第一話
レオーネに、明かそう。
自分がリシェルであることを——義母や義妹に虐げられ、このような結果になってしまったことを、包み隠さず彼に打ち明けるのだ。
あれから三日ほど頭を悩ませたリシェルは、そう決意した。
クローデッド伯爵家のことは、もちろん大切だ。
母が遺した言葉があったからこそ、どれだけ冷遇されようとも、我慢を重ねてきた。
けれど、行商に売られてまで伯爵家を守ったところで、母は喜ぶだろうか?
リシェルが不幸であっても、伯爵家が存続していれば、それでいい?
考えに考えて出した答えは、ノーだ。
生前、あふれんばかりの愛をリシェルに注いでくれた母であれば、娘が幸せであることを一番に願ってくれるはずだろう。
そして今回の決意をなによりも後押ししたのは、父の行いだ。
実の娘が忽然と消えても、捜しもしてくれない親のことなど、もう気に掛ける必要もないのではないかと、リシェルは思い始めていた。
今こそすべての間違いを正して、本来、リシェルに与えられた使命——星と結婚し、この国にかけられた精霊の祝福を守ることを、粛々と果たす時ではないか。
それこそが、自分にとってもこの国にとっても最善なはず。
リシェルはそう考えたのだ。
——それでも気がかりなのは、エリオのことだけれど……。
まだ六歳と幼い弟。
リシェルが暴露をすることで、もしや伯爵家を継ぐ未来は閉ざされてしまうかもしれない。
けれど先日、レオーネはこう言ってくれていた。
『君が不安に思うことも、おそれていることも、きっとどうにかしてみせる』と。
ならばそれも含めて、彼に相談してみよう。
リシェルはそう決意したのだ。
* * *
「本日の仕事はここまでだ。——皆知っていると思うが、今夜は陛下主催の夜会が開催される予定となっている。失礼のないように皆、正装でのぞむように」
「承知いたしました!」
レオーネの部屋で夜を明かしてから、三日目の夕刻。
勤務終了時にレオーネが口にした言葉に、リシェルは目をまたたいた。
——夜会? 正装って……どういうこと?
首をかしげていると、ロッソがやってきた。
「なんだ、そのびっくり顔。夜会のこと、聞いてなかったのか?」
リシェルはうなずいた。
「ずいぶん時間が経っちまったが、レオーネの隊長就任を祝う会だとよ。陛下主催だがごく小規模なもので、参加者は騎士団の団員と、その家族や恋人らしい。——まあ、騎士団員たちへの労いもかねてってところだな」
「そうだったのですね。ではどうぞ素敵な夜を」
おつかれさまでした、と挨拶をして、リシェルは部屋に戻ろうとした。
しかしレオーネに引き留められる。
「何を言っている。君も出席するんだ」
「わたしも、ですか?」
「俺を祝う席に、君がいなくてどうする」
「ですが……わたし、夜会には出席したことがなくて」
そのような場に合うドレスなど、一枚も所有していなかった。
「社交儀礼は?」
「それはもちろん教えられてきましたが……あ、もしや正装とは式典用の隊服のことですか? それを着用すればよいのでしょうか」
「通常はな。だが女子隊員用の正装は、用意されていない」
「ではわたしはこのままの格好で?」
「来なさい」
「え」
何事? と目を丸くしている間に、レオーネに腕をひかれて、騎士団の寮へと連れて行かれた。
「そろそろ届いている頃なんだが……ああ、やはり到着していたか」
リシェルとレオーネの部屋の間にある広間。
そこに足を踏み入れるなり、レオーネが言う。
「今夜、君にはこれを着てほしい」
広間の暖炉の前には、淡い緑色のドレスを着付けられたトルソーが置いてあった。
花と蝶の刺繍が施されたオーガンジー生地が幾重にもされている、美しいデザインだ。
「すてき……なんて美しいの」
リシェルは思わず、感嘆の声をもらした。
「君に似合うドレスをと、あれこれ悩んで仕立てさせた」
「え……では、これはわたしのために?」
「今夜はこれを来て、俺と夜会に出てほしい」
「ですが……」
彼にエスコートされて会場に入る。
本来ならばそれは、婚約者であるリシェルを名乗る、義妹の役目だ。
けれどリシェルは、すべての真相をレオーネに明かすとすでに決意した。
ならば彼の隣に自分が並ぶことに、何の問題があるのだろう。
「承知いたしました。不慣れでご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします」
リシェルが深々と頭を下げれば、一方のレオーネは、ほうっと安堵するように天を仰いだ。
「よかった。君に断られたら、どう説得しようかと頭を悩ませていた」
満足げな表情でソファに腰を掛け、肘掛けに頬杖を付く。
「君の白い肌に、そのドレスの色はよく似合うだろうな。ふんわりとしたシルエットも、君をより魅力的に見せるだろうし、なによりその膨らんだ袖が君の華奢な腕によく似合う。それから蝶の刺繍も、君を抱きしめたときに感じる甘い香りに誘われてきたようで……」
こちらをひたと見つめながら熱弁していたレオーネだったが、やがて口を閉じた。
リシェルが顔を真っ赤にしていることに気付いたからだろう。
——見つめられながら、そんなことを言われてしまうと……。
彼と抱き合って眠った夜のことや、その時に知った彼の肌の熱さ、しっかりとした腕や腰の感触などを、つい思い出してしまうではないか。
「いや、すまない。しゃべりすぎた」
珍しい。
赤面が伝染したのか、レオーネも耳を赤くしているようだった。
「とにかく……今夜、そのドレスを着た君に、俺の側にいてもらいたい」
リシェルは「はい」と首を縦に振った。
「では俺は一度、ここを出よう。女性には支度の時間が必要だろうから」
立ち上がったレオーネは、「また、夜に」と言い残して、部屋から出て行こうとした。
その背にリシェルは声を投げる。
「レオーネ様……! あの、今夜、お時間いただけますでしょうか?」
夜会が終わったあと、彼に、例の話を聞いてもらいたかった。
「それは……君の気持ちが固まった、と解釈してもよいのだろうか」
振り向いた彼の面持ちは真剣そのものだ。
リシェルも自然と居住まいを正す。
「ええ。ようやく決まりましたので……」
「そうか……ならば夜会のあとに、この部屋で」
「はい。夜会のあとに……この部屋で」
リシェルとレオーネは、互いの目を見つめながら、静かにうなずきあった。