様子から察するに、彼とソフィアの名が記されたものなのだろう。
つまり先ほど従者が持って行った、あの結婚誓約書だ。
「なぜそれをあなた方が……!」
「おまえが慌てて結婚誓約書を提出することは目に見えていた。だから王都中の教会に騎士団員を配置したんだ」
「それでこの場所も!?」
「おまえの馬車が王都を出たとの報告はなかったからな、このあたりに潜伏しているだろうとの予測は付いた。あとは教会にやってきたおまえの従者を捕らえればいいだけの話だ。……ソフィアが今夜のもくろみをぺらぺらと話してくれて、正直、助かった。おまえがリシェルと強引に結婚するつもりだとソフィアから聞かされなければ、こう上手くことは運ばなかっただろう」
「くっ……なんてことを……」
——いいかげん、離して!
リシェルは勢いよく頭を振って、口元をおさえるオセアノの手から逃れた。
「レオーネ様……!」
彼の金色の眼差しが、こちらに向けられる。
「リシェル……いきなりで戸惑うかもしれないが、今すぐ俺の質問に答えてほしい。それ次第で俺の今後の動きが変わる」
「え……?」
やがてレオーネは静かに問うてきた。
「君のほんとうの名を教えてほしい」
「——っ! それは……」
「君はソフィア・クローデッドではなく、リシェル・クローデッドなのか?」
——ようやく……ようやく明かすことができる……!
「ええ、そうです」
リシェルはうなずいた。
「嘘を重ねてしまい、申し訳ございません。けれどあなたに知っていただきたいと思っていました。あの子ではなく……ソフィアではなく、わたしがリシェル・クローデッドだと……!」
そう告げた瞬間、意図せず涙がこぼれ落ちた。
——もう、我慢をしなくてもいいんだわ。
ずっと縛られてきた。
義母や義妹にすべてを奪われようとも、母の遺言に従い、クローデッド家を守らなければいけないと。
けれど今初めて、それから解放されたのだ。
「頼む……泣かないでくれ。今はまだ、君を抱きしめることができない」
レオーネはもどかしげに拳を握った。
「リシェル、君に聞きたいことがもうひとつある。君は……星の花嫁である君は、星であるこの俺との結婚を、どう思っている?」
「え?」
「いや、間違えた。そうではなくて……」
ごほんっと咳払いをして、レオーネは姿勢を正した。
「君は、星であるこの俺と……結婚、してくれるだろうか?」
「——っ! もちろんです……!」
気付けば即答していた。
「レオーネ様……! あなたのほうこそ、相手がこのわたしで本当によろしいのですか? わたしとの結婚を、心から望んでくださっているのでしょうか……?」
するとレオーネは、「当然だ!」と、怒ったような調子で返してきた。
「俺はもうずっと、君と結婚したいと願ってきた! 星の花嫁が君であることを、どれほど幸運だと感謝したことか……!」
それはリシェルにとって、なによりの答えだった。
「レオーネ様……ええ、わたしも同じ気持ちです。あなたが星でいてくださって——」
しかしその時、背後からのびてきたオセアノの手に、またしても口元をおさえられた。
幸せの極地から一転、リシェルは再び窮地に立たされたのだ。




