第四話
「ふふっ……とっても楽しい夜ですわね。ねえ? レオーネ様?」
皆の視線を集める中、義妹は肩を揺らして笑った。
その行為がまた、リシェルに大きな敗北感を抱かせる。
「……部屋に、戻ります。お先にお暇することをお許しください」
ドレスのスカート部分をつまみ、膝を折って挨拶する。
「だめだ。ひとりで戻ることは絶対に——」
しかしその時、ロッソが血相を変えてやってきた。
「レオーネ、陛下がこの騒ぎにお気づきになられたぞ。おまえと俺をお呼びになっているそうだ」
そうなってしまえばもう、レオーネは王命に従うしかなかった。
「ロッソ、彼女を部屋まで送れ」
「って、俺も呼ばれてるって——」
「いいから! 必ずだぞ!」
言い置いて、レオーネは王の元へと向かった。
リシェルはそのすきに広間を出る。
——泣くのはもう少しあと。ここから離れて、完全にひとりになってからよ。
しかしすぐさまロッソが追ってきた。
「おい、待てって! レオーネの命令だ、俺が部屋まで送る!」
「ロッソ副隊長、僕が替わりましょうか?」
そこに現れたのは、会場の外で休んでいたらしきオセアノだった。
「僕が責任を持って部屋まで送り届けましょう。隊長か副隊長が彼女の部屋にいらっしゃるまで、扉の前で警護していればよろしいでしょうか」
「オセアノ……おまえ、暇なのか?」
「家族などとくに呼んでおりませんから。それよりも、陛下の元へ向かわれなくてよろしいのですか? 先ほど副隊長をお呼びになる声が聞こえましたが」
「おー、助かった! わるいな、すぐに行くから頼む。彼女の部屋に誰も近づかないよう警戒していてくれ」
つまり義妹がリシェルに接触してこないよう警護していろ、とのことだった。
「承知いたしました」
オセアノがうなずけば、ロッソは「頼むぞ!」と、走って会場へと戻っていった。
リシェルはようやく、ひとつ、溜息を吐く。
「大丈夫かい? リシェル、歩ける?」
幼馴染みのオセアノに優しく声をかけられて、リシェルの感情は崩れた。
「オセアノ様……あの子が、ソフィアが来ていて……」
「ああ、さっき会った。彼女が会場に入る直前にね」
「わたし、びっくりしてしまって……」
「イルデブラン隊長は招待していないだろうから、どこかから今夜の情報を仕入れて、勝手に乗り込んできたんだろう」
話しながら、オセアノはリシェルの背に手を添えてきた。
二人でゆっくり、歩き出す。
「脅されたんです。エリオをどうにかするって……だからとにかく家に戻ってこいって」
「エリオを!? それはまたひどいことを……」
「あの子に何かあったらどうしよう……!」
「ソフィアは、君がイルデブラン隊長のもとにいるのが気に入らないんだ。伯爵家を追い出したのは彼女たちだっていうのに、あまりに理不尽な話だけれど」
オセアノはリシェルの悔しさや怒りを共有してくれているようだった。
「で、君はどうするんだい? 伯爵家に戻る?」
「戻りたくない……!」
本音とともに涙がこぼれ落ちた。
「わたし、今夜、レオーネ様にすべてを明かそうと思っていたのです。わたしがリシェルであることを……伯爵家を追い出されたことも。その上でエリオのことを助けてもらおうと考えていたのに……」
タッチの差で、義妹に先手をとられてしまったのだ。
「隊長に真実を? 本気でそう考えていたのかい?」
オセアノが急に足を止めた。
慌てて立ち止まって振り返ってみれば、彼の顔色はなぜか曇っている。
「オセアノ様? どうかなされましたか?」
「どうしてだい?」
突然、両腕をつかまれた。
「どれだけ虐げられようとも、伯爵家のために耐えると言っていた君なのに……どうして急に真実を明かす気になった?」
「だって、あまりに理不尽すぎて……お母様の遺言を大切にここまで来たけれど、わたしばかり耐えて不幸になることを、はたしてお母様は望まれるでしょうか?」
「それは……」
「それよりも、わたし自身の幸せを願ってくださるのではないかと、思い至ったんです」
それから、とリシェルは二の句を継いだ。
「星の花嫁であるのに、魔の危険性も今までよくわかっていませんでした。だからあの子がわたしと入れ替わったところで、たいして問題ないと考えていたのです。けれど、魔の実態や、この国にかけられた祝福のことをレオーネ様に教えていただいて、ようやく目が覚めたというか……やはりわたしは、自らに課せられた役目をきちんと果たすべきだと、そう思ったのです」
「でも、それだけじゃないだろう?」
「え?」
「隊長のことを好きになった?」
その瞬間、リシェルの頬がたちまち赤くなった。
「そ、それは……そのようなことは……」
「図星、か。まあ、君は子供の頃から、一度だけ会ったあの方に好意を抱いていたからね」
予想外に言い当てられてしまえば、うろたえることしかできなかった。
もうきっと、誤魔化すことなどできないところまできている。
「……はい」
リシェルは消え入りそうな声で認めた。
「やはりそうだったのか……」
オセアノは天を仰ぐように溜息を吐いた。
そして笑う。「よかった」と。
「本当によかったよ、リシェル。君が隊長に真実を明かす前で」
彼は金色の髪をかきあげ、くつくつと肩を揺らした。
「……? どういうことですか?」
「だって君がリシェルであることを認めれば、きっと隊長はすぐさま結婚に向けて動く。このように君をひとりにするなんて、そんな隙は作らないはずだ」
「ひとりって……今はオセアノ様が一緒にいてくださいますが」
彼が何を言いたいのか、よくわからなかった。
「きっと今日が最後のチャンスだ」
オセアノはひとりごとのように言うと、胸ポケットからハンカチと小瓶を取り出した。
「リシェル、これを君に」
小瓶の蓋をはじき飛ばすように外し、中に入っていた液体をハンカチにしみこませる。
「それは?」
「これはさっき、ソフィアに渡されたものだよ」
「いったいなんなのですか?」
「薬だよ。これをこうして口や鼻のところにあてて……」
「——……っ!」
次の瞬間、背後からオセアノに羽交い締めにされた。
なぜ? と目を丸くしている間に、口元にハンカチを押し当てられる。
オセアノ様! と、声に出して抵抗したかったが、ただのうめき声となって喉の奥に消えた。
「ゆっくり呼吸して。そんなに危険なものではないんだ。ただ、意識がぼうっとする作用がある」
そのようなものを吸い込んでたまるかと、リシェルは呼吸を止めて抵抗した。
けれどいつまでも続くわけがない。
ついには苦しくなって、思い切り息を吐き出し、吸い込んでしまう。
「そう……そうだよ。ゆっくり、ね」
次第に力が抜けていくリシェルを、オセアノは背後から抱きしめるようにしてきた。
「ごめんよ、リシェル……けれど君は、剣が使えるから。こうでもしないと、おとなしくさらわれてくれないだろう?」
まさかオセアノは、ソフィアに頼まれて、リシェルを伯爵家に戻そうとしているのだろうか。
それともまた別のもくろみがあるのか、この行動の真意をつかめぬまま、リシェルの意識は次第に遠のいていった。
「……好きだよ、リシェル。もうずっと、ずっと前から」
意識を完全に手放す直前、そのような言葉を聞いたような気がした。
それは聞き違いか、あるいは現実か、いったいどちらだったのだろう?




